馬鹿馬鹿しい疑問符、見下げ果てた迂回。

 友人の中に、とてつもなく好奇心旺盛な人がいます。その友人というのは女性ですが、彼女本人も「私は好奇心のために生きている」と豪語するほどです。下半身のみに麻酔をかけた手術の際、手術の光景を己の目で確かめたいと申し出て医者からやんわり断られたという逸話が、彼女の好奇心の代表例になっています。

 要するに彼女は「イカれたメンバーを紹介するぜ!」という流れで紹介されてもおかしくないレアな感性の持ち主なのですが、それゆえに時々理解しがたい時もあります。例えば彼女はインターネット上の変質者から「使用済みの下着を売ってください」と話しかけられた際、「面白い理由があるなら協力してやらんこともない」という意図でもって「何に使うんですか?」と返信したらしいのです。そしてそれ以降変質者からの返事がなくなったことを鼻で笑っていました。

 本人に確認したところ、その話を聞いたぼくはつまり「プレゼン次第で女性の使用済み下着を買えるコネ」を会得したとも言えるらしいのですが、まるでわけがわかりません。なんでしょうその、カードゲームで言うところの「激レアだけど何に使えばいいのか分からない」みたいなコネは。使い道を知っている人はぼくに連絡をお願いします。

 ともかくです。彼女はそういった理解しがたい感性を時々現して、そのたびにぼくは「好奇心ってなんだろう……?」と哲学に対面することになるわけです。そしてある時、その哲学的問いに対する一つの答えを、好奇心の獣である彼女本人から受け取ったのでした。

「私の好奇心は、氷菓くんの性欲と同じポジションだと思います」

 そう言われた瞬間、ぼくは全てを理解しました。なるほど、じゃあしょうがねぇなぁ! と。

 ぼくも大概、性欲で生きているようなものなので、それと同じような物だと言われればすっきり理解できました。けれどもこの理解の仕方が、後々おもしろを呼ぶのです。

 性欲と同程度に重要な物だよ、と説明されて、そっかぁ! となる人間はそう多くないでしょう。大抵の人間にとって性欲とは「しょうもない物」という認識のはずです。社会の空気がそれを示しています。だから好奇心旺盛な友人の特殊な性質についてを、別の人に解説する時にはまた別の例え話が必要になります。そしてある日その別な例え話は生まれました。

「彼女の好奇心は、地球にとっての海のような物。全体の半分以上を占め、深く、未知数で、絶対に無くてはならない物だ」

 と、それはなかなか良い例えのように思えました。いささか壮大すぎる気がしなくもないですが、にわかには理解しがたい物に対する例えはそれくらいがちょうどいいでしょう。

 が、そこで問題が起こります。そうです、彼女の好奇心はぼくの性欲と同じポジションにある物なので、彼女の好奇心が壮大になればなるほど、自動的にぼくの性欲も壮大になっていくのでした。

 性欲を地球にとっての海に例えるなら、その心はこうでしょう。……全体の半分以上を占め、深く、未知数で、絶対に無くてはならない物だが、増えすぎると重要な物まで水没させダメにしてしまう。……あれ? 結構合ってないですか?

 というわけで、今回の作文は水没記事になります。下品な話のオンパレードです。苦手だという人は今のうちにブラウザバックで陸地へと戻ってください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ある時、ぼくは思いました。

「男は、実はおっぱいがそこまで好きじゃないのでは?」

 なぜそう思ったのかというと、魔女についてのことを考えていたからです。魔女というのは何なのかというと、この場で必要な雑な理解としては、魔女=ぼくが考えた最強のエロ漫画ヒロインだと思ってください。

 おっぱい揉ませてと頼めば、魔女は快く揉ませてくれるでしょう。エロ漫画のヒロインとして最強のキャラクターですからね。がしかし、ぼくの考えた魔女というキャラクターは、決して聖母のような存在ではないのです。なぜ聖母ではないのかについては話すと長くなるので、知りたい人はご連絡ください。

 ともかくですよ。聖母ではない魔女が快く胸を揉ませてくれる時、揉まれている最中の魔女はいったい何を考えているのだろう? キャラクター設定としてそれを決めなければならない、ある時唐突にそう思ったのです。

