背負えない男

 ぼくは背中に汗をかきやすい体質なので、リュックサックを背負うことが苦手だ。誰しも単なる移動で余計な汗なんかかきたくはないだろう。
 そこである日のぼくは、リュックを前掛けしてみることにした。小学生の頃ランドセルを前掛けして、それを膨れたお腹に見立て「おなかいっぱーいwwww」とふざけていたのを思い出す。
 しかしそんな前掛けを試してみると、これが意外と悪くなかった。背中は涼しいし、やはり体の前面なら背中ほどには汗をかかないし、しかも荷物(メガネケースとかイヤホンとか)の出し入れがすごく楽だ。リュックを両肩にかけたまま荷物の出し入れが出来るなんて、リュックの前掛けは偉大な発明かもしれない。
 ……そんな風に、その時のぼくはまだ知らなかったのである。そのリュックの前掛けが、まさかあんな真実を浮き彫りにするなんて。
 その真実は衝撃的で、面白おかしくて、そして……非常にしょうもない話だった。





 ある女性のネット友達がいるのだけれど、その人は下ネタを許容できるタイプの人なので、昔ぼくはこんな話を力説していた。

「頬を若干膨らませて揉んでみると、女性の胸の感触になるっていう話があるんですけど、ぼくは最近大変なことに気が付いたんです。その話はお馬鹿な男子たちが煩悩の果てにたどり着いた、しょうもなさの新境地だとばかり思っていたんですけど、実はそうとも限らないんですよ。
 ぼくは今まで、その話を知ってる全ての男子は、二つに分けられると思ってたんです。一つは、自分の頬を揉んでから「あれ、これは結局、本物と似てるのか確かめられなくね?」と気付く人。もう一つは、その後の人生で本当に女性の胸を揉んで、答え合わせをする人です。
 その二パターンだと思っていた、けど違ったかもしれない。世の中には、先に女性の胸を揉み、あとからこの馬鹿な話を知って、ようやく自分の頬を揉むような男もいるんじゃないですか。そいつは「答え合わせ」をまったく別の意味でしてるんですよ。頬の話は、そう簡単には女性の胸に触れられない男子たちが、欲望を搾りに搾って必死に考えたことだろうに、それをそんな……。……きぃーっ!(妬みの声)
 で、そう考えてみるとさらに、何かの拍子にその話を知って、そんなこと考えてる男子がいるんだってことを把握した女性は、女性なんだから、その場で確認できるわけじゃないですか。女性はみんな、即、答え合わせですよ。そもそも更衣室の中で「ちょっと大きくなってない?」みたいなノリで他人の胸を触ってるらしい人たちが、即、答え合わせですよ!? 男子はその答え合わせが夢なのに! 不公平だ!(錯乱)」

 ……と、まとめてみるとひどいなこれはという感じだけれども、大体こんな感じの話をした記憶がある。ネット友達の女性とはかれこれ二年近い付き合いがあるけれど、この話を聞いてもらえれば分かる通り、その友好関係はひとえに向こうの寛大さで成り立っていたりする。感謝……。
 実際この時も、この練りに練られた男性の気持ち悪さの凝縮体みたいな話をされたお相手の女性は、「なるほど」と言って、どうやらその場で「答え合わせ」をしたらしかった。
 そして、そういうノリの良さ(これをノリの一言で片付けてはいけないことは分かっている)が素晴らしいと思っていた矢先、予想外の返事が飛んでくることとなる。
 彼女は、
「え、固くないですか?」
 と言った。
 これは予想外だった。だって彼女が揉んだのは、せいぜい空気を入れたほっぺたでしかない。胸の感触にはならなくても、いくらなんでも固いってことはないだろう。
 彼女に「いやそれはおかしい」と言ってみても、「頬と胸では似ても似つかぬ」という内容の返事しか返ってこない。なのでその場は、
「他にも、時速70だか80だか出した車の窓から手を出して風を感じると、その感触が胸の感触に似ているだとか、そういう話はたくさんあるみたいですよ。執念を感じますね」
 という話をしてひと段落付けた(付いたのか?)のだけれど、後から振り返ってみても、膨らませた頬を揉んで「固い」というのは非常に不可解なことだった。それとも、男子たちの編み出したしょうもない策を知って、それについての答え合わせをした世の女性たちは全員、口を揃えてそう言うものなのだろうか? だとしたら男子たちの、我々の努力はいったい……。





