チョコとクッキーとかわいいとホワイトデーとぼく

 約一か月前、コロナウイルスなんか完全に他人事だった頃。

「バレンタインチョコが欲しいンゴおおおおおお!!」

 と、ぼくは非常に図々しい要求を友達(女子)にぶつけていた。その動機についてだけど、バレンタインにチョコをもらったという実績が欲しかったわけじゃない。なんというか、頼めばくれそうだったから、頼んでみた。実際チョコはもらえた。おいしかった。けれど「頼めばくれそうだったから」という動機には、良い印象を受けない人も世の中にそれなりの数いることと思う。

 自分に無害なことで、なおかつ出来そうなことなら、とりあえずやってみる。そういうスタンスに対する賛否には、今あまり興味がない。ともかくぼくは頼めそうだから頼み、友達からチョコをもらった。そのチョコは、ムーミンシリーズのキャラクターが描かれた缶に入っていた。彼女がその缶のデザインをとても気に入っていたようなので、チョコを食べたあと、ムーミン缶は彼女に渡すことにした。

 ちょうど同じ時期に彼女から音楽CDを借りていたので、その缶の返却がCDのお礼だということにもしておいた。思いついたので、そういうことにしておいた。自分に無害なことで、なおかつ出来そうなことなら、とりあえずやってみるのだ。

 ……そして時は進んであっという間に一か月後。ホワイトデーを間近に控えた金曜日。お返しの品を見繕うべく、ぼくは近場の大きな駅に向かうのだった。大きな駅とその周辺には、金で買える物の全てがあると信じて。

 さて、そんなぼくが事前に、ムーミンKing Gnu好きな彼女から聞き出した情報は以下の通りである。

 

・チョコとクッキーが好き。どちらかといえばクッキーが好き。

じゃがりこはもっと好き。

・高い物はいらない。

・外の箱や缶がかわいい物が好ましい。

 

 このうち、最後の一つはつい最近(ホワイトデーにとても近い日付)に判明した情報である。彼女がツイッターで「男子諸君、ホワイトデーで背伸びするくらいなら、こういうかわいい物を買いたまえ(写真付き)」という内容をリツイートしていて、それがぼくのTLにも表示されたのだ。かわいい物というのはつまり、あの時見たムーミン缶と同じか似ているような雰囲気の、箱や缶に入ったチョコやクッキーのことだった。

 ……かつて、そのリツイートを見るまでのぼくには、完璧な計画があった。彼女はぼくが重度の金の亡者、守銭奴であることを知っているので、その上で言い放たれた「高い物はいらない。むしろじゃがりこを寄越せ」はあまり信用できない。気を遣っているか、とっくにぼくへ期待することを諦めているか、どちらかである可能性が無視できない程度にはあって、そこへ「あ、そう? じゃあ、じゃがりこで」と乗っかってしまっては、ぼくは今までと何も変われないのである。

 というのも、そう思う理由を語るなら、時はぼくが高校生だった頃にまで遡る。当時のぼくには恋人がいた。三人称ではなく、恋人の意味で「彼女」がいた。その彼女は、「誕生日に何がほしい?」と尋ねたぼくに対して、「安いシャーペンでいい。ただしおそろいで」と答えたのだった。

 そしてぼくは、本当に安いシャーペンを買った。百円の物を二つ。安物の中でとはいえデザインに迷うということさえなく、かなりの即決でそれを買った。なんとなく「この事実を知ったら、「うわぁ……」と思う人が世の中結構な数いるだろうな」と、当時のぼくでさえ気付いていたけれど、金の亡者にとって「その結構な数の中に、彼女もいるかもしれない」という可能性は、「それならそれで仕方ない」という程度の物だった。

 結局その彼女とは高校を卒業するよりも遥かに早く別れてしまった。誕生日の件が理由で……というわけではないだろうけれど、誕生日の件「も」理由でということならあるかもしれないし、上記のような考え方をすること自体が別れるに至った理由なのかもしれない。他にも心当たりは数えきれないほどあるけれど、とにかく事実としてそのような流れがあった。

