怪奇ファミスタ人間

 これは前回記事の続きに当たる作文です。

 ↓前回記事↓
https://arisu15849.hatenablog.com/entry/2020/10/10/201435















 前回書いたように、パワプロ勢だった我が家に初めてファミスタがやってきた。パワプロとはあまりにも違った仕様に戸惑い、それを楽しみながら遊び続けてみて、そろそろファミスタ(2020)がどういった物なのかを理解してきたと感じるので、今回それについて書いてみようと思う。
 結論から言うと、ぼくはもうファミスタのことが好きじゃなくなった。





 ファミスタは野球ゲームではなく野球盤ゲームである……とは前回にも言った通りだ。投手と打者のやり取りにおいて上下の概念がなく、左右の動きと球速による駆け引きだけで遊ぶゲームなのだと。
 しかし実は、ファミスタにも上下の概念があることが判明した。正確には「落ちる」という概念がある。それは野球盤で言えば、レバーを引くことでストライクゾーンの底が抜けるギミックのような物だった。
 全投手が共通して投げられる球種フォーク。パワプロとは違い、ストレートと同じように全ての投手がそれを投げられるゲーム性には何か意味があるはずだと前々から思ってはいた。そしてそこ末に、フォークとは「振ってはいけない球」なのだ……ということを知ったのだ。振ってはいけない球……「ストライクゾーンを通るボール球」とも言える。それが察知していた「意味」の内容だった。
 ぼくは初めてファミスタのフォークを見てからしばらくの間、それは途中で心電図のように揺れ動き、それによって減速する「緩急の球」だと思っていた。速球と減速球を使って野球盤らしい駆け引きを楽しんでくれ、ということなのかと。
 しかし実際は違った。波のように揺れる球は、減速を表現しているわけではなかった。「落ちて」いるのだ。上下の概念がないゲームで「今、この球は落ちています」という意味を表すために、フォーク球は揺らめいていたのだ。そしてファミスタにおいて「落ちた球」には、絶対にバットが当たらない。
 似たような機能がアナログ野球盤にも実在する。先に言った「底が抜けるギミック」は、単なる架空の例えではないのだ。
 実際の野球盤でストライクゾーンの底がからくり屋敷の如く抜けてしまうと、当然ながら誰もその球を打つことは出来なくなる。球は穴の中に消えていくだけだ。だから底抜けによる「消える魔球」は、振らなければ必ずボール判定となるルールになっている。しかしいつ底が抜けるのか(というか、抜くのか)は投手担当のプレイヤーしか知らないため、そこに駆け引きが生まれることになる。
 ……と、それをデジタルで再現した物が、ファミスタのフォークであるというわけらしい。フォークを打つことは出来ない、しかし振らなければ必ずボールになる。ならばそれは野球盤ゲームとしてふさわしいシステムだろうと、それだけ聞いたらぼくだって思う。
 けれども実際は、それは減速と見間違える演出の球だった。上下の概念がない平面的な描写の中でどうやって落下を表現すればいいのかは正直ぼくにも分からないが、しかしフォーク球は明らかに駆け引きの超重要要素であって、仕様を理解しなければゲームが成り立たない。なのにそれに対する説明は、オフラインの中に一切存在しないのだ。
 説明書の類は操作方法しか教えてくれず、仕様についての解説は皆無だ。ならばぼくがゲーム中のTIPSを見逃してしまったのだろうか? そう思って初めてロード画面を真剣に見つめたところ、(うろ覚えながら要約すると)このような文章が表示されていた。

