すごろく作ってみた!(形になったとは言ってない)

 なんか素晴らしい閃きを得た気がするし、ダークソウルすごろく作ったろ!

 ……そう思い立ってわずか数日。結論から言って、ぼくはすでにオリジナルすごろく作成を諦めました。トランプのオリジナルルールが作れるならいけるだろう、という考えが甘すぎました。トランプとすごろくは別物、ベツモノなのです。

 順を追って経緯を説明しましょう。まず、中学の頃に突き当たった問題に対する解答を出すところまでは良い調子だったんですよ。本当です。

 

 ぼくが中学生の頃にダークソウルのすごろくを作ろうとした時、早々に見えてきた問題は大体以下のものたちです。

「ゲームのストーリーに沿って各マップを巡るすごろくにすると長すぎる。一つのマップだけを進むすごろくにすると短すぎる」

「武器やアイテムなどの、世界観とゲーム性のどちらにも関係している要素を原作通りに配置しようとすると、あまりにも広大なすごろくになってしまって非常に遊びづらい&作りづらい」

「戦闘で何度もサイコロを振ると疲れる。かといって振る回数を少なくすればするほど運ゲー化していく」

 ……と、これらの問題の解決策は思いつきました。一つ目なんか簡単です、短すぎたと感じれば、プレイヤー側が「もう1ステージ行こうぜ」的なノリで普通に二回戦を始めればいいのです。なので、基本的にゲームのステージ1つをすごろくのマップ1つとして作っていきます。

 そう簡単ではないのは残り二つの課題。これらを解決するためにぼくが思いついた策は、ずばり切り捨てでした。

 我々人間が右を向きながら左を向くことはできないように、全知全能の神にパラドックスがあるように、どうしても「両立できないこと」というものが存在します。今回の場合、それは原作再現とゲーム性の両立です。どちらかを切り捨てなければ、少なくともぼくの力ではまともな物を作れないと判断しました。自信がある人は両立を目指してください。

「原作に忠実なマップやアイテム、敵などの要素で構成されているがゲームとしてはクソゲーなすごろく」or「原作をちょくちょく無視しているがゲームとしてはそれなりの出来のすごろく」……ぼくは後者を取りました。ダークソウルの世界観は素晴らしい物だと思いますけど、やっぱりあれもゲーム自体が面白いことが前提にあったわけですし、ゲーム性が損なわれることだけはあってはならないと判断しました。

 じゃあ具体的にどうするのか。ゲームのために必要とあらば、本来存在しないはずのアイテムだろうと武器だろうと配置します。武器はマスを通過、アイテムはマスに停止で取れるように設定しました。

 武器は「武器マス」を通過することで「筋力」「技量」「魔法」3タイプのキャラが誰でも自分に適した武器を手に入れられるようにしたので、これで平等になる上に、たくさんの分かれ道を作る必要はなくなりました。……え? それだと全員が同じ場所に武器を取りに行く「武器屋さんへレッツゴーゲーム」が始まる? 上等です、そっちの方が面白いならレッツゴーさせますよ。

 ただ、本当に武器を取りに行くのがノーリスクになるとさすがにクソゲーなので、これは「ゴールマスでのボス戦開始前にダイスの出目次第で武器を入手できる。道中の武器マスを通過した場合はその場で確実に武器を入手できる(道中が楽な上にランダム性無し)」という風にして、武器マスへの道はそれなりの遠回りをさせることにしました。これなら取っても取らなくても、一応どちらにも選択の意味、メリットとデメリットが生まれるでしょう。……たぶん。

 次に、多すぎる敵はザックリとカットしました。大体1種類の敵につき出現するマスは1つです。敵の出現するマスを通過ではなく、そのマスに停止で戦闘開始に設定します。原作でどれだけ敵の多いマップであろうと知ったことではありません。戦闘の増加はダイスロールの回数増加です、そもそも戦闘自体がどう足掻いてもダイス振りまくりのゲームになるので、できるだけカットします。

 主人公が不死人であるダークソウルを元ネタにしたすごろくなので、戦闘での敗北は軽めのペナルティ「一回休み」にしました。ただそれだけだと戦闘の発生するマスが「一回休みになる恐れのあるダイスロールが面倒なマス」になってしまうので、戦闘に勝利した場合に能力値を上昇させられる設定も付け加えました。

 戦闘による成長は、そもそも戦闘マスに止まれるかが運な上に、戦闘自体もある程度運の要素が出てくるので、あまり運ゲー化しないように成長上限を設けました。上限に達したあとの戦闘マスはただの面倒なマスになりますが、それはそれで「〇〇(数字)だけは出るなよ!」みたいな、すごろく本来のサイコロを振る楽しみが出ていいかなと思い解決ということにしました。

 ……と、そんな感じでアイテムと戦闘については方針が決定しました。原作再現の要素を大幅にカットすることになりましたが、ダークソウルに出てくる名前のマップで、そのマップに出現する敵と戦ったり戦わなかったりしながら、本来そのマップにはなくともゲーム中には確かに存在する名称のアイテムを駆使してゴールを目指す。それで面白ければ、もう、充分じゃないですか。

 というわけで、この次は具体的に戦闘バランスの調整……自分キャラ3タイプの能力値と特性、敵キャラの能力値、アイテムの詳しい効果などを設定していくことになります。このあたりまでは本当に順調だったと思います。

 

 戦闘バランスについて気を付けることは二つです。一つ、ゴール地点にいるボスを倒した人の優勝というルールにする以上、ボスになかなか勝てず白けるorあっさり勝てすぎてボス戦の意味がないということのないようにすること。二つ、道中のいわゆる雑魚キャラとの戦闘に時間がかかりすぎないようにすること。これらは絶対に満たさなければなりません。

