プリズムビッカーに気付いた日

 最近の我が家は週一でツタヤに行く。が、当時のぼくは、ツタヤに対する興味を失っていた。
 あの頃……つまりTLのオタクの盛り上がりに背中を押され、プリパラ(女児向けアイドルアニメ)を初めて視聴してから数ヶ月経った頃。プリパラの全話をレンタルDVDで見終えたぼくは、抜け殻のようになっていた。ツタヤに求める物は漫画の新刊だけとなり、つまりほとんどの場合、行っても借りる物がなかった。
 毎週欠かさずプリパラを借りていた頃のことを思えば、毎週の楽しみが一つ消えて、味気ない生活になってしまった。しかしそんなぼくと違って、プリパラ終了後も、弟は自分の見たいアニメを借り続けていく。
 ……いいなぁ、そんなに見たい物が置いてあって。この店にはアニメ「ゆるゆり」も、ドラマ「ケイゾク」も置いていないのに、お前の欲しい物は置いてあるのか。そう心の中で愚痴る。やがてぼくはツタヤに行く回数が減り、留守番の回数が増えた。
 かつて、ガルパンを借りて見た頃があった。リーガルハイを借りて見た頃があった。その頃は毎週のツタヤが楽しみだった。別にDVDでなくてもいい、ジョジョの単行本を次々借りていた頃も楽しかった。だから今も、何か、何かないのか……?
 そう悩むこと数ヶ月。同じくTLのオタクの盛り上がりから、プリキュアでも借りてみるかと思った日もあった。けれどイマイチ乗り気になれなかった。プリパラより遥かに数が多いからだ。しかし他に興味のある物もない……。だが気乗りしない……。
 そんな中、YouTubeのおすすめ動画に、仮面ライダーゼロワンの無料1話が表示された。しかしぼくは仮面ライダーに興味がなかった。子どもの頃は特撮ならウルトラマン派だった。だがそのウルトラマンも、大人になるにつれて面白さを理解できなくなってしまった。
 しかし、ゼロワン無料1話はおすすめ動画に何度も表示される。何度も何度も何度も何度も……。それをスルーしながらも、ぼくにはいろいろと思い出すことがあった。例えば、今は関係の切れたかつてのネット友達が、なんだか仮面ライダーの話をしていたなぁ……だとか。
 好きなユーチューバーが一人、仮面ライダーに突然どハマりしていたこともあった。ぼくはまるで興味がなかったので、どハマりしている様子がTLに流れてくることを少々うっとうしく思っていた記憶がある。大人の財力で変身ベルトなどを集める様子を、バカなのかと思っていたものだ。
 しかし、今なのかもしれない……そう思った。かつての友人を見ても、好みのユーチューバーを見ても、今まで自分は仮面ライダーに興味を向けなかった。そう、ちゃんと見たことさえなかったのだ。そして今こそが、見てみる機会ってやつなのかもしれない。そう思った。
 嫌うなら見て嫌え、叩くなら見て叩け。思えばその精神で、「君の名は。」だって見たじゃないか。ならば仮面ライダーも見るべきで、そのタイミングは今だ。ツタヤを持て余した、今しかない……!
 ということで、まずは無料公開されているゼロワンの一話を見た。しつこいおすすめをようやく受け入れた。
 ……そしてぼくは週末、ツタヤの特撮コーナーへ向かった。そしてプリキュアに負けず劣らずの、ライダーの山に相見える
 小学生の頃一度だけ、偶然チャンネルが合っていた流れで、仮面ライダーを丸々一話見たことがあった。それは仮面ライダーダブルだった。
 一話を初めから終わりまで見た当時のぼくは、来週も見てみようとは思わなかった。けれど今思えば、途中でチャンネルを変えたり、テレビから離れることをしなかった程度には、面白かったのではないか。
 レンタルしてきた仮面ライダーダブル。サイクロン!ジョーカー!の響きだけ妙に有名な作品……という認識だったそれを、ぼくは視聴した。
 そしてそれから、毎週ツタヤへ行くのが楽しみで仕方なくなった。それが今年の、お盆以降の話だったように記憶している。



 そうか、これが、この気持ちが……! と仮面ライダーにどハマりしたぼくは、ダブルを最終回まで見たら、次はエグゼイドを見始める。年代の流れで言えば次はオーズなのだけれど、ぼくはその流れに沿う気がなかった。
 調べてみたところ、どうやら全てのライダーが良い評価を受けているわけではないらしく、またその中でダブルは、平成ライダーの最高傑作と呼ばれる作品の一つらしかった。だからぼくは、評価の高い作品から選りすぐって見ていくことに決めた。
