徹底解説、よくわかる魔女講座。

 ぼくの夢は「魔女に触れること」だけれど、この魔女というのが、つまりどういった物のことを言っているのかが分からない! というお便りを友人からもらったので、今回その解説を書いていくことにする。
 が、まずは「「尽くす系ニマド」を読んでくれ」というのが何より話の近道で、大前提になるので、ここにその自作小説のURLを置いておく。

https://syosetu.org/novel/186976/1.html

 以降の文章は上記URLの小説を全人類が読んだものとして話を進める。





・解説の一 そもそも魔女ってなに?

……ぼくの言う魔女とは、当然ながら妄想上の、架空のキャラクターである。またそのためこれは、歴史や伝承の意味での魔女、スラングの意味での魔女(美魔女など)、他作品の中での魔女など、あらゆる意味での他の「魔女」とは別の意味を指す。
 なお、ぼくが特に注釈なく「魔女」と言う場合、それはほとんどのケースで「聖杯の魔女ニマド」を指す。名前から察せられる通り、上に載せたURLから読める小説にも彼女が登場する。
 ニマドこそが魔女の象徴であり、そのほかは全て派生した存在に過ぎないのだ。





・解説の二 魔女が生まれた経緯

……子どもの頃から小説を書いていたぼくとしては、キャラクターを考えること自体は自然なことだった(ここを掘り下げると話が長くなる)。なので魔女も自然と生まれたキャラクターの一人であるわけだけれども、経緯については諸説ある。有力な説は二つ。
 説の一。通称「異世界スマホ」から始まったように思える一連の「クソラノベブーム」について、ある日ぼくは思った。
 主人公を杜撰な理由で最強にしてハーレムを形成するラノベは、どうして主人公を最強にしたがるのだろう? 要は何の苦労もなく全ての物事が上手く運び、モテればいいのだから、主人公が無能の上でそれが実現する方が、ずっと夢があるじゃないかと。なぜそんなことを思ったのかといえば、そんなラノベを書くやつは全員無能だという偏見があったからである。偏見、あるいは自虐か。
 モテるやつにはモテる理由があるわけで、それをチート能力で説明付けるというのは、なんともこざかしい。努力せずモテたければ、無能でもモテたいというように考えを吹っ切れさせたらどうか。どうせまともな話なんか書く気がないのだから。……というわけで、主人公が無能のハーレムラノベを書こう……と思い立ったのが事の始まりだった。
 主人公を無能のままにすると、モテはヒロインの精神面を歪めてしまえば解決するが、全ての物事を上手く運ばせることについては、やはり相当に優秀な人材か、さもなくばチート能力が必要になってくる。前者が「作者自身より賢い人物は書けない」の法則から不可能だとして、後者もコンセプト上主人公には持たせられないとすると、それ以外の人物に持たせるしか選択肢はない。
 そこで主人公の友人などを登場させてしまうと、その友人の方がモテるはずではないかという違和感が拭いきれなくなってしまう。という都合で、チート能力はヒロインに持たせること。それが無能のまま天下を取るクソラノベ、究極のクソラノベに必要な大前提の設定だったのである。
 そうして人並外れた人格に、人並外れた力を合わせ持ったヒロインは、もはや人間とは呼べず、やがて魔女と呼ばれるようになった。祝え! 後に一年以上に渡って続く都合の良い妄想の権化、その名も聖杯の魔女ニマド! まさに生誕の瞬間である。
 ……というのが、有力説の一。説の二は、単なる現実逃避の集大成という見方である。一年前ならいざしらず、現在のぼくとしては、説の二こそが真実だと考えている。クソラノベは単なるきっかけに過ぎなくて、遅かれ早かれいつか必ずニマドは生まれてくる物だったのだ。





・解説の三 魔女ってどんなキャラクター?

……妄想上のキャラであり、現実逃避の集大成であり、究極のクソラノベに必要不可欠な存在である魔女だけれど、その設定の全ては「尽くす系ニマド」に載り切らなかった。また、二作目以降を書くことも、ぼくの実力不足でままならないのが現状である。
 けれどもぼくの頭の中には設定があって、ぼくが魔女の話をする時はそれが前提となっている。友人が魔女の何たるかを理解してくれないのは、そのあたりの認識の共有がされていないためではないか? と考えたので、創作として失笑に値する邪道のやり方ながら、ここに魔女の設定を記載しておくことにする。

・設定の一
……魔女とは種族名である。その意味で魔女に対応する言葉は、例えばエルフであり、例えば宇宙人であり、例えば人間である。魔女の種族としての特徴は以下の通りである。

 特徴の一……全個体が女性である。より詳細に言えば、全個体の肉体が、人間の女性に酷似した特徴を有している。ただし、そもそも人間に似た肉体を持たず、性自認のみが女性である個体も存在する。
 特徴の二……特徴の一で説明した通りの都合上、魔女の繁殖方法はその一切が不明である。全ての魔女が「気が付いたら生を受けていた」としか認識しておらず、誰も魔女が生まれる瞬間を見たことがない。また不老不死である魔女(つまりほとんど全ての魔女)は、生まれた瞬間から十分に成熟した肉体と精神を持ち合わせている。ちなみに魔女と人間で子を成した場合には、必ず人間が生まれるようになっている。
 特徴の三……魔女の精神は人間と比べ物にならないほど強靭である。個体差はあるものの、人間ではおよそ耐えられない程度の負荷では壊れず、またこの強靭な精神から来る、人間には理解し難い価値観を持つ魔女が多数派である。
 特徴の四……魔女はそれぞれ生まれ持った魔法が使える。魔法とはあらゆる法則を無視した力であり、そこにいわゆる異能力との違いは無い。作者の書く別作品における異能力総称「N」と差別化される点は、必ず先天性だということ以外には特に無く、強いて言えばほとんどの場合魔法は労力を要さないが、Nにおいても体力や精神力、その他リソースを消耗する能力は珍しい部類に入る。
 特徴の五……魔女の多くは不死の力を持つ。それは単純な不老不死であったり、自我を保った輪廻転生の力だったりする。またこの長寿ゆえか、ほとんどの者が化け物じみた記憶力を持っており、一度見聞きして理解したことは大抵忘れない。
 特徴の六……魔女は他の魔女を「魔女である」と目視で察知することが出来る。このためしばしば魔女同士のコミュニティが形成されることもある。

