オーバークック2・ハーフライン

 教育的な理由で、親からクレヨンしんちゃんの視聴を規制されている友人がいる。律儀に言いつけを守り続けた彼女はついに成人したけれど、彼女の受けた視聴規制が、教育的な意味合いで上手くいったとは思えない。
 なぜなら、クレヨンしんちゃんを見たことのない彼女は、小学生時代に血みどろの拷問シーンに溢れかえる「ひぐらしのなく頃に」をがっつり視聴していたからだ。アニメ、漫画、ノベルゲーム、全て網羅していた。
 まだ小学生だった頃の彼女がなぜそれを見始めたのか? というと、それは彼女のクラスメイトが「ひぐらしのなく頃に……って知ってる?」と突然勧めてきたせいだった。そのクラスメイトとはぼくのことだった。
 親子といえども、あるいは兄弟といえども、他人は他人である。そして他人への影響とは、本人以外には見えないところからやってくるものだ。……弟がいつの間にかVtuberオタクになっていた時、ぼくは小学生時代のひぐらしの件を思い出していた。それまで弟とVtuberの話をしたことなんて一度もなかったけれど、彼は高校の同級生から影響を受けたらしい。何にしても同じ穴のムジナだったということか……。
 しかしまぁ、だから完全な偶然によって、あるいは運命によって、ぼくと弟は二人ともVtuberのオーバークック実況を見て「このゲームで遊んでみたい!」と思うようになったのだった。
 そして、大雨の続くお盆休みのこと。オーバークック2(ダウンロード版)の半額セールを目撃した父が、コロナのせいでロクな使い道のない娯楽費をそこに注ぎ込んでくれた。半額につき約1400円という破格での購入だ。
 退屈に嫌気がさした父が「そういえば、子どもが何かゲームのタイトルを言っていたな」と思い出してオーバークックの値段を確認した時、半額セールはすでに終了三日前のカウントダウン状態だった。即決の購入を経て、「全てが運命的だ」とぼくは思った。






 実際に遊んでみた念願のオーバークック2の感想としては、「思ってたよりシビア」「しかし楽しい」「そしてゲームの出来がめちゃくちゃいい」の三つがある。
 まずゲーム性のシビアさについて。ぼくは実際に触れてみるまで、オーバークックの難易度を完全にナメていた。4人でわちゃわちゃしながら料理を作るゲームなんて、せいぜいマリオパーティミニゲームが複雑になった程度の物だろうとたかをくくっていた。しかし実際のそれは「複雑になった」どころの騒ぎじゃあなかった。超・複雑になっていた。
 指定された材料で料理を作るゲームならSwitchのマリオパーティにもあったけれど、しかし言われてみれば、そこには順序がなかった。トマト一つ、レタス二つを持ってこいと言われれば、順番はさておきとにかく指定通りの三つを自分陣地へ持って行けばいい……という、そういうゲームだった。
 しかしオーバークックは違う。オーバークックには「調理」がある。例えば肉を使う時、そこには「取り出す→切る→焼く」の手順がある。焼いてから切ったりすることは出来ない。そしてこれらの手順に、さらに「混ぜる」だとか「皿に乗せる・皿を洗う」だとか「使った調理器具を元の場所に戻す」だとか「火の面倒を見る」だとか、様々な要素が組み合わさってくる。その複雑さたるや、マリオパーティミニゲームドンジャラなら、オーバークックは麻雀だろうといった具合だ。
 何はともあれとりあえずやっておけばいい作業……という物は、オーバークックには存在しない。何事にも順序と、やるべきタイミングがある。そういう意味で、それは思っていたよりも遥かにシビアなゲーム性をしていた。思考停止で出来る物ではない。マリオパーティは酒を飲みながらでも出来るけれど、オーバークックは無理だ。
 また、オーバークックというゲームは時間との戦いでもあった。大抵のゲームはそうだろう……と思うかもしれないけれど、度合いが全然違う。今まで色々なゲームに触れてきたけれど、客の列を前にして怒号の飛び交う昼時の丸亀製麺を思い出したゲームはオーバークックが初めてだった。人生で初めて、ぼさっとしている人間が視界に入るとカチンとくる感覚を理解した。
