マリオパーティなどの、ミニゲーム搭載型すごろくについての持論、後編。

「〇〇って何なのか気になりますよね! なので今回は〇〇について調べてみました! そもそも〇〇とは~~というのが起源で……(Wikipedia引用)」

 みたいな、よくあるクソみたいに冗長で中身のない文章を、ぼくも前編中編と書いてきてしまった気がしますけど、大して成長はせず後編もやっていきますね。

 

 

☆「マリオパーティ9」

・ルールについて

……通過するだけで取得できる仕様ですごろくマップ上に配置されていたり、ミニゲームに勝つともらえる「リトルスター」と呼ばれるポイントをより多く集めた人が勝者となるルール。前作とは違い明確なゴールがあるので、ゲーム終了までのターン数は未定。

 最大の特徴は「全員が固まって進む」こと。詳しくは後述。また、通常のサイコロはめでたく六面となっている。また、遊べる人数は最大四人であり、それ未満の人数でもコンピューター無しで遊ぶことができる。……たぶん。できたはず……。

 ともかく、この「全員が固まって進む」という他に類を見ないルールこそが、ミニゲーム搭載型すごろくにおける一つの到達点となっていることを、これから説明していこうと思う。

 

・ゲーム性について

……最大の特徴は全員が固まって進むというシステム。具体的には「全員で同じ車に乗り込み、サイコロを振ったら順番で運転手を交代していく」というシステムになっている。

 当然、止まったマスの効果や、道中で取得したリトルスターなどは全て運転手のみが受け取る。独特なのは「そのまま、その場で」運転手を交代して次の順番の人がサイコロを振るので、全員が「前の人が止まった位置から、それを引き継いで進んでいく」ことになる。

 このシステムによって、なんとあの「出目が悪く取り残される。ゴールに当たる地点にたどり着けない」という出目デカい方が有利すぎる問題をあっさり解決しているのだ。これが本当に偉い、偉すぎる。革命と言って過言ではない。

 同じマップを周回するルールで通過するだけで得られるポイントやアイテムがあると「とにかく速く突っ走った者勝ち」となるが、本作のシステムはいくら進もうとも現在地を次のプレイヤーに引き渡してしまうため、自分がゲーム中に出した出目の合計がいくら大きかろうと、大きい出目も適切な状況で出さない限り意味がないのだ。

 例を出すなら「7マス先にリトルスターが配置されている場合」などがわかりやすい。前作でこの状況なら、例え使うのが6面サイコロだったとしても、

「6を出して次のターンで確実にポイント入手。その「次のターン」でも大きい出目を出すほどさらに次のポイントをゲットするチャンスが近づく」

 となっていた。しかし本作では、

「6を出すと次のプレイヤーにポイントを確実に取られてしまう。次のプレイヤーが自分と僅差で競っている場合、むしろ1を出してチャンスを渡さないようにするのがベスト」

 ということになるのだ。この「小さい出目がベストになる状況」が多発するというのが、もっと言えば「最善解が時と場合で変化する」ことが多々あるというのが、本作独自のシステムによる最大の恩恵である。

 前作でも強力すぎる効果のマスが近かった場合には似た状況になることもあったが、今作では「そういうこともある」というレベルではなく、ほぼ常に最善解が変化する。これによって「大きい出目が正義」という概念が崩れ去り、出目次第で勝負がほとんど決まる運ゲーとは別れを告げることができたのである。

 いやちょっと待て、「最善解が変化する」だけでは大きな出目の最強を否定することはできても、結局「良い出目を出した人が圧倒的有利になる」という根本的な部分には変わりがないじゃないか。……と、そう思う人もいるだろう。しかしその点も心配ご無用だ。

 本作にも特殊サイコロが登場するが、その効果は前作とは趣が大きく違っている。種類もそう多くなく効果も単純なので紹介しよう。

 

「1・2・3サイコロ……1~3のみが出る三面サイコロ」

「4・5・6……4~6のみが出る三面サイコロ」

「0・1……0~1が出る二面サイコロ」

「ダブルサイコロ……六面サイコロを二つ振る効果」

「10サイコロ……十面サイコロ」

「ゆっくりサイコロ……1~6から選んだ数字が出せるサイコロ。目押しだが、前作より遥かにイージー

 

 以上である。どうだろう、このシンプルさ。ゆっくりサイコロ以外は初見時に名前と絵を見るだけで瞬時に効果を理解できたほどだ。しかしこのシンプルさが良い。こういった効果だからこそ「最善解が変化する」というゲーム性にマッチしているのだ。

 本作では特殊サイコロの最大所持数が2つのため「1~3サイコロ」と「4~6サイコロ」を持っておけば、あらゆる状況に有利な状態で挑めることになる。その上でちゃんと「A~C」のように数字が揺れるランダム要素があるので、特殊サイコロを使えば絶対安心という場面ばかりではないという「極端すぎない運」が絶妙に用意されているのだ。

 また精神衛生上、より良いと思う方向に行動できるシステムというのは非常に重要となる点も忘れてはいけない。これは「与えられた選択肢の中から最善を選び続ける」というミニゲーム非搭載型すごろくに通じる「楽しさ」の話だ。

 例えば5以上を出せば配置された大量のリトルスターを取得できるという状況で、通常の六面サイコロを振って4以下を出すのと、「4~6サイコロ」を振って4を引き当ててしまうのでは同じ「運が悪い」でも大きな違いがあるのではある。

 その違いは「最善と思われる行動を選んだか」ということだ。選択肢のない状態でただ悪運を発揮してしまうことと、「出目1~6のうちの1~4(失敗確率3分の2)よりも、自分は出目4~6のうちの4(失敗確立3分の1)を選んだのだ」と思うことができる。この「自分で選べる」「合理的な行動ができる」ということが「おみくじを引いているのではなく、ゲームをしている!」という実感になるのだ。

 完全に運要素を取り払えば他のゲームでいいじゃんとなるが、運要素を重くしすぎてもこんなのおみくじと一緒じゃんとなってしまうミニゲーム搭載型すごろくにおいて、運要素を残したまま「ゲームをしている実感」を与えることができる本作のシステムは「面白いミニゲーム搭載型すごろくとはどういう物か?」という根幹となるテーマへの一つの回答なのである。

