冷たい太陽

※本作文は下品な内容を多量含みます。下ネタが苦手、性欲という概念を忌み嫌っている、という方はブラウザバックしてください。今に始まった警告でもないことについては、ごめんなさい。





 はて、かぐや姫が男どもに課した「無理難題の三品」はなんだったか? これが思い出せなかったぼくは、ある例え話に必要だった「この世に存在しない物、三点セット」を自分で考えた。
 地中に生える檸檬の木、エラ呼吸を習得した人類、冷たい太陽。……その三つが、ぼくの考えた「無理難題」である。このうち二つは、最近触れたゲームや創作などから影響を受けている。
 エラ呼吸を習得した人類は、ラヴクラフト著「インスマウスの影」に登場する「深きものども」から。それは平たく言うと(あまりにも平たく言うと)半魚人のことであるが、ぼくはその小説インスマウスの影を、ほとんどネットでググればわかる程度のことでしか知らない。つまり実際に読んだことがない。が、それを責めるのなら、無料の青空文庫でいいから、ラヴクラフトの小説を何か一つ読んでみてほしい。その上でまだぼくを責められるならその人は立派だけれど、同時に客観性に欠けている。
 冷たい太陽は、フロム・ソフトウェア系列のPS4ソフト「Bloodborne」に登場する「赤い月」と「青ざめた血」から。つまり「異質な月→異質な太陽」と「寒色」を合わせて、冷たい太陽である。
 ラヴクラフトは創作の設定として「クトゥルフ神話」という概念を作った人であり、ブラッドボーンはクトゥルフ神話の影響を色濃く受けたゲームである。なので、ぼくの考えた上記二つは似たようなところから発想した単語ということになるが、残る一つ、地中に生える檸檬の木だけは、また別のところから来ている。
 クトゥルフ神話は架空の神話だけれども、残る一つはアダムとイブの、禁断の果実から取っている。つまり初めは「禁断の果実としての林檎」を無理難題の例にしようとしたのだけれど、どうもそのままでは芸がないように思えたので、木を地中に埋め、安直さを避け果実の種類も変えた。地中に生えて地中で果実を実らせる樹木は、よく知らないけど、たぶんまだこの世に存在しないのではないか?
 ともかく、そのようにして三つの無理難題が生まれた。全ては例え話のためである。ある例え話をするために、それを思い立ってからしばらく間を置いて、この三つは考え出された。しばらく間を置かなければ、そんな例えは思い浮かばなかったのである。
 例え話をしよう……と、そもそもそう思い立ったのは、友達が「リングフィットアドベンチャー」というゲームで遊ぶために、ぼくの家へ遊びに来た時のことだった。……友達というのは、女性だった。そして彼女が来る時ぼくの家には、ぼく一人しかいないのだった。





 自宅にないゲーム、自力だとすぐには手に入れられないゲームを求めて、友達の家へ遊びに行く。そういったことは子どもの頃多くの人が体験したことだと思うけれど、成人後になるとなかなかそんなことをする機会もないのではなかろうか。
 要するにぼくは、世の邪な思惑を持つ男どもが使う「ウチ猫飼ってるんだけどさ、見に来ない?」と意中の女性を家に誘い込むやり口を、猫のかわりにゲームで行った形になる。とはいえぼくに「あわよくば」という気持ちがあったとしても、それは猫で女を釣る男たちに比べればずいぶん薄い方だと思うけれど。
 というのも、以前にも作文で載せている(記事タイトル「Z指定が、魂の力を表現するマシンなら……」を参照)が、ぼくは自分の性欲の正体がわからない。だから「一晩自由にできる女性」と「指一本触れられないが、頻繁に会える気のおけない女友達」なら後者を選ぶ。前者を選んでもぼくはおそらく幸せになれないから、だったら友達と遊んでいた方が楽しいというものだ。
 それで実際、特に何も悪いことはしないまま、リングフィットを名目にした遊びは週に一度のペースで、無事に数度すでに行われていた。多少物理的な距離が近かったことはあったかもしれないが、外国のハグの文化などを考えれば、世の邪な男たちが企み実行するような「悪行」にはカウントされない、全然セーフの範囲にあることだったように思う。
 事件が起こったのは、リングフィットで遊ぶのが何度目かを数えるのもやめようかと思っていた頃のことだった。三度目か、四度目か、彼女がウチへ遊びに来た時のことだ。
 リングを握りしめ運動する彼女は、慣れによって運動量が増したのか、今まで何度か予感させることは言っていたものの、ついにそれを実行しようとしたのだ。

「暑いから脱いでいい?」

 脱ぎたいくらい暑いと口にすることは今までにもあったけれど、一向にそれを実行しないあたり、彼女も一線を引いているのだと思っていた。が、それはどうも勘違いだったのか、あるいはその引かれた一線はすでにかき消されていた。
 まぁまさか自分の友人がおもむろに裸体をさらけ出す狂人とも思わなかったので、どうせ「脱ぐ」という言葉に踊らされる男を嘲笑う結果が待っているのだろうと高をくくり、脱ぎたいなら脱げばいい、という旨の返事をしたように記憶している。
 その際こんな会話があった。

「インナー着てるから!」
「そりゃそうでしょうねw だとしたら逆に、ぼくに許可を取る意味もないのでは……?」
「ハレンチかもしれないじゃん」
「えっ、ハレンチなインナーを着ていらっしゃるんですか……?」
「着てないwww」
「着て来られても困るwww」