 そのレベルで忙しい、忙しない、余裕がない。他人に「ぼさっとするな!」と言ってもいいのは、「〇〇をしろ!」と指示を出せる人間だけだ……という意識と、実際に指示を出すところまでは自分の脳みそが追いつかない歯がゆさを、社会に出なくても体感できるゲーム。それがオーバークックだった。
 そしてそんなオーバークックが、間違いなく楽しかった。その事実からは何か学ぶべきことがあるような気もした。「楽しい職場」という形容の意味合いをポジティブにするかネガティブにするかの違いはどこにあるのだろう……と思いを馳せたりした。オーバークックは楽しい「楽しい職場」だ。職場が楽しいのではなく、「「職場」という概念の楽しいバージョン」だ。
 楽しさの理由は、一番は試行錯誤にあると感じた。何をどうすればノルマに届くのか? ということを考える楽しさは、RPGやカードゲームの「編成・構築」段階の楽しさに似ている。忙しすぎるゲームがちゃんと楽しいのは、試行錯誤(失敗を踏まえた再挑戦)が楽しさの本題としてあることで、プレイヤー間でそれなりに「失敗」が許容されるおかげだろう。これが「一度失敗したら最初のステージからやり直し」とかだったら普通に投げだすところだった。ゲームが不親切な時代はぼくが生まれてくる前に終わってくれていてよかった。
 そして最後に感想の三つめ、ゲーム自体の出来の良さについて。これについては感想というより日記形式の話にした方が話が伝わりやすい気がするので、そのようにしようと思う。印象に残ったステージ・楽しかったステージの体験をありのままの感情で語っていけば、大体のニュアンスが伝わるはずだ。

 ※以下、オーバークック2本編の深刻なネタバレを含みます。オーバークックにストーリーらしいストーリーはないけれど、それでも間違いなく「初見の楽しさ」が貴重になるゲームです。4人協力型ゲームという、野良での協力を楽しめる人以外にとっては人脈的なハードルが高いゲームだけれども、遊べる見込みがある人は、ちゃんと自分で初見を味わった方が間違いなく得です。注意してください。
















 オーバークック2の印象に残ったステージ特集。
・1-4 寿司とベルコンと私
……例えばマリオパーティで料理を作るミニゲームが始まったとして、巻き寿司を作れ!と言われたら、大抵の人は「米」についてどう考えるだろうか? まず先に海苔を敷いて、その上に米を盛り付けて、それから具を入れて巻かなければ……と考えるかもしれない。
 しかしオーバークックにおいて、米は「炊く」ところから始まる。これが初見時「えっ!? 炊くの!?」と声に出てしまうくらい衝撃的だった。甘やかされ続けた平成2ケタ台生まれのゲーマーは、お料理ミニゲームなら当然炊飯器から炊けた米が出てくるだろうと思っていたのである。家の手伝いとして毎日米を炊いていたのだとしてもだ。
 そして1-4ステージには米炊きだけではなく、細い道に敷かれたベルコンという試練もあった。四角いステージに壁伝いで引かれた細い道に、時計回りの方向で流れるベルコンが敷いてある。そして米を炊くための窯と、出来上がった料理を出品するための窓口は真向かいにある。しかも細い上に物理的な流れのある道に対して、プレイヤーは4人もいる。当然、ちょっとの油断で大混雑が起こる。そしてこのゲームでの混雑とは、時間との戦い……もしくは火との戦いに、致命傷を与えかねないものになる。
 というのも、なんと信じられないことにこのゲーム、オーバークックというお料理ゲームは、火を使う器具を放置しておくと発火し始める仕様になっている。発火して、次々と燃え移り、キッチンが大火事になる。料理どころではなくなり消火器(マジでゲーム内に常備されている)を求めることになるが、そうなってしまうとまず満足な成績は得られないので、その回はリセット必至となる。そのくらい火の管理は重要なのだ。米が炊けたならば、その米が発火しないように火を止めに(というか炊けた米を盛り付けに)行かなければならない。混雑する狭いベルコンロードを抜けて、それをしなければならない。
「火を使ってる時はその場から離れるな!!!!」
 そんな小学生のお料理教室みたいな怒号が実際にプレイヤーの口から飛びだすゲームは、たぶんこの世に二つとないだろう。自分の口から一生無縁だと思っていたセリフが思わず飛び出た時、オーバークック2を遊べて本当によかったと思った。
