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お前もそのお仲間にして練習しようってんだよ!

 どうも、少なくとも中学生の頃くらいまではクラスメイトの男子に「氷菓は18禁的なことまったく知らなさそう。最悪赤ちゃんはコウノトリが運んできてると思ってそう」とたぶん思われていた氷菓です。中学生男子特有の品のない下ネタに苦笑いしたところ、氷菓もそういうの知ってるんだねって言われました。たぶんそいつらが知る遥か前から知っています。

 赤ちゃんとコウノトリの話といえば、

「パパ、赤ちゃんはどこから来るの」

コウノトリさんが運んで来るんだよ」

「運搬方法ではなく原産地を訊いている。あなたは魚がどこから来るのかと問われれば、船と答えるのか」

「ごめんちょっと待って」

の話が好きです。たしかコピペだったと思います。

 また某アニメで「男はエロの前には無力」みたいなセリフがありましたが、聞いたところによると世の中には、そういった類の動画を見たいがためにPCを習得したアナログ親父も存在するそうですので、無力どころか普段の何倍もの力を得る可能性があります。世のケダモノは可能性の獣なのです。

 話がどんどん下の方へ向かってしまっているので軌道修正します。氷菓が今回話したいことは、ツイッターを知らなかった中学生時代についてなのです。

 

 小学校にも中学校にも合唱祭はありました。放課後の全員強制参加練習とか、昼休みの自主練という名の全員強制参加練習とか、そういう物はずっとあったのです。

 ただ中学三年生の合唱祭練習。あれだけは今思い出してもゾッとします。このメンバーで一緒にやれる最後の合唱祭だから、とかなんとか適当にわけのわからないことを言って、強烈な時間量の放課後練習がありました。

 驚くなかれ、なんとひどい日の実質的下校時間は六時近く。家に帰ればすぐにチャイムを聞くような練習量でした。許されざることです。

 部活動で遅くまで学校に残っている人なら、その人の親もそのような生活サイクルに慣れるでしょう。それに対応して門限がチャイムの鳴る時間よりも後になっている家庭もあるかもしれません。そして何より、部活動に勤しむ本人もその生活サイクルに慣れているでしょう。

 しかし氷菓帰宅部です。というかそもそも、まともに学校へ通っていたとも言えぬような人間でした。ちょくちょく授業は出ますし、給食とか掃除とかもそこそこしますし、合唱祭もずっと練習から本番まで出ていましたので、不登校と言うよりはサボり魔に近い感じでした。

 それでも前に書いた通り先生が玄関まで迎えに来たり、それを包丁で脅して撤退させようとしたりと、なんだか闇の深そうな子でした氷菓は。要するに「みんなと最後の合唱祭がんばるぜ!」と意気込めるような人間でもなければ、帰宅時間が大幅にズレることに耐えられる人間でもなかったのです。

 当時は、それはそれはつらい日々でした。帰宅後の自由時間は合唱祭練習に潰され消され、頑張ったからといって特に良いことが起こるわけでも、報酬がもらえるわけでもない。学校は社会の縮図とよく言われますが、あれは紛れもないブラック企業でした。やりがい搾取でした。星野源新垣結衣もいませんでした。星野源は当時真面目に存在さえ知りませんでした。みんなそうだったんじゃないでしょうか。

 スクールカウンセラーの先生と話すことを理由に、あらかじめ担任と決めていたはずの時間に練習を抜け出そうとすると「あともうちょっとだよ?」とか言われる始末です。頭がおかしいのかと思いました。強引に抜け出して、カウンセラーの先生に愚痴りました。本当にカウンセラーって大変な仕事で、氷菓には絶対に真似できません。

 極めつけにむごいのは、せめて「ほんと合唱祭とかクソだわ。この世から概念ごと消滅すればいいのに」と友達と言い合えていたらまだマシだったものを、その友人が合唱祭実行委員なるものに選ばれてしまったことです。

 さすがに彼に愚痴る度胸はありませんでした。授業には出ず給食だけ食べたことも何度あったかわからない氷菓ですが、とにかくその時は度胸がなかったのです。

 というか、氷菓の好きだった女の子も実行委員になってました。しかも彼女めちゃめちゃ合唱祭好きでした。好きどころか合唱部の人でした。部長だった気もします。えぇ、誰が校内で愚痴なんか言えたものですか。

 当時の父は「好きな子と一緒に歌えるなら万々歳じゃん」とか言っていましたが、氷菓にはそこまでポジティブに力を得る仕組みが備わっていませんでした。好きなこと一緒にカラオケに行くのとはわけが違いますからね。

 そういうわけで次第に氷菓は合唱祭の練習を理由に学校そのものを休みがちになり、元々少なくなかった欠席数はさらに増えました。

 

 ……さて、この話で何がいいたいのか。それはつまり、当時の氷菓ツイッターを知らなかったことの重大さについてです。

 現在の氷菓ツイッターを利用しまくっています。ついでに、二年近く前に某動画を見たことをきっかけにフルブというガンダムのゲームを買っていて、全国のお母さんよりはガンダムについての知識を手に入れました。

 要するに当時の中学校氷菓が、今と同じ状態であれば間違いなく、

「合唱祭の練習時間が長すぎて強制参加の部活みたいになってる。部活でやってんじゃないんだよー!」

とかツイートしていたはずです。続けざまに、

「帰宅後の遊び時間は、宇宙を支えているものなんだ。それが、それがこうも簡単に奪われるのは。それは……それはひどいことなんだよ!」

とか言って遊んでいたはずです。そんな風に、合唱練習中に「うへへ、帰ったらこんなことをツイートしよう」と考えられることで、嫌なことから気をそらせるわけです。

 当時の氷菓はそういった気のそらし方を知らなかった。もし知っていたら、何かが違っていたんじゃないのか。最近そんなことを考えるようになりました。前にも言った通り、氷菓にとっての文章とは自分が書いていて面白いかが最重要であり、ツイートもそれに同じくなのです。考えていて、書いていて、楽しければそれでいいのです。

 そうやって何かを書いていることで、ちょっとはマシな生活ができたんじゃないかな、と今だから思えます。実際は現在進行形で存在している氷菓も、ロクな生活はしていないので、当時にツイッターを知っていても何も変わっていなかった可能性も大いにあるのですけどね。

 氷菓がいかに合唱祭を嫌っていたかは、学校の残してくれたDVDに保存されています。壇上に立ち歌う氷菓の目を見れば全てがわかります。氷菓がカメラ目線になったかと思えば映像が停止、暗転。その後血の海と化した体育館が映される、なんてことが起こっても不思議ではないような目をしていました。自分で引きました。

 そんなところで、この話はおしまいになります。中身のない文章選手権にエントリーできそうですね。

 

 まとめ、結論。

 愚痴は吐き出した方が後で悔いが残らない。吐くならツイッターがいろいろと好都合。あと合唱祭と同じく居残り練習と、あろうことか朝練まで存在していた体育祭のムカデ競争、貴様は絶対に許さない。組体操と共に消えてしかるべきだクズめ。