 人気の作品の中でもエグゼイドは「宝生永夢ゥ!」という台詞や、それに関わる一連の流れが何やらネットで流行っていたり、死亡しても気の抜けた音楽と共に、土管から復活するライダーが話題になったりしていた。なぜそんなに流行っていたのか、本編を見て今こそ確かめてやろうというわけだ。
 で、エグゼイドも面白かった。次はドライブを見ようと思っている。けれど鎧武やオーズやビルドやファイズも気になる。ぼくの仮面ライダー生活はまだ始まったばかりだ。もちろん現在放送中のゼロワンも毎週楽しみにしている。
 ……そして、2020年の正月。我が家は父方の祖父の家に挨拶へ行った。父には親戚が多いのだけれど、祖父の家の2階の一室は、孫たちが置いていったオモチャで溢れかえっている。その部屋は半ばガラクタ置き場のような状態だ。ぼくはこれまでにもう何度も、孫世代も大きくなってきたしそろそろ捨てたらどうかと話していた。
 が、しかし。今になって思えばそのガラクタの中に、そういえばプリズムビッカーらしき物が置いてあったような気がしてきた。
 プリズムビッカーとは、仮面ライダーダブルが使用する武器だ。ガイアメモリ(変身ベルトに装着するアイテム)を盾に複数取り付け、その盾に剣を収めることで剣にエネルギーを付与するその武器は、発想がモンハンのチャージアックスに似ている。
 だがダブルが放送されたのは10年前だ。菅田将暉のデビュー作として今でもテレビで話題に上がることはあるけれど、しかし10年も前だ。チャージアックスが初登場したモンハン4より、さらに前の時代だ。プリズムビッカーは時代を先取りした面白いアイテムだったけれど、いくらなんでもそれがガラクタ山に、10年も残っているのか?
 そう思いダメ元で漁ってみると、……あった。プリズムビッカーの、盾の部分だけがあった。そしてそれは、ぼくが何年も何年も、盆と正月に祖父の家を訪れるたび、ガラクタという認識で視界に入れていた物だった。
 それを今日初めて、仮面ライダーの武器だと認識した。これはすごいことだ。祖父は10年間これを捨てずにいて、そしてぼくがつい最近になって、その「ガラクタ」が何であるのかを知ったのだ。今年の夏頃のぼくは間違いなく、同じ物を単なるガラクタだとしか見ていなかった。
 もしも10年前それを置いて行った誰かが成長して、昔見ていた仮面ライダーのことを忘れていたら、これが何物なのかわかるのは現在ぼくだけだ。半年前はライダーに微塵も興味を示さなかったぼくだけだ。それが10年越しだぞ? これはもう、ちょっとした奇跡だろう。
 しかも、掘り出し物はほかにもあった。変身ベルトだ。ダブルの変身ベルトがあった。ゼロワンの変身ベルトが5000円以上することを知ったぼくは、自分は一生変身ベルトと無縁の人生を送るだろうと悟ったけれど、それがまさか、こんなところで機会にめぐまれるなんて。ちょっと前までは、全部捨ててしまえばいいと思っていたのに。
 それはもうベルトを腰に巻いた。それはもうガイアメモリを装着した。電池は当然切れていて音はしなかったし、今新しい電池を入れたところでちゃんと動くのか、乱雑に扱われた10年物ともなると怪しく思うが、しかしベルトのギミック自体はちゃんと動いた。ちゃんと問題なく、本編で見た通りガチャガチャ動かせる。
「ちょっとちょっとちょっとちょっと!! めっちゃ面白い物見つけたんだけど!!!!」
 ぼくは2階のガラクタ山の部屋を出て、大興奮で階段を駆け下りた。階下の祖父、祖母、父、母、弟のいる部屋へと駆け込んだ。もちろんベルトを巻いたままで。
 そしてそこで「じゃじゃーん!」と、ひとしきりはしゃいだあと、母に言われた。
「ベルトを満面の笑みで見せられた時、真剣に引いてしまいそうだった」
 興味なさげな弟以外、多かれ少なかれ、その場の全員が引いていた。
 12月に誕生日を迎えて、ぼくは現在、21歳だ。



 引かれることがつらかったのか、温度差がつらかったのか。はっきりとはわからないけれど、こんなに悲しい気持ちになったのは久しぶりだと思った。思い思いに「ドン引きだわ」を言い換える大人たちに、「なんでだよ!」と笑いながら応える時、悲しい気持ちで笑ったのはいつぶりだろうとも思った。
 特に母から引かれたのがつらい。母はボーダーラインだった。ぼくがプリパラを見ても「面白いの……?」と言うくらいで、何ならぼくがカラオケでプリパラの曲を歌ったって、内心引いていたとしても、それをそのまま口に出すことはなかった。仮面ライダーにハマりすぎて「ツタヤが週一では足りない」と言い出すぼくを、母は暖かい目(あるいは生暖かい目)で見守ってくれたのに。
