コナンの脳に新一はあるのか

 子どもの頭は、大人よりも明らかに小さい。ということは、中に入ってる脳みそも小さい。フィクションの世界ではよく精神や記憶はそのまま、体だけ子どもになるなんてことが起こるけれど、脳みそのサイズを子どもサイズにまで戻して、今の精神、記憶、思考力等々をキープすることは可能なのか?
 可能なのか、というか、理屈としてどうなっているんだろう。フィクションに可能か不可能かを問うことは無意味なことだけれど、理屈の説明くらいは欲しい物だ。
 例えば、人間の脳は普段一割(だっけ?)の力しか出していないというから、コナン君は通常の人間より脳を有効活用している……とか、どうだろう。
 その場合、普通より濃密に脳を稼働させているのだから、消費するエネルギーも多いはず。しかしコナン君がデスノートのL的なエネルギー補給をしてる描写は印象になく、この説は違っている可能性が高い。
 というふうに考えていって、最もらしい自分だけの裏設定を見つけよう! というのが今回の趣旨だ。いや、実はちょっと違うのだけれど、しばらくはこの話を続ける。
 仮説その2、「臓器移植を受けた時から不可解な記憶を持つようになった。臓器にも記憶が宿るのだ」という話があるので、コナン君の脳みそに入り切らなかった情報は体のどこか別の部位に保管されている説。
 これは臓器と記憶の話自体の信憑性が定かではないけれど、フィクションというのは眉唾をいかに美しく振り回せるかを競う遊びでもある。都市伝説だろうとデマだろうと、そういう話が存在している、あるいは存在していたのが重要なのであって、それ以外はどうでもいい。
 この説を推すなら、コナン君の臓器がどっかいっちゃった場合に、一緒に新一もどっかいっちゃうケースが考えられるけれど、そういう二次創作を書いてみるのも悪くないんじゃなかろうか。ちゃんとしたファンの人には見せない方がいいかもしれないが。
 仮説その3(これで最後)、そもそも思考や記憶に脳は必須ではない説。これは要するに、思考する幽霊の存在を認める説になる。
 ここは一度、幽霊の存在を認めた上で、なおかつ、幽霊とは悔恨によってプログラミングされたオートマチックな存在ではなく、生きた人間と同じように思考するものだと考えてみよう。するとつまり、思考に脳は必要ないことになる。幽霊に脳はないから。
 思考や記憶を成り立たせることに脳は必須ではない、脳とは五感を成り立たせるための装置だ。……と考えれば、体だけが小さくなった大人というのも、幽霊と同じ理屈でフィクションの中に存在して良いのかもしれない。
 コナン君の内面が工藤新一のままでいられる理由について、どれを採用するかは皆の自由だ。あるいは別の考え方を自分で生み出してもいい。そういったこともまた、作品の楽しみ方の一つなのかなと思う。人に迷惑をかけない限り、どう楽しむかは個人の自由だ。



 さて、今回なぜこんな話をしたのかというと、ぼくの作ったあるキャラクターについて疑問が湧いたからだ。
 彼女の名はニマド。ニマドは魔女である。魔女とは種族であり、人外だ。決して元々は人間……なんてことはない。
 ニマドは様々な異能を持つが、その中の一つに変身能力がある。魔女である彼女は自らの魔法で、幼女だろうと熟女だろうと、女優だろうと二次元キャラだろうと、どんな容姿にでも自分の姿を変えられるのだ。
 つまりそこでコナン君と同じ問題が発生するわけだが、ぼくはその魔女には思考する幽霊説を採用している。ニマドは生まれた瞬間には思考する幽霊であり、後々魔法で肉体を手に入れたという設定だ。
 なぜそれを採用したのかというと、そもそも魔女ニマドを作った経緯が「エロ漫画を読みながら作った」だからだ。エロ漫画みたいな内容の小説を書いてみたいなと思って、ヒロイン役として作られたのがニマドだった。
 ニマドの持つ数々の魔法は、全てエロいことをするためにある。変身も例に漏れない。要するに彼女の魅力の一つは、誰が相手であろうと好みドンピシャの容姿になれること、というわけである。