 ちなみにオーバークックの真実としては、プレイヤーたちがゲームに慣れてくると火からガンガン目を離すようになる。「発火寸前」と「発火から最も遠い段階」は、「発火しない」という点において同じだから。



・1-6 今にも落ちて来そうな気球の上で
……常にキッチンを舞台とするオーバークックにおいて、しかしそのキッチンが常に陸にあるとは限らない。黒足のサンジが海の上にレストランを開くというのなら、オーバークックのシェフたちは空の上にキッチンを持つのだ。気球の上でサラダやパスタを作る。たとえ強風に流されて、足場や調理器具の位置が変わるのだとしても。
 ……と、そういう気球と風のステージは、実は1-5までの間にすでに体験していた。だから同じく気球の上が舞台となる1-6ステージを開始した時のぼくは、もう慣れたような物だからさほど苦戦はしないだろうとたかをくくっていた。……異変に気付いたのは「床の火」を見た時になってからだった。
 前述したように、油断すると調理器具は発火する。しかし床は燃えないはずである。どれだけ悲惨な大火事が起こったとしても、消火器を取りに走るための床は無傷であるはずなのだ。しかし1-6においてはむしろ、調理器具は一切発火していないのに、床に火がついた。火がついた場所は当然通ることができない。火によってステージ端に閉じ込められたぼくは慌てふためきながらも、まずは発火の原因を特定しようとした。するとどうやら、気球を飛ばすためのバーナー……つまり完全な「背景」から、火の粉が飛び出して床に着弾しているらしきことを目撃した。そしてそれとほぼ同じタイミングで、その火は調理器具の火災とは違い「時間経過で自然消火」されることにも気が付いた。
 つまり床の火は、「ステージギミック」の一環だったのだ。……なぜ? と思う。今までだって気球の上で料理をしていたのに、なぜ今になって初めてバーナーの火が床に来る? どうして急に? ……と、そんな疑問を原動力にさらに注意深く周囲を見渡してみると、それでようやく全ての理解に至った。
 背景を、キッチンの外側をよく見てみると、限りなく黒に近いグレー色の雲の中に、自分たちの乗っている気球があった。前ステージまでは青い空と白い雲があったのに、明らかに物騒な空模様の中に自分たちはいる。……というかさらによく見てみると、どうやらこの気球は落下している! 料理に集中しすぎて気付かなかったけれど、このステージは「落下する気球の上でクッキング!」というイカれた、それでいてアツい展開のステージだったのだ! 事故現場でそのまま手術を始める展開の医療ドラマくらいアツい。
 この世界観で気球が落ちるとなれば、火の粉くらい床に引火していても違和感はない。そういうことであらゆる意味での納得を得て、ぼくは調理作業へと戻った。野菜を切ってひたすらサラダを作る。レタス、トマト、キュウリ、注文によってそれらの組み合わせはその都度変わるけれど、どうやらレタスだけは常に需要があるようなのでレタスを中心に刻みまくる。刻み、盛り付け、窓口に出品する。ただひたすらに……。
 …………するとある時、気球が落ちた。
 文字通りの意味で、マジで落ちた。カメラが突然「引き」になって、灰色の雲の中へと落下して消えていくバルーンが映された。やがて「ドシーン!!」という衝突音が聞こえてくる。……プレイヤーは全員、ひたすら唖然となった。
 何が起こった? 死んだ? もしかして何か中間ノルマ的な物があって、それを達成できなかったから落ちて死んだ……? 中間ノルマの存在にまったく気付けなかった、というかそんな表示あったか……!? と頭の中は大パニックを起こす。さながら走馬灯のようだ。……がしかし、仮にその仮説通りにステージを失敗したのだとしたら、それにしては終了の合図が鳴らなかった。画面右下の制限時間を表示するタイマーだってまだ動いている。何かがおかしい。
 混乱する頭の中のもやが晴れていくみたいに、画面の中では雲が、あるいは白煙が、徐々に晴れていった。すると……。

「大輔、あれを見てみろ!」
「ええええええええええええええ!?!?!?!?」

 なんとそこには、落下した先で料理を続けるシェフたちの姿が!!!!
