感想文。

 ツイッターで流れてきた、はがきコンクールジュニア部門の作品に素晴らしい物があった。画像をそのまま持ってくると著作権とかそこらへんが大丈夫なのかよく確信が持てないので、作品を文章にして載せておく。

※「はがきコンクールのジュニア部門に熱い作品あった」で検索すると元画像が見れる可能性があるので、ぜひそちらも見ていただきたい。

 

 

あい犬はぶくぶく太ってぶんにょぶにょ

十キロギリギリ走れよ走れ

(あい犬へ)

お前は太りすぎた。落ちている物をすぐ食べるな。

だから、七キロが十キロギリギリになるんだ。

外でおもいっきり走ってやせろ、やせるんだ。

わたしといっしょに走ろうよ。         なな子より

【ジュニアの部】

題名:あい犬へ

区分:短歌

 

 

 ……という作品が、いかにも小学生の描いたと見えるかわいらしい絵と共にあった。絵は走る女の子と首輪をつけた茶色い犬の物で、特に変わった物ではない。

 しかし、まずそこが良い。一目見て「あぁ、これはこれを描いた女の子と、その子が飼っている犬の絵だな。この犬が太ったのだな」と分かる上でなおかつ、いかにも小学生の描いた絵だと思わせるその絵が良い。

 この作品は元々手書きであるのだが、文字もいかにも子どもが書きましたといった感じの質になっている。わざわざジュニアの部と説明されなくても、文字を見た瞬間に「あぁ、これは子どもが書いた物なのだな」と分かるような物だ。言ってしまえば決して上手な文字ではない。

 しかし、その字を読むのに読み手が苦労することはない。解読が必要ないのである。子どもの書いた字があまりにもめちゃくちゃだと「おそらくこの部分は〇〇と書いてある」と読み手が推測しなければならないが、この作品の文字はいかにも子どもらしいのに、それでいてちゃんと読める物になっているのだ。

 明らかに子どもの描いた絵、子どもの書いた文字。しかし何が書いてあるかは自然に理解できる。このバランスがまず素晴らしい。いくら文章の内容そのものがほほえましくても、もし字や絵が異様に綺麗だったら、ジュニアの部の作品を見ている気になれないからだ。しかし逆に解読が必要になると、それは読み手に無駄なエネルギーを使わせてしまう。

 それらしい絵、それらしい文字、それらしい内容。ジュニアの部の作品としてそれらが統一されていながら、読みにくさは一切ない。その意味ですでにこの作品は模範的だと言える。……が、元画像もないのにそんなことを言っても何も伝わらないと思われるので、そろそろ文章の内容について話そうと思う。

 まず初めの一文だ。

「あい犬はぶくぶく太ってぶんにょぶにょ」

 この時点で才能を感じる。太った犬の贅肉を表現するにあたって「ぶんにょぶにょ」という擬音を出す発想が一般人にあるだろうか。ぼくにはない。許容しかねる段階まで愛犬が太ってしまったことがこの時点でもうよくわかる素晴らしい表現だと思う。

 しかもこの文の始まりは「あい犬」である。「愛犬」ではないのだ。このいかにも「まだ学校で習ってません」と言わんばかりの文字遣い、これぞジュニア部門だと初っ端から主張してきている。かなり良好なスタートダッシュと言えるだろう。

 そして次に続く文章。

「十キロギリギリ走れよ走れ」

 ここで若干の疑問が生まれる。「十キロギリギリ」とは十キロに近い九キロ台のことだろうが、ここでの「キロ」とは何なのだろう。後に続く「走れよ走れ」から考えてkmである可能性が思い浮かぶ。しかし愛犬が太ったという話題であることからkgである説も考えられる。ぼくは犬の体重の相場を知らないので、この疑問にこの時点で答えを出すことはできなかった。

 しかしその後の「走れよ走れ」だ。なんてテンポと語呂の良い言葉だろう。下手に飼い主らしさを出して、上の立場であることを表現して「走りなさい」なんて言ってしまったらつまらないが、この作品ではそんな退屈なこと起きない。「走れよ走れ」だぞ、走らなきゃいけない気がしてくるだろう。

 このテンポの良さに流されるようにして読み進めていくと「(あい犬へ)」というカッコ書きを挟んで文章が続いている。その文章の始まりはこうだ。

「お前は太りすぎた。落ちている物をすぐ食べるな」

 見よ、このセリフ。「お前は太りすぎた」から始まるその文章。何かの物語が始まるのかと思った。よくある「お前は知りすぎた」にも並ぶ、およそ容赦の感じられない衝撃的なセリフである。走れよ走れの時点では犬と対等に近かった筆者の態度が、いつの間にか上から目線になるまさかの展開で文章の続きは幕を開けるのだ。

 そして続くのは「落ちている物をすぐ食べるな」である。なんと至極真っ当な文句であることか。そりゃあ落ちている物をすぐ食べてたらそう言われるよ、ちょっと前まで対等だった飼い主も偉そうになるよ。しっかりしてくれ愛犬。