 これら以外の、人間から逸脱した特徴を魔女が持つ場合、それは魔女の種族としての特徴ではなく、本人個人の特徴である場合がほとんどである。


・設定の二 個々の特徴
 聖杯のニマド……願いを叶える魔法を持つ魔女。ただし叶えられる願いは「想像出来る物」だけであり、また知識的情報そのものにアクセスすることは出来ない(知らないことを無から知り得たり、他者の心を読むこと、未来予知などは不可能)。
 元々は魂だけの存在であり、魔法で肉体を作り出している。ゆえに決まった容姿や身体能力はなく、毎秒のそれが彼女の自由、思うがままであり、肉体が死んだとしても魂の状態に戻るだけなので、事実上の不老不死と言える。またその魔法の適用速度は尋常ではなく素早い。彼女の魔法による「変化の過程」を人間が観測することはおよそ不可能と言ってしまって差し支えない。
 知識欲ならぬ体験欲の権化のような性格で、あらゆることをその身で体験したがる体験至上主義。反対に机上の知識にはまるで興味がなく、学問の類とは無縁。賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ、という言葉通り彼女は知的な存在とは言い難く、どちらかといえば短絡的な快楽主義者としての傾向が強い。
 彼女の望むところである「体験」として、特に創作物やスポーツなどの娯楽コンテンツを好む傾向にあるが、基本的に新しいことは大抵何でも楽しむタイプ。場合によっては苦痛さえコンテンツとして扱うこともある上、人間そのものに面白さを感じ取ることもある。体験の価値の有無を「面白いか否か」で考えており、学問に興味がないことはそのまま、彼女いわく「退屈でつまらない」かららしい。
 自分の人生を、人間の生み出す物に楽しませてもらう人生だと考えており、それゆえ人間に対する立場は非常に友好的。ただし人間の愚かさや醜さ、弱さといった負の側面については諦めの立場にあり、人間への好意はその上での物であるから、彼女が倫理の観点から人間に苦言を呈することはあまりなく、そういった点でまともな人間(善人)とは馬が合わないこともある。よって彼女の好む人間とは適度に邪悪な人物だ。
 また人間の負の側面を諦観する彼女は、人間に友好的でありながらも、人間へ敵対的な存在に対して必ずしも相反する者の立場にあるとは限らない。また友達付き合いの一環として、人間へのリスペクトを込めて人間の倫理観に習った行動を心がける彼女だが、根は善人などではなく利己的な快楽主義者のため、そのあたり勘違いしていると人間側があとで困惑するはめになりかねない。
 友達と一緒に遊ぶと楽しい……という人並みの感覚を持っており、好意を向ける対象である人間に取り入って友達となることを基本の生活体系としている。ただし彼女の言う「友達」は「一緒にいられて、面白い人。楽しい人」という曖昧かつ単純な定義のみの存在であり、魔女特有の強靭な精神とあらゆる物事を楽しむスタンスが合わさって、一般的な倫理観からは外れたところに彼女の友情はある(このあたりの具体例は「尽くす系ニマド」を参照のこと)。また彼女は基本的に、一度に二人以上の「友達」を作らない。その方が楽しむことに集中出来るらしい。
 気に入った人間に取り入るためなら基本なんでもする。が、「気に入った人間」と判定するまではそれなりに慎重でもあり、めぼしい人物を見つけると数日から数週間ストーキングして値踏みするのが常。魔法によって姿が見えず、音も立たず、何よりも速く移動できる彼女の尾行に勘付ける人間はいないので、人間視点から見れば彼女は突然自分の前に現れては、不自然なほど好意をむき出しにしてくる存在となる。
 何でもすることの具体例として「尽くす系ニマド」における彼女の振る舞いが挙げられるが、彼女は主に、友達には男性を選ぶ傾向がある。遥か昔から生きる彼女にとって男性は社会的強者のイメージが強く、強者についていった方が触れられるコンテンツが多いことに加え、そうでなかったとしても、取り入る際に自らの「女」を利用しやすく楽なことがその理由となっている。またその他に彼女が取り入る際「有効な手段」として心得ている振る舞いは、相手の心情に肩入れしていくことなどがある。
 また彼女は演技がド下手であるが愛情の概念は持ち合わせておらず、彼女が何かしらを愛しているように見えたなら、それは単なる好意の表れの延長線であり、我々人間が言うところの愛情とはあくまでも別の物である。だからなのかは分からないが、彼女は魔女の中でも、人間のパートナーとの寿命差による別れについては一際ドライなタイプである。ただし義理の概念は持ち合わせており、正直気乗りしないことでも程度と仲によっては付き合ってくれる場合もある。ただそれは人間の生前の話であり、死後の人間が彼女を縛ることは出来ない。
 際立って高価な物をねだるわけでもなく、休む暇もないような快楽を求めるわけでもなく、人間的価値観で言っておよそ平凡な娯楽を求める彼女は、友を得るためのその不釣り合いな献身により度々人間を救い、また狂わせてきた。特に人間を狂わせることについては、それを良く思わない同類(人外の類)も少数ながら存在している。
 そんな彼女が唯一自らに禁じていることがある。それは人間社会そのものへの攻撃と無闇な暴力である。様々な娯楽を生み出す人間を尊敬する彼女は、そういった「人間」という種族そのものの良さを損なわせかねない行為には敵意さえ持っている(人間自身がそれを行うことについては諦めているので、人間が自発的に行う争い事にはむしろ乗り気)。
 また彼女と付き合うに当たって禁忌となる行為は、時間的束縛である。肉体の更新(能動的な死と復活)により睡眠を必要としない彼女は、半日程度なら何にでも付き合ってくれるが、それ以上の束縛を試みれば良くて逃げられ、悪ければ報復を食らうことになる。また彼女から見て友達が「つまらない奴」になった場合も、彼女はその人間の元から去ってしまうだろう。