 前作の特殊サイコロも一応「不発の可能性があっても使うのが合理的」という場面はあった。しかしそもそも十面サイコロを普段使いするせいで「100パーセント不発する状況」が多発していた上に、効果のほとんどが使うべき場面に遭遇した時「使わなければ不利になる効果」ではなく「使うと有利になる効果」であった。

(※具体的には「コインを奪う」「スタートに戻す」「アイテムを奪う」などがあった)

 一方、本作では何度も言うように「最善解の変化」が「多々」発生する。頻繁に、しょっちゅう、いたるところで、である。前作では攻撃的な意味合いが強かった特殊サイコロを使う意味がない場面では「使えない」という認識だったが、今作では特殊サイコロが防御的な意味合いを含むので「温存できた」という解釈に変わるのだ。そしてもちろん、本作の特殊サイコロだって大量得点を狙ったり、逆に相手に得点マイナスを押し付けたり攻撃的な使い方もできる。

 全員が固まって進むシステムがあることにより、出目操作が「保身の道具」にも「相手を陥れる武器」にもなるのだ。このシステム、あまりにも完成度が高すぎる。前作があのザマだったのに、急に大成長したマリオパーティに正直驚きを隠せない。

 が、まだ不安要素はある。冒頭のルール説明で言ったことを思い出してほしい。

 

「通過するだけで取得できる仕様ですごろくマップ上に配置されていたり、ミニゲームに勝つともらえる「リトルスター」と呼ばれるポイントをより多く集めた人が勝者となるルール」

 

 ……つまり、裏を返せばこういうことになる。

ミニゲームによって特殊サイコロを得ることはできない」

 この事実が不安を呼び寄せる。これまでに紹介したすごろくの中で面白かった物は、

ミニゲームにより追加のサイコロが得られ、なおかつそのバランスが絶妙だった「Wiiパーティ」のAすごろく」

「サイコロの出目による有利不利を「しゃらくせえ!」と蹴散らせる威力を持った核兵器級アイテムを当然のように存在させることで、相対的にそもそもサイコロの重要度を下げた「ドラえもんひみつ道具王決定戦」」

 の二つだ。

 本作には、さきほど紹介した以外のアイテムは登場しない。前作にあったコインの概念もない(ということはショップもない)。なおかつミニゲームでサイコロは得られないと来た。ここまで神ゲーの予感がしていたのに、急にクソ運ゲーの臭いがぷんぷんしてくる……。

 しかしご安心! 実はこのゲーム、特殊サイコロを得ることが死ぬほど簡単なのである。というのもまず、マップ上に腐るほど「ランダムな特殊サイコロを一つ取得する効果」のマスが設置されている。本当に、マリオも歩けば特殊サイコロに当たる、ってくらいの勢いで配置されている。都会のコンビニくらい大量にある。

 いたるところに配置されているおかげで前作のような「出目が小さすぎて取りに行けない」ということがない。さらにマス効果は通過ではなく停止でのみ適用されるので、これまた前作のような「大きい出目を出すほど特殊サイコロがたくさん取れる」ということもないのだ。どこまでいっても出目の価値は全て平等なのである。

 さらに、まだ特殊サイコロを得る手段はある。各所にチェックポイントがあるのだが、そこを通過するとなんと「全員が特殊サイコロをもらえる」。運転手だけではない、全員がである。ここまでやってもらって特殊サイコロが全然取れないとなったら、そんな日はもう、ふて寝するしかない。

 ちなみにチェックポイントでは「運転手以外はランダム」で特殊サイコロをもらえるが、運転手だけは「かなりイージーな目押し」で特殊サイコロをもらうことができる。1~6の中から好きな数字を出せる、超便利かつ最強のゆっくりサイコロだってほぼ確定で取れてしまうのである。

 ゆっくりサイコロはリトルスター10個以上の重要性を持つ場合がままあるので、これは少しやりすぎなのではないかという気もする。しかし、実は「運転手以外はランダム」と言ったものの、それは「高速で回転するスロットを止める」という意味のことだ。一見して目押しを諦める速さなので、ランダムと表現するのが正しいと思われる。

 けれども、これは体感の話になってしまうが、ぼくはなんだかそれさえ目押しできるように感じるのだ。運によるまぐれだったのかもしれないが、何度か成功させたことがある。

 もし「運転手以外はランダム」が「ベリーハードな目押し」だった場合、このチェックポイントはすでに「ミニゲームになっている」と言えるだろう。運転手のみが有利になるとはいえ、実力が介入するゲームである可能性がある。

 察しているかもしれないけれど、ぼくはこのゲームを神ゲーとして扱いたい。なので正直ここは「ベリーハードな目押し説」を推していきたい。目押しができる人は状況に左右されず最高のサイコロを手に入れ、そうでない人でも有用なサイコロを手に入れられる、それがチェックポイント。そういうことでいいじゃないか。

 この「ランダムだったとしても、何を引いてもそれなりに強い」というのは、ドラえもんに通じる面白さがある。あれは一部キャラだけが使えるので大問題だったが、本作では平等なので安心だ。前作マリパ8の「通りすがった相手からコインを奪う」みたいな、直接得点に繋がらないにもほどがある上に確実性に欠ける微妙すぎるアイテムを思えば、やはり本作は異常なほどの成長を遂げている。

 さて、ここまでサイコロまわりのシステムを褒めちぎってきたけれど、ここからは勝敗を決める直接的な要素となるリトルスターについて話して以降。

 リトルスターはマップの各所にある程度固まって配置されている(5点とか10点とか)が、これは通過するだけで取得できる。また、同じように黒いリトルスター(名前忘れた。我が家での呼び名はマイナススター)も存在しており、お察しの通りそれを取得してしまうと、今まで蓄えたリトルスターをその数に等しい分だけ失ってしまう。

 それ以外にリトルスターが、つまり得点が増減する要因にはミニゲームがある。ミニゲームミニゲーム開始の効果マスに止まった時はもちろん、特殊サイコロ取得の効果マスに止まった時についでのように始まることがある。実は頻度的には後者がメイン。

 ミニゲームの結果でもらえる得点は、

「1位……5点」「2位……3点」「3位……2点」「4位……1点」

(※数字うろ覚え。ニュアンスだけ受け取ってほしい)

 と、マップ上に5個や10個ずつ頻繁に配置されていることを考えると、非常に小規模な相場となっている。トップとビリの差も4点しかなく、一回や二回ミニゲームに勝っても負けても、大して得点が開くことはない。

