徹底解説、よくわかる魔女講座。

 ぼくの夢は「魔女に触れること」だけれど、この魔女というのが、つまりどういった物のことを言っているのかが分からない! というお便りを友人からもらったので、今回その解説を書いていくことにする。
 が、まずは「「尽くす系ニマド」を読んでくれ」というのが何より話の近道で、大前提になるので、ここにその自作小説のURLを置いておく。

https://syosetu.org/novel/186976/1.html

 以降の文章は上記URLの小説を全人類が読んだものとして話を進める。





・解説の一 そもそも魔女ってなに?

……ぼくの言う魔女とは、当然ながら妄想上の、架空のキャラクターである。またそのためこれは、歴史や伝承の意味での魔女、スラングの意味での魔女(美魔女など)、他作品の中での魔女など、あらゆる意味での他の「魔女」とは別の意味を指す。
 なお、ぼくが特に注釈なく「魔女」と言う場合、それはほとんどのケースで「聖杯の魔女ニマド」を指す。名前から察せられる通り、上に載せたURLから読める小説にも彼女が登場する。
 ニマドこそが魔女の象徴であり、そのほかは全て派生した存在に過ぎないのだ。





・解説の二 魔女が生まれた経緯

……子どもの頃から小説を書いていたぼくとしては、キャラクターを考えること自体は自然なことだった(ここを掘り下げると話が長くなる)。なので魔女も自然と生まれたキャラクターの一人であるわけだけれども、経緯については諸説ある。有力な説は二つ。
 説の一。通称「異世界スマホ」から始まったように思える一連の「クソラノベブーム」について、ある日ぼくは思った。
 主人公を杜撰な理由で最強にしてハーレムを形成するラノベは、どうして主人公を最強にしたがるのだろう? 要は何の苦労もなく全ての物事が上手く運び、モテればいいのだから、主人公が無能の上でそれが実現する方が、ずっと夢があるじゃないかと。なぜそんなことを思ったのかといえば、そんなラノベを書くやつは全員無能だという偏見があったからである。偏見、あるいは自虐か。
 モテるやつにはモテる理由があるわけで、それをチート能力で説明付けるというのは、なんともこざかしい。努力せずモテたければ、無能でもモテたいというように考えを吹っ切れさせたらどうか。どうせまともな話なんか書く気がないのだから。……というわけで、主人公が無能のハーレムラノベを書こう……と思い立ったのが事の始まりだった。
 主人公を無能のままにすると、モテはヒロインの精神面を歪めてしまえば解決するが、全ての物事を上手く運ばせることについては、やはり相当に優秀な人材か、さもなくばチート能力が必要になってくる。前者が「作者自身より賢い人物は書けない」の法則から不可能だとして、後者もコンセプト上主人公には持たせられないとすると、それ以外の人物に持たせるしか選択肢はない。
 そこで主人公の友人などを登場させてしまうと、その友人の方がモテるはずではないかという違和感が拭いきれなくなってしまう。という都合で、チート能力はヒロインに持たせること。それが無能のまま天下を取るクソラノベ、究極のクソラノベに必要な大前提の設定だったのである。
 そうして人並外れた人格に、人並外れた力を合わせ持ったヒロインは、もはや人間とは呼べず、やがて魔女と呼ばれるようになった。祝え! 後に一年以上に渡って続く都合の良い妄想の権化、その名も聖杯の魔女ニマド! まさに生誕の瞬間である。
 ……というのが、有力説の一。説の二は、単なる現実逃避の集大成という見方である。一年前ならいざしらず、現在のぼくとしては、説の二こそが真実だと考えている。クソラノベは単なるきっかけに過ぎなくて、遅かれ早かれいつか必ずニマドは生まれてくる物だったのだ。





・解説の三 魔女ってどんなキャラクター?

……妄想上のキャラであり、現実逃避の集大成であり、究極のクソラノベに必要不可欠な存在である魔女だけれど、その設定の全ては「尽くす系ニマド」に載り切らなかった。また、二作目以降を書くことも、ぼくの実力不足でままならないのが現状である。
 けれどもぼくの頭の中には設定があって、ぼくが魔女の話をする時はそれが前提となっている。友人が魔女の何たるかを理解してくれないのは、そのあたりの認識の共有がされていないためではないか? と考えたので、創作として失笑に値する邪道のやり方ながら、ここに魔女の設定を記載しておくことにする。

・設定の一
……魔女とは種族名である。その意味で魔女に対応する言葉は、例えばエルフであり、例えば宇宙人であり、例えば人間である。魔女の種族としての特徴は以下の通りである。

 特徴の一……全個体が女性である。より詳細に言えば、全個体の肉体が、人間の女性に酷似した特徴を有している。ただし、そもそも人間に似た肉体を持たず、性自認のみが女性である個体も存在する。
 特徴の二……特徴の一で説明した通りの都合上、魔女の繁殖方法はその一切が不明である。全ての魔女が「気が付いたら生を受けていた」としか認識しておらず、誰も魔女が生まれる瞬間を見たことがない。また不老不死である魔女(つまりほとんど全ての魔女)は、生まれた瞬間から十分に成熟した肉体と精神を持ち合わせている。ちなみに魔女と人間で子を成した場合には、必ず人間が生まれるようになっている。
 特徴の三……魔女の精神は人間と比べ物にならないほど強靭である。個体差はあるものの、人間ではおよそ耐えられない程度の負荷では壊れず、またこの強靭な精神から来る、人間には理解し難い価値観を持つ魔女が多数派である。
 特徴の四……魔女はそれぞれ生まれ持った魔法が使える。魔法とはあらゆる法則を無視した力であり、そこにいわゆる異能力との違いは無い。作者の書く別作品における異能力総称「N」と差別化される点は、必ず先天性だということ以外には特に無く、強いて言えばほとんどの場合魔法は労力を要さないが、Nにおいても体力や精神力、その他リソースを消耗する能力は珍しい部類に入る。
 特徴の五……魔女の多くは不死の力を持つ。それは単純な不老不死であったり、自我を保った輪廻転生の力だったりする。またこの長寿ゆえか、ほとんどの者が化け物じみた記憶力を持っており、一度見聞きして理解したことは大抵忘れない。
 特徴の六……魔女は他の魔女を「魔女である」と目視で察知することが出来る。このためしばしば魔女同士のコミュニティが形成されることもある。

 これら以外の、人間から逸脱した特徴を魔女が持つ場合、それは魔女の種族としての特徴ではなく、本人個人の特徴である場合がほとんどである。


・設定の二 個々の特徴
 聖杯のニマド……願いを叶える魔法を持つ魔女。ただし叶えられる願いは「想像出来る物」だけであり、また知識的情報そのものにアクセスすることは出来ない(知らないことを無から知り得たり、他者の心を読むこと、未来予知などは不可能)。
 元々は魂だけの存在であり、魔法で肉体を作り出している。ゆえに決まった容姿や身体能力はなく、毎秒のそれが彼女の自由、思うがままであり、肉体が死んだとしても魂の状態に戻るだけなので、事実上の不老不死と言える。またその魔法の適用速度は尋常ではなく素早い。彼女の魔法による「変化の過程」を人間が観測することはおよそ不可能と言ってしまって差し支えない。
 知識欲ならぬ体験欲の権化のような性格で、あらゆることをその身で体験したがる体験至上主義。反対に机上の知識にはまるで興味がなく、学問の類とは無縁。賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ、という言葉通り彼女は知的な存在とは言い難く、どちらかといえば短絡的な快楽主義者としての傾向が強い。
 彼女の望むところである「体験」として、特に創作物やスポーツなどの娯楽コンテンツを好む傾向にあるが、基本的に新しいことは大抵何でも楽しむタイプ。場合によっては苦痛さえコンテンツとして扱うこともある上、人間そのものに面白さを感じ取ることもある。体験の価値の有無を「面白いか否か」で考えており、学問に興味がないことはそのまま、彼女いわく「退屈でつまらない」かららしい。
 自分の人生を、人間の生み出す物に楽しませてもらう人生だと考えており、それゆえ人間に対する立場は非常に友好的。ただし人間の愚かさや醜さ、弱さといった負の側面については諦めの立場にあり、人間への好意はその上での物であるから、彼女が倫理の観点から人間に苦言を呈することはあまりなく、そういった点でまともな人間(善人)とは馬が合わないこともある。よって彼女の好む人間とは適度に邪悪な人物だ。
 また人間の負の側面を諦観する彼女は、人間に友好的でありながらも、人間へ敵対的な存在に対して必ずしも相反する者の立場にあるとは限らない。また友達付き合いの一環として、人間へのリスペクトを込めて人間の倫理観に習った行動を心がける彼女だが、根は善人などではなく利己的な快楽主義者のため、そのあたり勘違いしていると人間側があとで困惑するはめになりかねない。
 友達と一緒に遊ぶと楽しい……という人並みの感覚を持っており、好意を向ける対象である人間に取り入って友達となることを基本の生活体系としている。ただし彼女の言う「友達」は「一緒にいられて、面白い人。楽しい人」という曖昧かつ単純な定義のみの存在であり、魔女特有の強靭な精神とあらゆる物事を楽しむスタンスが合わさって、一般的な倫理観からは外れたところに彼女の友情はある(このあたりの具体例は「尽くす系ニマド」を参照のこと)。また彼女は基本的に、一度に二人以上の「友達」を作らない。その方が楽しむことに集中出来るらしい。
 気に入った人間に取り入るためなら基本なんでもする。が、「気に入った人間」と判定するまではそれなりに慎重でもあり、めぼしい人物を見つけると数日から数週間ストーキングして値踏みするのが常。魔法によって姿が見えず、音も立たず、何よりも速く移動できる彼女の尾行に勘付ける人間はいないので、人間視点から見れば彼女は突然自分の前に現れては、不自然なほど好意をむき出しにしてくる存在となる。
 何でもすることの具体例として「尽くす系ニマド」における彼女の振る舞いが挙げられるが、彼女は主に、友達には男性を選ぶ傾向がある。遥か昔から生きる彼女にとって男性は社会的強者のイメージが強く、強者についていった方が触れられるコンテンツが多いことに加え、そうでなかったとしても、取り入る際に自らの「女」を利用しやすく楽なことがその理由となっている。またその他に彼女が取り入る際「有効な手段」として心得ている振る舞いは、相手の心情に肩入れしていくことなどがある。
 また彼女は演技がド下手であるが愛情の概念は持ち合わせておらず、彼女が何かしらを愛しているように見えたなら、それは単なる好意の表れの延長線であり、我々人間が言うところの愛情とはあくまでも別の物である。だからなのかは分からないが、彼女は魔女の中でも、人間のパートナーとの寿命差による別れについては一際ドライなタイプである。ただし義理の概念は持ち合わせており、正直気乗りしないことでも程度と仲によっては付き合ってくれる場合もある。ただそれは人間の生前の話であり、死後の人間が彼女を縛ることは出来ない。
 際立って高価な物をねだるわけでもなく、休む暇もないような快楽を求めるわけでもなく、人間的価値観で言っておよそ平凡な娯楽を求める彼女は、友を得るためのその不釣り合いな献身により度々人間を救い、また狂わせてきた。特に人間を狂わせることについては、それを良く思わない同類(人外の類)も少数ながら存在している。
 そんな彼女が唯一自らに禁じていることがある。それは人間社会そのものへの攻撃と無闇な暴力である。様々な娯楽を生み出す人間を尊敬する彼女は、そういった「人間」という種族そのものの良さを損なわせかねない行為には敵意さえ持っている(人間自身がそれを行うことについては諦めているので、人間が自発的に行う争い事にはむしろ乗り気)。
 また彼女と付き合うに当たって禁忌となる行為は、時間的束縛である。肉体の更新(能動的な死と復活)により睡眠を必要としない彼女は、半日程度なら何にでも付き合ってくれるが、それ以上の束縛を試みれば良くて逃げられ、悪ければ報復を食らうことになる。また彼女から見て友達が「つまらない奴」になった場合も、彼女はその人間の元から去ってしまうだろう。





 ニマドの分身デミ……文字通り彼女はニマドの魔法により生み出された分身体である。扱える魔法はニマドとさほど変わらないが、あまり大規模な使い方は出来ないように制限をかけられており、またニマドの決めた特定の人間から下される命令には絶対に逆らうことが出来ないという特徴を持っている。
 本来分身に名前はないが、ここではデミと名付けられた個体について解説。とはいえデミとそれ以外の分身にこれといった差異はない。
 分身は全て一貫して人間の奴隷である。その用途以外でニマドが分身を用いることがないから、それが分身の特徴となる。毎度そう設定すると決められているわけではないが、デミの場合は「定められた特定の人物に奉仕することに対して、無条件かつ無制限に幸せを感じる」という機能が搭載されている。この機能は人間のご機嫌取りのほか、本体であるニマドや人間への反乱を防止するための物である。
 彼女のデミという名前の由来は、実在するボードゲームパンデミック」から取った物になっている。これはニマドの「想像した物を叶える」という魔法の性質上、昨今の複雑なデジタルゲームは魔法でさえ再現しきれないことが多く、魔女が手軽に生み出す娯楽物としてアナログゲームがしばしば登場することが由来に至る理由になっている。
 要はデミという名前は、偶然その場にあった「パンデミック」から適当に取った物でしかないということである。そしてそんな名前であっても、特定の人間から授かった物なら至上の喜びを感じるのが彼女の性質なのだ。



 被虐のカッセロ……肉体強化の魔法を持つ魔女。強化の意味するところが非常に極端で、自己再生の能力が不老不死の領域にまで達している。単純な暴力なら最強の類でもある。
 肉体的苦痛に快楽を感じる特殊な体質の持ち主で、魔法による不死も相まってしょっちゅう無茶な被虐を行う、または求める。人間に求めることは彼女を痛めつけることだけであり、その欲求を満たしてくれる相手に対しては非常に友好的(ただしニマドのような献身は皆無)。その他の人間には毛ほどの興味も示さない。それゆえ基本的生活体系としては、身の危険を感じる方へ感じる方へと進んでいく傾向にある。目に見えて危なそうな相手にほど言いよる。
 苦痛を快楽に感じる一方、通常の快楽に対しての感性が致命的に鈍く、あらゆる娯楽にさほど魅力を感じない変人である。また精神的苦痛は快楽に変換されないため、それについても全く興味がない(かといって魔女の精神を持つので、精神的な苦痛で音を上げることもないが)。
 とにかく物理的な被虐一辺倒の人物であり、彼女との付き合い方はそれ以外あり得ない。かといっていじめればいじめるほど良いのかといえば、どの程度の苦痛を受けたいのかは日によって……というか彼女の気分によって変わるらしく、ニマドを超える気分屋で、扱いづらい存在と言えるだろう。
 また人間視点における彼女の何よりの問題点として、その被虐を好み望む心中に反して、苦痛に対する反応が通常の人間に酷似していることが挙げられる。暴力を受ければ悲痛な叫び声を上げて泣き喚くことはもちろん、あまつさえ命乞いをすることまであるのだが、それに応じて行為を切り上げると「なんでやめるの」と文句を言われることになる。それについて苦言を呈したところで「君は笑うことを禁止されて見るお笑いが楽しいのか」などと反論されるだけであり、まともな感覚を持つ人間ほど彼女とは上手く付き合えない。
 本人の生き方のためかおよそまともな倫理観は持ち合わせておらず、それを隠そうとすることもない。頭に血が上るとあっさり殺人さえ行いかねないが、彼女は自分の意にそぐわない人間が現れた場合、基本は怒りや嫌悪より先に白ける気持ちが来るタイプなので、よほどのことがなければ無害なタイプではある。
 ニマドとは交流があり、向こうがその生き方ゆえ加虐趣味の人間にも一定数出会うので、そのうちの何人かがカッセロに紹介されることがある。快楽主義者仲間とも言えるニマドいわく「楽しめることが少なくてかわいそう」という同情が紹介に至る主な理由となっており、どうせWinWinの関係になるのだから良いのではないかとニマドは考えているが、気分屋かつわがままなカッセロについていける加虐趣味者は意外と貴重だったりする。