 その母にはっきり、引いたと言われた。むしろ今までこそガチで引いていたから、恐ろしくて口にも出せなくて、今回が軽めの引きだったから言葉にされた……という可能性も無いことはない。そうだったとして、ぼくの気持ちが楽になるわけではないけれど。
 ぼくは「母」に引かれたくなかったのではない。さっきも言った通り、心の広い母は、「客観的なボーダーライン」なのだ。そこからNGが出たという事実がキツかった。
 父は別にいい、プリパラにも引いていたから。プリパラを初めて見た時と、プリパラの主人公が小学生だと知った時の二度引いていた。同じ男で、昭和と平成の違いはあれどライダーファンであるはずという話は確かにあるが、それでも母に直接「引くわ」と言われたことの方が余程の衝撃だった。
 大人がオモチャで遊んでなんで悪い。……と言うのは簡単だけれど、しかしぼくも鏡は見なかった。変身ベルトを付けた状態での鏡は、恐ろしくて見られなかった。
 ライダーに変身する俳優は皆イケメンで、ぼくは自分の顔やその他の容姿が好きでないというのはあるけれど、しかし理由はそれだけでもなかったように思う。みんなが「引くわ」というのも、実際のところぼくだって一理ある。
 けれどさっき言った通り、その変身ベルトとの出会いは奇跡だ。だってぼくはまだ過去のライダーを二作しか見ていないのに、10年も前の作品なのに、それがドンピシャで、タイムカプセルのように置いてあった。全ての経緯を振り返っても、奇跡としか言いようがない。
 突然のことと見た目のインパクトで、親たちにはそれがわからなかったのかもしれない。一晩過ぎれば、向こうだって「一理ある」と思ってくれるようになるかもしれない。……というのはさすがに楽観的すぎるというか、世界を自分の都合に良く見すぎているか。
 あとから思うと、「変身やってよ。動画に撮ってお前の友達に送ろうw」と言い出した父に、
「いや、サイクロンが右だったか左だったか忘れたし、最後ガチャンってやるの意外と難しいし、いろいろ調べて練習してからじゃないと」
 と返したのは、さすがにキモすぎたような気もする。「嫌だよ、上手くできない」と言うだけでよかったのに……。そこは反省している。
 ところで父が話題に出した「友達」とは、ぼくの数少ない友達の中でも、唯一の女子を指す(ネット友達を含めば唯一ではない)。彼女は小中学校を共に過ごした言わば幼なじみで、現在は心理系の女子大生をやっている。そんな彼女をここでは「A」と呼ぶことにしよう。
 ぼくはAに、LINEで今回の件を報告した。変身ベルトではしゃいだら引かれたことと、そっちに動画を送る話題が出たこと。そして報告のあと、こうも聞いてみた。もしも現場にいればAも引いていたのか?
 返事は要約してこうだった。
「皆の前で「変身!」とかやってたら引いていた。けど個人的に動画は大歓迎だ。ぜひとも送ってほしい」
 ぼくと友達でいられるくらいだから、Aは心の広い人だ。けれどぼくは、同じくらい心の広いはずの母からもらった、ついさっきのリアクションを忘れていたらしい。やはり人間、都合の悪いことほどよく忘れる。
 事実としては、ぼくは「変身!」をやらなかった。しかしそれは言った通り、上手くできる自信がなかったからだ。決して「21歳がこの状況で、それはさすがに……」と思ったからではない。そして「個人的には歓迎」と言うAが重視しているのは、まさにその「この状況で」に関する部分だろう。
 彼女はぼくと違って真人間だ。適切に空気を読むことの出来る人間だ。だから「その状況でやったのか」を気にするんじゃないか? だとすれば、ぼくは精神的には彼女のNGを踏んだことになる。
 結果として「していない」のだから良いじゃないか……とは、ぼくには思えなかった。サイクロンのガイアメモリを左右どちらに取り付けるべきか、あの場で自信を持って断言出来れば、ぼくは間違いなく「変身!」をしていた。
 ところで、昼ご飯としておせちを食べながら、ぼくは父に聞いてみた。
「ぼくの持ってきた物が変身ベルトじゃなくて、ロビンマスクの兜だったら、それでも引いたのか。それとも一緒に盛り上がったのか」
 父は昭和ライダーも好きだが、キン肉マンも好きだ。あとZZくらいまでのガンダムも好きだけれど、ともかく例として、キン肉マンロビンマスクを出した。ロビンマスクとは、フルフェイスかつ西洋風の兜を常時身につけているキャラクターだ。
「いや、ロビンマスクなら俺もテンション上がった」