 ニマドの分身デミ……文字通り彼女はニマドの魔法により生み出された分身体である。扱える魔法はニマドとさほど変わらないが、あまり大規模な使い方は出来ないように制限をかけられており、またニマドの決めた特定の人間から下される命令には絶対に逆らうことが出来ないという特徴を持っている。
 本来分身に名前はないが、ここではデミと名付けられた個体について解説。とはいえデミとそれ以外の分身にこれといった差異はない。
 分身は全て一貫して人間の奴隷である。その用途以外でニマドが分身を用いることがないから、それが分身の特徴となる。毎度そう設定すると決められているわけではないが、デミの場合は「定められた特定の人物に奉仕することに対して、無条件かつ無制限に幸せを感じる」という機能が搭載されている。この機能は人間のご機嫌取りのほか、本体であるニマドや人間への反乱を防止するための物である。
 彼女のデミという名前の由来は、実在するボードゲームパンデミック」から取った物になっている。これはニマドの「想像した物を叶える」という魔法の性質上、昨今の複雑なデジタルゲームは魔法でさえ再現しきれないことが多く、魔女が手軽に生み出す娯楽物としてアナログゲームがしばしば登場することが由来に至る理由になっている。
 要はデミという名前は、偶然その場にあった「パンデミック」から適当に取った物でしかないということである。そしてそんな名前であっても、特定の人間から授かった物なら至上の喜びを感じるのが彼女の性質なのだ。



 被虐のカッセロ……肉体強化の魔法を持つ魔女。強化の意味するところが非常に極端で、自己再生の能力が不老不死の領域にまで達している。単純な暴力なら最強の類でもある。
 肉体的苦痛に快楽を感じる特殊な体質の持ち主で、魔法による不死も相まってしょっちゅう無茶な被虐を行う、または求める。人間に求めることは彼女を痛めつけることだけであり、その欲求を満たしてくれる相手に対しては非常に友好的(ただしニマドのような献身は皆無)。その他の人間には毛ほどの興味も示さない。それゆえ基本的生活体系としては、身の危険を感じる方へ感じる方へと進んでいく傾向にある。目に見えて危なそうな相手にほど言いよる。
 苦痛を快楽に感じる一方、通常の快楽に対しての感性が致命的に鈍く、あらゆる娯楽にさほど魅力を感じない変人である。また精神的苦痛は快楽に変換されないため、それについても全く興味がない(かといって魔女の精神を持つので、精神的な苦痛で音を上げることもないが)。
 とにかく物理的な被虐一辺倒の人物であり、彼女との付き合い方はそれ以外あり得ない。かといっていじめればいじめるほど良いのかといえば、どの程度の苦痛を受けたいのかは日によって……というか彼女の気分によって変わるらしく、ニマドを超える気分屋で、扱いづらい存在と言えるだろう。
 また人間視点における彼女の何よりの問題点として、その被虐を好み望む心中に反して、苦痛に対する反応が通常の人間に酷似していることが挙げられる。暴力を受ければ悲痛な叫び声を上げて泣き喚くことはもちろん、あまつさえ命乞いをすることまであるのだが、それに応じて行為を切り上げると「なんでやめるの」と文句を言われることになる。それについて苦言を呈したところで「君は笑うことを禁止されて見るお笑いが楽しいのか」などと反論されるだけであり、まともな感覚を持つ人間ほど彼女とは上手く付き合えない。
 本人の生き方のためかおよそまともな倫理観は持ち合わせておらず、それを隠そうとすることもない。頭に血が上るとあっさり殺人さえ行いかねないが、彼女は自分の意にそぐわない人間が現れた場合、基本は怒りや嫌悪より先に白ける気持ちが来るタイプなので、よほどのことがなければ無害なタイプではある。
 ニマドとは交流があり、向こうがその生き方ゆえ加虐趣味の人間にも一定数出会うので、そのうちの何人かがカッセロに紹介されることがある。快楽主義者仲間とも言えるニマドいわく「楽しめることが少なくてかわいそう」という同情が紹介に至る主な理由となっており、どうせWinWinの関係になるのだから良いのではないかとニマドは考えているが、気分屋かつわがままなカッセロについていける加虐趣味者は意外と貴重だったりする。



