言いたかったこと追加で

 忘れていたことがありました。妹「A」のAとは、単純に名前を考えるまでもないと思ったので仮題的に付けた名前であります。話を書くとなればもちろん名前は考えますが、その場だけの物だと思ったので今回は考えませんでした。

 で、そんなテキトーなネーミングから、またさらにテキトーなことを思いついたので、書かずにいられない氷菓はまた一つ生き恥を重ねておきます。

 

喧嘩中の兄と妹。

「お兄のバカ、役立たず、低収入!」

「何を言う、お前なんか実況の上手いゲーセンの店員みたいな名前して収入ゼロだろうが!」

「私は見た目がかわいいからいいんですぅー。かわいいが正義なんですぅー。ニコ生で顔出し配信したら「こ店マ?」のコメントで埋め尽くされるちゃうもんねー」

「あ……、話の論点がズレるってレベルじゃなくなってきて頭痛が……」

 

 もはや誰にも伝わらない。

 あとついでにもう一つ。これはネタ関係ないです。

 

「ふと気になったんだが、お前なんで俺のこと「お兄」って呼ぶんだ?」

「ダメなの? 気に入らない?」

「そういうわけじゃないけどさ。気になったんだよ。兄貴でも兄さんでも、お兄ちゃんでもないのはなんでなんだろうなって。正直、兄のことをお兄って呼ぶ妹って少数派じゃないか?」

「少数派かどうかは知らないけど、そうだなぁ、確かに私がお兄をお兄と呼ぶことには、それなりの理由があるよ」

「お、気になる。教えて」

「例えば私、お兄のことをよく「おい!」って呼んだりするでしょ?」

「ああ」

「それが「おい、お兄!」ならしっくりくるじゃん。でも例えば「おい、お兄ちゃん!」だと、なんかキャラクター性がおかしいと思わない? 兄さん呼びも同じくだけど」

「なるほど。確かに兄をお兄ちゃん呼びするような妹が、「おい!」と言うのは想像しづらいな」

「でしょう? それで兄貴って呼び方は、なんか他人に舐められたくないと思い始めた思春期の妹っぽくて嫌なの。友達とかの前で呼ぶ時に、ちょっとお兄ちゃ……兄貴! ってなるみたいな。そういうのってあるでしょ」

「なるほど。お前はそういうの嫌いなんだな」

「他人に振り回されてる馬鹿みたいだから嫌い。見てて滑稽」

「たぶん世界のどこかに存在している、毎日学校に通って、最近意識し始めてお兄ちゃんのことを兄貴呼びし始めたどこかの家の妹は、お前のことを滑稽だと思うんだろうけどな」

「お兄嫌い。私が生活に困らないくらいの財産残して死んじゃえ」

「ごめんて」

 

 なんかすぐ死ねとか言うキャラクターって、というかそういう人って、お説教と共に批判される気がします。氷菓はそういうの嫌いじゃないんですけどね。上に書いた妹なんか事実上死なないでって言ってますし。真意は違えど表面上で死ねと言うことも含め、人に死ねなんて言うのは絶対悪という考え方は、氷菓はいまいち賛同できませんね。そういう人は悩み相談を受けることなどには向いていない気がします。

 それでは追加分は以上です。あまり連投しても引かれるし読まれないだろうと思うので、適当に時間開けてまた書きます。時間とモチベと内容の許す限り書けと直接言ってくれる人がいればいくらでも書けるのにね。

急に思いついた一発芸的な言いたい一言って、だいたいクソつまらないから滑るよね。

 どうも、世のメンヘラの方々がリスカをする中文章を書く氷菓です。かまってちゃんという意味ではどちらも大差ない行為です。それと自己満足という意味でもほとんど同じですね、よって氷菓はメンヘラだったようです。QED。

 それはともかくとして、昨晩眠りにつく前に以下のような文章を思いつきました。エロマンガ先生氷菓の書く小説についての話に出てきた、兄と妹「A」の話の続きです。

 