 聞いてみてから、顔が隠れているのが重要なのかと思って、質問を変えた。
「じゃあ、初代ライダーのベルトだったら?」
「うーん…………それも盛り上がってたな」
 むちゃくちゃだ、と思った。これはひどい話だ、とも思った。
 要するに父は、いい歳した男(あるいは息子)が、父が興味のない子どものオモチャではしゃいでいたら引くけれど、もしもそれが、父が興味のあるオモチャだったなら、一転して一緒にはしゃぐと言うのだ。
 もっと言うと、はしゃぐぼくを見て「もしもあれが、俺の好きな〇〇だったら」と置き換えて考えることが、父には出来なかったということになる。
 まぁ、人間なんてそんなものとは知っているつもりだったけれど。知ってはいても、つらいものだった。
 そして思い浮かべるのは、友人Aのこと。大学生である現在もジャポニカ学習帳を愛用していて、それを親にバッシングされた際ぼくに「私がおかしいと思う?」と聞いてきた友人A。好きなミュージシャンの顔が大きくプリントされたシャツを着ることもある友人A。そのAも父と同じように、仮面ライダーに興味がないから、ぼくに引くっていうのか。
 ぼくは個人の趣味や価値観の多様性に、そこそこの理解を示す立場であるつもりだ。けれどそれはぼくの器の小ささから考えるに、ただ幸運なだけなのだと思う。「自分は違う」と思い込んでいるだけだ。現に過去、仮面ライダーにどハマりしていた人のことを「バカなのか……?」と思っていた。
 ぼくという人間は、ぼくにとって度し難い価値観の持ち主に、未だに会ったことがないのだ。一度たりともそういう相手とは、腕を伸ばせば届く距離では対面することなく生きてきた。運良くそれが出来た、それだけのことだ。しかしまぁ、そうだとしても、21歳が変身ベルトではしゃぐことは、そんなに悪いことなのか。
 いや、わかっている。ぼくが大学生であったり、正社員とまで行かずともせめてフリーターでありさえすれば、もう少し印象は変わったのだろう。現在、父のコネにて週二回一時間のバイトはしているけれど、それを「働いている」と呼ぶのにはかなり無理がある。ぼくは実生活の中で、これ以上「限りなく黒に近いグレー」という言葉が似合う状態を知らない。
 印象は理屈じゃない。もしもぼくが一流大学に通っていたり、大企業に務めていたりすれば、今日と同じく変身ベルトではしゃいだとしても、皆の反応は違った物になっていたはずだ。それともそれは、あり得ない仮定に夢を見すぎているのか? 大金があれば幸せになれるに決まっている、というような考え方をするみたいに。
 けれどぼくはやっぱり、父が子どもみたいにはしゃぐのを見たとしても、友人が客観的に見てレアな趣味を持っていたとしても、立派に家族を養っているからとか、大学とバイトによる多忙な日々に耐えているからとか、そういう理由で「良し」としているつもりはない。すべて、決して悪いことではないから、良しとしているつもりだ。
 ……と、言ってみても。いくらそれらしいことを言ってみても、ぼくがツタヤにて怒涛の勢いで仮面ライダーを借りる時、その費用が父の稼ぎから出ている事実は変わらない。いや違う、そうか、たぶん考え方がズレているのだ。生き様がご立派だと見方が変わるんじゃなくて、生き様がボーダーラインを下回ると、悪い意味で見方が変わるんだ。
 そう考えた時に、思い出すことがある。仮面ライダーダブルの決め台詞だ。あの台詞は今回の件を鑑みても、どちらかといえばやはり、ぼくに向けられる方が正しいように思えてしまう。その台詞は、

「さぁ、お前の罪を数えろ。」

 ダブルの放送当時からずっと、ぼくは半不登校だった。そして今に至っては黒いグレー、ニートだ。親には死ぬほど迷惑をかけている。





 ……大晦日の夜、あるいは元旦の朝。調子に乗って飲み食いしすぎて、グロッキー状態になったまま眠ったぼくは、縁起が悪いことに悪夢を見た。ぼく一人だけが、ヒステリーな声を出しては、家族に何かを怒り続ける夢だった。
 変身ベルトをガラクタの山から発見した時、あんな夢は何も関係なくて、ぼくは今年も幸運なのだと思った。……で、実際ぼくは幸運だ。次は仮面ライダードライブをレンタルしてもらう。たぶんダブルやエグゼイドと同じで、全12巻だろう。
 考えてみればさ、変身ベルトではしゃぐ自由と同じくらい、他人の行動に引く自由もあるんだよね。別に「お前は間違っている」と言われたわけじゃないんだから、そんなに悲しまなくてもいいのに。
 けど、それでも悲しかった。