 ……という過去を、今年のホワイトデーで少しでも振り切ろうというわけだ。今のぼくはあの頃より金を持っている。いくら「他人が金を使う様を見ること」さえ良く思わないほど重症な金の亡者でも、懐に余裕があれば背伸びくらいはできる。今度は、今度こそちゃんとした物を買ってやるんだ。それで「やれば出来る」ことを証明して、あの時とは違うことを証明して、それ以降はまた「やらないことを選択した」と、背伸びしない状態のリラックスした金の亡者に戻ればいいだけの話なのだ。だから、自分に無害なことで、なおかつ出来そうなことなら、とりあえずやってみる。

 とはいえ、ぼくのようなタイプの人間が、正しく人の心を読み取れるわけがないことも知っている。彼女の言う「高い物はいらない」「じゃがりこをくれ」が嘘だと断言することも出来ないわけだ。もしも彼女が本気で「じゃがりこをくれ……!」と思っていたら、ぼくの個人的な背伸びチャレンジに巻き込まれる方はたまったものじゃない。そんな風にも考えた。

 だから、つまり完璧な計画というのは、それなりの物を買いつつじゃがりこも買うことだ。二刀流、全部盛り、それが正解。そもそも高い物と言ったって、金の亡者は背伸びしたところで金の亡者、そんなとんでもない値段の物を買うわけではなく、まともな物を買うだけだ。そこへ約百円にてコンビニで買える、ご所望のお菓子を付け加えるだけのこと。なんて簡単なこと! どうだ完璧だろう!

 ……と、「かわいい物」というキーワードが足されるまでは確信していた。そしてそのキーワードで全てが崩壊した。なぜならぼくは非生物へ対する「かわいい」がほとんど分からない。女性や動物への「かわいい」はわかるけれど、デザインとしてのかわいいには鈍感だ。

 そんなぼくに「かわいい物」を求めるのは、それは例えるなら一般女性に向かって「かっこいいガンプラ買ってきて」と言うようなものだ。わからんもんは、わからん。どうにか理解しようと思うことさえできないほどに、ちんぷんかんぷんだ。……けれど言われてみれば謎ではある。例えば女性が女性らしい服を着ていればかわいいのに、なぜその服単体ではぼくは「かわいい」を認識できないのか? これは一日二日で答えが見える謎じゃない。「かわいい」は難解極まる。

 しかし一応ヒントはある。要するにあのムーミンは「正解」だったわけだから、それに似ている雰囲気の物を買えばいいということになる。さっきのプラモの例え話で言うなら、「少なくとも名前に「ガンダム」の文字が入る物」というくらいのヒントは得ているわけで、これでガンダム系を望む相手に量産機を渡すようなことはなくなる。

 ……が、その程度の進歩では「あなたの運命の人は国内にいます」ということが判明したくらい途方もなくて、結局具体的に「正解」の品を見つけ手に取ることには至れない。こうしてホワイトデーは途端に名状しがたきかわいいの怪物と化して、ぼくに「また正解を選べなかったね」と囁きたがっているようになったわけだ。

 実際、いざ買いに出てみれば、やはりぼくにも分かる「かわいい」は、ぼくでも見つけられる範囲には見当たらなかった。かわいいって何……? かわいいって何……? 人間や動物に対しての「かわいい」ならまだいくらか理解できるけれど、デザイン的なかわいいは、やっぱりまったく分からない。

 ホワイトデー、ホワイトデー、と四方の店員の口から聞こえてくるゾーンに入って数分、ぼくはまずチョコとクッキー、そのどちらもが入ったセット商品を見つけた。本来の完璧な計画通りなら「お、いいじゃん。これ買おう」と即決して、シャーペンの時と同じくらいの即決をして、店内滞在時間が五分以下になるところだった。

 しかし「かわいい」の登場により計画は半壊しており、おそらく目の前のそれを買って帰り渡せば「ははーん、こいつ何も考えず五分で選んだな?」ということが向こうにバレる。バレンタインにチョコをくれた彼女(三人称)とは付き合いも長く、また人の心の機微に敏感な方である彼女なら、その程度にはこちらのことを読んできそうなものだ。普段なら読まれたって痛くもかゆくもないし、むしろ五分で決められる即決力を褒めてほしいと思うくらいだけれど、過去を振り切ることが目的の一つである今回ばかりは別である。彼女の内心に「ははーん」から始まる言葉を生み出させてはならない。