 全員生きていて、落下先は新たなキッチンで、しれっと第二ウェーブが始まっていた。ステージの形は気球にいた時とは大きく変化して、なんか回転寿司みたいなレーンの上を海苔と米が流れているし、ていうかいつの間にか料理の注文が全部寿司に変わっている。……そう、つまり気球の落下は「舞台チェンジ」に過ぎなかったのだ! ゲームはまだ続いている! このステージは二部構成だったのだ!
 ぼくはこのステージ1-6を初見で体験した時、本当に本当に感動した。まさかこんな二頭身のかわいらしいミニゲーム集的なゲームから、心を震わせるほどの感動を与えてもらえるとは思っていなかった。ありったけの臨場感、混乱の先にある高揚……! これはものすごいゲームに触れてしまった、この素晴らしさは絶対に世に広めなければならない。そう思った。
 気球が落ちた時、集中しきった作業の最中に起こったあまりの出来事に「うおおおおおおおお!?!?」と思わず口に出して叫んだぼくは、中学生の頃に初めて乗ったディズニーシーのセンターオブジアースのことを思い出していた。それこそ走馬燈のようだけれど、確かにそれを思い出していた。あのジェットコースターはコースの後半に、ひたすら暗闇の中を進むパートがある。加速のGを受けながら「どこへ行くんだ……?」と思うばかりの時間がある。そしてある時フッと火山の頂上から飛び出して落ちていくのだ。ぼくの場合、しかもそれに乗ったのは日が沈んだ時間帯、夜のことだった。
 その時の、暗闇から飛び出した時の衝撃は忘れない。暗闇が晴れて唐突に目に入る景色、パーク全体が見下ろせるような、見渡す限りのその景色は夜景だった。遊園地の中でしかあり得ないような、普通では見られないファンタジックで唯一無二の夜景が、見渡す限り一面に広がって見えて、「おお!」と思ったその瞬間、とてつもないGと浮遊感を伴って落下する。ものすごい速度で落ちる。夜景は一瞬にして過去の物になる。その時もぼくは思わず「うおおおおおおおおお!?!?」と叫んだ。その一連の体験の中には、間違いなく他のどこでも得られない感動があった。
 ……他のどこでも得られない感動だと思っていた。けれどオーバークックの気球が落ちた時、ぼくは確かにあの時に似た感動に襲われたのだ。そりゃあ初めて乗るセンターオブジアースに比べれば十分の一かそれよりも小さい感動だったかもしれないけれど、けれどそれでも間違いなく「同種の感動」ではあった。素晴らしいゲームに触れたと思った。家で画面に向かいながら、まさかその類の感動を得られる日が来るとは思わなかったから。
 この体験をしてからしばらくの間、ぼくはオーバークックの信者になった。100点満点で言えば300点のゲームだと豪語していた。実際、冗談抜きに信じられないくらい出来の良いゲームではある。そうでなければこんな感動はあり得ないのだから。



・3-1 ハリーポッターとピッツァと意思
……ステージは六つでひとくくりなので、1-1から2-6までをクリアして12個の修羅場を超えてきたプレイヤーたちは、すっかり「料理だけを作る機械」としての自分を手に入れていた。そんな中で登場するこの3-1、魔法学校らしき場所のキッチンを舞台にピザを作るステージは、ものすごく印象深い上に、ゲーム全体を通して見ても一二を争うくらい面白いステージだった。
 ステージ開始時、4人のシェフたちは2:2に分かれて隔離されることになる。左側の二人は材料があるだけの狭い空間、右側の二人は材料はもちろん出品窓口やピザ窯もある広い空間に配置されてスタートする。そしてそれぞれのグループは作業を分担しつつ、「お互いを隔てる障害物」という名の「三つのまな板」を介して協力していくのだ。