 ……そんな感じで、ぼくの頭の中はいつもピンク色である。
 だからだろうか? リュックを前掛けしたぼくは、そのまま駅の階段を降りようとして、ある危険に気が付いた。……リュックが邪魔で足元が見えない!
 ぼくはそのことをツイッターに「巨乳の気持ち! 巨乳の気持ち!」と書き込み、それを例のネット友達にも見せた。なぜ見せたのかというと、お笑いとして面白いと思ったからだ。そもそも「巨乳は足元が見えない」という話は、ブラックブレットというラノベ原作のアニメにて聞いた話だけれども、「巨乳の気持ち!巨乳の気持ち!」はあまりにもお馬鹿なツイートで、また煩悩から来る邪悪さはかなり薄いように感じたので、これは笑い話だろうと判断した次第である。
 結果、これがネット友達から結構な好評だった。「そういうところ伸ばしていきましょう」と、編集部みたいなコメントをされるくらいには好評だった。そういうところっていうのがどういうところなのかは、未だに不明なままだけれども。
 下ネタだってカテゴリは「ネタ」、人を笑わせる概念であるはず。下ネタとはフグ、毒を取り除ければ美味い物。やはり笑い話からは邪悪さを取り除かなければならんな、ガハハ! と上機嫌になりつつ、しばらくぼくはリュックを前掛けし続けた。巨乳の気持ちが味わいたいわけではなく、冒頭で言った通りリュックの前掛けは非常に合理的で便利なように思えたからだ。
 が、ぼくはある日、なぜか唐突に気が付くことになる。リュックを前掛けすると、そんなことをすると、人間はとても、とてもとても、疲れるのだということに。
 前掛けすると、普通に背負った時と比べて重さが増したように感じるし、なんだか腰に悪い感じもする。猫背も悪化する。……そりゃ、そうでなけりゃ、誰も背中で背負いやしないよな。そんなことを気が付くためだけに、ぼくはなぜか数日もの時間を要したのだった。人類よ、これがバカである。
 そうしてぼくは前掛けをやめたが、しかし背中に致命的な量の汗をかくのも嫌なので、リュックを右肩だけにかけては右肩が痛くなり、左肩だけにかけては左肩が痛くなり、ええい一体どうすればいいのだ、なんで背中に汗をかきやすい体質に生まれてきてしまったんだ……と、他人から見れば至極どうでもよさそうなもがき方をしていくことになる。今でもしている。
 そしてそんなある日、これもまた、なぜか唐突に気が付いた。リュックの前掛けをやめて、非常にすっきりした自分の前面を見て、思い至った。
 あれ? もしかして本当に巨乳な人って、胸が邪魔でリュック前掛け出来ないんじゃね?
 そうなってくると「巨乳の気持ち!」の意味合いが変わってくる。あのお馬鹿な話に、さらにお馬鹿が上乗せされる。世の巨乳な人たちがあのツイートを見たなら、その時はぼくが思っていたよりも数段激しく「バカだなぁ」との感想を抱いていたことになる。つまりあの話は、ぼくが思っていたよりもさらに面白い……!
 こいつは大発見だぜ。そう喜ぶぼくは、当然ネット友達の女性にそれを報告した。好評してくれたんだもの、報告くらいする。
 ……そして、そこで寄越された返事の内容は、以下の通りだった。

「前掛けできますよ。だいぶ不格好になりますけど」

 …………ん?
 あれ……? なんだ? なんだ、その、自分のことを語るかのような返答は……。
 まさか、という思いが脳裏を駆け巡る。まさか、まさかぼくがアホなこと言っている間に、それを好評してくれた友達(女性)というのは、まさか……。
 いや、いやいやいや、それはない。きっと友達が巨乳で、その友達がリュック前掛けを試みる様子を見たことがあるのだろう。だって巨乳の人っていうのは、男性から下卑た注目をされ続けて、うんざりしているはずだ。それを笑い話にされていい気分でいられるはずがない。それはぼくだって、胸が大きい人がいたら視線を吸い寄せられる傾向にあるけれど、見られている側は不愉快極まりないだろうし、だからきっとそれは、誰か知り合いの話なんだ。
 と、困惑しすぎて、単刀直入にズバッと「え、巨乳なんですか?」と聞くまでに、数日、あるいは数週間を要したように思う。そして意を決し、いよいよ聞いたところ、ものすごくあっさりと「巨乳かはわかりませんけど、一応Fあります」との回答をもらったのだった。
 ……Fカップが巨乳じゃないなら、一体巨乳とは何なのか? 億の財産を持つ者が金持ちでなければ、一体金持ちとは何なのかって話と、まったく同じである。
 ぼくは金持ちの気持ちにせよ、巨乳の人の気持ちにせよ、ほんの少したりとも、これっぽっちも、小指の先ほどもわからないことを自覚した。