 そう思ってぼくは、ホワイトデー特集と化した売り場をふらふらと徘徊した。しかし、何が良くて何が悪いのか、見れば見るほどわからなくなる。直感的に「お、あれはおいしそう」と自分で思うことはあっても、彼女がそう思うのはどれだろうかと考えると、全てのお菓子がマネキンのような見分けのつかない物に見えてしまう。

 近い位置で別の場所にある、よく似た贈り物系お菓子売り場にも足を伸ばしてみたけれど、なおさら自分には贈り物の良し悪しを見る目がないことを思い知るばかりだった。途中でお菓子・スイーツ系コーナーのお隣にお酒売り場が見えて、わーおいしそうなワインと思ったけれど、1500円という値段を確認するなり何の未練もなくすがすがしい気持ちで立ち去れたあたり、金の亡者が今日も元気に心で巣食っていることを実感する。

 そうしてさまよった結果、最終的にとりあえず理解したことは、チョコとクッキーがどちらも合わさった品というのは、なんと最初に見つけたブースにしかなかったということだった。もちろんセットになってる商品を買わなくたって、別々にチョコとクッキー両方を購入して渡せばいいだけの話なのだけれど、しかし商品としてセットになっている物が売られているのは一つだけだと言われると、何やら運命を感じてしまう。

 それなりに見て回ったのだし、運命を感じたという理由も付属してきたし、もうこれで許してもらっていいんじゃないだろうか? そうだそういうことにしよう。女性にとってのガンプラの山みたいな場所を散策することでげっそり疲れたぼくは、自分にそう言い聞かせて最初の店を目指し引き返す。自分に言い聞かせるというのは大事だ、何せ過去を振り切るという話は、自分の内面だけの話でしかなくて、それを達成したところであの頃の恋人が帰ってくるわけではないのだから。過去を振り切る話は、自分の内面だけが全てだ。

 と、その道中。今までふらふらと徘徊してきた道を引き返していた最中。声がした。

「こちらお試しいかがですか?」

 どうして陰キャというのは、「呼ばれる」ということに対して過剰に敏感なのだろう。あるいはどうして金の亡者というのは、「お試し」という言葉にこういう時だけ敏感なのだろう。ぼくはそれが自分に対する声だったような気がして、そちらを振り向いてしまった。

 ショーケース兼レジを隔てた内側で、美人のお姉さんがこちらを見つつ立っていた。ぼくよりも背が高い人だった。彼女は目が合うと「ちょっと待ってくださいね」と言って、かなり小さい飴玉のような物が入った袋を開けようとする。

 見るとそのブースでは、旗のような物が設置され「肝油ドロップ」と書かれていた。「あ、この字はかわいくない」というのは、さすがのぼくにもわかったことだった。

「グミのような感じなので、噛んでお召し上がりください」

 そう言われ受け取った小粒な飴らしき物を噛んでみると、たしかにグミのような食感で味も気に入った。そのまま「おいしい」と言うと、ノータイムで「ありがとうございます」とお姉さんの返事があって、そのあたりでちょっとやばいなと思った。

 こんな状況でなければ「わぁい美人のお姉さん。ぼく美人のお姉さんだーいすき(お姉さんは大抵美人だけど)」とか思っていたかもしれないけれど、それどころではない圧を、身長差によるところではない「セールスの圧」を、肝油ドロップをもぐもぐしながらぼくは確かに感じていた。

 相手がどんな絶世の美女であろうと、金の亡者にセールスは困る。どんな美女に誘われても興味ないゲームはやらないし、どんな美女に勧められても興味ない漫画アニメ映画ドラマは見ないと豪語するぼくは、もうこの時点で店員がお姉さんだろうがおっさんだろうが関係なくなっていた。一刻も早く、一円も払わず、逃げ出したい。

 しかしそこでちょっと思い直す。たぶん圧に負けて思い直す。肝油ドロップとやらは、何やら得体の知れないその名前の響きから来る雰囲気と違い、かなり万人受けしそうな普通においしい代物だった。家にあったら普通に嬉しい物だ。そしてこれを親に食べさせれば、きっと「変わった物だと思ったら美味かった」と印象に残るはず。そうすればいつか、今度は親の金で肝油ドロップにありつける日が来るかもしれない。ホワイトデーとは別に(名前がかわいくないので断固として別である)、お土産としてこれを買うのはそういう意味で一石二鳥、選択肢として「あり」なんじゃないか……!?