 が、一つ問題があった。仮に現実の女性が、完璧な自由度とクオリティを誇る変身能力を有していたとして、あるいは自分自身が、相手を好みの容姿に変える力を持っていたとしたら。我々は「容姿を変えてくれ(変えさせてくれ)」と言えるのか? 個人的には、ノーである。そんな失礼なことを言う勇気はない。
 しかしそれは、なぜ失礼となるのか。それは人間がみんな「本来の姿」を持っているからだ。「生まれ持った姿」を持っているからだ。それを変えてくれというのは、たとえそれが手軽に実行出来たとしてもタブーなのだ。なぜなら本来の姿とはアイデンティティであり、アイデンティティを否定することは、人の尊厳を踏みにじる行為だから。
 誰もが気軽に容姿を変えられる時代が、いつか来たのなら。その時はアイデンティティの概念も更新されているだろう。しかし今は違う。そしてニマドは、今作られたキャラクターなのだ。
 タブーを犯せば罪悪感が湧く。人外であるニマドが人間的価値の「失礼」を笑い飛ばしたとしても、人間側には罪悪感が残ってしまう。それでは意味がない。いや、不完全だ。エロ漫画のネタとして変身能力を扱うなら、この罪悪感を取り除かなければならない。絶対に。
 というわけで、ニマドに「本来の姿」を持ってもらうわけにはいかなかった。彼女のアイデンティティは精神のみでなければならなかった。必ずそうする必要があった。だから思考する幽霊説を採用したのである。彼女は、先天性の肉体を持ってはいけなかったのだ。
 で、ここからが本題になる。名探偵コナンの話を絡めるに至った、ニマドに対する疑問とはいったい何か。それは以下の通りである。
 魔女ニマドは思考に脳を必要としない。ところで、思考に脳を必要としない存在に対して、果たして洗脳は有効なのだろうか?
 エロ漫画のヒロインとして、これは非常に重要な設定である。洗脳を有効とするか無効とするかで、彼女に担当できるジャンルが増減する。
 ぼくとしては、洗脳は有効だと思っている。ニマドは五感獲得のために脳を使っているけれど、それはつまり脳と魂(思考等を司る幽霊部分をそう呼ぶ)がリンク状態にあるということだ。たとえ思考に脳を使っておらず、脳のリソースがあり余っている状態だったとしても、洗脳が文字通り脳に作用する以上、リンクしている魂もその影響からは逃れられないのではないかという考え方だ。
 これはあくまでも「洗脳は脳に作用する」「脳の機能を一部でも使用した場合、魂は脳とリンクする」という二つの前提を元にした考えである。魂にまで作用する洗脳が存在していたり、魔女が脳と魂をそれぞれ別個の物として扱えた場合には、また別な考え方をする必要が出てくる。
 ぼくの推す説でニマドに洗脳が有効である場合、彼女にかけられた洗脳を解除するシンプルな方法がある。それは彼女の肉体を殺すことだ。
 肉体が死ぬと、魂は外に放り出される。すると当然、脳とのリンクも解除される。そのリンク解除により、彼女の魂を洗脳の影響外に置けるというわけだ。洗脳が解けたなら、また改めて肉体を作ればいい。
 問題は、数多の魔法を扱う魔女を殺すなんてことは、人間が束になってかかっても不可能だということだ。……って、これ、バトル漫画の話か? 考えている途中でそう思った。
 誰かが言った、エロ漫画とバトル漫画は似ていると。どちらもエロやバトルという「見せ場」に至るまでの流れが大切だったり、思想と思想のぶつかり合いだったりする。そして今語った洗脳の話のように、なんだか設定がバトル漫画っぽくなる時もある。バトル漫画で強い能力(時間を止めるとか)が、使いようによってはエロくなるのと同じことなのかもしれない。
 エロとバトルの例は他にもある。例えば、サキュバスというとエロに強いイメージだけれど、セックスというのは使い方次第で、愛情表現から暴力にまで何にでもなる。サキュバスが例外なく全てのエロに通じているのなら、暴力にも耐性があるはずだ。
 そしてその耐性が、精神的な物だけでなく実際の力を伴っていた場合、サキュバスはバトル漫画の世界に行ってもそれなりに強いことになる。可能性は無限大だ、各々の想像力でエロとバトルを自由に行き来しよう。
 少なくともフィクションにおいて、正解が一つということはない。何なら自分で作ればいい。