「アウトになった選手がベンチに帰る速度は、走塁速度よりずっと速いんだ! 悔しさって人間の限界を超えるんだね」

 は? と思った。
 この文章が何を言っているのかというと、走塁を試みるもアウトになってしまった選手が画面から消える際(つまりベンチに戻る際)、ファミスタではその選手が超高速で走り去る演出がなされている……という話をしている。
 そういったコミカルな演出自体には何の罪もない(むしろ良い物だ)が、しかしあろうことかその文章のサブタイトル的部分には「1」の表記があったのだ。TIPSその1という意味の1である。
 そのことはつまり、フォーク球の説明をするでもなく、ゲームのコツやテクニックを教えるわけでもなく、真っ先に存在する豆知識その1の内容があまりにもつまらない冗談だった……ということを表している。
 だったら「は?」以外に何の感想もないだろう。作った人は頭がどうかしてるんじゃないかとも思った。ちなみにTIPS2以降も文章の内容やノリはほとんど変わらない。身になる知識などそこには一つも存在しなかった。
 フォーク球の性質には自力で気付くか、Google先生に頼るかの二択しかない。あるいは既存のファミスタプレイヤーにとってそれは今さら言うまでもない常識だったのかもしれないが、常識を語るにしては、例えばパワプロと比べても、ファミスタはマイナーすぎやしないか……? 
 そういうきっかけで、まずはぼくにファミスタへの不信感が生まれたのだった。そしてそれは結局留まるところを知らなかった。
 なんと、フォーク球に関する問題にはまだ続きがある。それは「落ちないフォーク」があること。つまり「ストライクゾーンを通るボール球に見えるストライク球」である。もはや何を言っているのか分からないだろう、ぼくも嘘であってほしかった。
 落ちないフォークとは、言ってしまえば「不発」である。フォーク球には不発の概念があるのだ(おそらくその他の球には無い)。
 不発となったそれは、通常のフォークと同じ軌道(つまり同じ表現・描写)を見せるが、ゲーム的処理としてはストライク球として扱われる。……どういうことかというと、バットを振れば打つことが出来て、見逃せばストライクになる……という意味だ。そこで改めてもう一度言うが、不発フォークと通常フォークは、見た目は同じである。
 ではどうやって不発か否かを見分けるのか? その手がかりは「音」にある。通常フォークが落下(減速)する際、ひょろひょろ〜といった情けない感じの音が鳴る(これがまた減速表現っぽくて紛らわしい)。不発フォークではその音が鳴らない。見分ける方法はおそらくその点のみだと思われる。
 この仕様のマズすぎる点は二つある。まず一つは、視覚表現と聴覚表現が喧嘩していること。普通ならばそれらは、お互いがお互いを高めあって然るべき要素だろう。でなければ、例えば音が目の邪魔をするなら、その音は無い方がいいということになる。
 しかしフォーク球に関しては、バットを振るなら目で見てタイミングや左右の位置調整をしなければならず、振るかどうかを決めるには目ではなく音に集中しなければならない。それぞれの注意が別ベクトルに向かうので、単純にダブルタスクになる。しかも当然ながら投手は、フォーク球以外の球も投げてくるのだから、打者はそれについても考えなければならない。
 振ってはならないフェイントのようなボールがある……という駆け引きだけではいけなかったのだろうか? ぼくには不発フォークが存在することによる面白みがまったく理解出来ない。無駄に話を複雑にしているだけのように思える。リアリティとしては、狙った球を投げ損なうことだってそりゃああるだろうけれど、念力で変化球を作るゲームで今さらリアリティを語るのか……?
 そして第二のマズい点、それは不発が存在するせいで「フォーク球」がなまじ打ててしまうことだ。これのせいで、フォーク球の性質に気付くまで時間がかかってしまった。「これは振っても当てられない球なのでは?」と思う頃にこそ、不発球がバットに当たるのである。
 初めから全ての説明があるのならまだいい。しかしファミスタ初経験者にとっての実際は手探りだ。その手探りの中での不発球は非常に悪質であり、「基本的にフォークは振ってはいけない」という大原則に気付くことなく、パブロフの犬(または猿破壊実験)のように無闇にバットを振り続ける結果に繋がってしまう。それもこれも、無駄にややこしいシステムに説明がないばかりに起こることだ。
 パワプロにもこの手の不親切は一応存在する。例えばこれはぼくも最近聞いた話だけれど、「内角の球は早めに、外角の球は遅めに打つと、ヒット性の当たりになりやすい」という物。さらには「外角と内角の判定範囲は1:1ではない」という話まで聞いた。これはフォーク球の仕様以上に気付くことが困難な知識と言えるだろう。
 が、しかしそれを知らなかったところで、ゲームが成立しないということはない。知識の有る無しで有利不利の差は産まれるだろうけれど、振ってはいけないボールの存在に気付けないような、「ゲーム性の成立」に関わってしまう致命的無知にはならない。
 ファミスタの不親切さは野球(盤)ゲームとして度を越しているのだ。この時点でかなり許せない気持ちが湧いてきたが、遊び続けて気付き見つけた不満点はまだ終わらない。
 ゲームの苦手な人が「え、私いまどこにいるの?」と自分のキャラを見失うようなことはよくあることだ。アクションやレースゲームどころか、すごろく系ゲームでさえ唐突に土地勘を消失したりする。ぼくにはそのことが今まで全く理解出来なかったが、それもファミスタにおいては別だった。ぼくは人生で初めて、キャラクターを見失った。
 ファミスタは、非常にごちゃごちゃとした表現やデザイン性が、必要な情報の視認を困難にしている。デザインセンスが死んでいると言っていい。特に打球が飛んだあとの守備画面における「ランナーが今どこにいるのか」という部分は、判断速度が問われる割に見づらさも極まっている。
 しかしそれはまぁ、我が家の人間がぼく含め全員下手くそということで納得してもいい。パワプロならばキャラを見失うことなどあり得ないのだけれど、まぁ数歩譲ってそれも良しとしよう。投球前にランナーの所在を確認して、どこへ打たれたらどのように送球しようということをあらかじめちゃんと決めておけば、一応致命的な問題は起こらない。
 しかしタイトルに2020を関するファミスタには、そういった粗が目立つ箇所がとにかく多い。例えば守備には捕球オートという機能があり、それは文字通り「飛んだ球を拾う動作」をコンピューターが代行してくれるお助け機能であるが、そこにもまた難があったりする。
 まずAIがアホである。明らかに頭上超えする打球を手前に追いかけてから、実際に頭上を超えて初めて慌てて奥へ追いかけたり、左中間に飛んだ球をバウンド後センターが拾って三塁に送球しようとしたところ、すぐ近くにいたレフトがその球をキャッチしてしまったり……という風に、パワプロではあり得ない挙動を見せることがままある。しかし全てを手動操作にすることは、少なくとも我が家では現実的じゃない。そもそも誰しもがそれを出来るわけではないから、オート機能が備わっているんじゃないか。
 捕球オート以外でも守備の仕様には問題がある。例えばファーストが捕球した際に一塁送球の操作をしてしまうと、誰もいない一塁へボールが投げられ、捕る人のいないボールは明後日の方向へ転がっていく……ということが起こり得てしまう。
 それはそういう操作をする方が悪いのだと言えばその通りなのだけれど、前述の「視認性の悪さ」を鑑みてほしくもあり、またテレビCMを見るに本作は家族向けを意識しているようにも思う。ならばゲームについては、あまり子どもや主婦を買いかぶりすぎない方がいいはずじゃないか。
 昔のパワプロでは、同じような経験をした記憶がぼくにもある。しかし最近はゲームの親切さも極まって、ファミスタではしょっちゅう誰もいない場所へボールを投げてしまう母や弟も、パワプロではその手のミスを一切していない。明らかに間違った操作は反映させないように設定されているのだ。間違った場所には投げなかったり、あるいは投げるにしても、塁にフォローが入るのを待つようにゆっくりと下投げでトスしたりする。
 ぼくが言う「昔のパワプロ」とはプレステ2や、3Dになる前のDSが現役だった時代にあったパワプロのことである。ファミスタ2020というタイトルの意味をよく考えてみてほしい。あらゆる仕様の不親切さが、正直令和のゲームのそれとは思えない。それともそのシビアさが良いという物好きばかりが多数派なのか……?
 ゲーム性の根幹を成すフォーク球の説明を欠き、AIはアホかつ不親切で、画面は見づらい。これはひどい出来のゲームだと、ぼくはそう感じる。希望小売価格より千円も安く新品を手に入れた時は喜んだが、どの店に行っても同じような価格で売られていることを確認したことからも、このゲームの多数決的評価が見えてくるように思う。
 改めて言うけれど、ぼくはもうファミスタのことが好きじゃない。初めて触れたファミスタがこれだから、シリーズが名作扱いされていること自体疑念の目で見ているほどだ。