 つまり4人いる各々が必要な食材を持ち寄り、三つしかないまな板を駆使しながら調理を進めて、広い側の二人に加熱と出品を任せることになる。……が、それだけではもちろんつまらないので、このステージにはさらなるギミックが施されている。それは両グループを隔てているまな板が、魔法の力によってゲーム中何度も移動することだ。ただし移動のパターンは二つしかない。ゲーム開始時とは逆に左側を広く、右側を狭くする形でやはり各々を隔離するパターンと、それを元通り初期状態に戻すパターン。それが交互に行われる。
 しかし、このステージの肝はそのギミックにはなかった。最も重要なのは「まな板が三つしかないこと」、そして注文されるピザは必ず「生地、トマト、チーズの三つ」で構成されていることだった。まな板が三つ、用意するべき材料も三つ。これが肝だ。
 つまり、まな板の上に「同じ材料」が乗っているととんでもなく邪魔になるのである。生地、トマト、チーズ……とそれぞれ別の物が乗っていればそれを組み合わせて、出来上がった生のピザを窯がある側の人へ渡して焼いてもらえばいいだけの話になる。しかし例えばそこで生地、トマト、トマト……という風に乗っていたりすると、まな板の上にトマトが一つ余ることになる。シェフは4人もいるのに、隔離されたチームがやり取り出来る唯一の場であるまな板は3つしかないのに、その上そのまな板を一つ遊ばせてしまったら、ノルマ達成など遠ざかる一方に決まっている。しかもその場合、材料が一種類足りずに焼きに入れないピザ生地も残ることになる。全てが非効率なのだ。
 けれども「料理だけを作る機械」になってしまったシェフたちには、それを理解することがなかなか難しい。今までは時間が余す限り調理を進めることが、まな板を使っていくことが正義だった。火にかけた鍋やフライパンが埋まっているなら、そこへ火が通るまでの間に、次に使う食材をまな板の上にでも切って置いておけばいいじゃない。そういった思考が2-6までにおける定石だった。けれど3-1においてそれは悪手になる。「暇だったから」と余分な材料をまな板の上に置き始める者が出た途端、めぐりめぐってそれが全体の流れを妨げることになる。3-1に求められる技術は速さではなく「待つ勇気」なのだ。手なりで動いてはいけない。視野を広げ、明確な意思を持って「今するべきこと」を探さなければ。
 1-6にてゲームの演出的な出来の良さに感動したぼくだけれど、3-1ではそのよく出来たゲーム性に感動させられた。メリハリのつけ方が完璧だと思った。もしもオーバークックというゲームが、ただひたすらにその場その場の速度だけを求めるようなゲームだったら、きっと早々に飽きが来てしまっていただろう。けれど実際には「待つ勇気」を要求され、ゲーム性にメリハリがついた。オーバークックの良さは演出だけではなかったのだ。このゲームを作った人は天才なんじゃないか? 心の底からそう思った。何十個とあるステージのギミックを毎度毎度思いついてそれを形にするだけでもすごいのに、そのクオリティが完璧すぎる。これが神ゲーか……と心酔しながら、それはそれとしてピザが食べたくなった。



・4-1 お寿司シティアクターズ
……オーバークックを4ステージ目まで生き抜いてきたシェフたちにとって、寿司はすっかり慣れ親しんだ料理である。しかしそれと同時にそのシェフたちは、「お料理ゲーム」というジャンルの中で起こる奇想天外な、ドラマチック極まる出来事を体験してきた者たちでもあった。気球は落ち、テーブルは浮き、どこでもドアみたいな鏡を動線に組み込んで、火災一歩手前のピンチをフットワーク1つでチャンスに変え、足場から落っこちて闇に消えたとしても何度でもよみがえってきた。……だからそのシェフたちが4-1ステージを見た時、嫌な予感がしたと同時に、その予感が的中することを心の底では期待していた。