 玄関で鍵の回る音がした。偶然にもヘッドホンを外していた私は、その音を聞き逃さずにいられたのだ。

 部屋を飛び出し帰宅した兄を出迎えに行く。今日一日の労働を終えた兄を労うためでもなければ、お帰りなさいのハグをするわけでも当然ない。

 重要なことは、兄の手にケーキがあるのか否か。それだけだ。

「お兄おかえり! ケーキは?」

「あぁ、それなんだけど。……残念ながら購入できたケーキは……ゼロ個という結果になってしまいました。一体なにが足りんかったんでしょうかねー……」

「お茶会ゼロ人!?」

 何が足りなかったかといえば、金が足りなかったのだろう、たぶん。私の知るところではないけれど。

「ごめんな。お前が毎日十時間以上は確実に使っているネットを切れば、ケーキくらい買えたと思うんだけど」

「冗談じゃない。そんなの、両腕切断して松葉杖買うようなものじゃない!」

「だよなぁ。だからケーキは諦めたよ」

「断腸の思いで?」

「断腸の思いで」

 それなら仕方ない。元からそこまで期待していたわけでもないし、砂のケーキを持ってこられなかっただけ良しとしよう。

 

 ……と、はい。夜中に「お茶会ゼロ人」がどうしても言いたくなりまして、このような結果になってしまいました。一体何がいけなかったんでしょうかね。

 まぁこれでこの話にはオチがついたということで、一段落した物として置いておこうと思います。エロマンガ先生の兄と妹は血が繋がっていないけれど、氷菓の書いている兄と妹「A」は繋がっていることも一応書いておきますが、書く必要はまったくなかったかと思います。

 ところで氷菓の書く文章には時事ネタに近いネタがわんさか溢れていますが、たしかけものフレンズたつき監督が「時事ネタはウケやすいが、時間と共に風化してしまうのでコンテンツの寿命を縮める」みたいなことを言っていた気がしますね。

 確かにその通りだと思います。数年前に自分で書いた小説を読むと、当時の氷菓が何を見ていたかなどがよくよくわかる風になっていて、昔の新聞を引っ張り出してきた気分になります。作品としてそれは良くないことでしょう。

 ですが、前にも言いました通り、氷菓の小説は作品と呼べるのか怪しい物です。お腹が減ったら食べて、眠くなったら寝て、書きたくなったら書いている物ですから。作品というより人生の副産物といいますか、日記に近い物である気がします。ツイートとあまり変わらないかもしれません。

 今の自分が何を考え、どういう思いでそれを書いているのか。大抵は現実逃避ですが、それならどう逃避しようとしていたのかが、氷菓の小説に書いてあると思うのです。ですから時事ネタが多いことは、氷菓はこれを作品として仕上げるような高い意識を持っていない、と書いていることに同じなのです。意思表示です。

 そもそも我々の人生とは「自分の人生」という時事ネタです。様々なことが起こり、時と共に風化します。そしてそれを作った本人以外は存在そのものを忘れていくのです。作品を作り上げる勇気も意識もやる気もないのならば、そういう物を書いたっていいのではないでしょうか。

 ……なんて言っても、問題はまだ尽きません。それは氷菓の使うネタが、元ネタを知らない人にはなんのこっちゃわからないにも関わらず、それをお構いなしに乱用している点です。

 お茶会ゼロ人の元ネタである「オフ会ゼロ人」を知っている日本人って、はたしてどれだけいるのでしょうか。「不倫」の枕詞に「ゲス」を使うネタを、時事ネタだと理解してくれる人は多いでしょうが、それはニュースなどで取り上げられている話題だからです。そのような物ではない、マイナーなネタが通じる相手というのは、ポピュラーなネタが通じる相手に比べ実は一割ほども存在しないのではないか、と氷菓はいつも考えています。

 言葉は相手に伝わらなければ意味がありません。こいつ何を言っているんだ、本当に日本語を喋っているのかと大多数の人間から思われてしまえば、実際に日本語を喋っているという事実は意味を失います。狂人の真似事をすればすなわち狂人なのです。中身がどうであるかよりも、他人にどう見られるかが重要なのです。

 なぜそこまでわかっていて、意味のわからないネタを使い続けるのか。それは、氷菓が人に伝えることに対してさほど興味がないからです。

 文章は書くことが楽しいのです。伝わると嬉しいのは事実ですが、優先順位第一位は自分が書いて楽しむことです。当然自分の使うネタは自分ならわかります。ですので氷菓は、鏡に向かって一発ギャグを披露し、それに自分で笑っているのと同じ状態で文章を書いているわけです。わりと狂人です。