 おそらく下ネタに世界一寛容な女性であろうネット友達が、実は巨乳だったという事実を二年近く知らなかった。知る必要があるのかと言われれば確かにないのかもしれないけれど、今までいろいろな話をしてきた中で「彼女は巨乳だろうか?」なんて、そんなこと考えたこともなかったのだ。それゆえ衝撃的だった。
 そしてぼくは思い出した。あの時の、頬を膨らませて揉む話を。彼女がFカップだというのなら、その話はそりゃあ、そうなるに決まっている。どう考えたって、物理的に、頬はFカップになれない。そんなに大きく頬を膨らませられるやつがいたのなら、そいつは星のカービィである。
 前提が変わると話の意味合いも変わってしまう。頬と胸の話における「似ても似つかない」はこれで、良い言い方をするなら夢のある話になった。己の頬に触れるだけでは到底たどり着けない物が、大きいおっぱいにはあるんだぞっていう、男子にとって大きな大きな夢である。
 ただそれは、「馬鹿な男子」を「下衆な男子」に変えてしまうことも意味している。「おっぱい揉みたい」は大抵の男の望みだけれど、「巨乳の感触を確かめたい」は、その中でもちょっとピンポイントすぎるというか、お馬鹿よりも邪悪さが勝ってしまうように思う。……というのは個人的な見解ではあるけれども、けど、あの時のぼくに「面白い。そういうところ伸ばしていきましょう」と言った彼女は、はしゃぐぼくを見ていったい何を思っていたのだろう……。そう考えてしまう、仮に彼女が、本当に一ミリも気にしていなかったとしても。
 だからぼくとしては、この一連の話は「お笑い」ではなくなってしまったように思う。……けれどそれにしたって、この流れは面白かった。ネット友達との、この一連の流れは面白かった、間違いなく。
 「頬の話」から「リュックの話」まで進む間にどれくらいの時間が経ったかは覚えていないけれど、「彼女は巨乳である」という事実を知った時、ぼくは一冊の短編ミステリを読み終えたような気分になった。終盤での伏線回収と、微妙な後味の悪さがいい。よし、出版しよう。こいつは売れる!
 と、思ったからこの作文を書いたわけだけれど、書いてみるとなんとも、冷たい視線を感じる気がする。女性どころか男性からもそれを感じる。面白がってるのはぼくだけなのでは……? という気がする。
 友達と二人きりで話すことっていうのは、ちょっとした閉鎖空間だ。二人の間で噛み合った認識が、世間の認識と噛み合うかどうかは全然別の問題で、友達は下ネタに寛容だけれど、たぶん世間はそうじゃない。
 この話は面白いんだ、どうしてそれがわからないんだ……! そう叫ぶのは、こんなに女性の胸に触れたいと思っているのに、なぜ誰も触らせてくれないんだ! と叫ぶことと、そんなに変わらないのかもしれない。ぼくはそれとこれとでは全然別だと思うけれど、世間はそうでもないのかもしれない。
 文豪を思わせる巧みな表現や、軽快で面白おかしい文体で書かれた風俗レポは、みんな立派な作品という感じがするのに。どうも自分の書いた文章は、醜い物のように思えてしまう。思うに、それはたぶん、ぼくに常識がないことが原因だ。常識を持った人間が品のないことをするのと、常識のない人間が品のないことをするのでは、全然印象が変わってくるのだ。
 リュックを前掛けして「これが合理的」と一度でも本気で思った人間に、それを平然と公共の場で実行しては涼しい顔をしている人間に、そんなものあるはずがないのだ。しかも別に、巧みな表現も面白い文体も使えないし……。


※この作文は、登場人物である「ネット友達(女性)」より公開の許可を得ています。