 ……けれども結局、すぐに売ってしまおうという判断にはならなかった。ファミスタパワプロと比べて明らかに劣る野球系ゲームだけれど、その中に唯一無二な魅力があることまでは否定出来なかったのだ。
 イカれたボールばかりが飛び交う大味なゲーム性が、たまには恋しくなることがある。不親切で見づらくて未だ把握出来ないシステム(いわゆる強振が回数制なのだが、残弾増加の条件が分からない。なんかヒットを打つと増えているような気もする)があったとしても、変化が欲しくなることはある。パワプロありきのファミスタということならば、家族でお金を出し合うだけの価値に見合っていたと言えないこともない。
 だからこれからも我が家はちょくちょくファミスタで遊ぶだろう。いつか派手さのために視認性を犠牲にした画面にも適応して、フォーク球関連のシステムにも慣れて、パワプロならあり得ないようなミスも減って、今より肯定的にファミスタを楽しむことが出来る日が来るのかもしれない。
 だから、今のうちに恨み言を言う。今の気持ちを忘れないように。この文章はレビューではない。作文、または日記なのだ。
 携帯機版パワプロであるパワポケシリーズの一作に、「怪奇ハタ人間」というRPGモードが収録されている。RPGというのはコマンドを選んでターン制で敵と戦うあれだ。ドラクエ的なあれが、なぜか野球ゲームの中に収録されている。
 ハタ人間のストーリーはこうだ。旗を刺された人間は自我を失い、他の人間に同じような旗を刺そうとするようになる……。と、そんなゾンビ物のような異色の物語(とゲームジャンル)が、なぜか野球ゲームに収録されている。そういったことがパワポケシリーズ恒例の魅力でもあるのだけれど、今はそれはともかくとして……。
 ハタ人間でバッドエンドを迎えると、幼稚園児がクレヨンで描いたような不出来な絵で、頭に旗の刺さった主人公と仲間たちが描かれ、
「し あ わ せ」
 と表示される……という恐ろしい演出があるのだが、ぼくはファミスタをやっていてそれを思い出した。
 誰がどう見ても明らかな説明不足。他作品という名のお手本がすでにある状況で生まれたデザインセンスの欠如。そして令和にあるまじき不親切さ。ファミスタの欠点は全て、致し方ない物とは呼べないようにぼくは感じる。ファミスタ2020は、もっと実力のある人が作ってくれれば、きっとパワプロと同じかそれ以上にいいゲームにだってなれたはずなのだ。
 なのにロード画面に現れるTIPSにはこんな文章があった。不足した説明を求めて睨みつけたロード画面にて、である。

「今日もファミスタ、明日もファミスタファミスタあれば、ずっと幸せ」

 ……製作者は頭に旗でも刺さってんのか?