 万人に伝わるようにと気を遣って書く文章の何が楽しいのでしょう。多くの人に認められるようにと気を遣って書く文章に何の意味があるのでしょう。そこに存在しているのかもしれない楽しさや意味は、残念ながら氷菓には察知できません。

 ですから氷菓は今後も伝わるか怪しいネタを使い続けます。伝わる人にだけ伝わればいいし、伝わる人なら今この文章を書いていますから、永遠にネタを使い続けるでしょう。

 ちなみに氷菓は現実での面と向かっての会話でも大体同じ姿勢で向かってますので、じゃあもう壁に向かって話してろよとそのうち誰かに言われると思います。というか言わないだけで、内心でそう思っている人はすでにどこかにいるでしょう。

 けれども氷菓だって、反応してくれない人よりは反応してくれる人に話したいのです。当然壁よりは人間と話したいのです。というか壁に話そうとすると、「わりと狂人」から「百パーセント狂人」になってしまうので、自分のそんな姿を想像するとさすがに気が気でなくて話などできたものではないです。

 そのあたりの需要をばっちりカバーしてくれたのがスクールカウンセラーの鹿島先生だったわけですが、彼女はもう高校を卒業した氷菓のことなど忘れ、毎日毎日メンヘラさんとの戦いの日々を送っているでしょう。敬礼。

 カウンセリングを終えて部屋から出ると同時に「氷菓にはカウンセラーとか無理だな。というかなりたくもない」と毎度思っていました。鹿島先生のメンタルパワーがどこから湧いているのか不思議でなりません。いや、全ての働いている人のパワーがどこから湧いているのかも、ダメ人間の氷菓としては永遠の謎なのですけれども。

 さて、話が脱線してきたところでまとめに入りましょう。毎度氷菓はテキトーに書きたいことを一つ決めて、あとは書きながら考えてブログを書いているので、脱線どころか何を言いたいのかが終始わからないことは今後も多々あると思います。今回はもうお茶会ゼロ人を書けた時点で目的達成です。それだけ決めて書いてましたから。

 

 では、今回のまとめ、結論!

 相手に伝える意思が薄いくせによく喋るやつは、たぶんツイッターとかめちゃめちゃハマる。

 以上!

シャタンちゃんの紹介(小説のキャラクターとかではありません、実在します!)。

 どうも、脳内で一人会話を繰り広げニヤニヤしていることが多々ある氷菓です。きもいですね。

 せっかくなので、今回は氷菓の中にいる、ある人物を紹介していきたいと思います。要するに思考回路の一部を可能な限り公開するわけですから、それをどう利用するも読者の方の自由ということですね。ふはは、前回と前々回の記事で読者であることを断念した者たちはこの国家機密を知ることができないのです。ざまぁないぜ!

 ……いや、知ってるよ。氷菓の大ファンなら読めばいいんじゃないのとツイッターに上げたら、なぜかそこから読みに来た人がいたことを。ついに氷菓にもファンができたみたいですね、歌声はトキと同レベルですがよろしくお願いします!

 さて、それはともかく早速の紹介です。

 ・社会の声担当(通称シャタン)。

 ……まわりの人はこう思っているよ、という声を代弁する人。なんだか伝令でサーチできそうな名前をしているが、「社」会の声「担」当でシャタンなので、発音は悪魔的な存在のサタンは違う。ボタンが一番近い発音のような気がするが、カバンちゃんと同じ発音でもまったく問題ない。

 女子高生からおっさんまで様々な立場の人の思いを代弁し声として届けてくるが、本人の声は女の子っぽく高い物だし、噂によると正体はピンク髪のツインテールらしい。見たことないけど。

 さて、それでだが、シャタンちゃんの厄介な点は、実際にある思いを代弁しているわけではないところである。要するにシャタンちゃんは「まわりの人が考えていそうなこと」を代弁しているのであって「まわりの人が実際に考えていること」を代弁しているわけではないのだ。

 もうそれ代弁じゃないじゃんとか思うかもしれないが、所詮は氷菓の中にいる人である、エスパー能力などを持った高性能な奴がいるわけもない。

 そして更なる問題点は、氷菓自身がシャタンちゃんの言うことを「実際にあったこと」なのか「ありそうなこと」なのかを判断できないところにある。氷菓だってエスパーではないのでこれは当然だ。そしてシャタンちゃんは、かなりの割合でネガティブなことを選りすぐってお伝えしてくれる。