 静寂のシイラ……人間を石化させる魔法を持つ魔女。人間限定で攻撃性を放つ魔法を持つ彼女は性格的にも極度の人間嫌いであり、何より人間の出す「音」を嫌う。人工的な騒音はもちろん、人の声を嫌い、足音を嫌い、身じろぎする音さえ快く思わない。そんな彼女は生まれてこの方ずっと深い森や山の中で暮らしており、自然や動物の発する音は人間に対する姿勢とは対照的で、嫌いどころかむしろかなり気に入っている。カッセロとはまた別な方向に尖った変人であり、また魔法の内容とは無関係にシンプルな不老不死である。
 他の魔女と違い、秘境のような場所にだけ住む存在なので、普通に生活していればまず出会わないタイプの魔女である。また人間嫌いではあるが人間の活動に敵対する意思はなく、都市開発などで自然が破壊されていくことについても抵抗する素振りは見せない。住処を追われるか気分転換によって生活拠点を変える彼女だけれど、いつかこの世から人間の手の入っていない純粋な自然が消えた場合は、その時は自殺して人生を終わらせようと心に決めている。不死である彼女の自殺は自分を石化させることであり、人間に酷似した肉体を持つ魔女に石化の魔法が通じるのかどうかは、すでに取り返しのつく相手に対して実践済みである(厳密には魔女の肉体ではないニマドは実践相手から除外されている)。
 ただし魔女を石化させられる理屈について、彼女はその魔法や精神面以外が人間に酷似した「魔女」という存在を人間と同じくらい嫌っているので、彼女の魔法とは実際には「嫌いな物を石化させる魔法」なのかもしれない説があり、この場合自分に石化が適用出来るのかは微妙な判定になる。彼女は別に自分のことを嫌っているわけではないが、そこに矛盾を感じていることもまた事実であるから。
 何かの拍子に彼女の住処へ足を踏み入れた人間に対しては、彼女は案外それなり友好的な方ではある。それが遭難者であるなら道案内をしてやり、探索者であるなら帰るのをひたすら待ち続けるか自分の方が別の場所へ行く。自殺志願者であるなら同じく死ぬのを待つ。そういう意味では善性の、森の妖精的な存在だと捉えることも出来るけれど、そこで何か勘違いをして積極的に彼女に関わろうとすると、琴線に触れた瞬間石にされるので近付かないに越したことはない。



 偶像のイノベトラル……泥を生物に変える魔法を持つ魔女。例のごとく不老不死であり、不死の形態については「死亡後、泥から蘇る」といった形を取る。魔女としては比較的若い。
 人間の男に一度惚れ込んだことがあり、その男の死後も魔法による泥で愛しの彼を再現していつまでも幸せに暮らしている。なおその男とはいわゆるクズであり、魔女である彼女に加えて他に人間の女性四人、計五人の女性と不倫関係にあった人物であるが、彼女はそれをその男の欠点とは捉えていない。それどころか「好きな人の好きなものが好き」という思考回路でもって、彼女が泥でかつての恋人を再現する時、残る四人の女性も同じく再現される。
 あらゆる魔女に言えることだけれど、ニマド以外の魔女の魔法というのは、大抵の場合ニマドの下位互換である。泥を生物に変えるというのも「願いを叶える魔法」で実現出来ることであるから下位互換という扱いになるが、ニマドに比べてこちらにはなおのこと欠点がある。それは、術者が死ぬと再現された生物も泥に戻ること。しかし術者は泥という半無限のリソースから蘇る不死であり、傍から見るとこれは、蘇り次第また全てを作り直せばいいだけの話なのだけれど、彼女は自分の再現した生物が一度でも泥に戻ることをひどく嫌っており、不死を携える魔女の中でも比較的珍しい「殺されるとキレるタイプ」である。
 いつまでも一人の人間に固執すること、不死でありながら死を嫌うことなど、上に挙げたような他の魔女とは相容れない部分が多く、惚れた男とその取り巻きを除いては人間に対してもどちらかといえば敵対的な姿勢を取っている(ものすごく気難しい人間とさほど差異はないけれど)。ちなみに再現された最愛の男が第三者である他の人間あるいは魔女を気に入った場合、その瞬間それに対する彼女の認識が一気に「好きな人が好きだから好きなもの」にカテゴライズされる点も彼女の性格的特徴である。他の魔女に比べると、ある種最も人間的な価値観に沿った「やばい女」なのかもしれない。
 また、彼女の再現した人間たちが自我を持っているかのように動くのはそのように設定しているためであって、本来は生み出した生物を意のままに操ることの出来る魔法でもある。なので何かに対する敵意が最高潮に達した彼女の攻撃法は基本的に手数に頼った物となるようだ。
 ちなみに、偶像の魔法は唯一ただ一点のみ、聖杯の魔法に勝る部分がある。それは男性を作れること。ニマドは「想像できる物」しか作れないので、種族上理解している「女性」と違い、男性の形を真似ることは出来ても、本物の男性そのものを作ることは出来ない。偶像はそれが可能であるというのが、唯一聖杯より優れた点となっている。
 ついでに言えば、男性の肉体を得て男性の感覚を体験することが、ニマドの抱き続けるささやかな夢である。



