急に思いついた一発芸的な言いたい一言って、だいたいクソつまらないから滑るよね。

 どうも、世のメンヘラの方々がリスカをする中文章を書く氷菓です。かまってちゃんという意味ではどちらも大差ない行為です。それと自己満足という意味でもほとんど同じですね、よって氷菓はメンヘラだったようです。QED。

 それはともかくとして、昨晩眠りにつく前に以下のような文章を思いつきました。エロマンガ先生氷菓の書く小説についての話に出てきた、兄と妹「A」の話の続きです。

 

 玄関で鍵の回る音がした。偶然にもヘッドホンを外していた私は、その音を聞き逃さずにいられたのだ。

 部屋を飛び出し帰宅した兄を出迎えに行く。今日一日の労働を終えた兄を労うためでもなければ、お帰りなさいのハグをするわけでも当然ない。

 重要なことは、兄の手にケーキがあるのか否か。それだけだ。

「お兄おかえり! ケーキは?」

「あぁ、それなんだけど。……残念ながら購入できたケーキは……ゼロ個という結果になってしまいました。一体なにが足りんかったんでしょうかねー……」

「お茶会ゼロ人!?」

 何が足りなかったかといえば、金が足りなかったのだろう、たぶん。私の知るところではないけれど。

「ごめんな。お前が毎日十時間以上は確実に使っているネットを切れば、ケーキくらい買えたと思うんだけど」

「冗談じゃない。そんなの、両腕切断して松葉杖買うようなものじゃない!」

「だよなぁ。だからケーキは諦めたよ」

「断腸の思いで?」

「断腸の思いで」

 それなら仕方ない。元からそこまで期待していたわけでもないし、砂のケーキを持ってこられなかっただけ良しとしよう。

 

 ……と、はい。夜中に「お茶会ゼロ人」がどうしても言いたくなりまして、このような結果になってしまいました。一体何がいけなかったんでしょうかね。

 まぁこれでこの話にはオチがついたということで、一段落した物として置いておこうと思います。エロマンガ先生の兄と妹は血が繋がっていないけれど、氷菓の書いている兄と妹「A」は繋がっていることも一応書いておきますが、書く必要はまったくなかったかと思います。

 ところで氷菓の書く文章には時事ネタに近いネタがわんさか溢れていますが、たしかけものフレンズたつき監督が「時事ネタはウケやすいが、時間と共に風化してしまうのでコンテンツの寿命を縮める」みたいなことを言っていた気がしますね。

 確かにその通りだと思います。数年前に自分で書いた小説を読むと、当時の氷菓が何を見ていたかなどがよくよくわかる風になっていて、昔の新聞を引っ張り出してきた気分になります。作品としてそれは良くないことでしょう。

 ですが、前にも言いました通り、氷菓の小説は作品と呼べるのか怪しい物です。お腹が減ったら食べて、眠くなったら寝て、書きたくなったら書いている物ですから。作品というより人生の副産物といいますか、日記に近い物である気がします。ツイートとあまり変わらないかもしれません。

 今の自分が何を考え、どういう思いでそれを書いているのか。大抵は現実逃避ですが、それならどう逃避しようとしていたのかが、氷菓の小説に書いてあると思うのです。ですから時事ネタが多いことは、氷菓はこれを作品として仕上げるような高い意識を持っていない、と書いていることに同じなのです。意思表示です。

 そもそも我々の人生とは「自分の人生」という時事ネタです。様々なことが起こり、時と共に風化します。そしてそれを作った本人以外は存在そのものを忘れていくのです。作品を作り上げる勇気も意識もやる気もないのならば、そういう物を書いたっていいのではないでしょうか。

 ……なんて言っても、問題はまだ尽きません。それは氷菓の使うネタが、元ネタを知らない人にはなんのこっちゃわからないにも関わらず、それをお構いなしに乱用している点です。

 お茶会ゼロ人の元ネタである「オフ会ゼロ人」を知っている日本人って、はたしてどれだけいるのでしょうか。「不倫」の枕詞に「ゲス」を使うネタを、時事ネタだと理解してくれる人は多いでしょうが、それはニュースなどで取り上げられている話題だからです。そのような物ではない、マイナーなネタが通じる相手というのは、ポピュラーなネタが通じる相手に比べ実は一割ほども存在しないのではないか、と氷菓はいつも考えています。

 言葉は相手に伝わらなければ意味がありません。こいつ何を言っているんだ、本当に日本語を喋っているのかと大多数の人間から思われてしまえば、実際に日本語を喋っているという事実は意味を失います。狂人の真似事をすればすなわち狂人なのです。中身がどうであるかよりも、他人にどう見られるかが重要なのです。

 なぜそこまでわかっていて、意味のわからないネタを使い続けるのか。それは、氷菓が人に伝えることに対してさほど興味がないからです。

 文章は書くことが楽しいのです。伝わると嬉しいのは事実ですが、優先順位第一位は自分が書いて楽しむことです。当然自分の使うネタは自分ならわかります。ですので氷菓は、鏡に向かって一発ギャグを披露し、それに自分で笑っているのと同じ状態で文章を書いているわけです。わりと狂人です。

 万人に伝わるようにと気を遣って書く文章の何が楽しいのでしょう。多くの人に認められるようにと気を遣って書く文章に何の意味があるのでしょう。そこに存在しているのかもしれない楽しさや意味は、残念ながら氷菓には察知できません。

 ですから氷菓は今後も伝わるか怪しいネタを使い続けます。伝わる人にだけ伝わればいいし、伝わる人なら今この文章を書いていますから、永遠にネタを使い続けるでしょう。

 ちなみに氷菓は現実での面と向かっての会話でも大体同じ姿勢で向かってますので、じゃあもう壁に向かって話してろよとそのうち誰かに言われると思います。というか言わないだけで、内心でそう思っている人はすでにどこかにいるでしょう。

 けれども氷菓だって、反応してくれない人よりは反応してくれる人に話したいのです。当然壁よりは人間と話したいのです。というか壁に話そうとすると、「わりと狂人」から「百パーセント狂人」になってしまうので、自分のそんな姿を想像するとさすがに気が気でなくて話などできたものではないです。

 そのあたりの需要をばっちりカバーしてくれたのがスクールカウンセラーの鹿島先生だったわけですが、彼女はもう高校を卒業した氷菓のことなど忘れ、毎日毎日メンヘラさんとの戦いの日々を送っているでしょう。敬礼。

 カウンセリングを終えて部屋から出ると同時に「氷菓にはカウンセラーとか無理だな。というかなりたくもない」と毎度思っていました。鹿島先生のメンタルパワーがどこから湧いているのか不思議でなりません。いや、全ての働いている人のパワーがどこから湧いているのかも、ダメ人間の氷菓としては永遠の謎なのですけれども。

 さて、話が脱線してきたところでまとめに入りましょう。毎度氷菓はテキトーに書きたいことを一つ決めて、あとは書きながら考えてブログを書いているので、脱線どころか何を言いたいのかが終始わからないことは今後も多々あると思います。今回はもうお茶会ゼロ人を書けた時点で目的達成です。それだけ決めて書いてましたから。

 

 では、今回のまとめ、結論!

 相手に伝える意思が薄いくせによく喋るやつは、たぶんツイッターとかめちゃめちゃハマる。

 以上!