シュルクとアグナコトルとヅダ

 ※今回の作文は下ネタを多量に含みます。苦手な人はブラウザバックしてください。
 最近の作文が下ネタばかりになっているように思えますが、公開された下ネタのその半分以上が、ずいぶん昔に書かれたはいいものの封印されていた物です(この作文については3ヶ月前の物)。それを今、一斉に解放しているだけのことで、最近のぼくが煩悩にまみれているというよりは、ぼくは今も昔も煩悩にまみれているのです。
 作文タイトル「背負えない男」を皮切りに、つまり実在の友人を題材にした下ネタを公開することに本人から許可が取れてしまったことを皮切りに、封印されていた下ネタが次々解放されているのが現状です。これが悪循環です。これが前例を作ることの恐ろしさです。一つ許せば次々と……。と、これも何かの教訓になるでしょう。
 そういう意味でも、苦手な物には苦手だと早いうちから主張しておくことが大切だと思います。
 では本題スタートです。
 






 スマブラという対戦格闘ゲームでは、シュルクというキャラクターが使える。シュルクは若い男性のキャラクターであり、強いて言うなら、顔がNEWSの手越祐也に似ている。
 そんなシュルクの使う特殊な能力に、モナドという物がある。モナドとは、それぞれ漢字一文字で表される、いくつかの呪文のような物であり、モナドを使うことでシュルクの性能は、一定時間の間だけ飛躍的に強化される。
 モナドは全部で5種類ある。

 ジャンプ力強化の「翔」
 ダッシュ速度強化の「疾」
 防御力強化の「盾」
 攻撃力強化の「斬」
 ぶっ飛ばし力強化の「撃」

 ぶっ飛ばし力とは文字通り、攻撃を当てた敵を吹っ飛ばす力であり、スマブラというゲームではこれが中々重要になってくるのだけれど、今回の話にはあまり関係ないので、ピンと来ない人はスルーしてしまっても問題ない。
 とにかく、シュルクとは5種類のモナドを駆使して、自身を強化しながら戦うキャラクターなのである。とはいえそんなモナドも、メリットばかりの物ではない。例えば攻撃力強化の「斬」を使っている間は、逆に相手からくらうダメージも増えてしまうといった、諸刃の剣状態になるなど、各モナドにはそれぞれデメリットも備わっている。
 デメリットを背負う分メリットは強力極まり、モナドにより何かしらの強化を受けている間のシュルクは、別キャラクターではありえない上記を逸した動きを見せることがままある。だからシュルクの戦闘は見栄えが派手になりがちで、ある日友達の使うシュルクと対戦していたぼくは、その見栄えする激闘の中で大いに盛り上がっていた。
 モナドが使用されるたび、それに対応して、
シュルクが跳んだ!」
シュルクが走った!」
シュルクが斬った!」
シュルクがぶっ飛ばした!」
 と、はしゃいでいた。
 そしてある時、「盾」のモナドが使われた。ぼくは他のモナドの時と同じようにはしゃごうとしたが、しかし対応する単語が思いつかなかった。
 「盾った!」では日本語がおかしい。「守った!」も何か違う。防御力を強化するということは、必ずしも守りの体勢に入ることとイコールではないからだ。
 そこで、少ない語彙から搾りだされた言葉がこれだった。
シュルクが固くなった!」
 ……繰り返すけれど、シュルクとは、アイドルっぽい顔をした、若い男性のキャラクターである。
 シュルクが固くなった。そう言った瞬間にぼくは、下ネタを連想した。
 そんな連想をしてしまう思考回路については、まったく馬鹿な男の馬鹿な脳みそだなと思ってもらうしかないけれど、しかしぼくがふふっと笑うと、隣で友達もふふっと笑った。二人の間には確かに、下品すぎる以心伝心があったのだ。
 それからしばらくは「固くなった(意味深)シュルクが迫ってくるんだけど!」とアホなことを言って笑っていた。するとそんなアホな流れの中で、ある時ぼくは気が付いた。
 前述の通り、各モナドにはデメリットがある。そしてその中でも、「盾」のデメリットというのは……。
 ぼくは友達の操作するシュルクから、いとも簡単に距離を取りつつ言った。
「固くなると、速く走れないみたいね」
 奇跡的に、下ネタの方と話がリンクした。「盾」の効果中、シュルクの移動速度は著しく低下するのである。そして実際に男性という存在は、どこがとは言わないが固くなった時に、やはり全力疾走は出来なくなる物である。
 たたみかけるようなお下品ジョークに、これは思ってたより面白い下ネタになったな、と笑いつつ対戦は進む。間もなくしてモナド「盾」の効果時間は終了した。次なる強化を使おうと、シュルクはすぐに別のモナドを選び始める。
 その時、数あるモナドの候補の中で、「盾」の文字だけが暗く表示されたいた。それもそのはずで、同じモナドは連続して使用することが出来ないという仕様があるのだ。そういう仕様でなければ、そもそもモナドに時間制限が設けられている意味がない。同じモナドを永久に使い回すことは許されないのである。
 それを見て、ぼくは言った。
「一度固くなった物が終わると、もう一度固くなるまでに時間がかかるんだね」
 友達と二人で笑った。何がとは言わないけれど、二人とも心当たりがあったのかもしれない。