 という平和な会話を経て、彼女は実際に上着を脱いだ。そして「ハレンチではないインナー」とやらをぼくは見た。もしかすると、その類のものを目の前で見るのは初めてだったかもしれない。
 見た瞬間、ぼくは思った。破廉恥かどうかはともかく、エッチじゃないインナーなんてこの世に存在するのか……? と。しょうもない言い回しになるけれど、いわゆる「刺激的」というのはああいうことを言うのではないか……?
 それでもぼくは主観的には、気にも留めていないような平静を装っていたつもりである。元々真顔でエロ漫画を読むような男だ、エロの対象が目の前のリアルになろうと、変わらず平静を装っていたはず。が、しかし、それが上手くいっていたかどうかは定かじゃない。
 高校の頃、文化祭準備の騒ぎに紛れて、何があったのか駄々っ子のように床を転げ回っている女子がいた。それも制服のスカートのままで、である。自分が通りすがりならスルーすればいいだけだが、それが起こった場は教室であり、ぼくも教室内でがっつり席に着いていた。脱出という手はなかったのである。
 だから、当然というかなんというか、ぼくはそっぽを向いた。その光景から目を逸らした。哀れにも当時スマホを買い与えられていなかったぼくにとって、何も見てません興味を示してません……ということを表現するには、そっぽを向くしかなかったのである。
 後に、多少話す程度に仲の良い女子から「氷菓くん、めっちゃ目逸らしてたねw」と言われることになった。そりゃそうするだろ、それで正解だろ、と反論することが、どうしてあんなにむなしかったのだろうか……。
 ……だからつまり、それと同じことが起こっていた可能性はある。リングフィットをプレイしながら我が友人は、「氷菓くんめっちゃ目逸らし始めて草w」くらいには思っていたかもしれない。草に草を生やすな。
 しかしこれは、駄々っ子スカートの時とはちょっと状況が違う。ぼくは「脱ぎたければ脱げばいい」と言ったのだ。言っておいてその様では、そりゃ笑われもするだろう。けれどぼくは知らなかっただけだ。知らなかったことが恥だというなら仕方がないが、でも、彼女は、ハレンチじゃないって言ったのに!
 つまり彼女は、自身のそれが男性から「そういう目」で見られるものだとは、まさかとは思うが夢にも思っていないのではないか? そう考えると、それはそれで危険だ。その認識のズレが、今日はともかく、今後いつぼくに道を踏み外させるかわかったものではないし、ぼくよりもっとわかりやすい性欲を持った男が相手ならなおさらじゃないか? と、キモオタの余計なお世話エンジンがかかり始める。
 ともかくそういう考えで、ぼくは言ってやろうと思ったのだ。今わかった、見てわかった、女性のインナー姿ってのは全部エロいんだよ! と。そこで例え話が必要になったのだ。「エロくないインナー」というのが世の男から見えている世界の中に、如何に実在しない物なのかということを。
 だから、エロくないインナーとは、冷たい太陽である。それはおそらくこの世に存在しないのだ。





 ……というネタが思い浮かんだ時、これは面白いアイデアが降ってきたと確信した。冷たい太陽という意味ありげなタイトルから始まる、クソみたいに品性の欠けた男の悪い部分欲張りセットなトーク。この思わせぶりな落差がいい。これはかなり出来のいい物だと思った。
 何せ「冷たい太陽」というフレーズの生まれた経緯は説明した通りなので、そこにまったくそんな意図はなかったのだけれど、話が終わってみれば内容的にまるで「話の内容はともかく、誓って悪いことはしていません」という意味で「イケナイ太陽」からタイトルを引っ張ってきたみたいになっているじゃないか。これは奇跡の出来だと思った。
 けれども、まただ。また、これを面白いと思っているのは自分だけで、その他大勢は冷ややかに見ているのではないかという気がする。ぼくがその他大勢を気にするなんて、普段の行いからして全く意味のないことなのに。
 しかしどうしてもそれが気になってしまうのだ。地中に生える檸檬の木、エラ呼吸を習得した人類、冷たい太陽。その次に並ぶものがエロくないインナーなら、さらに続いてそこに並ぶものは、面白くも下品な性欲トークなんじゃないだろうか。それら全て、おそらくこの世に存在しない物なんじゃないだろうか。
 檸檬の木は地上に生えて、人類は肺呼吸しか出来ず、太陽は熱く、インナーはエロく、下品な性欲トークはつまらない! それがこの世の真実だとしたら、ぼくはやっぱりその逆の世界に行きたい。木が地中に生え、人間の定義が揺れ始め、冷たい太陽が発見され、インナーからエロさが失われたとしても。それでもぼくは、ぼくの下品な笑い話を、笑って聞いてくれる人がいる世界がいい。
 そう思うことがそんなに贅沢なことなのだろうか……? とはいえ、どこかの機関が出した研究成果いわく、「女性と気持ちよく話している男性の脳では、セックス時と近しい量の快楽物質が分泌されている」という話があるらしい。まぁ実によく言ったものだと思う。それが正解だとぼくも思うよ。


※この作文は、登場人物である「リングフィットやりに来る友達(女子)」より公開の許可を得ています。