 しかしミニゲームには時々「バトルミニゲーム」という特殊な物が発生することがあり、それは四人対戦時は「全員3点ずつの得点を賭けて行うミニゲーム」となる。

 ポイントを持ってなさすぎて払えなかった人がいた場合を除けば、計12点が集まることになる。そしてミニゲームの結果により、

「1位……6点」「2位……4点」「3位……2点」「4位……0点」

(※数字うろ覚え。ニュアンスだけ受け取ってほしい)

 と再分配される。頻繁に行われる通常のミニゲームの結果も合わせると、このバトルミニゲームによって結構な差が開く場合も考えられる……と、ゲーム下手っぴにもミニゲームに自信ニキにも、どちらにも微妙に優しい仕様となっている。

 これについては勝率が良ければ少量でも得点でリードできるということであり、差があまり開かないとはいえ「最後に1点でも多かった人の勝ち」というルール上小さな差も無視はできないので、ぼく個人としてはこの仕様を好意的に捉えている。前作のようなチーム戦だらけな上に直接得点にならない仕様と比べればかなり楽しい。

 また、マップ上には一つずつ「中ボス」と「ボス(ゴール)」のマスが設置されており、これにたどり着くと強制ストップとなる。そしてここでもミニゲームが始まるわけだが、ここでのレートは「中ボス1位……10点」「ボス1位……15点」と高めに設定されている。(2位以下は覚えてない)

 さらにこの二つのマスによるミニゲームでのみ「キャプテンボーナス」という概念が発生する。キャプテンとは運転手のことであり、強制ストップのこれらのマスに止まった時運転手であったプレイヤーは、ミニゲームの結果に応じてさらにボーナス得点を得られるのである。

 ボーナスは中ボス1位で5点(全部合わせて15点獲得)だが、ビリだと1点しかもらえなくなる。ボスの場合ならもっと極端だ。なのでミニゲームに自信のある人がボス戦に運転手として挑めた場合は腕の見せ所となる。

 またこのキャプテンボーナスの存在は、特殊サイコロを……特に大きな出目の出しやすい物を「温存」する意味……というか、

「特殊サイコロを使うべきタイミングが来ない=不運」

 ではないという価値観を形作るための要素の一つでもある。そういう事情もあるので大きな出目が小さな出目が完全に平等になったとは言い難いのだけれど、あらたに温存の概念を生んでいる上に、もともと大きすぎた出目による差を「結局はミニゲームに勝たなければ大して意味がない」というところまで縮めたのだからむしろ評価したい。

 ちなみに、全マップ共通で「キャプテン」と名の付くイベントはもう一つある。それが「キャプテンイベント」である。そのまんまだ。

 これも強制ストップのマスだが、ここで始まるイベントはマップごとに趣が異なる物の本質は以下の通りに統一されている。

 

「サイコロを使った運ゲー。ただしキャプテンにのみ「期待値を操作する権利」が発生する。このイベントで獲得できるのはリトルスターのみ」

 

 期待値の操作とはどういうことかというと例えば、

「大量のリトルスターへ続く、期待値のそれぞれ違う道(道のりは長いが「もう一回進む効果のマス」も多い道。効果マスは少ないが単純に短い道など)が四本ある中で、誰がどの道を進むのかキャプテンが決められる」

 というような物がある。要するに期待値はどこまでいっても期待値でしかないので、ランダム要素からは誰も逃れられないものの、他プレイヤーは命運をキャプテン(運転手)に握られることになるのだ。

 やっていることは運ゲーなのだが、キャプテンには「選ぶ権利」があるということ、これが大きい。さっきも言った通り、お祈りではなく「自分が正しいと思った道を進めること」がゲームをやっているという実感に結びつくのだ。それがゲームの楽しさに結びつくのだ。

 選ぶ権利があったことで、結果がどうあれキャプテンはそれを受け入れることができる(逆に、それでも自分の不運を受け入れられない人はこの手のゲームに向いてない)。そして選ぶ権利が一切ない他プレイヤーたちだが、彼らも運よく自分たちが得をすれば、またはキャプテンが不運に見舞われれば「ざまぁないぜ!」と高笑いすることができる。

 この「和気あいあいとした煽り合い」こそ、マリオパーティというタイトルが言う通りの「パーティ性」なのではなかろうか。煽り合いとはいえ、和気あいあいとしていればそれは立派なコミュニケーションである。

 「ざまぁないぜ!」とか「ちくしょう!俺がキャプテンだったら……!」とか言ってリアクションを取りながら遊ぶ楽しみが、すごろく系ゲームにはあるべきなのだと思う。紙を使って遊ぶ元祖の「すごろく」は、元々ただサイコロを振るだけの運ゲーをリアクションとコミュニケーションで楽しむ物であったはずだから。

 と、そんな感じで。リトルスターの集め方、サイコロまわりのシステム、そしてボス戦とキャプテン系のあれこれ。これで、このゲームのことはそのほとんどを説明したことになる。ミニゲーム搭載型すごろくとして、ほとんど文句のつけどころがない神ゲーだということがわかってもらえたかと思う。

 ……なのでここからは、このゲームの欠点を話していこう。正直ぼくはそれらのことも欠点とは思えないのだけれど、レビューなどを見れば世間の反応がそうではなかったので説明しないわけにはいくまい。

 

マリパ9の欠点

……各マップには、一定の条件を満たしたプレイヤーの所持ポイントを大幅に失わせるイベントがある。それぞれ紹介しよう。

 

「初期マップ……緑豊かな、なんとも特徴に欠けるマップ。優しいイベントが多く、良く言えば常にほのぼの楽しめ、悪く言えば緊張感に欠ける。このマップだけ他マップのような強烈なイベントがない」

 

「爆弾工場……ゲーム中決まった場所で計二回、運転席に「ぼむへい」が乗り込んでくるマップ。名前通り全身爆弾、ボムボムの実の能力者である彼は「自身が車に乗り込んでからカウントして、一定以上の数のマスを車が進むと爆発する」という能力を持っている。

(例……ぼむへいが乗り込んできた時点でカウントダウンが「11」だった場合、次にサイコロを振り6進むと当然カウントは「5」になる。このようにしてカウントが0になった時、ぼむへいは爆発する)

なお、ぼむへいが爆発した時に運転席にいたプレイヤー(つまりその時点での運転手)は、所持ポイントの半分を失う」

 