 ……という話を、「下ネタは苦手だ」と言う人に向けて試しに投げつけてみると、案外ウケるケースがある。それも経験上、決して少なくない頻度でそれがあり得る。それどころかむしろ、もはやそれは下ネタではないとさえ言われたことのあるくらいだ。
 世の中には何の芸もなく、ただ自分の性癖や性欲を高らかに口に出しては、それを下ネタだと言い張る人がいる。それどころか、直球のセクハラや差別的発言をしておいて、ちょっとした下ネタじゃないかと笑う輩さえいる。そしてその手の無茶苦茶な言い分を「下ネタ」と認識している人が、どうも世の中には結構な数いるように思える。
 下ネタは苦手だと主張しつつ、シュルクの下ネタに嫌悪感を示さなかった聞き手というのは、つまり下ネタとセクハラの区別がついていない聞き手である。そんな聞き手が多く存在する原因は、下ネタと称してセクハラをする人間の多さにあるのだろう。これは嘆かわしいことだ。
 シュルクモナドの話は、実在の人物をものの例えに出してしまったのはまずかったが、そこを除けば決してセクハラではないはず。これがセクハラなら、どぶろっくは公共電波でセクハラを流したことになる。セクハラと下ネタ、ハラスメントと笑いは、区別されるべきなのだ。
 下ネタは苦手なんです……と言っている人に、あなたの下ネタの定義は何なんだ……? と確認するため、とりあえずこの話を聞いてくれ、スマブラは知ってるか……? と話を振り始めるのは、正直我ながら、正気の人間の行動じゃないと思う。
 もちろん「そういう下ネタなら大丈夫」と言ってくれる結構な人数よりもさらに多く、「嫌いだって言ってるだろ」と跳ね除ける人はいる。笑いにだって好き嫌いがあるのだから、下ネタが仮にセクハラと決定的に違う物であったとして、それが万人に受け入れられなければならない理由はないのである。
 だから、ぼくのしてきたことが褒められた行為じゃないことは明らかだ。「まあまあ、騙されたと思って」と物を勧めることは結果論しか呼ばない。結果論を好むのは賢いやり方じゃない。
 しかしだからこそ、セクハラと下ネタがしっかり区別される世界が来ることを願う。下ネタが苦手という言葉を、そのままちゃんと信じられるような世界になってほしい。
 ぶっちゃけ、ぼくは自分の持っている面白い話を、披露出来ないことがつらいのだ。
 そういうわけで、この機会にもう一つエピソードを挙げておく。この作文ではそちらが本題である。