 そこで魔女の口から出た言葉が、「人間の男、おっぱいそこまで好きじゃない説」でした。

 魔女いわく、世の中を見渡してみても「おっぱいを模した物」はロクに見つからないというのです。やれおっぱい饅頭だとか、やれおっぱいマウスパッドだとか、そういった物は無数に存在しますが、言ってしまえばそれらの物は「ネタ」じゃないですか。半分以上ギャグで作られたような商品たちです(商品が生まれるまでの過程を知らない一般人としては、少なくともそう見えます)。

 一方で、いわゆるオナホールという物に対する人間の執念には、人外である魔女としても目を見張るものがあります。無限とも思えるバリエーションに、各種創意工夫の凝らされた作り。男の醜い欲望の、その執念が、オナホールという分野には漂っているように感じられます。……それに比べたらおっぱいに対する執念なんか、カスじゃないかと。

 ……というようなことを考える魔女は、実際に自分の胸を揉みしだく人間の男を見て「持論に不備があったのか……?」と思うわけです。キャラ設定は決まりました。めでたしめでたし。

 で、実際、魔女の持論には一定の説得力があると思いませんか? 生まれてこの方こんなアホな疑問符の使い方をしたことはなかったように思いますが、とにかくぼくには、魔女の持論に力があるように感じられるのです。

 男性の……というかぼく自身の、女性の胸へ対する欲求はカスだったのでしょうか? 海のような性欲のその一端を大きく担う、胸への執着が? そんなバカな、とぼくは思いました。

 思ったので、例の好奇心の友人にこの件についての意見を求めました。すると答えがもらえたので好奇心様々です。

「性欲とは子孫を残すためにある本能だけれど、いくら胸を揉んだって子孫は残せない。けれども、それは前戯になる、つまり胸を揉むことは子孫を残すことに対して、間接的に必須の行為だとも言える。だから胸に対する執着を男性は本能的に持つけれど、前戯への執着は、本番への執着に比べれば薄い物なのではないですか?」

 ……という見解が彼女の答えでした。上の文章はさすがにぼくが要約した物なので本人の意図と微妙に異なる可能性はありますが、大体は上記のような見解を示していたと見て間違いないように思います。

 言うまでもなく、それはなかなか興味深い意見でした。性欲の全ては子孫を残すという本能的な目的に帰結する……というのは、なるほどそうかもしれないと納得しそうになる説得力がありました。

 けれどもそれは、いかにも女性の視点らしい意見だなぁとも感じられました。

 非常に残念なことですけれど、少なくとも男の性欲という物は、そんなに素晴らしい物ではないのです。だから社会から「しょうもない物」として扱われるのです。ぞんざい扱いをされても致し方ない程度には、性欲という物は醜く、独りよがりなものです。

 考えれば分かることじゃないですか。「おっぱいを揉みたい」という欲求を抱いた男性の全員が、「女性を気持ちよくさせたい」と考えていると思いますか? 悲しいことですけれど、それはありえないでしょう。性欲にまみれた男たちは、胸が「揉みたい」のであって、「揉んであげたい」わけではないのです。

 女性側にそのことを「そういうもの」として受け入れてもらおうだとか、そんなことは口が裂けても言えません。どう考えてもクソなのは男の方ですからね。だから貴重な友人の意見は、女性の視点としてはむしろ当然な物であるように思います。が、しかしそれは、現実に即してはいないようにも思えました。

 全ての性欲は子孫を残すことに帰結するという説を、ぼくは否定しました。しかしそれによって謎は深まるばかりです。セックスに比べれば弱い執着だったとしても、なぜ子孫を残すことに繋がらない「胸を揉む行為」に対して男は執着するのか。謎です。

 むしろ友人のもたらした説が正しくあってくれた方が、全ての話がスムーズになるように思えます。……けれども真剣に考えてみれば、それはそれで地獄です。そこかしこの男が「おっぱい揉みたいなぁ」と考えている世界も地獄ですが、そこかしこの男が「おっぱい揉んで気持ちよくさせてあげたいなぁ」と考えている世界はもっと狂気的に気色悪い地獄じゃないですか。友人の説の通りに世界が回ってしまうとそういった地獄が爆誕するのです。男の立場からでさえ、冗談じゃないよと感じます。