テレサのお化け屋敷……一定のポイントを過ぎると、テレサが背後から追いかけてくるマップ。何マスずつ追ってくるのかは忘れたけど(たしか3マス)、とにかく追いつかれればその時点での運転手は所持ポイントの半分を失う」

 

「海……いろいろなイベントがあるマップ。まず最初にイルカが前方を走る(泳ぐ)ので、それに追いついた運転手はリトルスターがもらえる(イルカの進むペースともらえる得点数おぼえてない)。追いつくとイルカは退場して、背後にサメが出現する。サメはテレサと大体同じ効果。

 また、しばらく進んだところは「マップ上のリトルスターをほぼ全て黒いリトルスター(マイナス)に変える」というおそろしい効果を持った効果マスが散りばめられている。ただし同じ効果のマスをもう一度踏めば、リトルスターを元に戻すことも可能」

 

「火山……火口の中をよじ上り、センター・オブ・ジ・アースがごとく山から飛び出す凄まじい世界観のマップ。海マップでは船になっていた車だが、火口をよじ登ることも出来るとは……。

 見た目のインパクト通りゲームとしても一番派手。一定以上進むとマグマが下から追いかけてくるようになり、マグマに飲まれると運転手は例のごとく所持ポイントを半分失う。テレサや海と違うのは、マグマから逃げる最中に分かれ道があること。そして分かれ道は「どちらに行きたいかを各々投票し、最終的にランダムなルーレットで行く道が決まる」という独特な仕様になっている。

 つまり行きたい方向が全員一致すれば確定でそちらへ進むが、そうでない場合は多数派の方に確率が偏るランダムイベントで進む方向を決めることになるわけである。大抵の場合近道と遠回りの二択のため、マグマと現在の順位やポイント差を見て各々投票、神に祈りを捧げ、一喜一憂することになる」

 

クッパコロニー……ジャックポット(略してJP)という概念があるマップ。JP追加マスに止まるとJPにポイントがチャージされ、JP獲得マスに止まるとチャージされたポイントを全て獲得することができる。また一定以上JPをチャージすると自動的にJPミニゲームが始まり、1位が一番多くなる順当な形式でJPが分配されることになる。

 他のマップがポイントを半減させてくる中、むしろ倍加させていく勢いで得点を得るイベントがある変わった趣のマップだが、このマップだけ中ボス戦とボス戦のミニゲームがそれぞれ一種類で固定されている。どちらも運の要素が大きい……というか中ボスに至っては「全員普通のサイコロを振り続けるだけ」という運要素オンリーの純粋なクソゲーとなっている。他は面白いのになぜここまで来てこんなことに……。謎である」

 

 

 ……と、大体これで全部になる。これらのマップたちと、もう一つDKジャングルという特殊ルールのマップがあるのだが、とりあえず今回は通常ルールのマップのみに焦点を当てようと思う。

 見ての通り、ことあるごとに「所持ポイントを半減させる効果」のイベントが起こる。半分というのがどれだけ恐ろしいのかはドラえもんの時に説明した通りだ(あれは失わせるではなく奪うだったが、核兵器級のアイテムやイベントが他にない本作では「半分失う」は奪われるのと同等の威力がある)。

 つまりこのゲームの何が批判されているのかというと、

「最後のクイズに正解した人には、百万点を差し上げまーす!」

 といったお約束展開的などんでん返しがあることが批判されているのである。バラエティ番組ならそれで盛り上がるかもしれないが、ゲームでそれをやられると「茶番じゃん。運ゲーじゃん」ということになりかねないということだ。

 たしかに順調に1位を独走していた人が、たった一つのイベントで2位以下に急転直下のランクダウンをするのは理不尽と言えるのかもしれない。一理ある。しかしこれはよくある「救済措置」であることも忘れないでほしい。

 逆転要素に乏しいすごろくゲームだと、序盤で敗北濃厚となったプレイヤーは戦意を喪失してしまう。するとその人がゲームを楽しめなくなるばかりか、まわりの空気さえ悪くなりかねない。このゲームは和気あいあいと楽しむべき物のはずなのにだ。

 そこで「誰しもが一瞬で転落しかねない」という要素を入れることで、最後まで期待を持ってゲームを楽しめるようにしているのである。このゲームには他にも、

「後半のチェックポイントで、その時点でビリの人だけがゆっくりサイコロをもらえる(他プレイヤーは何ももらえない)」

 などの救済措置が取られていて、ビリだからといって最後まで諦めないように設計されていることがわかる。前作にも決闘キャンディがビリに配布される救済措置があった。サイコロ二つ振ってスター持ってる人とすれ違いミニゲームに勝つ前提のアイテムだったけど……。

 そして得点を大きく動かす全てのイベントが「追いつかれたら」「カウントがゼロになったら」もしくは「JP獲得に止まったら」とわかりやすく決められていることが、この過剰とも言える救済措置を擁護する際の論点かと思っている。

 最善解が変化する。サイコロを温存する意味がある。そんなようなことを散々言っていたのは、これのことである。キャプテンボーナス&イベントとか、配置されている10点や15点のリトルスターとかマイナススターとか、そんな物を得たり回避したりするためにすることが「温存する」ということではない。

 シンプルかつ「選ぶ権利」となっている特殊サイコロたちは、この救済措置を回避するため、もしくは他プレイヤーにぶつけるためにあるのだ。我々は選ぶ権利を行使できた時点でたとえポイントを半分持っていかれようとも甘んじて結果を受け入れるべきなのだ。もちろんその逆、上手く他プレイヤーにぶつけられなかった時も同じように。

 ミニゲームに勝つことが少なからず勝利に繋がり、サイコロの入手にも不自由しない。そこまで良い環境を作ってもらったなら、最後の運要素くらい受け入れるべきだ。これはガチの真剣勝負を挑むゲームではなく、みんなで楽しむゲームなのだから。ぼくはそう思う。

 ……が、言ってて自分でちょっと無理がある気がしてきた。いくらミニゲームに勝ってもイベントにやられれば全て無に帰すとか、いくらサイコロに不自由しなくても結局運に負ければ負けるとか、やってること自体は本当にただの運ゲーでしかないのかもしれない……。