 静寂のシイラ……人間を石化させる魔法を持つ魔女。人間限定で攻撃性を放つ魔法を持つ彼女は性格的にも極度の人間嫌いであり、何より人間の出す「音」を嫌う。人工的な騒音はもちろん、人の声を嫌い、足音を嫌い、身じろぎする音さえ快く思わない。そんな彼女は生まれてこの方ずっと深い森や山の中で暮らしており、自然や動物の発する音は人間に対する姿勢とは対照的で、嫌いどころかむしろかなり気に入っている。カッセロとはまた別な方向に尖った変人であり、また魔法の内容とは無関係にシンプルな不老不死である。
 他の魔女と違い、秘境のような場所にだけ住む存在なので、普通に生活していればまず出会わないタイプの魔女である。また人間嫌いではあるが人間の活動に敵対する意思はなく、都市開発などで自然が破壊されていくことについても抵抗する素振りは見せない。住処を追われるか気分転換によって生活拠点を変える彼女だけれど、いつかこの世から人間の手の入っていない純粋な自然が消えた場合は、その時は自殺して人生を終わらせようと心に決めている。不死である彼女の自殺は自分を石化させることであり、人間に酷似した肉体を持つ魔女に石化の魔法が通じるのかどうかは、すでに取り返しのつく相手に対して実践済みである(厳密には魔女の肉体ではないニマドは実践相手から除外されている)。
 ただし魔女を石化させられる理屈について、彼女はその魔法や精神面以外が人間に酷似した「魔女」という存在を人間と同じくらい嫌っているので、彼女の魔法とは実際には「嫌いな物を石化させる魔法」なのかもしれない説があり、この場合自分に石化が適用出来るのかは微妙な判定になる。彼女は別に自分のことを嫌っているわけではないが、そこに矛盾を感じていることもまた事実であるから。
 何かの拍子に彼女の住処へ足を踏み入れた人間に対しては、彼女は案外それなり友好的な方ではある。それが遭難者であるなら道案内をしてやり、探索者であるなら帰るのをひたすら待ち続けるか自分の方が別の場所へ行く。自殺志願者であるなら同じく死ぬのを待つ。そういう意味では善性の、森の妖精的な存在だと捉えることも出来るけれど、そこで何か勘違いをして積極的に彼女に関わろうとすると、琴線に触れた瞬間石にされるので近付かないに越したことはない。



 偶像のイノベトラル……泥を生物に変える魔法を持つ魔女。例のごとく不老不死であり、不死の形態については「死亡後、泥から蘇る」といった形を取る。魔女としては比較的若い。
 人間の男に一度惚れ込んだことがあり、その男の死後も魔法による泥で愛しの彼を再現していつまでも幸せに暮らしている。なおその男とはいわゆるクズであり、魔女である彼女に加えて他に人間の女性四人、計五人の女性と不倫関係にあった人物であるが、彼女はそれをその男の欠点とは捉えていない。それどころか「好きな人の好きなものが好き」という思考回路でもって、彼女が泥でかつての恋人を再現する時、残る四人の女性も同じく再現される。
 あらゆる魔女に言えることだけれど、ニマド以外の魔女の魔法というのは、大抵の場合ニマドの下位互換である。泥を生物に変えるというのも「願いを叶える魔法」で実現出来ることであるから下位互換という扱いになるが、ニマドに比べてこちらにはなおのこと欠点がある。それは、術者が死ぬと再現された生物も泥に戻ること。しかし術者は泥という半無限のリソースから蘇る不死であり、傍から見るとこれは、蘇り次第また全てを作り直せばいいだけの話なのだけれど、彼女は自分の再現した生物が一度でも泥に戻ることをひどく嫌っており、不死を携える魔女の中でも比較的珍しい「殺されるとキレるタイプ」である。
 いつまでも一人の人間に固執すること、不死でありながら死を嫌うことなど、上に挙げたような他の魔女とは相容れない部分が多く、惚れた男とその取り巻きを除いては人間に対してもどちらかといえば敵対的な姿勢を取っている(ものすごく気難しい人間とさほど差異はないけれど)。ちなみに再現された最愛の男が第三者である他の人間あるいは魔女を気に入った場合、その瞬間それに対する彼女の認識が一気に「好きな人が好きだから好きなもの」にカテゴライズされる点も彼女の性格的特徴である。他の魔女に比べると、ある種最も人間的な価値観に沿った「やばい女」なのかもしれない。
 また、彼女の再現した人間たちが自我を持っているかのように動くのはそのように設定しているためであって、本来は生み出した生物を意のままに操ることの出来る魔法でもある。なので何かに対する敵意が最高潮に達した彼女の攻撃法は基本的に手数に頼った物となるようだ。
 ちなみに、偶像の魔法は唯一ただ一点のみ、聖杯の魔法に勝る部分がある。それは男性を作れること。ニマドは「想像できる物」しか作れないので、種族上理解している「女性」と違い、男性の形を真似ることは出来ても、本物の男性そのものを作ることは出来ない。偶像はそれが可能であるというのが、唯一聖杯より優れた点となっている。
 ついでに言えば、男性の肉体を得て男性の感覚を体験することが、ニマドの抱き続けるささやかな夢である。



 プダカのドウプラン……彼女の口から「プダカ」という言葉を聞いた者の身動きを封じる魔法を持つ魔女。正確に言うなら「自ら宣言した行動以外が取れなくなる魔法」であり、身動きを封じるというよりは、何をするにも一手遅らせる能力と言った方が事実に近い。また「プダカ」という言葉を聞いた者は、その瞬間にこの魔法の内容を理解する。それに加えてプダカの魔法発動時、彼女は「チェックランス」という槍を得る。この槍に貫かれた者はしばらくの間、術者である彼女の指定した一つの行動しか取れなくなる。
 静寂のシイラと同じく戦闘特化の魔法を持つ彼女だけれど、戦闘特化の魔法にしては魔女には珍しく致死性が無い。チェックランスを当てられればその限りではないとも言えるが、触れずとも石化させるシイラと比べるとそれでもまだ致死性に劣る部類である。またプダカの魔法による行動制限について、呼吸など普段から無意識に行っていることは封じられなという特徴があり、どうにも他の魔女に比べると魔法の規模が小さい印象が否めない。もっとも、魔女は壮大な規模の魔法を持つものだ、なんて決まりは一切ないのだけれど。
 また彼女自身の性質も魔女としては異質であり、その精神は人間に近い、というかほとんど人間である。端的に言ってあらゆる苦痛に脆いのだ。日常生活では喧嘩をする時くらいしか使いどころのない魔法も合わさって、普通に生きている分には人間と区別がつかないとまで言える。不死であるかどうかは不明だが、少なくとも人並み外れた再生能力は持ち合わせているようで、しかし確実に肉体が歳を取っていることから不老ではないことが確認されている。おそらく人間と同程度の寿命で死ぬのだろう。ちなみにその人間くさい性質ゆえ、ここで紹介されていない人物も含め、全魔女の中で最年少だろうとされている。
 そんな彼女が魔女であると言うに足る理由は「本人が自称していること」しかない。本来全ての魔女に備わるはずの「魔女を見分ける力」についても、彼女に対してそれが作用するかは魔女各々で個人差があり、彼女自身も魔女を見分けられるケースとほうでないケースがある。
 このことに対して否定的な見方を取るなら、異能力を持っている頭のおかしい人間、それがプダカの魔女ドウプランの実態である……という見解も示すことも出来る。しかしそれにしては不可解な点(魔女の特徴である、生まれの知れなさを持つことなど)も多く、これらのことから、そもそも生まれの知れない「魔女」という存在は、いったいこの世の何なのだろうか? という謎を問いただす存在として、他の魔女連中からは貴重な存在として見られる場合が多い。





・解説の四 メタ的視点で見る魔女
……上記の魔女設定集は、あくまでも創作の設定としての物である。よってメタ的な話、なぜそのキャラを発想するに至ったのかなどの記述は省いてある。そして当然、それをここで語っていくことになる。
 一人だけ力の入れようが過剰なニマドの設定だけれども、これはニマドが一番初めに生まれた魔女であり、現実逃避の力としても究極のクソラノベを形成するために必要不可欠な存在としても、彼女こそが真っ先に完成された、限りなく完璧に近い存在であるからに他ならない。反対を言えば、小説として作品化されていないその他の魔女は、まだ未完成品なのである。
 ニマドの設定は先に説明した通り「無能の主人公を助ける都合のいいヒロイン」として作られた物になっている。あるいは作文タイトル「Z指定が、魂の力を表現するマシンなら……」で書いた通り、現実逃避をするために最も最適と思われる都合の良さを持たせた結果でもある。どちらにせよ共通している重要事項は二つ。人間的価値観から逸脱させることによって、人間から見た時に人間側が有利になる不釣り合いギブアンドテイクを実現させていることと、様々な問題を解決させるための雑に強いチート能力を持たせていることである。逆に言えばそれ以上でもそれ以下でもない存在、それがニマドだ。
 カッセロは上記「Z指定(以下略)」でも書いた通りニマドからの派生形であるが、設定の段階でも書いた通り彼女は人間視点からするとそれなりに扱いにくいキャラクターになってしまった。このあたりから迷走が始まるというか、当初の目的に沿う魔女はニマドが完成形であり、ニマド以外にあり得ないのだという結論に達して、創作としての面白さを模索するキャラ作りの方向へ転換していった。ドウプランがその最たる例であり、彼女の登場する話は魔女の真相(魔女はどこから生まれてくるのか)に至る内容になる予定だけれど、すでに言った通りそれを一つの作品として完成させる力が今のぼくにはない。いつか必ずやってやるという意気込みも正直ない。書けたらラッキーくらいの気持ちである。
 その他にメタらしい話といえば、一番露骨な物は「魔女は魔女を見分ける」であろうか。魔女の登場する話は基本的に現代日本を舞台にしており、つまり魔女は存在しない物とされている世界が舞台となっているので、魔女が自ら第三者(ニマドで言えば友達以外)に正体を明かすことはほとんどない。正体を明かす場合というのは、シイラのように雪女じみた口止めをするか、さもなくば速やかに目撃者を死に至らせるケースばかりである。
 なので魔女同士の交流を描きたい場合、魔女に魔女の見分け能力を備え付けるしかなかったのである。スタンド使いは引かれ合う的な物だと考えればそれが正解だ。またそもそも魔女の生まれが不明な原因についても、魔女とは種族であるという設定が先に作られたので、必然的に致し方なく生まれた謎に過ぎない。一応答えは用意するつもりだが……。
 それからニマドについてはさらにメタ的な話がある。それは彼女の名前についてだ。ニマドは本来名無しの魔女であり、人間に名前を付けてもらうことで自分に愛着を持たせる……といった「友達作りの方法」の一環として名無しさえ利用している、という設定があったのだけれど、これは作者の都合で消滅し、彼女の名前はニマドに固定された。作者の都合というのはつまり、そんなに何個も名前思いつくかい! という内容に他ならない。
 さらに言えば彼女の「魔法で知識に直接アクセスすることはできない」「学問に興味がない」という特徴も、本作文序盤で説明した通り、作者自身より賢い人物は書けないことが理由で生まれた設定である。なので万が一ニマドを使って二次創作をしようという奇人変人が今後現れるなら、その人は可能な限りニマドをもっと賢くしても良い。
 と、大体のメタ設定を暴露し終えたところで、ここで一応今回紹介した各魔女の名前の由来を載せておくことにする。デミは解説済みなので省略。

ニマド……インターネットブラウザにおけるいわゆる「二窓」から。人間の生み出した娯楽の中でも、特にインターネットが彼女は大好き。理屈が自分には理解できない(する気が起きない)からリスペクトも大きいぞ。

シイラ……森に住むことから、樹木の覆い茂る意味での「森羅」。また石化の能力から、石化→化石→シーラカンス→「シイラ」の二つの意味。

イノベトラル……「ライトノベル」のアナグラムラノベ的ハーレム系主人公を生み出すヒロインが本体という意味から。

ドウプラン……「Do」と「Plan」から。そもそも彼女の使う魔法「プダカ」とは元ネタがPDCAであり、氷菓くんがこれを初見で「プランドゥー・チェックアンサー」と思い切り誤読したことが事の始まりだった。

