かじりつくようにこちらを見ている。

※今回の記事はジョークとなります。





 どうして架空の世界では男も女も美形ばかりなんだろう? アニメや漫画を見ているとしょっちゅうそんなことを思わせられる。もちろん例外も山ほどあるけれど、そもそも現実では、少なくとも一般人にとっては例外なんかなく、美形には及ばない人がそこらへんにゴロゴロ転がっている。
 架空の世界では、何かの拍子に美形だけの世界が垣間見得る。現実の芸能界などと違って、美形しかいない世界を狙って人を集めたというわけでもないのに。勝手に、美形ばかりの世界が形成されていることが、当然が如くままあるのだ……!
 これはおかしい、おかしいのです。何の理由もなく、普通にしていれば、人の容姿には優劣がつくはずが、架空の世界は、何かがおかしい、おかしいからには、おかしくなった理由があるのです。そしてぼくは今日、その理由が何であるかに、気付いてしまいました。気付きです、大切なのは。気付きなんです。





 我々はそもそもの勘違いをしています。現実の世界に生き、架空の世界を覗くというのは、思うほど簡単ではないのです。現実と架空の隔たりは、思うよりずっと大きく、それを覗くなら、それは尋常の方法で実現させられることではありません。
 では我々はどうやって、今にも昔にも、架空の世界を覗いているのだろうか。我々が漫画を読み、アニメを見る時、実際何が起こっているのか。
 つまるところ、その答えは、狂人の目です。
 尋常の方法で叶わないのなら、尋常ならざる方法を用いる。現実に生きる我々は、地に足の着く正気の我々は、正気のままでは架空の世界を覗くことが出来ない。正気の人間には、現実以外を見る力が備わっておらず、だからこそそれによって、正気を得ているのです。
 だから、狂人の目。我々はそれを借りて、架空の世界を覗きます。狂人の目で覗く世界は、当然そこに見える世界は、狂人の視点から見た世界です。架空の世界の、現実に則さない奇妙な現象たちは、全て狂った視点でなければ観測できない物たちです。
 結論として、美形しかいない世界とはつまり、狂気の域に踏み込んだ、色狂いから見える世界が、その正体になります。
 そのような狂気を借りられるからには、我々が生きるこの現実のどこかに、その目は確かに実在しています。その事実は気味が悪く思え、一見恐ろしいことでしょうが、けれどそれがなければ、我々正気の人は、架空の世界を覗けない。狂人の目は、我々を幸せにしてくれる、我々を豊かにしてくれる、我々の味方なのです。
 全ての覗き得る架空の世界は、何かしらの狂気を借りて観測されています。それを忘れず、呑まれなければいい。狂人の目は常に我々の味方であり、あるいはある種の神、良き隣人と言えるのですから。
 おかしいということは、考えてみれば、何も恐ろしくなかったのでした。