 けど、それでも、前作がクソすぎたからだろうか、やっぱりこのマリパ9は神ゲーである気がするのだ。運要素もスリルとして受け入れられる。最悪それで自分が理不尽な負け方しても、その結果みんなで楽しめるならそれで構わない。出目が小さいと最初から最後まで理不尽な負けルートを歩かされて楽しめもしない前作に比べれば、一発殴られて潔く散るくらいそれもまた一興だろう。

 WiiパーティのUFOと同じだ。それがあるからって、このゲームがクソゲーということにはらない。ぼくはこのゲームが、マリオパーティ9が好きだ。悪いところも含めて好きだ。たとえ全マップ共通で「クッパマス」という止まるとランダムだけど基本的にビリに有利なイベントが起きるマスがあって、そこのイベント次第では、

「全員所持している半分のリトルスターを賭けてバトルミニゲーム。(クッパマスは後半にしか設置されていないので、ここでの勝者が実質全体での優勝者となる)」

 という展開になったとしても、それでもビリを見放さないこのゲームが好きだ。大体、このゲームを運ゲーと罵るなら、前作の方が圧倒的にひどかったじゃないか。そうやって批判ばかりするから中々新しい物が生まれないんだ!

 と、それはさすがに言い過ぎだとしても、そもそもぼくは、というか我が家は、独特な価値観ですごろくゲームをプレイしているから本作くらいの運要素なら許容できる。だからこれでいい。マリパ9はWiiパーティのAすごろくに並ぶ名作だと思う。

 独特な価値観ってなんだよという話は、マリパ10の紹介が終わってから話すことにしよう。そうしよう。

 

 

☆「マリオパーティ10」

・ルールについて

……前作と同じくみんなで同じ車に乗って一斉に移動して、ミニゲームで勝負したり配置された物を取ったりしてリトルスターを誰よりも多く集めることが目的のゲーム。基本的なことは前作と何一つ変わっていない。

 本作独自の要素としては「閉じ込められたクッパ(もしくはキノピオ)」のシステムがある。詳しくは後述。

 

・ゲーム性について

……前作とほぼ同じでマップだけが変化している。が、そのマップも「一定条件で所持ポイントを半分にする効果」のイベントだらけであり、そこも含めて前作から変化していない。ぼくはこれ好き。

 個人的神ゲーである前作の第二部といった感じなのでゲームバランスに大した問題はなく(個人の意見です)、とても楽しく遊べるようになっている。

 変化点は二つ。まずはキャプテンボーナスの削除である。具体的には中ボスのマスとボスのマス(ゴール)にたどり着いた場合に、その時点で運転手に決まった数のポイントが入るように仕様変更されている。

 この変更によってミニゲームに勝たなければせっかく運転手である意味がないという常識がなくなったので、良く言えば下手っぴでも楽しめるようになったが、悪く言えばゲーム性の比率が運ゲー方向に傾いたことになる。

 これに関してはぼくも、運要素としては十分(あるいは過剰)な特大威力のイベントがゲーム後半にあることに加えて、中ボス戦とボス戦は運転手が三択でミニゲームを選べるので、前作の仕様の方がゲームとして面白かったかなと否定的な意見を持っている。が、別に大騒ぎするほどのことでもない。

 そして変更の二つ目というのが「閉じ込められたクッパ(キノピオ)」のシステムである。このシステムの正式名称を忘れたので、以下では「幽閉システム」と呼ぶことにする。

 幽閉システムは「1~6の鍵がかかった牢の中にクッパ(キノピオ)がいて、マップを進むためにサイコロを振るたび、対応する鍵が解かれる」という物になっている。1つのマップの中で全ての数字を出しきったその時に、牢の中にいるキャラが出てくることになる。

 ほとんどのマップにおいて牢の中にはクッパがいる。そしてそのクッパを開放してしまうと、その時点での運転手は所持ポイントの半分を失ってしまう。そしてついでに各所にクッパマスが設置される。(ビリにゆっくりサイコロを配布する段階までに牢が開かなかった場合、その時に結局クッパマスは設置されるけれども。ただしその場合は若干設置数が少なめ)

 要するに前作の「一定の数字を出してしまうとポイントを半分失ってしまう系イベント」が、マップ共通で一つ増えたということになる。前作で批判されていた運ゲー要素が加速したわけだ。キャプテンボーナス削除と合わせて怒涛の勢いで運ゲーに傾いているように思える。

 ただし前作で言うところの「必ず誰かは爆発してしまうぼむへい」と違って、牢を一定期間まで封印することさえできれば全員が助かる仕様なので、「追いつかれなければ全員セーフ」だった前作テレサやマグマに通じる部分があるので運ゲー否定派にもまだ救いはある。気休め程度だけれど……。

 なお、最終マップであるクッパ城でのみ牢の中にはキノピオが捕らわれており、彼を助け出すといつもとは逆にポイントをもらえることになる。その数なんと20ポイント。40ポイントを所持している人が半減イベントをくらうのと同じ威力だと考えれば中々強力な数字と言えるだろう。最終ステージだけ「出目〇〇を出さない」から「出目〇〇を出す」に目的が変わるあたり前作の流れを継いでいるとも言える。

 以上で、二つの変更点の説明は終了となる。運ゲー要素が大きく増えたこと以外に特に語ることはなく、ぼくとしてはそれでも相変わらず神ゲーだけれど、客観的に見ればかなり否の多い賛否両論のあるゲームだとも理解しているつもりである。

 最後に、各ステージを紹介しておこう。

 

「遊園地……初期のマップ。前作以上に個性がない、というかイベントがマジで異様に少ない。単純に退屈なので、このマップのことは忘れていいと思う。たった一つのマップとはいえ、前作から劣化してしまったことはとても悲しい」

 

「暗い森……テレサ系マップ。ただし今回のテレサはポイントをがっつり半分持っていたりしないあたり優しくなっている。あるいは実力主義になっている。が、その分牢のクッパがいるのでこれで大体前作と同じくらいのバランスということになるのか……?」

 

「海とくじ引き……今作最大の問題児マップ。各所のチェックポイントで「運転手が見た目の違う宝箱を選ぶ」というイベントがあるのだが、この宝箱から出てくる物(5点、10点、20点、ゆっくりサイコロ……のいずれか)をそのまま運転手のみが受け取ることになる。要するにこの時点で「大きい出目が強い」という過去に戻りつつある。

