ポエム

 指から滑り落ちた飴玉が、フローリングの床にからころと癪に障る音をたてて落ちる。それで、転んで泣き出す子どもを連想した。自分は本当に子どもが嫌いらしい。






 人の見た目を貶すことが「悪」として扱われるのは、人の見た目が、容易には変えられない物とされているからだ。だから、内面の方は平気で貶す。馬鹿みたいな話だけど、みんな人の内面は変えられると思っているんだよ。

 




 

 記憶力が良い人ほど恋人を大切にするらしい。誕生日を忘れてしまうと愛が足りないと言われたので。





 

 どうして未成年が酒や煙草をやっちゃいけないのかとか、どうして自分から死を選んじゃいけないのかとか、逆になんで他人を殺しちゃいけないのかとか。全部本当はよくわかってないけど、わかっているフリをするのは気持ちがよかった。





 

「本心から「愛してる」と言われたいだなんて、くだらない。夢を見すぎたロマンチストみたいね。結局のところ心なんて確認のしようがないんだから、内心何を思っていたって、「愛してる」と言ってくれるならそれでいいのよ」

「愛されてもいないのに、「愛してる」と言ってもらえるつもりなの? そっちの方がよっぽど夢見がちじゃない……?」






 女性と一緒にサイゼリヤというファミレスへ行くと、今にも自分の犯した罪が暴かれるのではないかと、追い詰められる気持ちになる。ぼくはあの店に置いてある、異様に難しい間違い探しのことを、女性の細かな変化というやつにとても似ていると思ってしまうのだ。






 夜景の綺麗な光だと思った物が、実は凄惨な火災の炎だったとしても、我々はさほど気にしないだろう。また東京の夜景が、労基違反の残業を背負った人々によって構成されているのだとしても、やはり我々はそれをさほど気にはしない。美しさを前にすると、我々人間は薄情になる。






 どんなにいい思いをさせてもらったって、一回だけで終わっちゃったら、残るのは思い出じゃなくて未練ですよ。






 何かを得るには、何かを失わなければならないというのなら。「愛のないセックスに価値などないのだ」という気付きを、愛のないセックスを経ることで得た私は、いったい何を失ったというのだろう。






  光は見つけるものであってほしい。闇の中で見つける光は救いの手に見えるのに、降り注ぐ光はぼくのような人間を炙り出して、排除するための物だと感じる。






 夜、マンションの窓から漏れる明かりを見るのが好きなんです。あの光の内どれか一つくらい、僕のことを受け入れてくれて、助けてくれるような気がするんです。






 「自分に嘘をつかない」という言葉の価値を、奈落に落とす人生です。