 戦闘が長ければ長いほど「結局負けました」となった時のショック、モチベーションの低下が激しくなるので、まずは雑魚キャラの戦闘を如何に早く終わらせるかを考えます。そしてそれをボス戦にもいい感じに流用したいです。

 そこで思いついたのは、敵キャラのHPを低めに設定することです。ワンチャン一撃で倒せるくらいにします。その代わり、仕留めそこなった時は痛い反撃が飛んできやすいように設定します。……これ、意外と原作再現にもなってるんですよね。固いキャラよりは、攻撃が痛い敵の方が圧倒的に多かった記憶です。

 黒騎士などの一部キャラはHPを多めに設定する代わりに、勝った時に能力値上昇にプラスして特別なアイテムの入手を付け加えました。さらにマスに止まった場合戦うかどうかはプレイヤーの任意で、一度戦闘したなら勝ち負けに関わらず消滅、セカンドチャンスは無しという仕様にします。

 これによって、アイテム狙いで任意で挑んで負けた時の自己責任感を出しつつ、消滅させることで何度もチャレンジし同じ敵との戦闘を眺める面倒な展開を回避します。もちろんアイテム狙いで挑む意味を消さないように、強すぎず弱すぎず、でも割と強い程度の設定を考えます。

 強い弱いの基準ですが、プレイヤーも敵もダイスロールで攻撃する以上どうしても運の要素はあります。自分の思い描いた強さに設定されているかどうかは、実際にテストプレイを重ねて体感で判断していくしかないです。なので、敵の強さはこの時点ではおおざっぱに深く考えず決めていきます。

 ボスもこれと同じ風にして、HP多めで他の敵より強力な攻撃を高すぎない確率で繰り出してくるように設定します。ダークソウルの魅力の一つはボスのバリエーションと個性なので、ボス戦の設定に限っては原作再現がそのままゲームの面白さに繋がりそうなので良かったです。プレイする時は個性豊かなボス戦で飽きずに遊べて、設定を作る時は個性に沿って設定できるから割かし楽と、いいことづくめです。

 しかし、それでもやっぱりボスが強すぎだったり弱すぎだったりアンバランスな設定になってしまっている可能性があります。こればっかしは実際に遊んでみなければわかりません。トランプの時も一緒でした、ゲーム作り素人にとってまず何より重要なのはテストプレイです。

 一通りマップと敵も設定できたし、実際にすごろく作って遊んでみるか! ……その段階にきて、やっとぼくは重大な、そして最大の問題に気が付きました。

 すごろく、一人でやってもつまらない問題です。

 

 3タイプのキャラを一気にテストプレイするべく、ぼくは一人で三人分のダイスを振るでしょう。振って、設定を確認してそれ通りに動かして、振って、動かして、振って…………何が楽しいんでしょうか? 寂しすぎます。昼休みにトイレの個室でサイコロ振ってる気分になりそうです。

 トランプの時は、というか今まで遊んできたカードゲームの時は一人でも全然問題なく楽しかったです。けれども思えば、いたストとか桃鉄とか、ああいうのはコンピューターとやっても何一つ面白みを感じませんでした。一体何が違うのでしょう。

 カードゲームは、与えられた手札から最善解を導き出すゲームです。本来ならデッキを組む楽しみもありますが、トランプではそれもありません。なのにある程度楽しかった。すごろくだって同じはずです。与えられたサイコロの出目から、分かれ道などの選択肢で最善解を目指す。そういうゲームのはずです。

 たぶん、ぼくはカードゲームが好きなんだと思います。カードをあちこちへ動かしていること自体がある程度楽しいんです。でも、サイコロを振って駒を動かすことはそこまで楽しめない。ぼくはどうやら、すごろくはそこまで好きじゃないようです。だから一人ですごろくをやっても楽しめない。

 そうなってくると今回の企画自体に疑問が生まれます。一人で遊んでも楽しくないものを必死に作ってどうするんでしょう、家族や友達と遊ぶ用のゲームならすでに充分な物がありますし、ぼくが新たに素人クオリティで作る必要はありません。やはり自作ゲームは、ぼくがぼくしか遊び相手がいない時にぼく一人で楽しむための物であるべきなのです。すごろくではそれを満たせないなら、すごろくの自作に存在価値なんかありません。

 そもそも一人すごろくが楽しくないとなると、テストプレイはただの苦行です。まさか未完成のガバガバゲームバランスの状態でのテストを誰かに付き合ってもらうわけにもいきませんし、ぼくは苦行の末にすごろくを完成させることになります。そして自分はその完成品に価値を感じない。じゃあもう作る意味ないですよね。

 紙とペンとやる気さえあれば、誰でも作れそうに見えるすごろくという遊び道具。今までに、どれも素人の中でも低すぎるクオリティの駄作とはいえ、小説や絵やトランプでの独自の遊び方を考えてきたぼくとしては、作れそうならば作ってみたかったという気持ちがありました。

 創作に何か魅力を感じるのです。自己満足がしたいのです。だから頼りの人がいるかどうか以前に、気持ち的にまずテストプレイ時に人に頼りたくないのです。自分一人で作って、自分一人で満足したいのです。ただ、そのためならどんな困難でも超えられる……というわけではありません。

 なんとなく「創作」というだけで釣られてすごろくを作ろうとしていましたけど、ぼくの本当の目的は「一人遊びをすること」でした。それを思い出しました。すごろく作りは、目的にまったく見合っていませんでした。

 こうして、オリジナルすごろく作成計画は終了します。テストプレイ一切無しで適当に考えた設定たちはほぼ確実にガバガバなアンバランス状態なので、恥ずかしいですし公開はしません。作りかけの要素共々永久凍結です。

 思いついてから数日。短い一人遊びでした。