 その上、宝箱の見た目と中身に関連性は見られず、選ぶ権利は形だけの存在で事実上無いに等しい。また20点は前述の通りかなりの高得点であり、他マップなら「半減イベントの条件を満たさないように特殊サイコロを使う」ということを「選択」できる中で、このマップだけ全てが一切選択の余地がない運ゲー一色に染まってしまっている。代わりに半減イベントは幽閉システム以外は存在していないが、一番クソゲーに近いマップであることは確実だろう」

 

「飛空船……空飛ぶ船や雲の上を進むマップ。船を次々飛び移って進んでいくが、運転手が交代するたびに前方の船が別の船に入れ替わるイベントがある。船には、

「ポイントが多く配置されている黄金の船」

「マイナスのポイントが多く配置されている幽霊船」

「ポイントが少量配置されている普通の船」

 の三種類がある。状況と特殊サイコロ次第ではわざと幽霊船が眼前にある時に乗り込んで、マイナスポイントの前で停止するなどの戦略を取ることもできる。

 後半に差し掛かると「特定のマスに止まるとポイント半減」というおなじみの半減イベントが始まる。しかしそれが終わると逆に「「+2」と「+4」の効果マスがある円形のマップをぐるぐるまわり、効果の合計を+10にした人が大量得点を獲得」というイベントが始まる。そしてそのイベントは誰かが得点を獲得するまで終わらない。

 半減イベントと得点獲得イベントの両方で特殊サイコロが使えるので、このマップだけ特殊サイコロが不足することが多いかもしれない。また、得点獲得イベント中も僅かだけとはいえ止まるとポイント半減のマスが設置されている鬼畜仕様。総じて、他マップ以上に最後まで誰が勝つかわからないマップだと言えるだろう」

 

クッパ城……最後のマップ。このマップだけマップ自体のギミックとして「マグマが噴き出す穴の上を、ボタンを押してジャンプする」というまさかのプチゲームが用意されている。失敗するとポイントを失うが、さすがに半分持っていかれることはない。

 後半になると止まると後ろに戻される上に数十ポイントを失うマスや、一定のマスに止まると半減イベントが起こってしまうなどの怒涛の減点要素があるが、このマップだけ幽閉システムがキノピオなのでそういう調整なのだと思う。

 また、飛空船マップと同じく特殊サイコロの使いどころが多いが、減点要素が多くビリ救済は十分だという判断なのか、このマップだけ最後のチェックポイントでビリではなく運転手にゆっくりサイコロを渡される

 それと他マップでは半減イベントをひとしきり終えてからゴールへ向かうラストスパートに差し掛かるが、このマップだけラストスパート自体が半減イベントとなっている。なんとなく派手だからぼくはこのマップ好き」

 

 

 以上、これで全マップとなる。DKジャングルのことを無視しても、前作と比べてマップが一つ減っていることに気が付いただろうか? これも本作の残念な点である。さらにそのうち二つが退屈&重度の運ゲーというのが悲しみを誘う。

 総評としては、ほとんどが前作のシステムと同じなので楽しいゲームだが、元々それなりに強かった運要素にさらに比率が傾いたことと、面白いマップが減ったことは残念としか言えない、良ゲーだが前作に比べると……といった扱いとなる。

 それでも全然楽しいし、むしろシビアなところの多かったドラえもんと対になる、ちょっと甘すぎるゲームとして立場を確立していると考えれば悪くはない。それに、前作とまったく同じシステムのまま新作を出すわけにもいかなかっただろうから、幽閉システムあたりはそのあたりの試行錯誤がうかがえて、そういう意味では嫌いじゃない。

 まあ、相変わらず運ゲー否定派の人は「ポイント半分失うとか、そのテキトーに考えたとしか思えない雑な減点やめろ」と言っていますけど……。いや、でも、うん、一理あるかな。

 とにかく、全員が固まって動くシステムについては画期的、独創的、唯一無二な素晴らしい物だと思っているので、ぜひ次作にも期待したい。そういう意味も含めて評価は星5です!(クソレビュー並感)(実際のところは星4くらいですね)

 

 

☆まとめ

……で、これらは何の話だったのか。持論とはなんだったのか。要点だけまとめると以下のようになる。

 ミニゲーム搭載型すごろくにおける「面白さ」とは、「面白いミニゲーム系すごろく」とは、「自分が正しいと思った選択」を「選ぶ機会」が多いすごろくであることが大前提で、その上でミニゲームの勝敗が過不足なくゲーム全体の勝敗に影響してくる物のことである。

 言いたかったのはそういうことである。たったそれだけのことを話すだけだったはずが、あまりに話が長くなってしまった。でも、文字数にしてみれば「たったそれだけのこと」でも、それらの条件を満たした「面白いすごろく」を作ることはとてつもなく難しい。作るというか、立案することさえ凡人にはできない。

 運と実力をブレンドしたゲームバランスを作ることはとてもとても難しいのだ。だからぼくが「運ゲーの極み。クソゲー」と言ったような物も生まれてくる。誰でも簡単に面白いすごろくを思いつけたら、そんな物は生まれてこなかったはずだ。

 ……正直、これを書き始めた理由は「きせかえスゴロクで出目の8割くらいが3以下になり、倍数サイコロも全部3以下になって、ほとんどのミニゲームに勝ってるのにビリになりかけた」という経験をしたから、ただそれだけだった。これは本当に「ただそれだけ」としか言えない、くだらないことである。

 要するに私怨できせかえスゴロクを叩くために書き始めたわけだけれど、叩くにしても正当性は必要なので「面白いすごろくとは何か」をまずは考えて、そしてそこから導き出した定義をもって「このすごろくはこの定義からこんなにも外れている。クソゲーだ」と主張しなければならなかった。結果、書いてしまった。

 しかしその道中で、ぼくがWiiパーティのAすごろくとマリオパーティ9と10が大好きすぎることに気が付いた。WiiパーティUもAすごろくの方なら、実はそんなに嫌いじゃない。前作に比べると……とは言ったものの、割と好きである。

 自分自身がそこまでそれらのすごろくを好きだったことに初めて気が付いたし、良い経験だったと思う。何が嫌いかより、何が好きかを語れるようになれればその分多少は幸せになれそうだし、嫌いを語ろうとして好きを見つけたのは大きな収穫だった。

 そしてついでに、まさかここまで読んでいる人はいないと思うけれど、マリパ10の海マップのくじびきにおける選ぶ権利のように、形だけとなってしまって実際のところは無に等しいのだろうけど、それでも形だけでも、自分のプレイしたゲームを宣伝できたことも良かった。