 過去に氷菓が、鹿島先生(偽名)というスクールカウンセラーの先生と話していた時にあった、

「この前のクイズ番組さ、あんなくだらない引っ掛け問題に引っかかっちゃって」

「あぁ、私も見てたよそれ」

「こんな問題に引っかかるとかだっせぇなーって言われて、もう腹が立つこと腹が立つこと」

「誰に言われたの?」

「……え?」

 という流れは、シャタンちゃんが引き起こしたものである。現実としては誰も氷菓のことを煽ってはいないのだが、シャタンちゃんが煽るので氷菓は煽られた気になってしまう。そして少し油断すると、それをさも誰か実在する人物から言われたかのように語りだしてしまう。

 このように、シャタンちゃんが氷菓に与える悪影響はかなり大きい。しかしこのシャタンちゃんという存在は、それほど珍しいものでもないと氷菓は思うのだ。

 誰もそんなに気にしていないよ、と言われても人からどう見られているのかが気になって気になって仕方がなく思うように力が発揮できない。……なんて経験をしたことはないだろうか。あるとすれば、それは「誰も気にしていない」という事実があるにも関わらず、「みんな見ているよ」という声を伝えてくるシャタンちゃんのせいである。極度のあがり症の人とか、かなりお喋りなシャタンちゃんが中に入っているんじゃないかなーと氷菓は思う。

 以上がシャタンちゃんについての話になる。氷菓に対する「みんなそんなこと思ってないって」という発言に如何に意味がないか把握していただけただろうか。

 氷菓はそんなことを言っても相手は何も救われないと考えているのですが、では何と言えばいいのか、それもわかりません。これは永遠の問題です。証明できない心というものを指して、あれはあなたに対して敵意を抱いていないよと、可能な限りの説得力を持たせて言う。それ以上に難しいことがこの世にあるでしょうか。……まぁ、一位タイなら五万とあるのでしょうけど。

 なので今のところ氷菓の出す回答は「あいつらがお前をどう思っていたら何なのだ。気に入らなければ殺せ」です。

 氷菓をソースに言いますが、シャタンちゃんから大きく影響を受けるタイプの人間は気に入らないからといって人を殺したりすることはできません。人を殺せばどう見られるのか、これでもかというほどにシャタンちゃんが持論で教えてくれますから。

 ですから、勢いだけ殺す気で行くことができます。友達とゲームで対戦している時に「死ねやあ!」と叫ぶのと同じです。気合いだけ気合いだけ。その気合さえあれば多少のプレッシャーに耐えることも、友達にスマブラで勝つこともできるはずです。どちらかといえば後者の方が嘘に近いです。

 と、まぁそんな感じでシャタンちゃんの紹介でした。おーしまい。

 

エロマンガ先生、みんな待ってるから学校行こうよー!

 どうも、昨日バイトをさぼってエロマンガ先生の三話を視聴した氷菓です。その前にアリスとビッグボス、再放送うぃっちも見ていたこともあってか、三話視聴後テンションが上がり徒歩でスーパーまで段ボールを取りに行ってきました。段ボールは今朝母に捨てられました。

 

 さて、エロマンガ先生第三話の冒頭にて記事タイトルのようなことがありましたが、あれはつらいですね。引きこもりの子に対する仕打ちですから、半分くらい引きこもりだった(過去形に擬態した現在進行形)氷菓にも気持ちはわかります。

 中学校の頃担任の先生が家まで迎えに来てくれて、両親とも不在のタイミングだったので氷菓は包丁片手に「どうしようどうしよう」と母へ電話をかけていました。別に刺すとかそういう気はまったくなく、いいから帰れと言うつもりだったのですが、包丁を持とうとサイコガンを装着しようと、氷菓にドアを開ける勇気はなかったのでしょう。

 結局先生は居留守を決め込む氷菓に諦めの言葉を告げて撤退していきました。諦めと言っても「明日はとりあえず電話から始めるぜ!」くらいの超絶ポジティブな物でした。氷菓は生徒のためにそこまでしてくれる先生の気持ちがまるで全然これっぽっちもわかりません。氷菓には想像もできないくらい忙しいでしょうに。自分に真似できないことは、まったく理解ができません。