 4-1は夜の街中にて寿司を作っていく、調理場と出品窓口がひどく離れているステージだった。そしてその調理場と窓口を結ぶ道筋に、避けようもない車道と横断歩道と信号機がある。シェフたちの心の中には、それを見た瞬間相反する二つの気持ちが湧いてきた。「どうせただの背景だろう」「いや、このゲームならやってくれるはずだ」。……そしてぼくは個人的に、小学生の頃にプレイした「咲かせてちびロボ」のことを思い出していた。
 ゲームが始まってみると、車道には信号に合わせて車がビュンビュンと走り始めた。問題はそれが「移動する壁」なのか、それとも「殺傷力を持った鉄の塊」なのかだ。真面目なシェフたちはノルマ達成を目指すことを至上として、余計な検証を試みようとはしなかったけれど、それでも、事故は意図せず起こるから「事故」なのだった。
 一人目の犠牲者が出た。
「し、死んだ~!」
 轢かれた人は思わずそう叫んだ。なぜなら車にぶち当たったそのシェフは、ギャグ的にバシーンと画面外に弾き飛ばされるのではなく、その場でぺちゃんこのペラペラになって消えていったからだ。きっと他のメンバーが包丁を動かす手を止めて調理場から夜空を見上げれば、「あとは任せたぜ……」と親指を立てる亡きシェフの顔が見えることだろう。
 まぁ5秒経ったら復活するんだけどね。そうでなければやっていられないし。気球が落ちても料理を続ける戦士(シェフ)たちは伊達じゃないのである。
 このステージの素晴らしい点は二つあった。まずは何より一つ目、横断歩道と信号機を登場させたならば、しっかり轢きに来てくれたところ。こういったゲームにおける横断歩道は、いわゆるチェーホフの銃なのだ。これまでのキレッキレな演出を見ていての信頼感が、この4-1にてさらに増したことは間違いない。このゲームはエンタメが分かっている。それが何より素晴らしいことだった。
 そしてもう一つの素晴らしい点。それは轢かれたシェフが画面外に吹き飛ぶのではなく、その場で潰れてくれるところ。……もっと言うと、その手に持っていた食材や皿や、あるいは完成して盛り付けられた料理は、シェフ亡きあともその場に残るというところ。
 3-6までの間に何度か「足場から落ち得るステージ」があった。シェフが足を踏み外してしまった場合、シェフ本人は5秒で復活するものの、落ちる時に手に持っていた食材は失われてしまう。運んでいた皿も好ましくない位置に戻ってしまう。そして何より「完成して盛り付けた料理」を落とされると、各種食材を運び、調理して、盛り付けたその時間の全てが水泡に帰すことになる。そうなってしまうと、ただ単に食材を落とした時の3~5倍の時間を事実上失うことになり、ノルマクリアを目指すというゲームがまともに成立しなくなってしまう。だから落ちる可能性のある足場(橋とか)を通るのは最低限操作に自信のある者でなければならない……という、言わば「負の役割分担」が生まれてしまうのだ。
 ぼくは、こういう意味で求められるその手の「操作技術」の存在自体を嫌っている。モンハンやスマブラをやろうっていう時なら分かるけれど、オーバークックのようなパーティゲームスタイルのゲームを遊ぼうっていう時にそういった操作性を求められるのは、それは「違う」と思うのだ。だって橋をかけたいなら、落ちないように手すりをつけてあげればいいだけなんだから。それをしないことで得られる難易度の上昇や、それによって生まれ得る楽しさについては、そのかわりに切り捨てられる超ライトなゲーマーや発生し得るストレスの重さに比べると、非常にしょうもない物だと感じてしまう。