 モンハンにアグナコトルというモンスターがいる。それは腹這いの四足歩行で歩く、首の長い竜の姿をしていて……ざっくりしたイメージで言うと、ネッシーのような骨格のモンスターだった。
 アグナコトルの最大の特徴は、その身にマグマの鎧を纏うことにある。湖を泳ぎ潜るネッシーのように、アグナコトルは溶岩の中を泳ぎ潜れる力があるのだ。そして溶岩の海から這い出たそれは、体中にマグマを纏い、それが鎧の役割を果たすこととなる。
 初めのうちは熱く柔らかいマグマも、ずっと地上にいれば時間経過で冷めていき鋼鉄のごとく硬くなる。アグナコトルを狩るハンターたちは、そのマグマの鎧に対する対策を何かしら講じるわけだけれど、その日友達の口から飛び出た質問は、それ以前の問題だった。
「アグニャンの弱点ってどこだっけ?」
 モンスターにはそれぞれハンターの攻撃がよく効く弱点部位(主に頭や腹、尻尾などの場合が多い)が決まっているが、数百時間をモンハンに捧げたぼくらにとって、アグナコトルの弱点部位は常識の範疇である……と思っていた。少なくとも、ぼくはそのつもりだった。
 ところでアグニャンとは、お察しの通りアグナコトルの愛称だけれども、その由来は「けいおん!」というアニメに登場する、中野梓という女子高生キャラが「あずにゃん」という愛称で呼ばれていた……という話にまで遡る。
 つまりアグナとあずさ、アグニャンとあずにゃんでなんとなく似ているからという、クソほど適当な理由でそんな愛称が生まれたわけだけれど、いくらくだらない過程からでも、実際に生まれてしまったものは仕方がない。何ならぼくはけいおん!を一話たりとも見たことがないけれど、気付いたらアグナコトルのことをアグニャンと呼んでいた。
 ともかく、本題はそんなアグニャンの弱点部位についてである。ぼくは「今さらそんなこと聞く?」と呆れながら言った。
「頭か、でなければ胸」
 この時点で、アグニャンという響きとその元ネタから、二次元の女子高生を一人ピンポイントに連想してしまったぼくは、「女子高生+弱点は胸」ということで下ネタを思い描いたけれど、それはまだ口に出さなかった。あまりにもしょうもなさすぎると思ったからである。
「よし、じゃあ胸狙うわ」
 という友達の発言に一人ちょっと笑いそうになったけれど、くだらなさすぎるので我慢した。
 「じゃあ」という言い回しに面白さを感じたのはぼくだけだ。合理的に考えて、ネッシー体型であるアグニャンの頭(つまり高い位置にある小さな的)を狙うより、的が大きく手の届きやすい低い位置にある胸を狙う方が楽だというだけのことだった。
 さて、そしてその日友達が装備していた武器は、ランス……つまり槍だった。彼はチクチクと槍でアグニャンの胸を突っつく。弱点の胸を執拗に、チクチク、チクチクと突き回す……。
 そしてある時彼が言い放った。
「あ、胸が固くなった!」
 ぼくはついに笑ってしまった。ぼくも彼と協力して狩りを遂行する身、アグナコトルの胸まで覆うマグマの鎧が、冷えて硬化するのを眼前で見ていたけれど、一連の言い回しに笑ってしまったのだ。
 だが、今回に限っては「何が面白いんだ……?」という顔で友達が黙っていたので、ぼくもすぐに黙ることにした。下品な以心伝心はこの日そこになかったのである。
 事実彼は「え、なんで笑ってんの?」と聞いてきたが、ぼくは「なんでもない、なんでもない」と沈黙を貫いた。そういった知識についてはひけらかさないことが、賢い男の振る舞いというものなのである。





 ……書いてみて思ったけれど、アグナコトルの話は、これはわりとセクハラの部類に入ってしまいそうだ。セクハラと下ネタの区別は、いじめとイジりの区別のように一見明白なように見えて、実は複雑で曖昧でデリケートで、難しいものなのかもしれない。
 そうなると、言うなればこの下ネタはセンサーの第二段階である。シュルクの話を突破した人にアグナコトルの話を投げつけ、その人のボーダーラインを探っていくのだ。ドッキリ番組が広く受け入れられているように、笑いのために多少の倫理観を蹴ることは、人によっては「セーフ」の判定になる。
 ただ往々にして下ネタというのは一度「アウト」の判定をもらった時点で、話し手が心のブラックリスト入りさせられてしまうような危険もあるで、そのあたりには気をつけていきたい。
 つまるところぼくは下ネタが好きで、今回の作文は、日常から抜き出した傑作選を披露したいだけなのである。
 ぼくが莫大な財産や権力を持ち、まわりの人間がみんなぼくの顔色をうかがい下ネタを笑って聞くようになったら、ぼくは下ネタとセクハラの区別についてなんか、ものの一瞬で興味を失うだろう。……逆に言えば、ぼくは一生そのテーマに興味を持ち続けざるを得ないということだけれど。
 そういうわけで欲望のままに、次のエピソードを挙げようと思う。作文タイトルから察せられる通り、今回はこれが最後のエピソードだ。