 クソゲーだと言ったゲームも、神ゲーだと言ったゲームも、どちらでもないと言ったゲームも、みんなにプレイしてもらって「なるほどなぁ」とぼくの話を咀嚼してほしい。プレイしなければ伝わらないことがあるだろうから。

 そしてマリオパーティはもちろん、ドラえもんというマイナーなゲームが誰かの楽しい思い出に新たに刻み込まれればいいなと思う。別に他人を幸せにしたい主義ではないけれど、仲間が増えるのは嬉しいことだから。

 もっと上手く、短くスマートでギュッと内容が凝縮されていて、なおかつ読み手を引きずり込むような面白い文章が書ければ、宣伝だって形だけではなく出来ていたかもしれないのに。そこだけは無念に思う。

 

 

☆最後の余談

……ところで、まだ「我が家独特の価値観」について説明していなかった。

 我が家(父、母、ぼく、弟の4人)は毎週土日になるとすごろく系のゲームで遊ぶ。そしてその時、ビリの人には罰ゲームが与えられる。その罰というのが、

 

「風呂洗い」

 

 である。言葉通り、ビリの人が風呂を洗うのだ。皿洗いに変化する時もある。

 この罰ゲームが、実は罰ゲームとして最高の物なのだ。しかしまずは、そもそもなぜ罰ゲームが必要なのかから説明しなければならないだろう。

 ゲームは本気でやらなければ面白くない。何をしてでも勝てばいいという本気は論外だが、手を抜くことは絶対にあってはならないと思っている。でないと楽しくないからだ。

 しかし人間誰しも、負けが濃厚になれば戦意喪失は免れない。ビリ救済の要素で施しを受けようとも、それでトップになれる可能性は薄い。逆転要素を追い求めようとも、それで見事成果を上げて自分がトップになる確率は、現在のトップがそのままゴールする確率に比べれば悲しくなるほど小さいだろう。

 そう、トップを狙うことが目的になるから戦意を喪失するのだ。だからテキトーにプレイして、ゲームそのものをつまらなくするヤツが現れるのだ。トップを狙うことは悪いことではない。競争とはそうであるべきだろう。しかし同時にこれは遊びであるのだから、最大限楽しめるようにするべきだ。

 そこでビリへの罰ゲームである。ビリから1位に上がることは絶望的でも、3位に上がることなら出来そうに見える。ビリへ罰ゲームを科すことによって、最後まで諦めずに「罰ゲームを回避する」という目的に夢中になって、全員がゲームを楽しむことができるのだ。

 ただ、例えば罰ゲームをバラエティ番組にありがちな「苦い飲み物を飲む」などに設定した場合、ゲームを終えると最終的にプレイヤーたちは「極々軽微とはいえ苦痛を受けてリアクションする人」と「それを見て楽しむ人」に分かれることになる。

 他人の不幸は蜜の味とでも言うのだろうか。そういうリアクションを楽しもうという姿勢は、いささか性根が曲がっているとぼくは思う。バラエティ番組の罰ゲームや、ドッキリ番組で騙された人を見て「面白い」と感じるのも、人としてものすごく醜いことだと思う。もちろん、誰しも少しくらいは醜い部分を持っているのが人間だというのは理解しているし、そこに文句を言うつもりはないけれど。

 でも、ぼくが実際にパーティゲームをプレイする時の相手は家族だ。家族の間で、そういう罰ゲームはさすがによろしくない。しかしそれなら他にどんな罰ゲームが……と考えた結果、誰からともなく提案したのが風呂洗いであった。

 言ってしまえば広義の意味でそれも労働に、つまりは苦痛に当たる。けれども「罰ゲームとしての意味」しかない単なる苦痛とは違う。その罰ゲームによって喜ぶ人(風呂洗いをせずに済んだ面々。特に毎日家事をしている母)がいるのだ。そして「進んでやった」としても「罰ゲームだからやった」としても、他者からしてみれば「他人が風呂を洗ってくれた」という事実が残ることになる。

 よほどゲームの結果などに文句を言って場の空気を悪くしたりしなければ、大体の場合は感謝されることになる。罰ゲームで「面白がる人」ではなく「助かる人」が出てくるのだ。その上ゲームも最大限楽しめるときている。「家事」という罰ゲームをビリに科すというシステムは、こんなに素晴らしいシステムは他にない。

 そういうわけで我が家ではずっと風呂洗いを賭けてゲームをしている。だからマリオパーティの半減イベントには好印象しかないのだ。ゲームの目的はビリを避けることだから、1位から降ろされたってそこまで痛くはないからだ。というかむしろ、罰ゲーム付きで遊ぶ楽しさはビリ救済要素の充実を前提としているので、このくらいやってくれなければ困る。

 だからぼくはマリオパーティ9が好きだ。理屈で考えれば劣化と言えるのかもしれないけれど、感情だけで言えば同じくらい10も好きだ。逆にドラえもんはシビアだと言った通り、母や弟がビリになる確率が他のゲームに比べて多いので、絶賛しきれないところがある。

 1位がビリから最も遠い存在である以上、ここまでに紹介したゲームにおいてはビリを避けることが自動的に1位を狙うことになるので、1位争いというゲーム本来の楽しみ方を完全に否定してしまっているわけではない。マリオパーティ9を否定する人たちの主張を思えば、むしろ我が家の遊び方こそ正しいのではないかという気になる。否定している人たちは、きっとぼくほどマリパ9を楽しめてはいないのだから。

 そしてさっきも言った通り、家事罰ゲームシステムのキモは「罰ゲームそのものが感謝される行動だということ」にある。ゲームの結果に文句を言うことはそのキモを台無しにするとも言った。だからこそぼくは運ゲー極まるクソゲーすごろくを否定する。

 ぼくは自分の感情をコントロールするのが苦手なので、運に大きく左右された納得できない結果を突き付けられた時は、悪態を吐きまくる自信がある。だからクソゲーは避けるべきなのだ。マリパ9のように、たとえ不運で負けても「納得」していれば問題ないのだから、自分が納得できるゲームを探すべきなのだ。どうすれば自分が納得するかを知るべきなのだ。