 今回の紹介設定に登場しなかった魔女としては、作文タイトル「投げっぱなしアイデア提出」にチラッと出た「破壊のキール」や、そもそもまだ設定が固まりきっていない「願望器アーティ」(デミに近い存在、魔女によって作られた擬似魔女)等がいるけれど、そもそも魔女の設定上、自分の既存作品のキャラを「実は彼女、魔女です」と後付けで言い出すことも出来るので、今回ここで紹介されたされなかったということに特別な差があるわけではない。
 またこれは話すべきことか微妙なところだけれども、魔女はエロ展開をやることが前提となって生まれたキャラ……という背景のことも語っておくことにする。
 ニマドが性に対して否定的であるわけがない(あってもらっては困る)という決定事項が先にあり、同時に全ての魔女の始まりがニマドであることから、他の魔女にも多かれ少なかれこの傾向が受け継がれてしまったというのが事の経緯である。どの魔女とどういうルートを辿ればどのようなエロ展開に繋がるのかは、各々で妄想してもらうか、何かの拍子に作品化されることを待ってもらうしかない。たぶん書かないけど……。
 強いて言うならシイラルートでエロをやるなら「絶対に声を出してはいけない」という一風変わった趣の物が出来上がるはずだ。……なんかそういうの面白くないですか? ちなみにそういった話をする際のことも含めて、リアリティ的難点(ずっと森にいる人って衛生的にどうなん? みたいな話)については全て、ことごとく、必ず、魔法あるいは世界のどこからともなくやって来る謎の力によって、理屈は分からないが解決されている物とする。魔女関連の設定は困ったらそのくらい適当でいいのだ。
 ともかく、そういった魔女が生まれるに至った経緯から来る設定の性質、その名残などはいろいろあるものの、実はそれらは現在あまり重要な物とはなっていない。今もっとも重要なのは、魔女は……つまりほとんど「ニマドは」と言ってしまっていいけれど、それは、現実逃避のための道具として運用されることがもっぱらメインになってしまったのだ。
 それゆえ魔女は日々アップデートされる。逃避しなければならない現実のパターンが増えるたび、または新たな逃避ルートを思いつくたび、魔女の局所的な設定は更新されていく。局所的な設定とはつまり、パターンAに対しては魔女なら台詞Aを口にするだろう、といったピンポイントの設定である。
 例を出そう。例えばぼくが友達(女子)と買い物に出かけた時、道の向こうから「ゴスロリ+眼帯」というアニメキャラみたいな恰好の人が歩いてきたとする。ぼくは「うおぉ、すごいな」とその人を観察してしまうわけだけれど、隣にいる女子が友達ではなく恋人だった場合、その行動は問題だと言えるだろう。ならば、その隣にいる女子が魔女(「友達」の関係にあるニマド)だった場合は、彼女はどんな反応をするのだろう? という話。
 答えは「ふと隣を見ると、さっき観察した相手と同じ容姿の人物が立っている」である。これは魔法によって魔女が姿を真似た物であり、魔女のその行為が意味するところは「あの人を見てたでしょ」という意味の、ジェスチャーのような物に当たる。
 なおかつこの場合、「あの人を見てたでしょ」に含まれる意味が二通り考えられる。単純に嫉妬や抗議の意味か、「君の好みは把握した。いつでもあれの真似が出来るよ」の意味のどちらかである。ニマドの場合は間違いなく後者だろう。この「主張の仕方が人外」という点と「主張の内容も人外」という点がニマドらしさ、つまりぼくのよく言う魔女らしさである。……という設定が、だからそのように、「友達と歩いてる時に変わった格好の人を見かけた」……という実際の出来事から生まれるのだ。
 そうしてアップデートされるまではその設定……つまり「魔女と歩いている時に他の女性を見た場合の、魔女の対応」という設定は決まっていないか、急造した定型文がごとく練度の欠けた状態にある。そういった物が一つずつ着実に、現実由来のアップデートにより完成されていくことになる。そしてそのことこそが他人に「魔女とは何か」を説明する際の難しさの要因である。魔女とは何かということを、ぼくもまだ完全には知らないのだ。けれど日々アプデによって設定の抜けは埋められていくだろう。ニマドは魔女の完成形であるが、アップデート機能を含めての完成形であり、細部の内容が定まりきる日は遠い。
 魔女のアプデはどちらかといえば、実際に体験した状況から閃くよりも、他人の発言を耳にしたことで閃くことの方が多い。直感的に「これは魔女っぽい」と感じる言葉が日常のそこかしこにあり、それが台詞の材料となっていく。
 例えばぼくが自分のことを「まわりが見えずに一人だけ勝手にはしゃいでいるタイプの人間」と評した時、それに対して「見てる方は楽しいからそれでいい」とコメントしてくれた人がいたけれど、それはまさに魔女のやり口だった。そのコメントをした人は何かを狙って言ったわけではないのだろうけど、ニマドが人間に取り入るときによく使う方法は「その人間に肩入れすること」なので、「見てる方は楽しいからそれでいい」はいかにもそのまま魔女が言いそうなことである。……と、そんな風に魔女の設定は更新されていく。
 気に入った相手に肩入れする行為は、突き詰めればいわゆる「生きているだけで褒めてくれるbot」に当たる行為であり、魔女の設定を固めれば固めるほど、それは褒めbotの開発が進むということでもあるので、その点作者であるぼくにも影響が出てくる。だからそのbotを自分に使うことによって効果的に現実逃避を行っていくわけだけれど、botは必要に応じて他人に向けて使うことも可能である。もちろん魔女が文章上の架空のキャラクターである以上、他人へ向けられるその人力botも、文章上の物に限るけれど。
 とりあえずぼくの目下の目標としては、ただひたすらこの褒めてくれる魔女botの手数を増やすことにある。それが現実逃避としての魔女の運用法に繋がるのだ。エピソードは多ければ多いほど良い。




・解説の五 現実逃避としての魔女の運用法
……さて、魔女の運用法の具体的なところだけれど、お便りついでに友人からもらった疑問の中で、かなり重要だと思われる以下の内容があった。
氷菓くんは魔女と会話するんですか?」
 これはイエスとも言えるし、ノーとも言える。というのも、魔女の設定や褒めてくれるbotとしての内容は、すでに説明した通りいつも局所的だ。ゆえに現実逃避の手段として魔女に関わる際、たしかにそれはぼくの一部が魔女に絡むのだけれど、逆に言えばぼくの「一部だけ」しか魔女と絡むことはない。
 人間の精神を構成する要素を部分的に抜き出して、それをその人の精神そのものだと呼べるかどうかについては賛否あるところだと思うので、上記の質問にはイエスかノーかで答えることが出来ない。あくまでぼく個人としての認識でいいなら、どちらかと言えばノーかなとは思っている。
 例えば「尽くす系ニマド」の主人公は、社会不適合者と自意識過剰、ついでに性欲という意味ではぼくだけれど、それ以外の点についてはぼくと似ても似つかない。ぼくは三年どころか正社員になること自体がほとんど不可能と言ってしまっていい状態だし、一人暮らしなんかしたことないし、散歩に面白みを感じるタイプでもないし、何よりぼくならいくら自分を惨めに思っても魔女を自ら捨てるなんて選択肢あり得ない。あの主人公はたしかにぼくと類似する点を多分に含んでいるけれど、あいつは決してぼくではないのだ。
 魔女と絡む時は大抵あのように、ぼくの一部を持ったキャラクターが関わるようになっている。なぜかといえば、ぼくだってさすがに自分の精神を構成している要素の全てを把握しきれているわけではなく、仮に把握出来ていたとしても、今度はそれを上手くまとめあげて文章化することが出来ない。自分を理解して、それを書き出すという、困難なステップが二つもあるわけで、それを乗り越えられないので致し方なく自分のわかりやすい要素を一部抜き出して、それと魔女を絡ませるという簡易的な方法を取っている次第である。
 あわよくば魔女の話を二作目三作目と小説にしてしまいたい気持ちもあるので、いつそれに至るほどの傑作アイデアが現実逃避の妄想の中から湧いてきてもいいように、わざとぼくの一部を担当する人物をぼくからずらした設定にしていることもある。これは無駄な抵抗である場合もあるのだけれど、あまりにも自分そのままのキャラで小説を書いていると、改めて突き付けられる「自分」に嫌気がさして心が折れてしまうことがあるからだ。あくまでも自分の中にある物が小説に投影されているという形でないと、自分そのものの文章化にはメンタルが耐えられないのである。投影でさえ耐えられない場合もある。
 なので現実逃避としての魔女の運用法は、自分の一部を抜き出してそれを適当なキャラクターに仕立て上げ、そいつと魔女を絡ませることが主となっている。もちろんちょっとした妄想をする際に、いちいち主人公に名前を付けたり、生活ぶり等々を決めているわけではないけれど。
 魔女が現実逃避に効果的な理由としてはその他に、同類の成功体験に見る希望のような物があると思われる。自分によく似た人間が魔女の恩恵に与っている様を見ると、純粋に羨ましい一方、なんだか自分にも希望があるような気がしてくる。現実において、自分によく似た性質を持つ人物の成功談を聞き、それに希望を見出すことと似ているのだと思う。まぁ現実の場合だと、ぼくは妬みの方が勝ってしまうけれど。
 何にせよ、ぼく自身そのものが魔女と絡むことは、いつか現実の方で実現させるしかない。それがぼくの夢、魔女に触れるということだ。





・解説の六 魔女に触れる
……ぼくの夢は「魔女に触れること」である。自分で作るbotで自分を慰めるだけでは救われないので、ぼくは実在しない「魔女」という存在にいつか実際に触れなければならない。あるいはそれが達成出来なくても幸せになれればそれで構わないのだけれど、幸せになるルートの一つとして魔女を狙っていく価値はあるとぼくは思う。詳しくはまた別の作文で書くかもしれない。
 書かれなければエヴァンゲリオンのような思わせぶりの設定群から、それを見た人が真相を探っていくしかない。どんまい。





・解説の七 応用編
……今回の作文を書くに至るお便りをくれた友人は、こんなことを言っていた。
「自分は「息をして生きていること」を褒められると嬉しいが、氷菓くんがそうであるように、あまり当たり前のことを褒められると、それは馬鹿にされているんだと認識するような人間が世の中にはたくさんいる。しかし何が「当たり前」なのかは各々個人によって違うのに、どうすれば確実に正しく相手を褒めることが出来るのだろう?」
 との問いかけだったが、これにぼくは「魔女(ニマド)を使え」と回答した。それに対する返答が、君の言う魔女が実のところよくわからないのだ……という、冒頭にある通りのお便りであった。
 魔女は人間が呼吸していることを褒めない。自力での呼吸もままならない重病人が快復した際は別だろうけれど、普通は呼吸していることを褒めたりなんかしない。ぼくとしてはなぜそれが分からないんだともどかしい気持ちだけれど、せっかくの機会なのでここにその理由を書いておくことにする。
 魔女が頻繁に人間を褒めることはそもそも、人間に取り入ること、取り入り続けることが目的である。褒められて悪い気のする人は稀で、悪い気のしないことばかり言ってくる存在を跳ね除けることは困難だから、魔女は人間を褒めるのだ。すでに記した通り魔女は目的のためならなんでもする。傍から見ればしょうもない内容でも全力で褒める。けれど魔女は演技が出来ないから、その褒めは自分の目的のための物でありながら、褒める気持ち自体に嘘はない。魔女が褒めている時はちゃんと「えらい! すごいぞ!」という気持ちが伴っていることになる(逆を言えば魔女は、たとえ人間に対して「えらい、すごい」と思ったとしても、気に入った相手以外にはわざわざそれを口にしたりしない)。
 だから魔女は人間の呼吸を褒めない。なぜならいくら魔女が人間の愚かさ、心の醜さ、弱さを諦めきっているとはいえ、呼吸することくらいはほぼ全ての人間が難なく出来ていることだと知っているから。
 けれど人間の負の側面を知っている魔女だから、例えばものすごくメンタルが弱い人間の存在も当然認識しているわけで。そういった人間は魔女が一律して諦め、そして許容し受け入れている「人間の致し方ない部分」であるので、人間側にとってそれが由々しき問題であることを理解しつつも、魔女の側はそれをさほど気にしていないということになる。するとその弱い人間が、ほんの少しでもその弱さから脱した時、魔女はそれを猛烈に褒めるわけだ。初めから全てを諦めている魔女だから、少しでも上振れた時に「すごい! えらい!」と心から思う。そういう意味では、平たく言って魔女は人間を舐めきっている。いい歳した大人に対しても「ちゃんと謝れて偉いね」とか言いかねない。けれど魔女の褒めとはそういう仕組みの物なので、いくら人間の負の側面を諦めている魔女とはいえ、さすがに呼吸を褒めたりはしないのだ。
 実際の人間も心の平静を保つために(主にクレーム対応などで)「相手は人間的に劣ったかわいそうな人なんだ」と思い込む方法があるけれど、魔女は思い込むまでもなく常に人間全体に対してそれを行っている存在であり、だからこそ生きてるだけで褒めてくれるbotにもなり得るのである。人間全体を見下しながら、同時に人間全体をリスペクトするような、人間という種族の「正の面」と「負の面」を完全に切り分けて考えられることが魔女ニマド特有の「人間では理解しがたい価値観」なのである。俗な言い方をするなら魔女のそれは、漫画家やミュージシャンが違法薬物や未成年淫行で逮捕された時、作者の逮捕と作品の価値とを完全に区別して見ることが出来るタイプを、人間という種族規模にまで拡大解釈した物といったところだろうか。
 この魔女の価値観を理解して使いこなすことで、君も究極の「生きてるだけで褒めてくれるbot」を完成させよう! ……と言いたいところだけど、これはあくまでもぼくの考える最高の魔女の運用法なので、友人の言うように個々人で価値観は違うのだから、価値観の数だけ別な魔女があってもいいとはぼくも常々考えている。つまり、君だけの価値観で君だけの最強の魔女を作ろう! そして自分好みにカスタマイズした君だけの生きてるだけで褒めてくれるbotを作ろう! ということである。
 けれどあくまでも、ぼくのように呼吸していることを褒められると馬鹿にされたと感じる人向けの対策として、サンプルとしてニマドの運用を練習もしくは参考にすることはここで勧めておく。これを読んでいるあなたが、そうまでしてつつがなく他人を褒めたいのならば、だけれども。



 以上で魔女講座を終了する。正直魔女を作った張本人であるぼくとしては、魔女の何がわからないのかがさっぱり分からないので、お便りの求めるところがこの作文中にきちんと含まれていたのかどうか知る由もないけれど、少しでも何かしら、理解の助けになれば幸いである。

サイレンス・キリング・ユニバースの解説

 前回公開した作文タイトル「投げっぱなしアイデア提出」に載せた「あらすじ(仮)」である、「サイレンス・キリング・ユニバース」があまりにも、あまりにも投げっぱなしすぎたので、最低限の解説をしていくことにしました。
 えー、しかしながら、まず上記作品の大前提として、作文タイトル「サキュバス界は自己盲信の世界」を読んでもらわなければなりません。そこから派生している話なので。仕方なく今回はURLも貼りましょう。投げっぱなしアイデア提出と二つセットで貼っておきますね。