 ヅダという名前のモビルスーツガンダムに登場する。ヅダとは、あの有名なザクと量産機の座を賭けて争った、そしてお察しの通りその争いに敗北した、悲しい機体の名前である。
 悲しいとは言っても、ヅダが量産機になれなかった一番大きな理由は、いざお披露目という場面(つまりお偉いさんたちが見ている初舞台)で、空中分解に陥り爆散してしまったことにある。ヅダは加速のパワー、機動力を重視して作られた機体なのだけれど、重視しすぎたスピードに機体が耐えられず爆発してしまったのだ。その結果量産機の座を逃したのだから、その一連の流れは一言で言って、自爆である。
 そんな悲しみの機体ヅダは「量産機になれなかった機体」として有名だけれど、ある時期のぼくは自分のツイッターのアイコンを、そのヅダにしていたことがあった。
 なぜかといえば、それはぼくが無職だから。大学生、新入社員、あるいはバイトの一人。高校卒業後その類の物のどれにもなれなかったぼくは、量産機になれなかった存在であり、またその理由は「自爆」でしかないと思ったことを、茶化した結果のヅダアイコンだった。
 理想や欲望だけが高まって空中分解していく……とか、何かそれっぽいことを言っていた時期もあったけれど、長々と自分という「人間」のアイコンとしてのヅダを見ていると、ある日ぼくは、擬人化を思いついてしまった。
 刀剣乱舞というゲームがある。あれは刀が美形の男に擬人化されたゲームだ。人を切り殺すための、ある種兵器的な物体が、現代となってはイケメンにだって変身出来てしまうわけだ。
 同じく、艦隊これくしょんというゲームもある。艦隊という兵器が美少女に擬人化されるゲームだ。そうつまり、兵器であるモビルスーツが、モビルスーツであるヅダが、擬人化されてはいけない道理など、平成のどこにもないのである。
 ヅダを擬人化するなら、量産機になれなかった機体を擬人化するなら、社会のレールから脱線してしまった、ひねくれた性格のキャラクターになるはずだ。現実はともかく、二次元ならそういったキャラも許される風潮にある気がする。
 要するにぼくがイケメン化と二次元化(あと声もかっこよくなる)を経た姿があるとすれば、それがヅダの擬人化ということになるのではないか? ある時そんな妄想が浮かんだのである。
 ……が、そういうことを考え始めると、ちょっと引っかかることがあった。そういうことというのはつまり、ヅダが人であり男であると想定した場合のことである。
 ヅダはただ速いだけの機体ではない。速さは大きなセールスポイントに違いないけれど、ヅダにはそれ以外にも長所がある。その一つが大型対艦ライフルだ。かの有名なザクはマシンガンやバズーカを装備することが主だけれど、ヅダはその気になれば、巨大な戦艦をも落とすことが出来る巨大ライフルを装備することが出来るのだ。
 その名も135mm対艦ライフル。それがヅダの代表的な武器であるわけだが……。
 だからつまり、ここで生じる問題は、ヅダが男であると、オスであると仮定する場合、「135mm対艦ライフル」は下ネタになるんじゃないか? ということである。
 いや、「である」じゃねーよと思うかもしれないけれど、冷静に考えてみてほしい。もしも本当にガンダムシリーズを題材とした擬人化ゲームが登場して、ヅダはひねくれた引きこもりのなよなよしたイケメンとなって、そして人気男性声優が惚れ惚れするほど魅惑的な声で言うのだ。
「ぼくの自慢の対艦ライフル」
 とか、言うのだ。仮にその時の立ち絵で、そのキャラが実際に大きなライフルを担いでたとしても、一部で下ネタとして茶化される未来がぼくには見える。オタクたちはそれを見逃さない。
 しかも面白いことに、対艦ライフルを下ネタだとすると、135mm(13.5cm)は別に自慢するほどの物じゃないって話になってくる。下ネタだということにした方が、話が面白い方向へ行くのだ。ぼくという男性がヅダをアイコンにすることについて、何だか別の意味が生まれてくるかのような気さえしてくる。
 そうして考え方を完全に下ネタにシフトすると、もう一つ別な意味に聞こえてしまう物がある。それはあるゲームで使用機体にヅダを選んだ時の、発進時にパイロットが言うセリフだった。
「ついて来れるか? ヅダは早いぞ」
 もちろんこれは「ヅダこそ量産機にふさわしい」と信じるヅダ信者のパイロットが、機体の機動力を自負して放つセリフである。けれども擬人化の視点から135mm対艦ライフルが下ネタだと考えれば、「ヅダは早い」というフレーズも違った意味に聞こえてくる。それで「ついて来れるか?」はさすがに笑ってしまう。
 総じてヅダの下ネタは、自慢にならないことを自慢しているキャラとして、あくまでぼくの中では定着してしまったのであった。上手く出来ているなと思ったのは、実際のヅダも速さを自慢して、その速さが原因で爆散し身を滅ぼしたのだから、自慢にならないことを自慢するというのは、原作的にもあながち間違っていないのだなぁ、ということである。
 そういったことに気付いてしまったので、ぼくはヅダをアイコンにすることをやめた。