 そういった点で、神ゲーたるオーバークックにおいても残念ながら欠点はあるものだと感じていたのだけれど、この4-1の「轢かれる」という概念は良い。手に持っていた物が死後その場に残るという点がすごく良い。操作に自信がない人でもとりあえず挑戦することが出来るし、それで失敗してしまっても他メンバーが「あとは任せろ!」と言うことが出来る。「轢かれる」というシステムは演出的にもゲーム性的にも完璧な、非常に洒落た発明だと感じた。
 そしてそんな発明が、ここまでに紹介したような素晴らしいステージと、ここでは紹介していないがそれに次ぐ素晴らしいステージの山を経て、まだネタ切れを起こさずにしれっと現れるところに「天才」を感じさせられる。素晴らしい、すごすぎるゲームだと。
 そしてそんな素晴らしいゲームだからこそ、
「あぁ! 轢かれた!」
「おい! 完成品運んでただろお前!」
「大丈夫、皿は道路に落ちてる(死亡)」
「あ、そっか。じゃあいいや。ナイスナイス」
「いいんかい!(復活)」
 という面白会話がプレイヤー間に現れたりもする。亜人の二次創作みたいだなと思った。



・5-6 謎の光は全て床
……ぼくはこのステージがオーバークック2のラストステージなのだと信じて疑わなかった。実際は6-6がラストなのだけれど、5-6にはそういうクオリティがあった。
 ステージ5-6は、沼に浮かぶいくつかの小島からスタートする。当然それぞれの島に材料や調理器具などが散らばっており、定期的に流れてくる足場を伝って島を渡り歩きながら料理をしなければならない。……が、ここで神ゲーたるオーバークック2にも粗が見え始めてしまう。流れてくる足場が狭すぎる……というか、ここは自分の感覚を信じてあえてハッキリと言ってしまうけれど、「流れてくる足場の当たり判定」が「見た目と違う」。見た目の時点で小さいのに、当たり判定はそれよりもさらに小さくて、すぐに落ちてしまう。
 この手の体感を伴う指摘は必ず賛否が生まれてしまう物だとは思うけれど、少なくともこのステージには未だかつてないほどの、前述した「余計な操作技術の要求」があると感じられた。気球が落ちた時には100点満点中で300点くらいあったこのゲームへの個人的な評価も、道中何度もあったその操作技術問題によって下落したり、はたまた素晴らしすぎるアイデアによって再浮上したりして、5-6の時点では200点くらいになっていたのだけれど、今回のこの「小島と足場」はちょっと比べ物にならないくらい難しすぎて、一気に95点くらいまで評価(というか気持ち)が下がってしまった。
 ……が、その時である。ちゃんとやっているつもりでも三回に一回くらいのペースで落ちてしまう足場にイライラしていたシェフたちを、突如として意味不明な超常現象が襲った。いや、襲ったというよりもむしろ、手を差し伸べてくれた。
 突然背景の沼や小島は消えて、調理器具や材料の類だけが残った。そしてそのかわりの背景には、シェフたちの足元には、何か宇宙的なパワーを感じさせる寒色系の光が渦を巻き始めていた。これまでの演出を遥かに超える「異常事態」が何の前触れもなく発生したのだ。
「なんだなんだなんだ!?!?!?」
 分担作業のためのコミュニケーションが必須でよく喋ることもあって、このゲームは本当に驚愕が声に出やすいゲームだった。
 ワームホール的な物を思わせる謎の光が背景を覆い尽くし、「足場」という概念が消えた。少し歩いてみたシェフたちから順に気付きだす。この光の上は全て足場だ! 落下という概念がなくなったんだ! 何が起こってるのかは分からないけど今がチャンスだ!! 急げ急げ料理を作れ~!!