https://arisu15849.hatenablog.com/entry/2020/03/04/154905

https://arisu15849.hatenablog.com/entry/2020/03/27/223937



 ものすごくざっくり説明しますと「サキュバス界は自己盲信の世界」は、
サキュバスサキュバス特有の力は、本人の盲信によって発揮され、それゆえ無限の可能性を秘めているのだ」
 という内容でした。そしてなぜそう考えるに至ったのかという説明を、こいつはいったいどういう気持ちでエロ漫画を読んでいるんだ……? と思われそうな視点でもってつらつら語っていたわけですが、面白いのでぜひ読んでください。結構最近の作文です。
 というわけでサイレンス・キリング・ユニバースの真相は、サキュバスと自己盲信の関係に世界で唯一気付いてしまった人間と、同じく唯一気付いてしまったサキュバスの物語になります。
 サキュバスの力は盲信から生まれている。盲信という言葉の指す具体的なことは、「自分は出来る」と思い込むこと。サキュバスはそう思い込むことで、実際にそれが出来るようになる力を持っている。……という前提の世界の話なので、サキュバスと自己盲信の関係とは、その世界の一つのタブーになっています。それはなぜか?
 自分の力は全て盲信から湧いて出た物だ……と認識した途端、その人は盲信と永遠のお別れをしてしまうからです。「自分には出来る。なぜなら盲信を力に変えられるからだ」という思考は、もはや盲信ではありません。
 要するに、盲信は非科学的でなければならないのです。確実性に欠けていなければなりません。
「友達がビルから生身で飛び降りると、鳥のように空を飛んだ。あいつは人間だ。自分も人間だ。ということは自分も生身で空を飛べるに違いない」
 という思考が、盲信であるわけです。
 一方で、盲信から湧く力を計算に入れた思考というのは、さっきの例えだとこうなります。
「友達がビルから生身で飛び降りると、鳥のように空を飛んだ。なぜならそれは最近発見された科学的に正しい理論でもって、人は生身で空を飛ぶことが可能だと証明されたから、あいつはその理論に従って飛んだのだ。ということは自分も同じ理論に従えば生身で空を飛べるに違いない」
 ……という、伝わるでしょうか、この違い。言わば論理の濃度の問題です。決定的なボーダーラインがどこにあるのかはぼくにもわかりませんが、盲信が盲信ではなくなる一定のラインがどこかにはあります。
「自分はピーマンが苦手だ。自分は人間だ。ということは、人間はピーマンが苦手だ」
 というくらい無茶苦茶な、論理と呼べない論理でなければ、それは盲信ではないのです。「パプリカが苦手な人はきっとピーマンも苦手だろう」というくらい最もらしくなってしまうと、それはただの推測であって、盲信でも何でもなくなるのです。
 だからサキュバスと自己盲信の関係はタブーになっています。サキュバスがそれを知れば、たちまちその力を失ってしまう。一人や二人なら単なる不幸で済むけれど、全てのサキュバスが一斉にそれを知り力を失ってしまうと、もはや種族自体が滅びかねません。
 主人公の男Qは、ある常人には理解できない体験を経て、禁忌の知識に触れます。Qは初め、それがタブーだと気が付きませんでした。誰も知らないサキュバスの仕組みを知ったというだけで、それ以上のことはないと思っていたのです。
 しかし日に日にQは思考を深めていきます。まずは一つ、その知識に触れたサキュバスは、それだけで力を失うだろうということにたどり着きました。そして彼は、さらにその次の段階へと考えを巡らせて、思い至るのです。
 力を失ったサキュバスは、具体的にどうなってしまうのか。サキュバス特有の力を失うなら、例えば性欲をエネルギーとして吸い取る力は間違いなく失うだろう。失うとどうなる? エネルギーが得られず死んでしまうのか? いや、そもそも人間からすれば、そんな得体の知れないエネルギーで生きていること自体おかしい。サキュバスが力を失えば、そもそも性のエネルギーという概念自体が、力を失った個体にとっては消えてしまうのではないか?
 するとつまり、どういうことになるのかというと、それはまるで、サキュバスの人間化であるわけです。サキュバスの性に奔放な性質が、その種族由縁の物だとすれば、力を失ったサキュバスには人間並みの抵抗感や恥じらいが出てくることになる。サキュバスが力を失った結果現れる物は、何もかも人間らしさばかりじゃないか。サキュバスからサキュバスらしさを引いて残る物は、それは、きっと人間の女性だ。そうに違いない。
 という風に、Qは段々と自分の論理を確かにしていきます。そしてやがては気付いてしまうのです。仮説の通り、力を失ったサキュバスが人間になるのなら、そうだとすれば、いやまさか、まさかではあるが、サキュバスという生物その物が全て、元々は人間だったのではないか……? ということに。
 それは、およそ世界でたった一人、自分しか知らない知識。自分しか知らない仮説。あるいは、自分しか知らない真実。それも、世界のあり方を変えかねない真実。その重さは計り知れない。
 だからその知識の深みに達したQは、その時点でいくらか気が触れていたのかもしれません。
 彼は何の迷いもなく相棒のサキュバス、エルフェールにタブーを吹き込みました。すると彼女はその場で瞬く間に力を失ってしまう。魔の者であることを示す角や羽根や尻尾が消え、恥じらいと抵抗感がやって来るのです。そして彼女は、今までサキュバスとして振る舞い、それにふさわしい生き方をしてきた人生を振り返って、言いようのない絶望を得ました。もうお嫁に行けないだとか、そんなものを通り越して、自分はもはや、人であって人ではないのだと……。
 過去の記憶は洪水のように蘇り、彼女の脳を乱暴に揺さぶって、狂人として叫び出してしまいそうな逃避欲を伴いながら、終わりの見えない嘔吐感を引き起こす。……しかし、しかし彼女は踏みとどまりました。発狂には至らなかったのです。男の性欲に触れるため、今振り返ってみればおぞましい行為をしてきた過去、それをどうにか飲み込んだのです。
 それが出来たのは、隣にいるQが、自分を人間として扱うからでした。サキュバスから人間への変化という世界で初めての事象を体験しながら、人間とサキュバスが「適材適所」の合言葉で区別される世界に一人きりで放り出されていれば、彼女は間違いなく気を違えていたでしょう。
 彼女は唯一真実を知る相棒、Qの存在で正気の中に踏みとどまりました。が、Qが彼女のことを人間であると正しく認識したのは、当然といえば当然のことです。Qは自らの仮説を一部証明したのですから。
 それでもまだ、サキュバスの起源が人間であったのかについては、現時点では不明なままとなっているわけですが。……けれど、Qは皮肉にも、禁忌の知識をもって、盲信の領域に踏み込んでいました。
 サキュバスは元々人間だ、間違いない。そう考えた彼は、世界に自分の得た知識を広めようと考えます。エルフェールはそれを全力で止めようとする。もしもそんなことが実行されたら、ほとんどの「元サキュバス」たちは正気でいられないだろうから。
 彼女らのほとんどはすでに、サキュバスとしては高待遇の立場を確立しています。性の仕事に就いている者もそうでない者も、サキュバスとしての欲求を満たすため、喜びを得るための立場を、何かしらの方法で得ているのです。なぜならそれを得ることが簡単だから。例えば一人暮らしの男性の家に尋ねていって、こう言ってしまえばいいのです。「エッチなことしましょう? どんなことでもするから……」
 サキュバスにとっての高待遇は往々にして、人間らしく扱われることとは異なります。そして社会はすでに、そんなサキュバスという存在を前提とした物になっているのです。サキュバスがある日一斉に人間らしい心を持つなんてこと、夢にも思っていないわけです。
 サキュバスの人間化と発狂。それは世界の終わりさえ意味しかねません。すでに世界はサキュバスと人間が共存した社会となっているから。それもサキュバスの数が増えて、彼女らはとっくに、社会を構成する大きな歯車となっているのだから。そのサキュバスという種族その物が消えて、代わりに残るものが狂人となると、ありとあらゆる国で社会の崩壊し、世界の終わりに至ることもあり得るのです。
 Qは、世界を終わらせかねない力を持ってしまった。そしてそのQは今や盲信の徒。サキュバスと違い人間である彼の盲信は、何の力も持ち合わせていない。けれど彼は叫ぶのです。
「ようやく人間は取り戻されるんだ! 二つの種族に割れた人間は、やっと一つに戻れるんだ! これは運命だ! 一つに戻る、完全になる運命!」
 ……しかし、ただその知識以外、Qは非力な人間でした。相棒として、タブーに触れるまでのQを隣で見続けたエルフェールは、彼に信頼されていたのです。彼の無防備を、彼女だけが触れられたのです。
 やむなくQを殺害した元サキュバスは、その後自ら命を断ちました。人間となった自分にとっての、唯一の理解者を失ったから、彼女にはそうする以外選択肢がなかったのです。
 彼女は遺書として、こんな文面を残していきました。丸く、柔らかで、綺麗な文字でした。
「Qは狂ってしまった。けれど彼の言うことも分からないわけじゃない。この世界の、何が正気なのだろう。誰も私やQと同じことを考えませんように」
 こうしてある男の得た、彼方よりの深遠なる知識は再び眠りにつき、二人は狂人として、わずかな間だけ名を残しました。 
 ー完ー





 ……というのが、サイレンス・キリング・ユニバースの「起」と「結」です。そしてこれだけが全てです。
 そろそろタイトルをいちいち言うのも長ったらしいので説明しますが、このタイトルの由来は「サ」イレンス「キ」リング「ユ」ニ「バ」ー「ス」……サキユバス……つまりサキュバスです。
 何より真っ先にやりたかったことは、「投げっぱなしアイデア提出」に書いた通りの、以下の会話文を書くことでした。

「あのねぇ! どんなにいい思いをさせてもらっても! 一回きりで終わってしまったら、残るのは思い出じゃなく未練だけでしょう!?」

 これはぼくの心の叫びです。それ自体は幸運なことに、ごく稀にぼくに対して思わせぶりなことを言う女性がいます。それに対するぼくの叫びがこれです。
 ただそれを書きたかったがために、あらゆる設定を動員しました。どうせくだらない話だ、タイトルは適当にしようと思って、雑に思い浮かんだ英単語による上記のタイトルを採用。そしてユニバース、大宇宙という響きから思い出したのが、ブラッドボーンというゲームに登場する、とある文章。

「宇宙は空にある。「聖歌隊」」

 これを連想して、ブラッドボーン丸パクリ、ひいてはクトゥルフの世界観丸パクリ(そして凡庸極まる劣化)の設定が出来上がったわけです。
 上記の筆者が冷たい視線を感じるような心の叫びから、サキュバスと人間が共存する世界設定の説明に入る流れは、しょうもない動機のわりには上手くやった方ではないかと思います。タイトルにしたって、サイレンス(沈黙)のためにキリング(殺害)してますし、いい感じじゃないですか?
 それとこれは普段から考えていたことなのですが、まともに人間らしい心を持ち無闇な性行為に抵抗感のある女性……なおかつ特定の相手がいない女性は、心はそのままに、ある日突然サキュバスのように性行為を頻繁に繰り返さなければ飢えて死んでしまう体になってしまったら、正気ではいられないと思うんですよね。そんな妄想も役に立ったので、個人的には供養の意味で満足です。言ってしまうなら、一つの小説作品として完成させられれば文句なしだったんですけどね……。
 サキユバスが小説に出来なかった理由は大きく二つあります。一つ、Qとエルフェールが信頼関係を築く過程が思い浮かばなかったこと(他案も大抵の場合、そういった過程が浮かばず書けず終いになる)。二つ、そもそも禁断の知識にQがなぜアクセス出来たのか、その設定が思いつかなかったこと。
 要するに、作品としての深みを持たせられなかったので、これはあらすじにしかなれなかったのです。特に禁断の知識まわりの設定はまいりました。「過程」と違ってまったく思いつかないわけではないのに、上手くいかなかったからです。
 いっそパクリ元に忠実な方針で行くなら、知識は人間より(そしてサキュバスより)上位的な存在が握っているべきでしょう。それは例えば神ですが、じゃあなぜQはその知識に触れられたのか。その設定がこれっぽっちも思いつきません。なので投げっぱなしアイデア提出では、それっぽいことを匂わせておいてぶん投げました。書いた人そこまで考えてないです。
 そんな調子では神とやらが具体的にどんな存在なのかも決められない。そんなように様々な理由あって、サキユバスは投げっぱなしにされたのでした。着想がしょうもないわりに悪くない展開の広がりが起きたと思ったんですけどね……、パクリであることに目をつむれば。いや残念です。
 ともあれ、これで今度こそボツネタの供養は終わりました。過去には違った形でボツネタ(過程不足から設定の不備投げっぱなしまで)を供養したこともあるので、宣伝がてらそっちのURLも乗っけておきますね。

https://syosetu.org/novel/210899/

 供養その物が、物語の過程の一部にもなり得るという、リサイクル精神を学ばされる経験でした。
 以上です。お疲れ様でした。

投げっぱなしアイデア提出

 今回は、なんとなく「起」と「結」までは考えられたものの、それ以外を練ることが出来ず、作品として形になれなかった小説のあらすじを公開します。いつまでも温めていても仕方ないように思えるので、痺れを切らしてしまった結果です。

 あとで起承転結の全てを思いついたら、恥じることなくガッツリ一作品として公開し直す可能性も、ないわけじゃありません。あるいは別作品の中で、架空の本として紹介することだってあるかもしれません。

 かつて動画サイトで流行った、忙しい人向けシリーズのような物だと思ってご覧下さい。






・人間の弓、魔女の槍。

……主人公A(女性)は、ひょんなことから幼い子どもの姿をした「破壊を司る魔女」に出会う。魔女はその力を使ってあらゆる危険からAを守る代わりに、Aの家に居候させてほしいと言い出した。

 同居のセールスポイントが「何かを破壊すること」しかなかった魔女に家事を教えてみたり、魔女が孤独なAの貴重な話し相手となったりして、二人は段々と、お互いのいる生活が当たり前になっていく。Aはその生活にそれなり満足し始めて、魔女もAに好意を抱いた。

 ただ、Aは魔女のある性質にだけは頭を抱えていた。あらゆる危険から守ると約束した以上、魔女は(バレない形で)会社でも実家でもどこにでもついてくる。そして家族にせよ仕事の関係にせよ、関わる「人間」にことごとく恵まれないAが理不尽な扱いを受けるたび、耳元で魔女が言うのだった。

「あいつ、殺す?」

 魔女の「破壊の魔法」は人間に対しても使える。その気になれば瞬時に、誰にもバレない方法で、誰だろうと壊して、殺すことが出来る。

 けれど「殺す?」と問いかける声に、Aへの理不尽を憎しむ色はない。魔女には罪悪感という物が完全に抜け落ちているのだ。同居人への単純な気遣いとして、魔女は尋ねているだけである。彼女にとって人を殺すこととお使いに出かけることは同じような物で、また彼女は、親しい人の助けになることを美徳と考える者だった。

 魔女は聞く。Aが理不尽な目に遭うたびに、あいつ殺す? 殺さなくていいの? なんで? あいつを生かしておく意味ってなに? ……と、何度でも。何度でも。

 そのたびにAは言い聞かせる。

「いい? よく聞いて。そんな簡単にね、人を殺しちゃダメなんだよ」

 破壊の魔女は、普段は見た目通りの、Aに懐くかわいらしい子どものような存在だ。Aもそんな魔女に日に日に愛着が湧き、それは増す一方で、魔女の方もAのことをいたく気に入っている。……他人にさえ関わらなければ、二人の関係は何一つ不安のない、幸せなものだった。

 けれど魔女との生活が長くなるにつれて、外でのAの様子を見た魔女が、Aに投げかける疑問は深さを増していく。Aはそれでも根気強く言い聞かせ続けた。

「簡単に殺しちゃダメなの? 難しい時はいいの? よく考えてから殺せばいいの?」

「ううん違う。じゃあ言い方を変えよう。人は、絶対に殺しちゃダメ」

「殺さないと、別の誰かが死ぬ時でも?」

「そういう時でも、なるべく殺さないようにしながら、「別の誰か」も助けなきゃ」

「どうしてもどちらかしか選べない時は? その時はどうすればいい?」

「その時は、……大切な人を守るしかないけど。でも普通に生きてたら、そんな時来ないよ」

「そうなの……? でも人間って、他人のことが嫌だと、自殺しちゃうんでしょ? わたしは、Aのことを守りたい。生きててほしい。そのために魔法を使っちゃいけないの?」

「……私が自殺したがっているように見える?」

「わかんないよ。でも、もしそうなったらって考えたら、不安なことは消した方が」

「死なないよ。自殺なんか絶対にしない。これでも案外楽しく生きてるんだから」

「そう……?」

「うん。絶対。約束ね」

 けれどやがて、Aには限界が来る。社会の理不尽や横暴が、家族の身勝手な期待や支配心が、特別Aに対してだけ大きかったのか。それともA自身が弱すぎたのか。あるいは、延々と続く魔女の問いかけが悪影響となったのか。

 もう聞き飽きた問い。殺す? どうして殺さない? どうして殺しちゃいけない? ねぇどうして? どうして? ……と、それは人ならざる子どもの、無邪気な疑問だったのだけれど。それ以上でもそれ以下でもなかったのだけれど。