 プダカのドウプラン……彼女の口から「プダカ」という言葉を聞いた者の身動きを封じる魔法を持つ魔女。正確に言うなら「自ら宣言した行動以外が取れなくなる魔法」であり、身動きを封じるというよりは、何をするにも一手遅らせる能力と言った方が事実に近い。また「プダカ」という言葉を聞いた者は、その瞬間にこの魔法の内容を理解する。それに加えてプダカの魔法発動時、彼女は「チェックランス」という槍を得る。この槍に貫かれた者はしばらくの間、術者である彼女の指定した一つの行動しか取れなくなる。
 静寂のシイラと同じく戦闘特化の魔法を持つ彼女だけれど、戦闘特化の魔法にしては魔女には珍しく致死性が無い。チェックランスを当てられればその限りではないとも言えるが、触れずとも石化させるシイラと比べるとそれでもまだ致死性に劣る部類である。またプダカの魔法による行動制限について、呼吸など普段から無意識に行っていることは封じられなという特徴があり、どうにも他の魔女に比べると魔法の規模が小さい印象が否めない。もっとも、魔女は壮大な規模の魔法を持つものだ、なんて決まりは一切ないのだけれど。
 また彼女自身の性質も魔女としては異質であり、その精神は人間に近い、というかほとんど人間である。端的に言ってあらゆる苦痛に脆いのだ。日常生活では喧嘩をする時くらいしか使いどころのない魔法も合わさって、普通に生きている分には人間と区別がつかないとまで言える。不死であるかどうかは不明だが、少なくとも人並み外れた再生能力は持ち合わせているようで、しかし確実に肉体が歳を取っていることから不老ではないことが確認されている。おそらく人間と同程度の寿命で死ぬのだろう。ちなみにその人間くさい性質ゆえ、ここで紹介されていない人物も含め、全魔女の中で最年少だろうとされている。
 そんな彼女が魔女であると言うに足る理由は「本人が自称していること」しかない。本来全ての魔女に備わるはずの「魔女を見分ける力」についても、彼女に対してそれが作用するかは魔女各々で個人差があり、彼女自身も魔女を見分けられるケースとほうでないケースがある。
 このことに対して否定的な見方を取るなら、異能力を持っている頭のおかしい人間、それがプダカの魔女ドウプランの実態である……という見解も示すことも出来る。しかしそれにしては不可解な点(魔女の特徴である、生まれの知れなさを持つことなど)も多く、これらのことから、そもそも生まれの知れない「魔女」という存在は、いったいこの世の何なのだろうか? という謎を問いただす存在として、他の魔女連中からは貴重な存在として見られる場合が多い。





・解説の四 メタ的視点で見る魔女
……上記の魔女設定集は、あくまでも創作の設定としての物である。よってメタ的な話、なぜそのキャラを発想するに至ったのかなどの記述は省いてある。そして当然、それをここで語っていくことになる。
 一人だけ力の入れようが過剰なニマドの設定だけれども、これはニマドが一番初めに生まれた魔女であり、現実逃避の力としても究極のクソラノベを形成するために必要不可欠な存在としても、彼女こそが真っ先に完成された、限りなく完璧に近い存在であるからに他ならない。反対を言えば、小説として作品化されていないその他の魔女は、まだ未完成品なのである。
 ニマドの設定は先に説明した通り「無能の主人公を助ける都合のいいヒロイン」として作られた物になっている。あるいは作文タイトル「Z指定が、魂の力を表現するマシンなら……」で書いた通り、現実逃避をするために最も最適と思われる都合の良さを持たせた結果でもある。どちらにせよ共通している重要事項は二つ。人間的価値観から逸脱させることによって、人間から見た時に人間側が有利になる不釣り合いギブアンドテイクを実現させていることと、様々な問題を解決させるための雑に強いチート能力を持たせていることである。逆に言えばそれ以上でもそれ以下でもない存在、それがニマドだ。
 カッセロは上記「Z指定(以下略)」でも書いた通りニマドからの派生形であるが、設定の段階でも書いた通り彼女は人間視点からするとそれなりに扱いにくいキャラクターになってしまった。このあたりから迷走が始まるというか、当初の目的に沿う魔女はニマドが完成形であり、ニマド以外にあり得ないのだという結論に達して、創作としての面白さを模索するキャラ作りの方向へ転換していった。ドウプランがその最たる例であり、彼女の登場する話は魔女の真相(魔女はどこから生まれてくるのか)に至る内容になる予定だけれど、すでに言った通りそれを一つの作品として完成させる力が今のぼくにはない。いつか必ずやってやるという意気込みも正直ない。書けたらラッキーくらいの気持ちである。
 その他にメタらしい話といえば、一番露骨な物は「魔女は魔女を見分ける」であろうか。魔女の登場する話は基本的に現代日本を舞台にしており、つまり魔女は存在しない物とされている世界が舞台となっているので、魔女が自ら第三者(ニマドで言えば友達以外)に正体を明かすことはほとんどない。正体を明かす場合というのは、シイラのように雪女じみた口止めをするか、さもなくば速やかに目撃者を死に至らせるケースばかりである。
 なので魔女同士の交流を描きたい場合、魔女に魔女の見分け能力を備え付けるしかなかったのである。スタンド使いは引かれ合う的な物だと考えればそれが正解だ。またそもそも魔女の生まれが不明な原因についても、魔女とは種族であるという設定が先に作られたので、必然的に致し方なく生まれた謎に過ぎない。一応答えは用意するつもりだが……。
 それからニマドについてはさらにメタ的な話がある。それは彼女の名前についてだ。ニマドは本来名無しの魔女であり、人間に名前を付けてもらうことで自分に愛着を持たせる……といった「友達作りの方法」の一環として名無しさえ利用している、という設定があったのだけれど、これは作者の都合で消滅し、彼女の名前はニマドに固定された。作者の都合というのはつまり、そんなに何個も名前思いつくかい! という内容に他ならない。
 さらに言えば彼女の「魔法で知識に直接アクセスすることはできない」「学問に興味がない」という特徴も、本作文序盤で説明した通り、作者自身より賢い人物は書けないことが理由で生まれた設定である。なので万が一ニマドを使って二次創作をしようという奇人変人が今後現れるなら、その人は可能な限りニマドをもっと賢くしても良い。
 と、大体のメタ設定を暴露し終えたところで、ここで一応今回紹介した各魔女の名前の由来を載せておくことにする。デミは解説済みなので省略。