 次々新たな展開を見せ続け、読み手を飽きさせない文章は続く。

「だから、七キロが十キロになるんだ」

 ここで例の疑問に解答が与えられる! キロはkgだった……! 捉え方によって文章の意味が変わってしまう部分に早急に解答を与えてくれる文字書きの鑑だ。そして同時に愛犬が約3キロ近く太ったことが判明する。それは人間でもそこそこの増加量と言えるので、愛犬氏はかなりやらかしていると見える。怒られるのも致し方なしか。

 太ったというのが具体的に数値で言うとどの程度のことだったのかも示しつつ、まだまだ文章は続いていく。

「外でおもいっきり走ってやせろ、やせるんだ」

 走れよ走れから続く言葉である。しかし「やせろ、やせるんだ」というテンポよりも強調を優先した表現によって、以前よりもより強い思いが伝わってくる。落ちた物をすぐ食べて3キロ近く太ったという経緯を、読み手が知った今だからこそ伝わってくる思いもあるだろう。

 そして特筆すべきはこの「感情の乗せ方」である。強い思いが伝わってきつつ、感情ばかりが前に出て文章自体が崩壊してしまうということはない、絶妙なバランス。文字と絵においても素晴らしいバランス感覚を(さすがに無意識で)見せた彼女の才能はこんなところでも表れている。

 そしてこれらの文章は最後にこう締められる。

「わたしといっしょに走ろうよ。 なな子より」

 これまで徐々に飼い主として、上の立場を示しつつあった筆者が、友達に対するような対等で優しい言葉をかけて話は締めくくられるのである。なんともほほえましい作品だった。

 そして最後。満足して去りかける読み手に、運営側から衝撃的な情報が発信される。

 

【ジュニアの部】

題名:あい犬へ

区分:短歌

 

 区分、短歌。そう、これは短歌だったのだ。信じられるだろうか。字余りとか自由形とかそういう次元じゃない。我々が読んだ物は完全に愛犬への手紙で、そもそもこれは「はがきコンクール」であるわけだから、それが手紙でも何も問題はないと思っていた。しかし、どうやらこれは短歌だったらしい。

 しかしそれでも素晴らしい文章だった。大人にも書けないような流れるようなテンポと独特かつ魅力的な表現の数々、それらを見たあとだと「もうこれが短歌でもいいか」という気にさせられる。圧倒的な力を見せられたあとのそんな気分、それはとても心地よいものだ。

 ……が、この作品を紹介していたツイートのリプ欄に有識者がコメントしていた。

「最初の「(あい犬へ)」より前がちゃんと五七七で短歌になってるんですね」

 なんだと……!? と慌てて確認する。

 

あい犬は ぶくぶく太って ぶんにょぶにょ

十キロギリギリ 走れよ走れ

 

 マジだった。短歌は初めの部分でしっかり書かれて終わっていて、その後の手紙のような文章はすべて解説文だったのだ。解説文だとすればそれはそれで独特な物だったが、ともかくこれで「区分:短歌」についても文句のつけどころがなくなった。

 なんて素晴らしい作品だったことか、拍手を送りたくなるクオリティだった。むしろ短歌を短歌だとも気付かないぼくのような人間にはもったいない、有識者のための作品だったとも言えるような物でさえあった。高級品だ。なな子ちゃんバンザイ!

 

 

 ……と、ひとしきり語ったところでこの話は終わる。しかし話題は次へ移り、この文章自体はまだ少しだけ続く。

 そもそも今回は、小中と同じクラスだった友人Kに言われて文章を書いている。彼がなな子ちゃん(なな子さん)の作品の魅力をイマイチ言語化できないというので、有識者に比べるとカスでも時間だけはあるぼくが一応こうして書いて見せることになったのだ。

 ところでそんな友人Kが中学の国語の授業か何かで書いていた詩が、とても印象的で未だに記憶に残っている。せっかくの機会なのでここで紹介しておこう。

 

 

ごめんなさい

ごめんなさい

ごめんなさい

ごめんなさい

ごめんなさい

五回も謝った

五回も

 

 

 ……というような詩を、彼は授業で必要に迫られて書いていた記憶がある。記憶は若干曖昧なので内容は少し違うかもしれないが、「ごめんなさい」が五回繰り返されていたことだけは確実だ。

 彼が何を思ってそれを書いたのかは不明。しかしどうだこの、ファッションメンヘラを置き去りにする闇のオーラは。友人Kは別にメンヘラというわけではないはずなのだが、これを提出物として見せられた先生の心中や如何に。

 先生のことはさておき、ぼくは初めて教室でこの詩を見た時「なんだこいつ、天才じゃねぇか」と思った。一方ぼくが授業で書かされた詩といえば、たぶん取るに足らない内容しか書けなかったのだと思う。記憶に一片も残っていない。

 しかし、それだけ力の差を見せておいて、友人Kは文章を書くのがそんなに好きではないらしかった。ぼくはこれ以降彼の作品を見たことがない。恨めしいことである。

 彼の過去作品を晒してすっきりしたので、今回の文章はここで終わりにしようと思う。晒したことを怒られたら、その時はきっちり五回謝ることにしよう。