 その後謎の光が消えると、シェフたちは元々いた沼ではなく城の中みたいな場所の調理場に戻されるのだけれど、全てがフリーな足場と化す謎空間を体験したあとではその程度些細なことである。……というわけでその凄まじい体験を経て、ぼくはここが最終ステージなのだと信じて疑わなかった。
 ずっと誰もが思っていたことだ。気球の落下から始まったこの衝撃展開続きの料理ゲームの中で、もはや「料理ゲームの定義」とは何なのか……という哲学めいた疑問が、ここまでの試練を乗り越えてきたシェフたちの心には大なり小なりあったはずだ。そういった料理ゲームの終着点が「異次元空間でクッキング!」なのは、これはもう完璧な最終回だと思った。最後に次元まで飛び越えてこそのオーバークック2! オー、ブラボー! と、そういう気持ちで5-6をクリアして、6-1が普通に出現した時のぼくの気持ちよ……。素直に喜べなかった……。
 そして悲しいことに、その後6-1から6-6を走り抜けての感想は、「5-6で終わっておけば完璧なゲームだったのに」になってしまうのだった。しょんぼり。






 というわけで、オーバークック2の日記はここで終わる。尋常ではない面白さと、なんとも言えない尻切れトンボ感を味わってもらえていれば幸いだ。
 6-1以降のステージの何が悪かったのかというと、目新しいギミックやイカした演出に欠けていたことが「最高すぎた5-6まで」と比べて相対的にダメだった。最終コースらしくどのステージも難易度が高かったのだけれど、ゲームの性質上「高難易度=調理の不便」になってしまいがちなので、その部分のストレスが面白さとどっこいどっこいになってしまう感じだった。不便さその物が新たな面白さを生み出している3-1のような秀逸さは、6-1から6-6のどこにもなかったように思う。このレベルの天才でも30個もステージを作るとピークが来てしまうのだなと思った。自分のような凡人には1つたりとも発想すら出来ないわけだけれども。
 しかしそれを分かった上で凡人の立場から言わせてもらうけれど、6-1からは本当にちょっと「えぇ……」と思うくらいひどいステージが多かったように思う。特に「細くて曲がった足場」「しかもかなり不便なペースで浮き沈み」「あげくに当たり判定が見た目と違う」という三重苦の6-2だけは誇張抜きの苦行だったのでなんとかしてほしかった。「沈みますよ」のサインで足場がぐらぐらと揺れた瞬間その時点で、もう当たり判定的にはどう足掻いても他の足場には乗り移れなくなっている……というのはいくらなんでもひどくないか? ラスボスである6-6も、リトライするたびに飛ばせないムービーが入るとかいう超初歩的な不親切があるし……。今まで作った料理を全て作るという集大成的なノリ、ボタンで扉を開くという地味ながら新感覚なギミックは面白かったけど、二部構成の後半へ行くとその面白新ギミックは全ての目新しさと共に消えてしまうし、5-6の急に異次元空間(プレイヤーに有利)へ突入する衝撃に比べるとパワー負けしている感じがして……。
 と、いろいろ不満はあるものの、それで5-6までのかけがえのない感動と面白さが消えるわけではないから、総評としてオーバークック2は間違いなく神ゲーだと思う。ただし全ては「協力型ゲームで遊べるメンバーが4人集まること」を前提にした感想だ……ということは改めて言っておきたい。ぼくは家族4人で遊びました。
 ちなみにオーバークック2には無料DLCもあるのだけれど、その無料DLCの方はちょくちょく難易度が高すぎて我が家には無理だった。全6ワールドのうちまだ3ワールドしか遊んでいないのに、どう頑張っても先に進めないステージとすでに2つも出会っている。……逆に言えば、ある程度ゲームの上手い人たち4人で集まれる環境があるのなら、ここで紹介したストーリーモード本編に加えてさらに無料DLCまで付いてボリューム満点な神ゲー「オーバークック2」は絶対にやるべきゲームだ! と強く推したい。ただしその助言に従ってもらえる場合、ここまで読んでもらっている時点で「初見の楽しみの大部分」がすでに失われてしまっているのが難点だ……。
 というわけでそこはぜひとも、無料DLCを突破することでぼくにネタバレ返しをぶちかましに来てもらえたらと思う。我が家ではどうせクリアできないので待ってます。