 おそらく他の家族たち、父や母や弟は、そんなこと深く考えずに「勝った。やったぜ」「ちきしょう負けた。風呂洗ってくるわ」と割り切って遊んでいると思われる。「なんだよこのクソゲーくだらねぇ。こんなんで風呂洗わなきゃいけなくなるとかやってらんねー」とグダグダ言うのはぼくだけなのだ。

 だからせめて自分のことを理解して、それとなく「マリオパーティ9か10か、それかWiiパーティがやりたいな~?」と話を持っていくようにしなければならない。もしくはマリパ8やきせかえスゴロクをやることになった時、文句を言わないように心の準備をしておかなければならない。

 今回改めてそのことを再確認したので、これからも風呂洗いを賭けて家族で楽しくすごろくゲームをしていこうと思う。そして同時に、全ての人にこの家事罰ゲームシステムで遊ぶすごろく系ゲーム(良ゲーに限る)を勧めたい。

 言ったようにこれこそが最大限の楽しみ方だと信じているので、ぜひこの楽しさを多くの人に知ってほしいのだ。まぁ家事をするという性質上、家族でゲームして遊ぶというレアな人種にしか勧められないのだけれども……。

 あとそれと似たような感じで、発売から何年も経った今言ったところで今さらでしかないけれど、きせかえスゴロクやマリパ8を作った人たちには「ビリは通常の仕事+雑用担当」というルールで自分たちの作ったゲームを遊んでみてほしい。絶対納得できないから。

 ……まあ、クソゲー判定をしたそれらのゲームの愚痴はこの辺にしておいて。もう一つだけ話したいことがある。これで本当に最後にする。

 マリパ10の話をした時に「次作に期待する」と言った。WiiパーティUのAすごろくもマリパ10と同じ「前作に比べると……」という物だったけれど、それには「次作に期待する」とは言っていない。次作が出るとも思っていない。

 WiiWiiUがそれぞれ発売した時、それに対応するかのように現れた二つのパーティゲーム。しかしニンテンドースイッチが発売してしばらく経った今、スイッチパーティーが発売する気配はない。……終わったのだ、Wiiパーティシリーズは。

 しかしマリオパーティは終わってない。現に新作が出ている。とても喜ばしいことだ。どんな神ゲーでもいつかは飽きる。ぼくは、我が家は、今持っているゲームに半ば飽きかかっている。そこに降り立つマリパ新作だ、心が躍る。また9の時のような面白さでぼくを魅了してくて……!

 が、発売前のネットの声がぼくの耳に入った。こんな内容だった。

「9以前の、全員別々に進んだりコインでアイテム買ったりするシステムに戻るらしいよ」

 さらにネットの声は続く。

「9と10のシステムあんまり好きじゃなかったから嬉しい。これは期待!」

 ……疎外感を味わうことは、珍しいことじゃない。それでも自分が好きなジャンルで自分の価値観が少数派だと言われたことはかなり悲しかった。というかそもそも疎外感だって、珍しいことじゃなくても普通に嫌いだ。慣れちゃなんかいない。

 そしてゲームは実際に発売された。時間を空けて冷静になってみれば、別にゲームさえ面白くあってくれれば、9からのシステムが消えていても全然構わないじゃないかと気づけたこともあり、ぼくも再び新作を期待する姿勢に戻った。

 しかし、完全には戻れなかった。同じゲームばかりやると飽きるので我が家でも時々マリパ8をやる。そのたび不安になる。マリパ8は世間一般でも「黒歴史」と評価されるほどの残念ゲーだったらしいから、きっとスイッチ版マリパに期待している人はぼくの知らない7以前とか、ぼくはほぼ覚えてないけどなんとなく楽しかった気がするDSシリーズとかを指して「あれが帰ってくる!」と喜んでいるんだ。……そう自分に言い聞かせはするけれども、それでも不安になる。

 新作が8みたいなクソゲーだったらどうしよう。まさかそんなはずはないと思い込もうとしても、どんどん不安になってくる。不安をかき消そうとしてスイッチ版マリパのパッケージ裏を見てみた。

「キャラ毎に効果が違うサイコロを使いこなせ!」

 みたいなことが書いてあった。不安が倍になった。マリオパーティに、キャラ性能の概念が入ってくる……?

 ドラえもんジャイアンが強すぎたゲームのことを思い出す。すごろくゲームでキャラ性能というとぼくが知ってるのはそれしかない。コントローラーから手を離して、誰からキャラを選ぶか決めるジャンケンに全力で挑んだ、パスワードの存在を知らなかった頃のひみつ道具王決定戦……。

 今、我が家にニンテンドースイッチはない。だが欲しいという話にはなっている。年が明けてしばらくする頃には、おそらく我が家にもスイッチが来ているはずだ。マリオパーティだって当然来る。それがスイッチの中で一番ほしいソフトだということは、家族で意見が一致しているのだから。

 とてつもなく不安だ。これだけ期待を寄せるゲームが、マリパ8とドラえもんの悪いところを合わせたようなゲームだったら……。

 蓋を開けてみれば杞憂だったと笑うことになるかもしれない。そうなってほしい。初見の楽しみを失いたくないので動画を見て確認することとかはしたくない。父が「よし、スイッチ買うか!」と言い出すのを待つだけになる。

 クオリティがクソでも、これだけの量の文章を書いたのだ。ぼくがミニゲーム搭載型すごろくにどれだけの熱意を注いでいるかは伝わったかと思う。それだけ新作マリオパーティの出来はぼくにとって重い。どうか、どうか面白いゲームになってますように……。

 ゲームの中でも外でも、結局最後の最後には、祈ることしかできないのだった。

 

 

※追記

 言い忘れましたが、WiiパーティUのAすごろくにもUFOマスが登場します。が、その効果は「ランダムな相手のいる位置にテレポートする」という風に前作と比べて変化していました。

 「1位が踏んでビリと同じ地点まで戻される」「ビリが踏んで一気に1位と同じ地点にまで到達する」ということは相変わらず起こるけれど、「1位が踏んでビリと同じ地点に戻された上、元々のビリが1位になる。またその逆パターン」は起こらなくなりました。

 ビリの救済措置はちょっと過剰なくらいが良いと考えているので、明らかにちょっとどころではない過剰さを持っていた前作から良い調整がなされたと思います。そこはWiiパーティUのAすごろくの評価点です。

 まあ、ミニゲームとサイコロの関係性が前作に比べると面白味に欠ける物になっていたので、全体的に前作と比べてしまうとイマイチであることは変わらないんですけどね……。