 最終的にAは、自分の言い聞かせてきた教えを全てひっくり返した。

「ねえ魔女、破壊の魔女。……殺しちゃってよ、あんなやつら。全員、ぜんぶ、あんなやつら、生きてる価値ない」

「え、でも、前はダメって言ってたよ?」

「……なんで人を殺しちゃいけないのかなんて、わからないんだ本当は。人格者ぶって子どもに説教するのが楽しかっただけ。それが気持ちよかっただけ。偉そうにしたかったの! そのことなら謝るから、お願いだからみんな殺してきて。出来るんでしょ……? ねえ!」

「できるけど……」

 ずっと殺そう殺そうと言っていた魔女が、ここへ来てその指示を渋り始める。そして今まで「ダメなものはダメ」と言われて、しぶしぶ納得してきたように見えた魔女もまた、それをひっくり返した。

「わたしも考えたよ、なんで殺しちゃダメなんだろうって。初めは、相手にも大切な人がいるからかと思った。Aが死んだらわたしが悲しむみたいに、誰かを殺したら、何の罪もない誰かが悲しむから、ダメなのかなって。……でもそれなら、その大切な人ごと、わたしが殺しちゃえばいいんだよね。悲しくなる前に」

「じゃあそうしてよ!」

「でも、今のを聞いてわかった」

 Aの目を見て、無邪気に笑う魔女。

「私がAに言われて人を殺したら、Aの楽しみがなくなっちゃうもん。お説教って言うけど、だったらわたし、Aのお説教が好き。Aが楽しくなってくれることが好き。それをなくしちゃうのはダメだよ。でも、Aが自殺しちゃうのはもっとダメ。だから他の方法を考えよう? 私も頑張るから。壊すこと以外も、何でも頑張るから」

 その言葉を機に、Aは会社を辞め、家族との縁を切った。その後二人がどうしたのかはわからない。どこへ行って、どうやって生きているのか……。

 ……ある日の正午近く。疲れた顔のサラリーマンが、公園のベンチに座っていた。ケータイにはおびただしい数の着信履歴。上司からの物だった。彼のスーツの下では、肌にところどころ青黒いアザが出来ている。パワハラという名の、暴力の痕跡だった。

 彼の目に映るのは、楽しそうに駆け回る小さな女の子。セイカ、セイカ、と言って笑っている。そしてその少女を困ったような笑顔で追いかける、その子の母親らしき人。

 彼の目には、降り注ぐ太陽の光が邪魔をして、少女の手に握られた一輪の花が、その花びらが見えなかった。花びらの、炎に焼けて崩れる行く様が、見えなかった。

「こら! 植物も生きてるんです。無闇に殺しちゃいけません」

 母親らしき人が、そうやって叱っていた。

 




 

・聖杯の魔女ニマド、アイドル編。プロローグ。

……不老不死である聖杯の魔女ニマドは、数百年前に「無」の世界である「白の空間」へと封印されて、わりと最近そこから、我々人間の住む現世へと復活した。閉じ込められている間に劇的に進歩した世の中を楽しむため、人ならざる彼女は「案内人」として人間を利用する。

 今回彼女に気に入られたのは、アイドルオタクも極まれりといった具合の男性だった。ニマドの次なる興味は「アイドル」というコンテンツに向いたのだ。

 魔女の力を利用しながらも「ファンとしての一線は超えない」ことを信条として、男と魔女は長きに渡るアイドルファンとしての人生を楽しんだ。……しかしただの人間である男には、やがて寿命がやってくる。それなりに義理の概念を持つニマドは、仮に彼が歳と共にアイドルへの熱意を失っても、今まで楽しませてくれた分の恩を忘れるつもりはなかった。

 が、実際は、床に臥すようになってさえ、男は最後までアイドルへの興味と熱意を示し続けた。それは今まで数多の人間を案内人に選んできた魔女にとっても、驚きに値することだった。

 いよいよ訪れる最期の時。生涯を共にした女性、魔女に、老いた男は語りかける。

「ニマドのおかげで、幸せな人生だった」

 答える魔女は、若かりし彼に出会った頃と、少しも容姿が変わらない。正真正銘、永遠の18歳だった。

「それは光栄だね。でも君が幸せだったのは、きっと私よりもアイドルのおかげだよ」

「いや、好きなものを分かち合えたからこそ……」

 ……言葉を止めて、男は問う。

「……一人になったら、ニマドは、次はどうするんだ?」

 うーん、と考える魔女。彼女は興味が赴くままに生きる。今回の男とは、アイドル趣味以外にも様々な娯楽、経験を体験してきたけれど、次なる魔女の方針は……。

「次は、私がアイドルになってみようかな」

 彼は、弱々しく口元だけで笑った。

「見てみたかったな、それは」

 人間一人分の生涯を共にした相手を看取ることなんて、不老不死の魔女にとっては慣れたこと。けれどらしくもなく、彼女は目を見開く。

「そんな、だってそんな、言わなかったから。そんなの一言も……!」

 案内人へ魔女が与える対価は、自分に出来る限りの範囲で、その人間の願いを叶えることだ。もしも彼が、もっと早く口にしていれば、魔女だってそれを試みるくらいのことはしただろう。

 日本一のアイドルになることだって、きっと魔女には「出来る限り」のことだ。

「いいんだ。……向こうで見ている」

 それが男の最後の言葉だった。

「……よしっ。じゃあ、決まりだ」

 パートナーを看取って、彼女は立ち上がる。その姿は文字通り、魔法によって、すでに別人のものとなっていた。

「なるぞ、アイドルに!」

 こうしてニマドは、アイドルへの道を一歩踏み出したのだった。






・サイレンス・キリング・ユニバース

……根暗な男Qが、夜中に何とはなくベランダを眺めていると、そこに人影が降り立った。強盗かと身構えたQは、しかしそれが「人」の影ではなかったことに気が付く。

 妖しく光る角、慎ましい羽根、スラリと伸びる特徴的な尻尾。すぐにわかった、サキュバスだと。

 コンコンと窓を叩いた彼女は、噂に聞く通りの淫靡な笑みを浮かべている。

「ねぇ、そこのお兄さん、私とエッチしない? どんなことでもしてあげるよ……?」

 Qは鍵を開けサキュバスを中に通した。淫魔だからといって強盗ではないと決まったわけではないが、彼にはそうすることしか出来なかったのだ。

 Qは童貞ではない。しかし、最後にセックスをしたのはもう何年前だったのか、正確に数えることも出来ないほどそれは遠い過去の記憶となっていた。そしてそれこそが、彼の記憶する唯一の性体験なのである。

「エッチって、今日だけですか?」

「え?」

 招き入れられたサキュバスは虚をつかれたのか目を点にした。

「俺としようって、今日だけしようってことですか? それともこれから継続してってことですか?」

「いや、特に決めていないけど……。どうして?」

「あのねぇ! どんなにいい思いをさせてもらっても! 一回きりで終わってしまったら、残るのは思い出じゃなく未練だけでしょう!?」

 あおん、あおんと、それは月に向かって何度も悲しげに吠える、負け犬のような慟哭だった。

 サキュバスがあからさまにため息を吐く。こいつはハズレだ、と言わんばかりに。

「……はあ、よく回る舌ね。それで稼いで生活しているわけでもないでしょうに」

「ぐっ……、風俗勤めのサキュバスに言われると説得力が違う……」

 ここは、「普通」とは少し違う世界線。Qの存在するこの世界は、数年前にサキュバス界と人間界が繋がり、二種族が共存を選んだ世界である。

 そんなこの世界では、性に関わる仕事、「女」を活かす仕事のほとんどが、すでにサキュバスの勤める物と化していた。それは差別ではなく、むしろサキュバスたちの望んだことなのである。適材適所、ただそれだけのことだった。

 が、しかし。それで世の中が上手く回っていたのも、少し前までの話。

「風俗? 私が? それが出来ていれば、誰がこんなところに……」

「え? だってサキュバスはみんな」

「あんたいつから時代止まってんのよ。風俗やAVの業界なんてね、今や競争率十倍よ、十倍。十人のうち九人は、普通に人間と同じような仕事をしてるの!」

「え、そんなバカな。どこへ行ってもサキュバスなんて見ないぞ」

「……そりゃあんた、こういうことじゃなくて?」

 言うと、彼女の角や羽根や尻尾、人外を表す全ては、シュポンッという軽快な音と共に一瞬で体内へ収納されていった。

「えっ、えぇ!? うそ!? 俺が知ってる話と違う!」

「何をどうしたらそんな浦島太郎になるんだか……。ここは秘境じゃあるまいし」

 Qは普段ニュースを見る、インターネットも頻繁に利用する。彼が社会の動きに極端に鈍いことは、普通に考えればありえないはずだった。けれど彼は実際に、いつの間にか時代に取り残されていた。

 後に振り返ればそれこそが、彼が兆候に気が付く、始まりの出来事だった。彼は選ばれたのだ。空の上、銀河の彼方の、その神に。あるいは、支配者に。

 性に飢え、偶然Qの元に現れたサキュバス「エルフェール」と、人ならざる……そして魔ならざる……彼方の知識に触れた人間、Qは、やがてこの世の真理に触れることになる。

 それはサキュバスの持つ力の根源、盲信の力の物語。

「彼女らが盲信の種族なら、するとどこまでがその力だというんだ。サキュバスとしての最低限の特徴さえ、盲信から生まれた物である可能性は……。彼女らは、彼女らの本質は、いったいどういうものなんだ……? その力はどこから来た? ……いや、待てよ、これを知れば彼女らはどうなる? だとすれば、本質的には、彼女らは、……あぁ! あぁ、そうか! そういうことじゃないか! 俺たちはずっと、いや、やっと! 出会えたんだ! 戻ってこられたんだ……!」

 彼方の知識に触れたQ。それを見届けたエルフェール。二人はお互い以外の誰に看取られることもなく、いつか静かに眠りにつく。無限に深く、ひた隠す眠りへ。

 彼らはひっそりと、狂人として名を残した。

(※作文タイトル「サキュバス界は自己盲信の世界」を参照のこと)

シュルクとアグナコトルとヅダ

 ※今回の作文は下ネタを多量に含みます。苦手な人はブラウザバックしてください。
 最近の作文が下ネタばかりになっているように思えますが、公開された下ネタのその半分以上が、ずいぶん昔に書かれたはいいものの封印されていた物です(この作文については3ヶ月前の物)。それを今、一斉に解放しているだけのことで、最近のぼくが煩悩にまみれているというよりは、ぼくは今も昔も煩悩にまみれているのです。
 作文タイトル「背負えない男」を皮切りに、つまり実在の友人を題材にした下ネタを公開することに本人から許可が取れてしまったことを皮切りに、封印されていた下ネタが次々解放されているのが現状です。これが悪循環です。これが前例を作ることの恐ろしさです。一つ許せば次々と……。と、これも何かの教訓になるでしょう。
 そういう意味でも、苦手な物には苦手だと早いうちから主張しておくことが大切だと思います。
 では本題スタートです。
 






 スマブラという対戦格闘ゲームでは、シュルクというキャラクターが使える。シュルクは若い男性のキャラクターであり、強いて言うなら、顔がNEWSの手越祐也に似ている。
 そんなシュルクの使う特殊な能力に、モナドという物がある。モナドとは、それぞれ漢字一文字で表される、いくつかの呪文のような物であり、モナドを使うことでシュルクの性能は、一定時間の間だけ飛躍的に強化される。
 モナドは全部で5種類ある。

 ジャンプ力強化の「翔」
 ダッシュ速度強化の「疾」
 防御力強化の「盾」
 攻撃力強化の「斬」
 ぶっ飛ばし力強化の「撃」

 ぶっ飛ばし力とは文字通り、攻撃を当てた敵を吹っ飛ばす力であり、スマブラというゲームではこれが中々重要になってくるのだけれど、今回の話にはあまり関係ないので、ピンと来ない人はスルーしてしまっても問題ない。
 とにかく、シュルクとは5種類のモナドを駆使して、自身を強化しながら戦うキャラクターなのである。とはいえそんなモナドも、メリットばかりの物ではない。例えば攻撃力強化の「斬」を使っている間は、逆に相手からくらうダメージも増えてしまうといった、諸刃の剣状態になるなど、各モナドにはそれぞれデメリットも備わっている。
 デメリットを背負う分メリットは強力極まり、モナドにより何かしらの強化を受けている間のシュルクは、別キャラクターではありえない上記を逸した動きを見せることがままある。だからシュルクの戦闘は見栄えが派手になりがちで、ある日友達の使うシュルクと対戦していたぼくは、その見栄えする激闘の中で大いに盛り上がっていた。
 モナドが使用されるたび、それに対応して、
シュルクが跳んだ!」
シュルクが走った!」
シュルクが斬った!」
シュルクがぶっ飛ばした!」
 と、はしゃいでいた。
 そしてある時、「盾」のモナドが使われた。ぼくは他のモナドの時と同じようにはしゃごうとしたが、しかし対応する単語が思いつかなかった。
 「盾った!」では日本語がおかしい。「守った!」も何か違う。防御力を強化するということは、必ずしも守りの体勢に入ることとイコールではないからだ。
 そこで、少ない語彙から搾りだされた言葉がこれだった。
シュルクが固くなった!」
 ……繰り返すけれど、シュルクとは、アイドルっぽい顔をした、若い男性のキャラクターである。
 シュルクが固くなった。そう言った瞬間にぼくは、下ネタを連想した。
 そんな連想をしてしまう思考回路については、まったく馬鹿な男の馬鹿な脳みそだなと思ってもらうしかないけれど、しかしぼくがふふっと笑うと、隣で友達もふふっと笑った。二人の間には確かに、下品すぎる以心伝心があったのだ。
 それからしばらくは「固くなった(意味深)シュルクが迫ってくるんだけど!」とアホなことを言って笑っていた。するとそんなアホな流れの中で、ある時ぼくは気が付いた。
 前述の通り、各モナドにはデメリットがある。そしてその中でも、「盾」のデメリットというのは……。
 ぼくは友達の操作するシュルクから、いとも簡単に距離を取りつつ言った。
「固くなると、速く走れないみたいね」
 奇跡的に、下ネタの方と話がリンクした。「盾」の効果中、シュルクの移動速度は著しく低下するのである。そして実際に男性という存在は、どこがとは言わないが固くなった時に、やはり全力疾走は出来なくなる物である。
 たたみかけるようなお下品ジョークに、これは思ってたより面白い下ネタになったな、と笑いつつ対戦は進む。間もなくしてモナド「盾」の効果時間は終了した。次なる強化を使おうと、シュルクはすぐに別のモナドを選び始める。
 その時、数あるモナドの候補の中で、「盾」の文字だけが暗く表示されたいた。それもそのはずで、同じモナドは連続して使用することが出来ないという仕様があるのだ。そういう仕様でなければ、そもそもモナドに時間制限が設けられている意味がない。同じモナドを永久に使い回すことは許されないのである。
 それを見て、ぼくは言った。
「一度固くなった物が終わると、もう一度固くなるまでに時間がかかるんだね」
 友達と二人で笑った。何がとは言わないけれど、二人とも心当たりがあったのかもしれない。