 と、そこで突然、ぼくにアイデアが降ってきました。魔女と同じような、フィクションのアイデアです。

 女性の視点で考えるならば、男性の性欲は、女性ファーストであるに越したことはないでしょう。上記の狂気的気色悪さの地獄が地獄たりえるのは、現実の男性の惨状から察して、その献身ぶった思想が、間違いなく押しつけがましい害悪になることが分かっているからです。女性を満足させることのみを性的な至上の喜びとして、しかし同時に身の程もわきまえて、望まれない限りは何もしない。男性がそんな生物になってくれれば、それは女性としては非常に望ましいことなのではないでしょうか。

 だからフィクションの世界においては、それを実践する女性が現れても不思議ではありません。いわゆる魔王ポジションの、強大な力を持った女性が、全世界の男性の性欲を女性にとって好ましい形へと変化させることを企むのです。

 そこで男性側にも魔王に歯向かう者が現れます。男性の性欲は今のままでいいのだ……という思想を持つ彼のことを「勇者」と呼べるのかどうかは微妙なところですが、彼が魔王を倒すべく仲間を集めてパーティを作るなら、ぜひともメンバーとして魔法使いを入れておいてほしいものですね。

 魔王の望みは男性の性欲を女性ファーストにすることですが、かといって性行為全てを否定しようというわけではありません。それはただ女性にとってより良い性行為だけを抽出しようという企みであり、むしろ性行為の実行自体は、今の世界よりも確実に保証する物である。……という理屈でもって、男を誘惑するわけです。女性のことを第一に考えるなら、今すぐ胸を揉んだっていいし、セックスだって出来るんだぞ……と。そしてその誘いに乗った男は、魔王の超常的な力によって「従来の性欲の形」を失うのです。

 勇者の仲間は一人、また一人と、誘惑に屈して消えていきます。ニンジンをぶら下げられた馬のように、目の前の性行為には逆らい難いのが男という生き物の弱点なのです。……しかし勇者は違いました。彼は従来の性欲こそが正しい物だと信じており、それに反する性行為には目もくれません。

 そしてついに魔王との決戦が始まるのです。勇者はついに魔王へ致命的な一撃を与える、その寸前にまで至りました。

「お、愚かな……。私に従っていれば、胸くらいいくらでも揉めたものを。セックスくらいいくらでも出来たものを……。そちらはそれが出来て、こちらは望む物を手に入れる、そのことに対して貴様は、いったいなぜそうまでして抗うのだ……!」

「物理的に胸が揉めたからなんだ、セックスが出来たからなんだ! 性欲は、性欲は人の心だ、お前に支配されて心を失った性欲に、いったい何の意味がある? 自分がしたいと思うから、しようとするんだろ! それ以外にないんだ!!」

 勇者は全ての力を振り絞った一撃を放ち、魔王を粉砕します。……しかし力を使い果たした勇者もまた、塵となって消えてしまうのでした。

 残された一般人たちは、っ魔王も勇者もどっちもやべーやつだったから両方消えてくれて助かった……と思いましたとさ。めでたしめでたし。

 

 ……と、つまり、意味不明なノリの長編エロ漫画は、こういった経緯で生まれていたりするのかな、と思ったわけです。ある日疑問が降って湧いて、その答えを見つけられずに、かわりに物語が生まれると。今までぼくが読んできた漫画の裏には、そんな経緯があったのかもしれない。そう思いを馳せました。……この話に、それ以上の意味はないのです。

 最後に、同じ下品ネタ繋がりで最近感じたことがあるので、その話をしてこの性欲水没記事を終わらせたいと思います。

 二次元の美少女イラストを見た時に、普通の人はまずどの部分から見るのでしょうか? ぼくの場合は、顔です。まずキャラクターの顔を見ます。当然視界にはそれ以外の物も同時に移りますが、注目の大半は顔に注がれるのです。そして大抵の場合は「かわいい」と感じます。

 しかしその後、顔は十分見たので他の場所に目を向けようと視点を落としていくと……体の部分を見ると、初めに抱いた「かわいい」という感想が「エロい」に変わってしまいます。そして再度キャラクターの顔に注目してみても、もう初見時に抱いた純粋な「かわいい」は返ってこないのです。性的ニュアンスの含まれた「かわいい」という感想しか出てこなくなってしまいます。