ニマド……インターネットブラウザにおけるいわゆる「二窓」から。人間の生み出した娯楽の中でも、特にインターネットが彼女は大好き。理屈が自分には理解できない(する気が起きない)からリスペクトも大きいぞ。

シイラ……森に住むことから、樹木の覆い茂る意味での「森羅」。また石化の能力から、石化→化石→シーラカンス→「シイラ」の二つの意味。

イノベトラル……「ライトノベル」のアナグラムラノベ的ハーレム系主人公を生み出すヒロインが本体という意味から。

ドウプラン……「Do」と「Plan」から。そもそも彼女の使う魔法「プダカ」とは元ネタがPDCAであり、氷菓くんがこれを初見で「プランドゥー・チェックアンサー」と思い切り誤読したことが事の始まりだった。

 今回の紹介設定に登場しなかった魔女としては、作文タイトル「投げっぱなしアイデア提出」にチラッと出た「破壊のキール」や、そもそもまだ設定が固まりきっていない「願望器アーティ」(デミに近い存在、魔女によって作られた擬似魔女)等がいるけれど、そもそも魔女の設定上、自分の既存作品のキャラを「実は彼女、魔女です」と後付けで言い出すことも出来るので、今回ここで紹介されたされなかったということに特別な差があるわけではない。
 またこれは話すべきことか微妙なところだけれども、魔女はエロ展開をやることが前提となって生まれたキャラ……という背景のことも語っておくことにする。
 ニマドが性に対して否定的であるわけがない(あってもらっては困る)という決定事項が先にあり、同時に全ての魔女の始まりがニマドであることから、他の魔女にも多かれ少なかれこの傾向が受け継がれてしまったというのが事の経緯である。どの魔女とどういうルートを辿ればどのようなエロ展開に繋がるのかは、各々で妄想してもらうか、何かの拍子に作品化されることを待ってもらうしかない。たぶん書かないけど……。
 強いて言うならシイラルートでエロをやるなら「絶対に声を出してはいけない」という一風変わった趣の物が出来上がるはずだ。……なんかそういうの面白くないですか? ちなみにそういった話をする際のことも含めて、リアリティ的難点(ずっと森にいる人って衛生的にどうなん? みたいな話)については全て、ことごとく、必ず、魔法あるいは世界のどこからともなくやって来る謎の力によって、理屈は分からないが解決されている物とする。魔女関連の設定は困ったらそのくらい適当でいいのだ。
 ともかく、そういった魔女が生まれるに至った経緯から来る設定の性質、その名残などはいろいろあるものの、実はそれらは現在あまり重要な物とはなっていない。今もっとも重要なのは、魔女は……つまりほとんど「ニマドは」と言ってしまっていいけれど、それは、現実逃避のための道具として運用されることがもっぱらメインになってしまったのだ。
 それゆえ魔女は日々アップデートされる。逃避しなければならない現実のパターンが増えるたび、または新たな逃避ルートを思いつくたび、魔女の局所的な設定は更新されていく。局所的な設定とはつまり、パターンAに対しては魔女なら台詞Aを口にするだろう、といったピンポイントの設定である。
 例を出そう。例えばぼくが友達(女子)と買い物に出かけた時、道の向こうから「ゴスロリ+眼帯」というアニメキャラみたいな恰好の人が歩いてきたとする。ぼくは「うおぉ、すごいな」とその人を観察してしまうわけだけれど、隣にいる女子が友達ではなく恋人だった場合、その行動は問題だと言えるだろう。ならば、その隣にいる女子が魔女(「友達」の関係にあるニマド)だった場合は、彼女はどんな反応をするのだろう? という話。
 答えは「ふと隣を見ると、さっき観察した相手と同じ容姿の人物が立っている」である。これは魔法によって魔女が姿を真似た物であり、魔女のその行為が意味するところは「あの人を見てたでしょ」という意味の、ジェスチャーのような物に当たる。
 なおかつこの場合、「あの人を見てたでしょ」に含まれる意味が二通り考えられる。単純に嫉妬や抗議の意味か、「君の好みは把握した。いつでもあれの真似が出来るよ」の意味のどちらかである。ニマドの場合は間違いなく後者だろう。この「主張の仕方が人外」という点と「主張の内容も人外」という点がニマドらしさ、つまりぼくのよく言う魔女らしさである。……という設定が、だからそのように、「友達と歩いてる時に変わった格好の人を見かけた」……という実際の出来事から生まれるのだ。
 そうしてアップデートされるまではその設定……つまり「魔女と歩いている時に他の女性を見た場合の、魔女の対応」という設定は決まっていないか、急造した定型文がごとく練度の欠けた状態にある。そういった物が一つずつ着実に、現実由来のアップデートにより完成されていくことになる。そしてそのことこそが他人に「魔女とは何か」を説明する際の難しさの要因である。魔女とは何かということを、ぼくもまだ完全には知らないのだ。けれど日々アプデによって設定の抜けは埋められていくだろう。ニマドは魔女の完成形であるが、アップデート機能を含めての完成形であり、細部の内容が定まりきる日は遠い。
 魔女のアプデはどちらかといえば、実際に体験した状況から閃くよりも、他人の発言を耳にしたことで閃くことの方が多い。直感的に「これは魔女っぽい」と感じる言葉が日常のそこかしこにあり、それが台詞の材料となっていく。
 例えばぼくが自分のことを「まわりが見えずに一人だけ勝手にはしゃいでいるタイプの人間」と評した時、それに対して「見てる方は楽しいからそれでいい」とコメントしてくれた人がいたけれど、それはまさに魔女のやり口だった。そのコメントをした人は何かを狙って言ったわけではないのだろうけど、ニマドが人間に取り入るときによく使う方法は「その人間に肩入れすること」なので、「見てる方は楽しいからそれでいい」はいかにもそのまま魔女が言いそうなことである。……と、そんな風に魔女の設定は更新されていく。
 気に入った相手に肩入れする行為は、突き詰めればいわゆる「生きているだけで褒めてくれるbot」に当たる行為であり、魔女の設定を固めれば固めるほど、それは褒めbotの開発が進むということでもあるので、その点作者であるぼくにも影響が出てくる。だからそのbotを自分に使うことによって効果的に現実逃避を行っていくわけだけれど、botは必要に応じて他人に向けて使うことも可能である。もちろん魔女が文章上の架空のキャラクターである以上、他人へ向けられるその人力botも、文章上の物に限るけれど。
 とりあえずぼくの目下の目標としては、ただひたすらこの褒めてくれる魔女botの手数を増やすことにある。それが現実逃避としての魔女の運用法に繋がるのだ。エピソードは多ければ多いほど良い。