 そう思ってお値段を見ると、一番安いセット(三缶入り)でも5000円くらいした。……はぁ? と、ちょっとわけがわからなかった。

 まずぼくは財布に5000円までしか金を入れない。なぜかというと、「ある程度高くてもDLC込みの完全版を買う」と意気込んでゲームソフトを買いに出た時、その意気込みとは裏腹に財布の中には、金の亡者との葛藤を思わせる約5000円だけが入っていたからである。それが今のぼくの限界なのだと悟った。ゲームは高かったのでDLC無しの廉価版を買った。

 結局ぼくは目を泳がせながら、おそらくタクシーの無線みたいに聞き取りにくい声で、

「あー、あーその、ちょっとまたいろいろ回ってきてから来ます」

 と社会性に富んだ方便コミュニケーションを用いて、その場から脱出することとなった。「金が無いんすわ」という、相手を黙らせる暴力的な言葉を使わなかったあたり、自分の社会性の成長を感じる。

 しかし、綺麗な作り物の笑顔で「はい、ぜひまた!」と快く送り出してくれたお姉さんが怖かった。裏で殺しの稼業をやっていても驚かない程度には手慣れたプロのオーラを感じた。あるいは彼女は、自分がそれなり美形だとわかっていて接客業を選んだのだろうか。何にせよ恐ろしいのでもう関わりたくない。

 そうして命からがら最初の店に帰ってきて、例の品をいざ買うぞという段になると「あれ、これ本当にチョコとクッキーだよな……? なんかチョコと小さいケーキ類(パウンドケーキとか)のセット売りを今日異様に多く見たけど、これはクッキーだよな……?」と、限りなく臆病に近い慎重を発揮することになり、その隙にまたしてもそこの店員さんに話しかけられた。

 いわくブランド的に味は保証されている(なんとかホテルって書いてた)だとか、こういう出張販売のようなことをするのは珍しいから貴重だとか、チョコはあれが何味でこれが何味でクッキーはあれが……という味の紹介だとか、とにかくいろいろな情報をもらった。

 ぼくはもう、その親切な情報で、完全に心が折れた。そうだよな、そうだよな……、味が保証されているって素晴らしいよな、味って大事だよな。そうなんだ、貴重なんだ、おいしいんだ、あ、紹介してもらった中に、桃味があったなぁ、彼女、桃が好きなんだよ、話を聞く限り素敵なところがたくさんだ、適当に選んだわけじゃなくて、やっぱりこの商品が一番なんじゃないかな? 

 …………で、かわいいって一体なに? 店員さんは「かわいい」をセールスポイントにした内容は一言も口走らず、ぼくから見てもたぶん、残念ながらその商品は、あのムーミンの缶からは遠いところに属するデザインのように感じた。

 けど、もういいや。これにしよう。それで「かわいい」については、あの内容をリツイートした彼女本人と、改めて一緒に買いに行くことにしよう。今日のぼくは十分頑張った。それでももし、結果が出ない努力は徒労と呼ぶのが正しいなら、もう来年からはバレンタインにチョコをもらうのをやめよう。ホワイトデーは、ぼくには荷が重い。それとも、開き直って、またシャーペンでも渡すか?

 じゃがりこは選ぶのに時間がかかる物でも急ぐものでもないし、チョコ&クッキーを渡す当日適当なところで買おう。元々そのように決めていたので、時間にすれば短い……二十分程度の激闘の末、ぼくは真っすぐ帰路につく。買った商品を財布と同じくリュックサックに放り込もうとすると、サイズ的に入るかどうか微妙だったので、せっかく紙製手提げも付けてもらったことだしそのまま持って帰ることにした。

 帰り道には「男性諸君は背伸びするくらいなら……」というあのツイートを思い出す。…………背伸びだと? 背伸びだとっ? ぼくだってなぁ……! と、自分でも「背伸び」だと自覚していたはずなのに、悲しくなるのはどうしてだろう。

 あのシャーペンはまだ、現役の筆記用具としてリュックの中の筆箱に入っている。