 このことからぼくは、エロスの大半は首から下にあると考えました。表情がエロい場合は例外です。特におかしなポーズを取っているわけではない体を見て「エロい」と思うことはあっても、特におかしな表情を浮かべているわけではない顔を見ても、エロいと思うことはありません。だからエロスの大半は首から下にあると考えました。

 そう考えると、極論を言ってしまえばエロスにとって、首から上は不要ということになりますよね。倫理的にどうであれ、事実としてそういった側面があるのではないか。そう考えたぼくは、すぐにその具体例を思いつきました。(ぼくの言えたことではなく、あくまでも客観的または女性視点で見て)趣味の悪いエロ漫画では時々、顔に紙袋を被せた女性を犯している場面を見ます。あれがまさに「エロスは首から下にある」という説を体現した表現であり、いわゆる壁尻と呼ばれるシチュエーションも、そういった物と似た系列にあることだと言えるでしょう。

 首から下にエロスがあるという考え方は、ある程度正しいと思われます。しかしそうすると逆説的に、人間の顔にはエロス以外のあらゆる「人間的に大切な概念」が含まれていることになりますよね。人の顔に紙袋を被せるような、そんな度し難い醜さを持つ、虐げられて当然の「男の性欲」という物からは、適度に切り離された存在。それが人体のパーツにおける「顔」なのではないでしょうか。

 そして、そこまで考えて初めてぼくは、「人と話す時は相手の顔を見て話しなさい」という言葉が身に沁みたように感じました。顔を見るということは、相手を人間として尊重することを意味しているのではないか。そう思えたからです。

 ……その昔、ぼくが中学生だった頃。大嫌いだった勉強とちゃんと向き合おうと、一度だけ奮い立ったことがありました。親としては「何が息子を変えたのだろう」と気になるところでした。それはより正確に言えば、今までどれだけ口を酸っぱくして言っても聞かなかった息子を、何が変えたのだろう……という疑問でした。

 そしてその疑問に対する答えは、ライトノベルでした。ひねくれた性格の主人公が、しかし勉強だけはそれなりにしていることを受けて、当時のぼくは一度だけやる気になったのです。なんてしょうもない理由だと、今振り返っても思います。しかし理由のしょうもなさなんてどうでもいいではありませんか。何にせよ勉強をしようという気になれたのなら、それ以上何を望むことがあるのでしょう。

 だから、「そんなしょうもない理由で……」と親が落胆したのは、ぼくが「やっぱ無理」と勉強を投げ出してからのことでした。そりゃ、ぼくも思います。なんてしょうもないんだ……。

 だからこそ今、思うのです。人の顔を見ることの大切さに、こういった迂回ルートを辿った末気が付きましたよ……と言ったら、仮にぼくがまだ十代だったとしても、親は泣いたんじゃないでしょうか。なんて理由だ……と。

 つまりまた一つ、親に見せられない創作品が増えたわけです。原稿用紙に書いた自作小説を母親に見せていた時代も、今は昔……。

 性欲による水没は、すでに始まっているのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 ところで、

「じゃあ神に作られた我々は、神なのですか?」

 という言葉があります。ぼくの言葉です。何やら名言っぽい雰囲気を放っていますね。いったいどういう意味の言葉なのでしょう?

 ……これは、「男はおっぱいにそこまで執着していない説」を説明する際、「魔女が言っていた」という言い回しについて、「魔女? それは君自身の妄想だろうが」と噛みついてきた人を、迎撃するために編み出した言葉です。

 つまり、神に作られた我々は神ではない。なのでぼくに作られた魔女も、ぼくではない。……と、はい、そういうことです。大事なのは説得力と勢いです、正しさは二の次にしましょう。

 けれどもまぁ、文脈を省いて上記のカギカッコ内のセリフそれだけを目にした人は、まさかそれが性欲から生まれた言葉だとは思いもしないでしょうね。しかし、ぼくの口から出る言葉とは、大抵の場合そういうものです。

 性欲は海のようなもの。あらゆる物が、そこから生まれてくるのです。