・解説の五 現実逃避としての魔女の運用法
……さて、魔女の運用法の具体的なところだけれど、お便りついでに友人からもらった疑問の中で、かなり重要だと思われる以下の内容があった。
氷菓くんは魔女と会話するんですか?」
 これはイエスとも言えるし、ノーとも言える。というのも、魔女の設定や褒めてくれるbotとしての内容は、すでに説明した通りいつも局所的だ。ゆえに現実逃避の手段として魔女に関わる際、たしかにそれはぼくの一部が魔女に絡むのだけれど、逆に言えばぼくの「一部だけ」しか魔女と絡むことはない。
 人間の精神を構成する要素を部分的に抜き出して、それをその人の精神そのものだと呼べるかどうかについては賛否あるところだと思うので、上記の質問にはイエスかノーかで答えることが出来ない。あくまでぼく個人としての認識でいいなら、どちらかと言えばノーかなとは思っている。
 例えば「尽くす系ニマド」の主人公は、社会不適合者と自意識過剰、ついでに性欲という意味ではぼくだけれど、それ以外の点についてはぼくと似ても似つかない。ぼくは三年どころか正社員になること自体がほとんど不可能と言ってしまっていい状態だし、一人暮らしなんかしたことないし、散歩に面白みを感じるタイプでもないし、何よりぼくならいくら自分を惨めに思っても魔女を自ら捨てるなんて選択肢あり得ない。あの主人公はたしかにぼくと類似する点を多分に含んでいるけれど、あいつは決してぼくではないのだ。
 魔女と絡む時は大抵あのように、ぼくの一部を持ったキャラクターが関わるようになっている。なぜかといえば、ぼくだってさすがに自分の精神を構成している要素の全てを把握しきれているわけではなく、仮に把握出来ていたとしても、今度はそれを上手くまとめあげて文章化することが出来ない。自分を理解して、それを書き出すという、困難なステップが二つもあるわけで、それを乗り越えられないので致し方なく自分のわかりやすい要素を一部抜き出して、それと魔女を絡ませるという簡易的な方法を取っている次第である。
 あわよくば魔女の話を二作目三作目と小説にしてしまいたい気持ちもあるので、いつそれに至るほどの傑作アイデアが現実逃避の妄想の中から湧いてきてもいいように、わざとぼくの一部を担当する人物をぼくからずらした設定にしていることもある。これは無駄な抵抗である場合もあるのだけれど、あまりにも自分そのままのキャラで小説を書いていると、改めて突き付けられる「自分」に嫌気がさして心が折れてしまうことがあるからだ。あくまでも自分の中にある物が小説に投影されているという形でないと、自分そのものの文章化にはメンタルが耐えられないのである。投影でさえ耐えられない場合もある。
 なので現実逃避としての魔女の運用法は、自分の一部を抜き出してそれを適当なキャラクターに仕立て上げ、そいつと魔女を絡ませることが主となっている。もちろんちょっとした妄想をする際に、いちいち主人公に名前を付けたり、生活ぶり等々を決めているわけではないけれど。
 魔女が現実逃避に効果的な理由としてはその他に、同類の成功体験に見る希望のような物があると思われる。自分によく似た人間が魔女の恩恵に与っている様を見ると、純粋に羨ましい一方、なんだか自分にも希望があるような気がしてくる。現実において、自分によく似た性質を持つ人物の成功談を聞き、それに希望を見出すことと似ているのだと思う。まぁ現実の場合だと、ぼくは妬みの方が勝ってしまうけれど。
 何にせよ、ぼく自身そのものが魔女と絡むことは、いつか現実の方で実現させるしかない。それがぼくの夢、魔女に触れるということだ。