 ……という話を、「下ネタは苦手だ」と言う人に向けて試しに投げつけてみると、案外ウケるケースがある。それも経験上、決して少なくない頻度でそれがあり得る。それどころかむしろ、もはやそれは下ネタではないとさえ言われたことのあるくらいだ。
 世の中には何の芸もなく、ただ自分の性癖や性欲を高らかに口に出しては、それを下ネタだと言い張る人がいる。それどころか、直球のセクハラや差別的発言をしておいて、ちょっとした下ネタじゃないかと笑う輩さえいる。そしてその手の無茶苦茶な言い分を「下ネタ」と認識している人が、どうも世の中には結構な数いるように思える。
 下ネタは苦手だと主張しつつ、シュルクの下ネタに嫌悪感を示さなかった聞き手というのは、つまり下ネタとセクハラの区別がついていない聞き手である。そんな聞き手が多く存在する原因は、下ネタと称してセクハラをする人間の多さにあるのだろう。これは嘆かわしいことだ。
 シュルクモナドの話は、実在の人物をものの例えに出してしまったのはまずかったが、そこを除けば決してセクハラではないはず。これがセクハラなら、どぶろっくは公共電波でセクハラを流したことになる。セクハラと下ネタ、ハラスメントと笑いは、区別されるべきなのだ。
 下ネタは苦手なんです……と言っている人に、あなたの下ネタの定義は何なんだ……? と確認するため、とりあえずこの話を聞いてくれ、スマブラは知ってるか……? と話を振り始めるのは、正直我ながら、正気の人間の行動じゃないと思う。
 もちろん「そういう下ネタなら大丈夫」と言ってくれる結構な人数よりもさらに多く、「嫌いだって言ってるだろ」と跳ね除ける人はいる。笑いにだって好き嫌いがあるのだから、下ネタが仮にセクハラと決定的に違う物であったとして、それが万人に受け入れられなければならない理由はないのである。
 だから、ぼくのしてきたことが褒められた行為じゃないことは明らかだ。「まあまあ、騙されたと思って」と物を勧めることは結果論しか呼ばない。結果論を好むのは賢いやり方じゃない。
 しかしだからこそ、セクハラと下ネタがしっかり区別される世界が来ることを願う。下ネタが苦手という言葉を、そのままちゃんと信じられるような世界になってほしい。
 ぶっちゃけ、ぼくは自分の持っている面白い話を、披露出来ないことがつらいのだ。
 そういうわけで、この機会にもう一つエピソードを挙げておく。この作文ではそちらが本題である。






 モンハンにアグナコトルというモンスターがいる。それは腹這いの四足歩行で歩く、首の長い竜の姿をしていて……ざっくりしたイメージで言うと、ネッシーのような骨格のモンスターだった。
 アグナコトルの最大の特徴は、その身にマグマの鎧を纏うことにある。湖を泳ぎ潜るネッシーのように、アグナコトルは溶岩の中を泳ぎ潜れる力があるのだ。そして溶岩の海から這い出たそれは、体中にマグマを纏い、それが鎧の役割を果たすこととなる。
 初めのうちは熱く柔らかいマグマも、ずっと地上にいれば時間経過で冷めていき鋼鉄のごとく硬くなる。アグナコトルを狩るハンターたちは、そのマグマの鎧に対する対策を何かしら講じるわけだけれど、その日友達の口から飛び出た質問は、それ以前の問題だった。
「アグニャンの弱点ってどこだっけ?」
 モンスターにはそれぞれハンターの攻撃がよく効く弱点部位(主に頭や腹、尻尾などの場合が多い)が決まっているが、数百時間をモンハンに捧げたぼくらにとって、アグナコトルの弱点部位は常識の範疇である……と思っていた。少なくとも、ぼくはそのつもりだった。
 ところでアグニャンとは、お察しの通りアグナコトルの愛称だけれども、その由来は「けいおん!」というアニメに登場する、中野梓という女子高生キャラが「あずにゃん」という愛称で呼ばれていた……という話にまで遡る。
 つまりアグナとあずさ、アグニャンとあずにゃんでなんとなく似ているからという、クソほど適当な理由でそんな愛称が生まれたわけだけれど、いくらくだらない過程からでも、実際に生まれてしまったものは仕方がない。何ならぼくはけいおん!を一話たりとも見たことがないけれど、気付いたらアグナコトルのことをアグニャンと呼んでいた。
 ともかく、本題はそんなアグニャンの弱点部位についてである。ぼくは「今さらそんなこと聞く?」と呆れながら言った。
「頭か、でなければ胸」
 この時点で、アグニャンという響きとその元ネタから、二次元の女子高生を一人ピンポイントに連想してしまったぼくは、「女子高生+弱点は胸」ということで下ネタを思い描いたけれど、それはまだ口に出さなかった。あまりにもしょうもなさすぎると思ったからである。
「よし、じゃあ胸狙うわ」
 という友達の発言に一人ちょっと笑いそうになったけれど、くだらなさすぎるので我慢した。
 「じゃあ」という言い回しに面白さを感じたのはぼくだけだ。合理的に考えて、ネッシー体型であるアグニャンの頭(つまり高い位置にある小さな的)を狙うより、的が大きく手の届きやすい低い位置にある胸を狙う方が楽だというだけのことだった。
 さて、そしてその日友達が装備していた武器は、ランス……つまり槍だった。彼はチクチクと槍でアグニャンの胸を突っつく。弱点の胸を執拗に、チクチク、チクチクと突き回す……。
 そしてある時彼が言い放った。
「あ、胸が固くなった!」
 ぼくはついに笑ってしまった。ぼくも彼と協力して狩りを遂行する身、アグナコトルの胸まで覆うマグマの鎧が、冷えて硬化するのを眼前で見ていたけれど、一連の言い回しに笑ってしまったのだ。
 だが、今回に限っては「何が面白いんだ……?」という顔で友達が黙っていたので、ぼくもすぐに黙ることにした。下品な以心伝心はこの日そこになかったのである。
 事実彼は「え、なんで笑ってんの?」と聞いてきたが、ぼくは「なんでもない、なんでもない」と沈黙を貫いた。そういった知識についてはひけらかさないことが、賢い男の振る舞いというものなのである。





 ……書いてみて思ったけれど、アグナコトルの話は、これはわりとセクハラの部類に入ってしまいそうだ。セクハラと下ネタの区別は、いじめとイジりの区別のように一見明白なように見えて、実は複雑で曖昧でデリケートで、難しいものなのかもしれない。
 そうなると、言うなればこの下ネタはセンサーの第二段階である。シュルクの話を突破した人にアグナコトルの話を投げつけ、その人のボーダーラインを探っていくのだ。ドッキリ番組が広く受け入れられているように、笑いのために多少の倫理観を蹴ることは、人によっては「セーフ」の判定になる。
 ただ往々にして下ネタというのは一度「アウト」の判定をもらった時点で、話し手が心のブラックリスト入りさせられてしまうような危険もあるで、そのあたりには気をつけていきたい。
 つまるところぼくは下ネタが好きで、今回の作文は、日常から抜き出した傑作選を披露したいだけなのである。
 ぼくが莫大な財産や権力を持ち、まわりの人間がみんなぼくの顔色をうかがい下ネタを笑って聞くようになったら、ぼくは下ネタとセクハラの区別についてなんか、ものの一瞬で興味を失うだろう。……逆に言えば、ぼくは一生そのテーマに興味を持ち続けざるを得ないということだけれど。
 そういうわけで欲望のままに、次のエピソードを挙げようと思う。作文タイトルから察せられる通り、今回はこれが最後のエピソードだ。





 ヅダという名前のモビルスーツガンダムに登場する。ヅダとは、あの有名なザクと量産機の座を賭けて争った、そしてお察しの通りその争いに敗北した、悲しい機体の名前である。
 悲しいとは言っても、ヅダが量産機になれなかった一番大きな理由は、いざお披露目という場面(つまりお偉いさんたちが見ている初舞台)で、空中分解に陥り爆散してしまったことにある。ヅダは加速のパワー、機動力を重視して作られた機体なのだけれど、重視しすぎたスピードに機体が耐えられず爆発してしまったのだ。その結果量産機の座を逃したのだから、その一連の流れは一言で言って、自爆である。
 そんな悲しみの機体ヅダは「量産機になれなかった機体」として有名だけれど、ある時期のぼくは自分のツイッターのアイコンを、そのヅダにしていたことがあった。
 なぜかといえば、それはぼくが無職だから。大学生、新入社員、あるいはバイトの一人。高校卒業後その類の物のどれにもなれなかったぼくは、量産機になれなかった存在であり、またその理由は「自爆」でしかないと思ったことを、茶化した結果のヅダアイコンだった。
 理想や欲望だけが高まって空中分解していく……とか、何かそれっぽいことを言っていた時期もあったけれど、長々と自分という「人間」のアイコンとしてのヅダを見ていると、ある日ぼくは、擬人化を思いついてしまった。
 刀剣乱舞というゲームがある。あれは刀が美形の男に擬人化されたゲームだ。人を切り殺すための、ある種兵器的な物体が、現代となってはイケメンにだって変身出来てしまうわけだ。
 同じく、艦隊これくしょんというゲームもある。艦隊という兵器が美少女に擬人化されるゲームだ。そうつまり、兵器であるモビルスーツが、モビルスーツであるヅダが、擬人化されてはいけない道理など、平成のどこにもないのである。
 ヅダを擬人化するなら、量産機になれなかった機体を擬人化するなら、社会のレールから脱線してしまった、ひねくれた性格のキャラクターになるはずだ。現実はともかく、二次元ならそういったキャラも許される風潮にある気がする。
 要するにぼくがイケメン化と二次元化(あと声もかっこよくなる)を経た姿があるとすれば、それがヅダの擬人化ということになるのではないか? ある時そんな妄想が浮かんだのである。
 ……が、そういうことを考え始めると、ちょっと引っかかることがあった。そういうことというのはつまり、ヅダが人であり男であると想定した場合のことである。
 ヅダはただ速いだけの機体ではない。速さは大きなセールスポイントに違いないけれど、ヅダにはそれ以外にも長所がある。その一つが大型対艦ライフルだ。かの有名なザクはマシンガンやバズーカを装備することが主だけれど、ヅダはその気になれば、巨大な戦艦をも落とすことが出来る巨大ライフルを装備することが出来るのだ。
 その名も135mm対艦ライフル。それがヅダの代表的な武器であるわけだが……。
 だからつまり、ここで生じる問題は、ヅダが男であると、オスであると仮定する場合、「135mm対艦ライフル」は下ネタになるんじゃないか? ということである。
 いや、「である」じゃねーよと思うかもしれないけれど、冷静に考えてみてほしい。もしも本当にガンダムシリーズを題材とした擬人化ゲームが登場して、ヅダはひねくれた引きこもりのなよなよしたイケメンとなって、そして人気男性声優が惚れ惚れするほど魅惑的な声で言うのだ。
「ぼくの自慢の対艦ライフル」
 とか、言うのだ。仮にその時の立ち絵で、そのキャラが実際に大きなライフルを担いでたとしても、一部で下ネタとして茶化される未来がぼくには見える。オタクたちはそれを見逃さない。
 しかも面白いことに、対艦ライフルを下ネタだとすると、135mm(13.5cm)は別に自慢するほどの物じゃないって話になってくる。下ネタだということにした方が、話が面白い方向へ行くのだ。ぼくという男性がヅダをアイコンにすることについて、何だか別の意味が生まれてくるかのような気さえしてくる。
 そうして考え方を完全に下ネタにシフトすると、もう一つ別な意味に聞こえてしまう物がある。それはあるゲームで使用機体にヅダを選んだ時の、発進時にパイロットが言うセリフだった。
「ついて来れるか? ヅダは早いぞ」
 もちろんこれは「ヅダこそ量産機にふさわしい」と信じるヅダ信者のパイロットが、機体の機動力を自負して放つセリフである。けれども擬人化の視点から135mm対艦ライフルが下ネタだと考えれば、「ヅダは早い」というフレーズも違った意味に聞こえてくる。それで「ついて来れるか?」はさすがに笑ってしまう。
 総じてヅダの下ネタは、自慢にならないことを自慢しているキャラとして、あくまでぼくの中では定着してしまったのであった。上手く出来ているなと思ったのは、実際のヅダも速さを自慢して、その速さが原因で爆散し身を滅ぼしたのだから、自慢にならないことを自慢するというのは、原作的にもあながち間違っていないのだなぁ、ということである。
 そういったことに気付いてしまったので、ぼくはヅダをアイコンにすることをやめた。





 ……以上、日常の中で見つけた、印象に残った下ネタ傑作選、これにて終了となる。
 振り返ってみればどの話も、元ネタを知っている方が楽しめる物だったように思える。スマブラシュルクを、モンハンのアグナコトルを、ガンダムのヅダを、知っている人こそ最大限に楽しめる内容だったように思う。……もちろん下ネタが苦手ではない前提で。
 知っていることと知らないことの差はとてつもなく大きい。下ネタとセクハラの区別をする際問題になるのが、この「知っているのか?」ということを揺さぶれてしまうところにあるとぼくは思う。
 下ネタは大抵、隠語の笑いだ。多少賢く文章の読める小学生が今回のような話を聞いたところで、つまり何のことを話しているのかということには、気付けないのではないかと思う。固くなるって何のことだろう? という具合に。
 逆を言えば我々は、下ネタを使うことによって、相手がどの程度隠語への知識を持っているのか、それを揺さぶれてしまうことになる。するとそれはセクハラだろう。しかし直接的な言葉を使うと、下ネタの面白さは大きく損なわれることになる。
 だから言った通り、下ネタというのはドッキリに似ている。大きな笑いのため、倫理観の欠如を多少黙認する。そういった類の笑いなのである。取り扱いには注意が必要だ。そしてその心構えや技術が、たぶんぼくには足りない。
 男に生まれたばっかりに、女性の気持ちというのが、ぼくにはどうしてもわからない。「オナニー週に何回くらいするの?」といったような発言をくらったことはぼくもあるけれど、それを聞いて「こういうやつらが、下ネタを自称するからダメなんだ」という憎しみは抱いたけれど、そんな程度のことでは、「下ネタは嫌いだ」と主張する女性の気持ちは、これっぽっちも分かっていないはずである。
 けれどぼくは下ネタが好きだ。ぼくがある層の女性あるいは男性を理解できないように、その人たちだって、ぼくのことは理解できないだろう。大切なのはお互い主張を止めず、しかしきっちり距離は取ることだ。それ以上言えることはない。
 さて、話は変わるけれど、ぼくは以前友人(女性)に、今回挙げた三話をLINEで披露したことがある。
 それはおそらく、一般的にはかなりの奇行だ。一般的な価値観が、その様をあるいはスパム、あるいは馬鹿、あるいは狂人だと思うかもしれない。しかしぼくは、それで相手から「面白い」と高評価を得た。向こうもそれなりクレイジーなのかもしれないが、だとすればクレイジーな人間というのは、経験上思っているよりずっと多くこの世に存在している。宝くじの当たりより遥かに多い。
 しかしその時、高評価を得た上で「その話は俗に言う下ネタではない」……との感想ももらった。俗に言う下ネタでなければ何なのかというと、たぶん小話とかそういう物だろう。要するに長すぎて、無駄に完成されている。
 その昔、ぼくが中学生だった頃、ハイカーストの男子集団が教室の隅で「AVでブラの上から胸揉んでるの見たんだけど、あれエロくね?」「わかる」みたいな話をしていた。たぶんあれが正しく、俗に言う下ネタってやつなのだと思う。ぼくからすればあれは感想会であって、笑いやそれに近い面白さを生む「ネタ」にはならないと思うのだけれど。
 それを踏まえて、だからぼくは考えた。非常に当たり障りのない回答を考えた。笑いのための下ネタを愛する者として、ぼくは正直、下ネタ全般を毛嫌いするような人とはやっていける気がしない。その手の人たちにとっても、むしろ向こうからぼくという存在を願い下げにするだろう。何せ「聞いて聞いて」と、三話も披露してくるのだから。
 だから人生で一度は問われるあの質問に、人生で何度も問われるあの質問に、ぼくは完璧な回答を用意したのである。