 ……以上、日常の中で見つけた、印象に残った下ネタ傑作選、これにて終了となる。
 振り返ってみればどの話も、元ネタを知っている方が楽しめる物だったように思える。スマブラシュルクを、モンハンのアグナコトルを、ガンダムのヅダを、知っている人こそ最大限に楽しめる内容だったように思う。……もちろん下ネタが苦手ではない前提で。
 知っていることと知らないことの差はとてつもなく大きい。下ネタとセクハラの区別をする際問題になるのが、この「知っているのか?」ということを揺さぶれてしまうところにあるとぼくは思う。
 下ネタは大抵、隠語の笑いだ。多少賢く文章の読める小学生が今回のような話を聞いたところで、つまり何のことを話しているのかということには、気付けないのではないかと思う。固くなるって何のことだろう? という具合に。
 逆を言えば我々は、下ネタを使うことによって、相手がどの程度隠語への知識を持っているのか、それを揺さぶれてしまうことになる。するとそれはセクハラだろう。しかし直接的な言葉を使うと、下ネタの面白さは大きく損なわれることになる。
 だから言った通り、下ネタというのはドッキリに似ている。大きな笑いのため、倫理観の欠如を多少黙認する。そういった類の笑いなのである。取り扱いには注意が必要だ。そしてその心構えや技術が、たぶんぼくには足りない。
 男に生まれたばっかりに、女性の気持ちというのが、ぼくにはどうしてもわからない。「オナニー週に何回くらいするの?」といったような発言をくらったことはぼくもあるけれど、それを聞いて「こういうやつらが、下ネタを自称するからダメなんだ」という憎しみは抱いたけれど、そんな程度のことでは、「下ネタは嫌いだ」と主張する女性の気持ちは、これっぽっちも分かっていないはずである。
 けれどぼくは下ネタが好きだ。ぼくがある層の女性あるいは男性を理解できないように、その人たちだって、ぼくのことは理解できないだろう。大切なのはお互い主張を止めず、しかしきっちり距離は取ることだ。それ以上言えることはない。
 さて、話は変わるけれど、ぼくは以前友人(女性)に、今回挙げた三話をLINEで披露したことがある。
 それはおそらく、一般的にはかなりの奇行だ。一般的な価値観が、その様をあるいはスパム、あるいは馬鹿、あるいは狂人だと思うかもしれない。しかしぼくは、それで相手から「面白い」と高評価を得た。向こうもそれなりクレイジーなのかもしれないが、だとすればクレイジーな人間というのは、経験上思っているよりずっと多くこの世に存在している。宝くじの当たりより遥かに多い。
 しかしその時、高評価を得た上で「その話は俗に言う下ネタではない」……との感想ももらった。俗に言う下ネタでなければ何なのかというと、たぶん小話とかそういう物だろう。要するに長すぎて、無駄に完成されている。
 その昔、ぼくが中学生だった頃、ハイカーストの男子集団が教室の隅で「AVでブラの上から胸揉んでるの見たんだけど、あれエロくね?」「わかる」みたいな話をしていた。たぶんあれが正しく、俗に言う下ネタってやつなのだと思う。ぼくからすればあれは感想会であって、笑いやそれに近い面白さを生む「ネタ」にはならないと思うのだけれど。
 それを踏まえて、だからぼくは考えた。非常に当たり障りのない回答を考えた。笑いのための下ネタを愛する者として、ぼくは正直、下ネタ全般を毛嫌いするような人とはやっていける気がしない。その手の人たちにとっても、むしろ向こうからぼくという存在を願い下げにするだろう。何せ「聞いて聞いて」と、三話も披露してくるのだから。
 だから人生で一度は問われるあの質問に、人生で何度も問われるあの質問に、ぼくは完璧な回答を用意したのである。

「どんな異性がタイプですか?」
「よく笑う人が好きです」

 この回答に苦言を呈されたことは、まだない。