・解説の六 魔女に触れる
……ぼくの夢は「魔女に触れること」である。自分で作るbotで自分を慰めるだけでは救われないので、ぼくは実在しない「魔女」という存在にいつか実際に触れなければならない。あるいはそれが達成出来なくても幸せになれればそれで構わないのだけれど、幸せになるルートの一つとして魔女を狙っていく価値はあるとぼくは思う。詳しくはまた別の作文で書くかもしれない。
 書かれなければエヴァンゲリオンのような思わせぶりの設定群から、それを見た人が真相を探っていくしかない。どんまい。





・解説の七 応用編
……今回の作文を書くに至るお便りをくれた友人は、こんなことを言っていた。
「自分は「息をして生きていること」を褒められると嬉しいが、氷菓くんがそうであるように、あまり当たり前のことを褒められると、それは馬鹿にされているんだと認識するような人間が世の中にはたくさんいる。しかし何が「当たり前」なのかは各々個人によって違うのに、どうすれば確実に正しく相手を褒めることが出来るのだろう?」
 との問いかけだったが、これにぼくは「魔女(ニマド)を使え」と回答した。それに対する返答が、君の言う魔女が実のところよくわからないのだ……という、冒頭にある通りのお便りであった。
 魔女は人間が呼吸していることを褒めない。自力での呼吸もままならない重病人が快復した際は別だろうけれど、普通は呼吸していることを褒めたりなんかしない。ぼくとしてはなぜそれが分からないんだともどかしい気持ちだけれど、せっかくの機会なのでここにその理由を書いておくことにする。
 魔女が頻繁に人間を褒めることはそもそも、人間に取り入ること、取り入り続けることが目的である。褒められて悪い気のする人は稀で、悪い気のしないことばかり言ってくる存在を跳ね除けることは困難だから、魔女は人間を褒めるのだ。すでに記した通り魔女は目的のためならなんでもする。傍から見ればしょうもない内容でも全力で褒める。けれど魔女は演技が出来ないから、その褒めは自分の目的のための物でありながら、褒める気持ち自体に嘘はない。魔女が褒めている時はちゃんと「えらい! すごいぞ!」という気持ちが伴っていることになる(逆を言えば魔女は、たとえ人間に対して「えらい、すごい」と思ったとしても、気に入った相手以外にはわざわざそれを口にしたりしない)。
 だから魔女は人間の呼吸を褒めない。なぜならいくら魔女が人間の愚かさ、心の醜さ、弱さを諦めきっているとはいえ、呼吸することくらいはほぼ全ての人間が難なく出来ていることだと知っているから。
 けれど人間の負の側面を知っている魔女だから、例えばものすごくメンタルが弱い人間の存在も当然認識しているわけで。そういった人間は魔女が一律して諦め、そして許容し受け入れている「人間の致し方ない部分」であるので、人間側にとってそれが由々しき問題であることを理解しつつも、魔女の側はそれをさほど気にしていないということになる。するとその弱い人間が、ほんの少しでもその弱さから脱した時、魔女はそれを猛烈に褒めるわけだ。初めから全てを諦めている魔女だから、少しでも上振れた時に「すごい! えらい!」と心から思う。そういう意味では、平たく言って魔女は人間を舐めきっている。いい歳した大人に対しても「ちゃんと謝れて偉いね」とか言いかねない。けれど魔女の褒めとはそういう仕組みの物なので、いくら人間の負の側面を諦めている魔女とはいえ、さすがに呼吸を褒めたりはしないのだ。
 実際の人間も心の平静を保つために(主にクレーム対応などで)「相手は人間的に劣ったかわいそうな人なんだ」と思い込む方法があるけれど、魔女は思い込むまでもなく常に人間全体に対してそれを行っている存在であり、だからこそ生きてるだけで褒めてくれるbotにもなり得るのである。人間全体を見下しながら、同時に人間全体をリスペクトするような、人間という種族の「正の面」と「負の面」を完全に切り分けて考えられることが魔女ニマド特有の「人間では理解しがたい価値観」なのである。俗な言い方をするなら魔女のそれは、漫画家やミュージシャンが違法薬物や未成年淫行で逮捕された時、作者の逮捕と作品の価値とを完全に区別して見ることが出来るタイプを、人間という種族規模にまで拡大解釈した物といったところだろうか。
 この魔女の価値観を理解して使いこなすことで、君も究極の「生きてるだけで褒めてくれるbot」を完成させよう! ……と言いたいところだけど、これはあくまでもぼくの考える最高の魔女の運用法なので、友人の言うように個々人で価値観は違うのだから、価値観の数だけ別な魔女があってもいいとはぼくも常々考えている。つまり、君だけの価値観で君だけの最強の魔女を作ろう! そして自分好みにカスタマイズした君だけの生きてるだけで褒めてくれるbotを作ろう! ということである。
 けれどあくまでも、ぼくのように呼吸していることを褒められると馬鹿にされたと感じる人向けの対策として、サンプルとしてニマドの運用を練習もしくは参考にすることはここで勧めておく。これを読んでいるあなたが、そうまでしてつつがなく他人を褒めたいのならば、だけれども。



 以上で魔女講座を終了する。正直魔女を作った張本人であるぼくとしては、魔女の何がわからないのかがさっぱり分からないので、お便りの求めるところがこの作文中にきちんと含まれていたのかどうか知る由もないけれど、少しでも何かしら、理解の助けになれば幸いである。