「どんな異性がタイプですか?」
「よく笑う人が好きです」

 この回答に苦言を呈されたことは、まだない。

冷たい太陽

※本作文は下品な内容を多量含みます。下ネタが苦手、性欲という概念を忌み嫌っている、という方はブラウザバックしてください。今に始まった警告でもないことについては、ごめんなさい。





 はて、かぐや姫が男どもに課した「無理難題の三品」はなんだったか? これが思い出せなかったぼくは、ある例え話に必要だった「この世に存在しない物、三点セット」を自分で考えた。
 地中に生える檸檬の木、エラ呼吸を習得した人類、冷たい太陽。……その三つが、ぼくの考えた「無理難題」である。このうち二つは、最近触れたゲームや創作などから影響を受けている。
 エラ呼吸を習得した人類は、ラヴクラフト著「インスマウスの影」に登場する「深きものども」から。それは平たく言うと(あまりにも平たく言うと)半魚人のことであるが、ぼくはその小説インスマウスの影を、ほとんどネットでググればわかる程度のことでしか知らない。つまり実際に読んだことがない。が、それを責めるのなら、無料の青空文庫でいいから、ラヴクラフトの小説を何か一つ読んでみてほしい。その上でまだぼくを責められるならその人は立派だけれど、同時に客観性に欠けている。
 冷たい太陽は、フロム・ソフトウェア系列のPS4ソフト「Bloodborne」に登場する「赤い月」と「青ざめた血」から。つまり「異質な月→異質な太陽」と「寒色」を合わせて、冷たい太陽である。
 ラヴクラフトは創作の設定として「クトゥルフ神話」という概念を作った人であり、ブラッドボーンはクトゥルフ神話の影響を色濃く受けたゲームである。なので、ぼくの考えた上記二つは似たようなところから発想した単語ということになるが、残る一つ、地中に生える檸檬の木だけは、また別のところから来ている。
 クトゥルフ神話は架空の神話だけれども、残る一つはアダムとイブの、禁断の果実から取っている。つまり初めは「禁断の果実としての林檎」を無理難題の例にしようとしたのだけれど、どうもそのままでは芸がないように思えたので、木を地中に埋め、安直さを避け果実の種類も変えた。地中に生えて地中で果実を実らせる樹木は、よく知らないけど、たぶんまだこの世に存在しないのではないか?
 ともかく、そのようにして三つの無理難題が生まれた。全ては例え話のためである。ある例え話をするために、それを思い立ってからしばらく間を置いて、この三つは考え出された。しばらく間を置かなければ、そんな例えは思い浮かばなかったのである。
 例え話をしよう……と、そもそもそう思い立ったのは、友達が「リングフィットアドベンチャー」というゲームで遊ぶために、ぼくの家へ遊びに来た時のことだった。……友達というのは、女性だった。そして彼女が来る時ぼくの家には、ぼく一人しかいないのだった。





 自宅にないゲーム、自力だとすぐには手に入れられないゲームを求めて、友達の家へ遊びに行く。そういったことは子どもの頃多くの人が体験したことだと思うけれど、成人後になるとなかなかそんなことをする機会もないのではなかろうか。
 要するにぼくは、世の邪な思惑を持つ男どもが使う「ウチ猫飼ってるんだけどさ、見に来ない?」と意中の女性を家に誘い込むやり口を、猫のかわりにゲームで行った形になる。とはいえぼくに「あわよくば」という気持ちがあったとしても、それは猫で女を釣る男たちに比べればずいぶん薄い方だと思うけれど。
 というのも、以前にも作文で載せている(記事タイトル「Z指定が、魂の力を表現するマシンなら……」を参照)が、ぼくは自分の性欲の正体がわからない。だから「一晩自由にできる女性」と「指一本触れられないが、頻繁に会える気のおけない女友達」なら後者を選ぶ。前者を選んでもぼくはおそらく幸せになれないから、だったら友達と遊んでいた方が楽しいというものだ。
 それで実際、特に何も悪いことはしないまま、リングフィットを名目にした遊びは週に一度のペースで、無事に数度すでに行われていた。多少物理的な距離が近かったことはあったかもしれないが、外国のハグの文化などを考えれば、世の邪な男たちが企み実行するような「悪行」にはカウントされない、全然セーフの範囲にあることだったように思う。
 事件が起こったのは、リングフィットで遊ぶのが何度目かを数えるのもやめようかと思っていた頃のことだった。三度目か、四度目か、彼女がウチへ遊びに来た時のことだ。
 リングを握りしめ運動する彼女は、慣れによって運動量が増したのか、今まで何度か予感させることは言っていたものの、ついにそれを実行しようとしたのだ。

「暑いから脱いでいい?」

 脱ぎたいくらい暑いと口にすることは今までにもあったけれど、一向にそれを実行しないあたり、彼女も一線を引いているのだと思っていた。が、それはどうも勘違いだったのか、あるいはその引かれた一線はすでにかき消されていた。
 まぁまさか自分の友人がおもむろに裸体をさらけ出す狂人とも思わなかったので、どうせ「脱ぐ」という言葉に踊らされる男を嘲笑う結果が待っているのだろうと高をくくり、脱ぎたいなら脱げばいい、という旨の返事をしたように記憶している。
 その際こんな会話があった。

「インナー着てるから!」
「そりゃそうでしょうねw だとしたら逆に、ぼくに許可を取る意味もないのでは……?」
「ハレンチかもしれないじゃん」
「えっ、ハレンチなインナーを着ていらっしゃるんですか……?」
「着てないwww」
「着て来られても困るwww」

 という平和な会話を経て、彼女は実際に上着を脱いだ。そして「ハレンチではないインナー」とやらをぼくは見た。もしかすると、その類のものを目の前で見るのは初めてだったかもしれない。
 見た瞬間、ぼくは思った。破廉恥かどうかはともかく、エッチじゃないインナーなんてこの世に存在するのか……? と。しょうもない言い回しになるけれど、いわゆる「刺激的」というのはああいうことを言うのではないか……?
 それでもぼくは主観的には、気にも留めていないような平静を装っていたつもりである。元々真顔でエロ漫画を読むような男だ、エロの対象が目の前のリアルになろうと、変わらず平静を装っていたはず。が、しかし、それが上手くいっていたかどうかは定かじゃない。
 高校の頃、文化祭準備の騒ぎに紛れて、何があったのか駄々っ子のように床を転げ回っている女子がいた。それも制服のスカートのままで、である。自分が通りすがりならスルーすればいいだけだが、それが起こった場は教室であり、ぼくも教室内でがっつり席に着いていた。脱出という手はなかったのである。
 だから、当然というかなんというか、ぼくはそっぽを向いた。その光景から目を逸らした。哀れにも当時スマホを買い与えられていなかったぼくにとって、何も見てません興味を示してません……ということを表現するには、そっぽを向くしかなかったのである。
 後に、多少話す程度に仲の良い女子から「氷菓くん、めっちゃ目逸らしてたねw」と言われることになった。そりゃそうするだろ、それで正解だろ、と反論することが、どうしてあんなにむなしかったのだろうか……。
 ……だからつまり、それと同じことが起こっていた可能性はある。リングフィットをプレイしながら我が友人は、「氷菓くんめっちゃ目逸らし始めて草w」くらいには思っていたかもしれない。草に草を生やすな。
 しかしこれは、駄々っ子スカートの時とはちょっと状況が違う。ぼくは「脱ぎたければ脱げばいい」と言ったのだ。言っておいてその様では、そりゃ笑われもするだろう。けれどぼくは知らなかっただけだ。知らなかったことが恥だというなら仕方がないが、でも、彼女は、ハレンチじゃないって言ったのに!
 つまり彼女は、自身のそれが男性から「そういう目」で見られるものだとは、まさかとは思うが夢にも思っていないのではないか? そう考えると、それはそれで危険だ。その認識のズレが、今日はともかく、今後いつぼくに道を踏み外させるかわかったものではないし、ぼくよりもっとわかりやすい性欲を持った男が相手ならなおさらじゃないか? と、キモオタの余計なお世話エンジンがかかり始める。
 ともかくそういう考えで、ぼくは言ってやろうと思ったのだ。今わかった、見てわかった、女性のインナー姿ってのは全部エロいんだよ! と。そこで例え話が必要になったのだ。「エロくないインナー」というのが世の男から見えている世界の中に、如何に実在しない物なのかということを。
 だから、エロくないインナーとは、冷たい太陽である。それはおそらくこの世に存在しないのだ。





 ……というネタが思い浮かんだ時、これは面白いアイデアが降ってきたと確信した。冷たい太陽という意味ありげなタイトルから始まる、クソみたいに品性の欠けた男の悪い部分欲張りセットなトーク。この思わせぶりな落差がいい。これはかなり出来のいい物だと思った。
 何せ「冷たい太陽」というフレーズの生まれた経緯は説明した通りなので、そこにまったくそんな意図はなかったのだけれど、話が終わってみれば内容的にまるで「話の内容はともかく、誓って悪いことはしていません」という意味で「イケナイ太陽」からタイトルを引っ張ってきたみたいになっているじゃないか。これは奇跡の出来だと思った。
 けれども、まただ。また、これを面白いと思っているのは自分だけで、その他大勢は冷ややかに見ているのではないかという気がする。ぼくがその他大勢を気にするなんて、普段の行いからして全く意味のないことなのに。
 しかしどうしてもそれが気になってしまうのだ。地中に生える檸檬の木、エラ呼吸を習得した人類、冷たい太陽。その次に並ぶものがエロくないインナーなら、さらに続いてそこに並ぶものは、面白くも下品な性欲トークなんじゃないだろうか。それら全て、おそらくこの世に存在しない物なんじゃないだろうか。
 檸檬の木は地上に生えて、人類は肺呼吸しか出来ず、太陽は熱く、インナーはエロく、下品な性欲トークはつまらない! それがこの世の真実だとしたら、ぼくはやっぱりその逆の世界に行きたい。木が地中に生え、人間の定義が揺れ始め、冷たい太陽が発見され、インナーからエロさが失われたとしても。それでもぼくは、ぼくの下品な笑い話を、笑って聞いてくれる人がいる世界がいい。
 そう思うことがそんなに贅沢なことなのだろうか……? とはいえ、どこかの機関が出した研究成果いわく、「女性と気持ちよく話している男性の脳では、セックス時と近しい量の快楽物質が分泌されている」という話があるらしい。まぁ実によく言ったものだと思う。それが正解だとぼくも思うよ。


※この作文は、登場人物である「リングフィットやりに来る友達(女子)」より公開の許可を得ています。

チョコとクッキーとかわいいとホワイトデーとぼく

 約一か月前、コロナウイルスなんか完全に他人事だった頃。

「バレンタインチョコが欲しいンゴおおおおおお!!」

 と、ぼくは非常に図々しい要求を友達(女子)にぶつけていた。その動機についてだけど、バレンタインにチョコをもらったという実績が欲しかったわけじゃない。なんというか、頼めばくれそうだったから、頼んでみた。実際チョコはもらえた。おいしかった。けれど「頼めばくれそうだったから」という動機には、良い印象を受けない人も世の中にそれなりの数いることと思う。

 自分に無害なことで、なおかつ出来そうなことなら、とりあえずやってみる。そういうスタンスに対する賛否には、今あまり興味がない。ともかくぼくは頼めそうだから頼み、友達からチョコをもらった。そのチョコは、ムーミンシリーズのキャラクターが描かれた缶に入っていた。彼女がその缶のデザインをとても気に入っていたようなので、チョコを食べたあと、ムーミン缶は彼女に渡すことにした。

 ちょうど同じ時期に彼女から音楽CDを借りていたので、その缶の返却がCDのお礼だということにもしておいた。思いついたので、そういうことにしておいた。自分に無害なことで、なおかつ出来そうなことなら、とりあえずやってみるのだ。

 ……そして時は進んであっという間に一か月後。ホワイトデーを間近に控えた金曜日。お返しの品を見繕うべく、ぼくは近場の大きな駅に向かうのだった。大きな駅とその周辺には、金で買える物の全てがあると信じて。

 さて、そんなぼくが事前に、ムーミンKing Gnu好きな彼女から聞き出した情報は以下の通りである。

 

・チョコとクッキーが好き。どちらかといえばクッキーが好き。

じゃがりこはもっと好き。

・高い物はいらない。

・外の箱や缶がかわいい物が好ましい。

 

 このうち、最後の一つはつい最近(ホワイトデーにとても近い日付)に判明した情報である。彼女がツイッターで「男子諸君、ホワイトデーで背伸びするくらいなら、こういうかわいい物を買いたまえ(写真付き)」という内容をリツイートしていて、それがぼくのTLにも表示されたのだ。かわいい物というのはつまり、あの時見たムーミン缶と同じか似ているような雰囲気の、箱や缶に入ったチョコやクッキーのことだった。

 ……かつて、そのリツイートを見るまでのぼくには、完璧な計画があった。彼女はぼくが重度の金の亡者、守銭奴であることを知っているので、その上で言い放たれた「高い物はいらない。むしろじゃがりこを寄越せ」はあまり信用できない。気を遣っているか、とっくにぼくへ期待することを諦めているか、どちらかである可能性が無視できない程度にはあって、そこへ「あ、そう? じゃあ、じゃがりこで」と乗っかってしまっては、ぼくは今までと何も変われないのである。

 というのも、そう思う理由を語るなら、時はぼくが高校生だった頃にまで遡る。当時のぼくには恋人がいた。三人称ではなく、恋人の意味で「彼女」がいた。その彼女は、「誕生日に何がほしい?」と尋ねたぼくに対して、「安いシャーペンでいい。ただしおそろいで」と答えたのだった。

 そしてぼくは、本当に安いシャーペンを買った。百円の物を二つ。安物の中でとはいえデザインに迷うということさえなく、かなりの即決でそれを買った。なんとなく「この事実を知ったら、「うわぁ……」と思う人が世の中結構な数いるだろうな」と、当時のぼくでさえ気付いていたけれど、金の亡者にとって「その結構な数の中に、彼女もいるかもしれない」という可能性は、「それならそれで仕方ない」という程度の物だった。

 結局その彼女とは高校を卒業するよりも遥かに早く別れてしまった。誕生日の件が理由で……というわけではないだろうけれど、誕生日の件「も」理由でということならあるかもしれないし、上記のような考え方をすること自体が別れるに至った理由なのかもしれない。他にも心当たりは数えきれないほどあるけれど、とにかく事実としてそのような流れがあった。

 ……という過去を、今年のホワイトデーで少しでも振り切ろうというわけだ。今のぼくはあの頃より金を持っている。いくら「他人が金を使う様を見ること」さえ良く思わないほど重症な金の亡者でも、懐に余裕があれば背伸びくらいはできる。今度は、今度こそちゃんとした物を買ってやるんだ。それで「やれば出来る」ことを証明して、あの時とは違うことを証明して、それ以降はまた「やらないことを選択した」と、背伸びしない状態のリラックスした金の亡者に戻ればいいだけの話なのだ。だから、自分に無害なことで、なおかつ出来そうなことなら、とりあえずやってみる。

 とはいえ、ぼくのようなタイプの人間が、正しく人の心を読み取れるわけがないことも知っている。彼女の言う「高い物はいらない」「じゃがりこをくれ」が嘘だと断言することも出来ないわけだ。もしも彼女が本気で「じゃがりこをくれ……!」と思っていたら、ぼくの個人的な背伸びチャレンジに巻き込まれる方はたまったものじゃない。そんな風にも考えた。

 だから、つまり完璧な計画というのは、それなりの物を買いつつじゃがりこも買うことだ。二刀流、全部盛り、それが正解。そもそも高い物と言ったって、金の亡者は背伸びしたところで金の亡者、そんなとんでもない値段の物を買うわけではなく、まともな物を買うだけだ。そこへ約百円にてコンビニで買える、ご所望のお菓子を付け加えるだけのこと。なんて簡単なこと! どうだ完璧だろう!

 ……と、「かわいい物」というキーワードが足されるまでは確信していた。そしてそのキーワードで全てが崩壊した。なぜならぼくは非生物へ対する「かわいい」がほとんど分からない。女性や動物への「かわいい」はわかるけれど、デザインとしてのかわいいには鈍感だ。

 そんなぼくに「かわいい物」を求めるのは、それは例えるなら一般女性に向かって「かっこいいガンプラ買ってきて」と言うようなものだ。わからんもんは、わからん。どうにか理解しようと思うことさえできないほどに、ちんぷんかんぷんだ。……けれど言われてみれば謎ではある。例えば女性が女性らしい服を着ていればかわいいのに、なぜその服単体ではぼくは「かわいい」を認識できないのか? これは一日二日で答えが見える謎じゃない。「かわいい」は難解極まる。

 しかし一応ヒントはある。要するにあのムーミンは「正解」だったわけだから、それに似ている雰囲気の物を買えばいいということになる。さっきのプラモの例え話で言うなら、「少なくとも名前に「ガンダム」の文字が入る物」というくらいのヒントは得ているわけで、これでガンダム系を望む相手に量産機を渡すようなことはなくなる。

 ……が、その程度の進歩では「あなたの運命の人は国内にいます」ということが判明したくらい途方もなくて、結局具体的に「正解」の品を見つけ手に取ることには至れない。こうしてホワイトデーは途端に名状しがたきかわいいの怪物と化して、ぼくに「また正解を選べなかったね」と囁きたがっているようになったわけだ。

 実際、いざ買いに出てみれば、やはりぼくにも分かる「かわいい」は、ぼくでも見つけられる範囲には見当たらなかった。かわいいって何……? かわいいって何……? 人間や動物に対しての「かわいい」ならまだいくらか理解できるけれど、デザイン的なかわいいは、やっぱりまったく分からない。

 ホワイトデー、ホワイトデー、と四方の店員の口から聞こえてくるゾーンに入って数分、ぼくはまずチョコとクッキー、そのどちらもが入ったセット商品を見つけた。本来の完璧な計画通りなら「お、いいじゃん。これ買おう」と即決して、シャーペンの時と同じくらいの即決をして、店内滞在時間が五分以下になるところだった。

 しかし「かわいい」の登場により計画は半壊しており、おそらく目の前のそれを買って帰り渡せば「ははーん、こいつ何も考えず五分で選んだな?」ということが向こうにバレる。バレンタインにチョコをくれた彼女(三人称)とは付き合いも長く、また人の心の機微に敏感な方である彼女なら、その程度にはこちらのことを読んできそうなものだ。普段なら読まれたって痛くもかゆくもないし、むしろ五分で決められる即決力を褒めてほしいと思うくらいだけれど、過去を振り切ることが目的の一つである今回ばかりは別である。彼女の内心に「ははーん」から始まる言葉を生み出させてはならない。

 そう思ってぼくは、ホワイトデー特集と化した売り場をふらふらと徘徊した。しかし、何が良くて何が悪いのか、見れば見るほどわからなくなる。直感的に「お、あれはおいしそう」と自分で思うことはあっても、彼女がそう思うのはどれだろうかと考えると、全てのお菓子がマネキンのような見分けのつかない物に見えてしまう。

 近い位置で別の場所にある、よく似た贈り物系お菓子売り場にも足を伸ばしてみたけれど、なおさら自分には贈り物の良し悪しを見る目がないことを思い知るばかりだった。途中でお菓子・スイーツ系コーナーのお隣にお酒売り場が見えて、わーおいしそうなワインと思ったけれど、1500円という値段を確認するなり何の未練もなくすがすがしい気持ちで立ち去れたあたり、金の亡者が今日も元気に心で巣食っていることを実感する。

 そうしてさまよった結果、最終的にとりあえず理解したことは、チョコとクッキーがどちらも合わさった品というのは、なんと最初に見つけたブースにしかなかったということだった。もちろんセットになってる商品を買わなくたって、別々にチョコとクッキー両方を購入して渡せばいいだけの話なのだけれど、しかし商品としてセットになっている物が売られているのは一つだけだと言われると、何やら運命を感じてしまう。

 それなりに見て回ったのだし、運命を感じたという理由も付属してきたし、もうこれで許してもらっていいんじゃないだろうか? そうだそういうことにしよう。女性にとってのガンプラの山みたいな場所を散策することでげっそり疲れたぼくは、自分にそう言い聞かせて最初の店を目指し引き返す。自分に言い聞かせるというのは大事だ、何せ過去を振り切るという話は、自分の内面だけの話でしかなくて、それを達成したところであの頃の恋人が帰ってくるわけではないのだから。過去を振り切る話は、自分の内面だけが全てだ。

 と、その道中。今までふらふらと徘徊してきた道を引き返していた最中。声がした。

「こちらお試しいかがですか?」

 どうして陰キャというのは、「呼ばれる」ということに対して過剰に敏感なのだろう。あるいはどうして金の亡者というのは、「お試し」という言葉にこういう時だけ敏感なのだろう。ぼくはそれが自分に対する声だったような気がして、そちらを振り向いてしまった。

 ショーケース兼レジを隔てた内側で、美人のお姉さんがこちらを見つつ立っていた。ぼくよりも背が高い人だった。彼女は目が合うと「ちょっと待ってくださいね」と言って、かなり小さい飴玉のような物が入った袋を開けようとする。

 見るとそのブースでは、旗のような物が設置され「肝油ドロップ」と書かれていた。「あ、この字はかわいくない」というのは、さすがのぼくにもわかったことだった。

「グミのような感じなので、噛んでお召し上がりください」

 そう言われ受け取った小粒な飴らしき物を噛んでみると、たしかにグミのような食感で味も気に入った。そのまま「おいしい」と言うと、ノータイムで「ありがとうございます」とお姉さんの返事があって、そのあたりでちょっとやばいなと思った。

 こんな状況でなければ「わぁい美人のお姉さん。ぼく美人のお姉さんだーいすき(お姉さんは大抵美人だけど)」とか思っていたかもしれないけれど、それどころではない圧を、身長差によるところではない「セールスの圧」を、肝油ドロップをもぐもぐしながらぼくは確かに感じていた。

 相手がどんな絶世の美女であろうと、金の亡者にセールスは困る。どんな美女に誘われても興味ないゲームはやらないし、どんな美女に勧められても興味ない漫画アニメ映画ドラマは見ないと豪語するぼくは、もうこの時点で店員がお姉さんだろうがおっさんだろうが関係なくなっていた。一刻も早く、一円も払わず、逃げ出したい。

 しかしそこでちょっと思い直す。たぶん圧に負けて思い直す。肝油ドロップとやらは、何やら得体の知れないその名前の響きから来る雰囲気と違い、かなり万人受けしそうな普通においしい代物だった。家にあったら普通に嬉しい物だ。そしてこれを親に食べさせれば、きっと「変わった物だと思ったら美味かった」と印象に残るはず。そうすればいつか、今度は親の金で肝油ドロップにありつける日が来るかもしれない。ホワイトデーとは別に(名前がかわいくないので断固として別である)、お土産としてこれを買うのはそういう意味で一石二鳥、選択肢として「あり」なんじゃないか……!?

 そう思ってお値段を見ると、一番安いセット(三缶入り)でも5000円くらいした。……はぁ? と、ちょっとわけがわからなかった。

 まずぼくは財布に5000円までしか金を入れない。なぜかというと、「ある程度高くてもDLC込みの完全版を買う」と意気込んでゲームソフトを買いに出た時、その意気込みとは裏腹に財布の中には、金の亡者との葛藤を思わせる約5000円だけが入っていたからである。それが今のぼくの限界なのだと悟った。ゲームは高かったのでDLC無しの廉価版を買った。

 結局ぼくは目を泳がせながら、おそらくタクシーの無線みたいに聞き取りにくい声で、

「あー、あーその、ちょっとまたいろいろ回ってきてから来ます」

 と社会性に富んだ方便コミュニケーションを用いて、その場から脱出することとなった。「金が無いんすわ」という、相手を黙らせる暴力的な言葉を使わなかったあたり、自分の社会性の成長を感じる。

 しかし、綺麗な作り物の笑顔で「はい、ぜひまた!」と快く送り出してくれたお姉さんが怖かった。裏で殺しの稼業をやっていても驚かない程度には手慣れたプロのオーラを感じた。あるいは彼女は、自分がそれなり美形だとわかっていて接客業を選んだのだろうか。何にせよ恐ろしいのでもう関わりたくない。

 そうして命からがら最初の店に帰ってきて、例の品をいざ買うぞという段になると「あれ、これ本当にチョコとクッキーだよな……? なんかチョコと小さいケーキ類(パウンドケーキとか)のセット売りを今日異様に多く見たけど、これはクッキーだよな……?」と、限りなく臆病に近い慎重を発揮することになり、その隙にまたしてもそこの店員さんに話しかけられた。

 いわくブランド的に味は保証されている(なんとかホテルって書いてた)だとか、こういう出張販売のようなことをするのは珍しいから貴重だとか、チョコはあれが何味でこれが何味でクッキーはあれが……という味の紹介だとか、とにかくいろいろな情報をもらった。

 ぼくはもう、その親切な情報で、完全に心が折れた。そうだよな、そうだよな……、味が保証されているって素晴らしいよな、味って大事だよな。そうなんだ、貴重なんだ、おいしいんだ、あ、紹介してもらった中に、桃味があったなぁ、彼女、桃が好きなんだよ、話を聞く限り素敵なところがたくさんだ、適当に選んだわけじゃなくて、やっぱりこの商品が一番なんじゃないかな? 

 …………で、かわいいって一体なに? 店員さんは「かわいい」をセールスポイントにした内容は一言も口走らず、ぼくから見てもたぶん、残念ながらその商品は、あのムーミンの缶からは遠いところに属するデザインのように感じた。

 けど、もういいや。これにしよう。それで「かわいい」については、あの内容をリツイートした彼女本人と、改めて一緒に買いに行くことにしよう。今日のぼくは十分頑張った。それでももし、結果が出ない努力は徒労と呼ぶのが正しいなら、もう来年からはバレンタインにチョコをもらうのをやめよう。ホワイトデーは、ぼくには荷が重い。それとも、開き直って、またシャーペンでも渡すか?

 じゃがりこは選ぶのに時間がかかる物でも急ぐものでもないし、チョコ&クッキーを渡す当日適当なところで買おう。元々そのように決めていたので、時間にすれば短い……二十分程度の激闘の末、ぼくは真っすぐ帰路につく。買った商品を財布と同じくリュックサックに放り込もうとすると、サイズ的に入るかどうか微妙だったので、せっかく紙製手提げも付けてもらったことだしそのまま持って帰ることにした。

 帰り道には「男性諸君は背伸びするくらいなら……」というあのツイートを思い出す。…………背伸びだと? 背伸びだとっ? ぼくだってなぁ……! と、自分でも「背伸び」だと自覚していたはずなのに、悲しくなるのはどうしてだろう。

 あのシャーペンはまだ、現役の筆記用具としてリュックの中の筆箱に入っている。

 

かじりつくようにこちらを見ている。

※今回の記事はジョークとなります。





 どうして架空の世界では男も女も美形ばかりなんだろう? アニメや漫画を見ているとしょっちゅうそんなことを思わせられる。もちろん例外も山ほどあるけれど、そもそも現実では、少なくとも一般人にとっては例外なんかなく、美形には及ばない人がそこらへんにゴロゴロ転がっている。
 架空の世界では、何かの拍子に美形だけの世界が垣間見得る。現実の芸能界などと違って、美形しかいない世界を狙って人を集めたというわけでもないのに。勝手に、美形ばかりの世界が形成されていることが、当然が如くままあるのだ……!
 これはおかしい、おかしいのです。何の理由もなく、普通にしていれば、人の容姿には優劣がつくはずが、架空の世界は、何かがおかしい、おかしいからには、おかしくなった理由があるのです。そしてぼくは今日、その理由が何であるかに、気付いてしまいました。気付きです、大切なのは。気付きなんです。





 我々はそもそもの勘違いをしています。現実の世界に生き、架空の世界を覗くというのは、思うほど簡単ではないのです。現実と架空の隔たりは、思うよりずっと大きく、それを覗くなら、それは尋常の方法で実現させられることではありません。
 では我々はどうやって、今にも昔にも、架空の世界を覗いているのだろうか。我々が漫画を読み、アニメを見る時、実際何が起こっているのか。
 つまるところ、その答えは、狂人の目です。
 尋常の方法で叶わないのなら、尋常ならざる方法を用いる。現実に生きる我々は、地に足の着く正気の我々は、正気のままでは架空の世界を覗くことが出来ない。正気の人間には、現実以外を見る力が備わっておらず、だからこそそれによって、正気を得ているのです。
 だから、狂人の目。我々はそれを借りて、架空の世界を覗きます。狂人の目で覗く世界は、当然そこに見える世界は、狂人の視点から見た世界です。架空の世界の、現実に則さない奇妙な現象たちは、全て狂った視点でなければ観測できない物たちです。
 結論として、美形しかいない世界とはつまり、狂気の域に踏み込んだ、色狂いから見える世界が、その正体になります。
 そのような狂気を借りられるからには、我々が生きるこの現実のどこかに、その目は確かに実在しています。その事実は気味が悪く思え、一見恐ろしいことでしょうが、けれどそれがなければ、我々正気の人は、架空の世界を覗けない。狂人の目は、我々を幸せにしてくれる、我々を豊かにしてくれる、我々の味方なのです。
 全ての覗き得る架空の世界は、何かしらの狂気を借りて観測されています。それを忘れず、呑まれなければいい。狂人の目は常に我々の味方であり、あるいはある種の神、良き隣人と言えるのですから。
 おかしいということは、考えてみれば、何も恐ろしくなかったのでした。