 で、まぁ先生なので大人の余裕を発揮して撤退してくれましたが、あれがクラスメイトならどうだったでしょうか。しかもアニメと同じく十人近く来ていたら。機関銃を引っ提げてドアを開けても数の暴力で抑え込まれますよ。

 冗談ではなく、物理的にも精神的にも、大勢を相手にするのは困難ということです。一人に帰ってくれと伝えるのと、集団に伝えるのとでは難易度が違います。大勢の心を全て掴む演説が難しいように、大勢の人に自分の気持ちを正確に伝えることは大変な困難なのです。しかも相手はクラスメイト、今後の人間関係に大きく関わってきます。

 

 いったん話は変わりますが、氷菓は小説を書きます。妄想というか、醜い願望なり欲なりがダイレクトに書き綴られている呪いの書です。読んだ女子はもれなく引きます。ドン引きですと言いつつアラガミを駆逐します。

 何が醜いのかというと、自分の見たくない物を一切排除している点です。ハーレム系ラノベと大差ないと言えるでしょう。自分に不都合な女性を排除した物語と同じです。大抵ハーレム物だと女性に限らず男性のキャラクターも「主人公くんすげぇ!」みたいになってますけど、まぁそれは重要なことではないので置いておきましょう。

 エロマンガ先生三話冒頭のシチュエーションを、アマチュア引きこもりである氷菓が、おそらくガチの引きこもりの人に対して引きこもりを自称すれば恨みを買うであろう氷菓が、小説に書くとしたら以下のような感じになるでしょう。

 

「Aちゃーん、クラスみんなで待ってるから学校においでよー!」

 窓の外から男女入り混じった大勢の声が聞こえる。画面の向こうから聞こえてきても気にならない声が、なぜ窓の外からになった途端こうも耳障りなのか。画面も窓も大して違いはないだろう、私はその向こう側へ行けはしないのだから。

 私は窓を勢いよく開け、窓枠の鳴らすピシャリという音に歓喜したかのような表情を浮かべるクラスメイト共に叫んだ。

「うるさいだよバーカ!! 誰が行くか、あんたらで勝手に行っとけ!! 金持ちニートの私はあんたらが真面目に勉強してる間に好き放題遊んでるもんねーだ!」

 開けた時と同じ勢いで窓を閉める。一ミリの隙間もなくカーテンも閉める。ヘッドホンを装着し、気持ち強めにお気に入りの音楽を流す。……それでも窓の外から聞こえる声が雰囲気で感じ取れたが、彼ら彼女らもあと数分で去るだろう。遅刻覚悟で私を引きずりだそうとするのなら、その時は警察を呼ぼう。

「おーいA。なんかお前の友達が外に来てるけど」

 肩を叩かれて、兄がいつの間にか部屋に侵入していたことに気付く。ヘッドホンを外してみると、もう窓の外に脅威たちの気配はなかった。

「友達じゃない」

「そうか。まあ、もう帰っちゃったから、どっちにしろアレだけど。……それより、金持ちニートってなんのことだ? ウチは他所と比較しなくてもわかる程度に貧乏だぞ」

 私の魂のシャウトは、とりあえず同じ屋根の下に暮らす兄までは届いていたらしい。仮に町内中に響き渡っていたところで、私は町内の誰とも顔を合わせないのだから何も問題はないのだけれど。

「うるさい。お兄がもっと稼げばいいでしょ」

「無茶を言うな。これでもお前、兄貴が一人で自分と妹養ってるって相当頑張ってるぞ? 社会のみんなは認めてくれるのに、なぜ養われている本人が認めてくれない」

「私は金持ちニートだ……誰がなんと言おうと金持ちニートなんだ……」

「朝っぱらから昼飯の流儀みたいな顔するなよ。……じゃあ俺仕事行ってくるから」

 私の欲しかったタイミングに欲しかったツッコミを入れて、兄は生活費を稼ぐべく外へと旅立っていった。愛しい妹のために馬車馬のように働いてきてほしい。

 兄の悪い癖で、今日も部屋のドアを開けっぱなしにして出て行ってしまったので、私はいつものようにそれを閉めようと立ち上がる。とその時、出て行ったかと思われた兄がなぜか帰ってきて私と顔を合わせた。

「あれ、そういえばお前この前、人の部屋に勝手に入るヤツなぞ兄どころか人間にも満たないわ死ねぇ、みたいなこと言ってなかったけ? 今日は何も言われなかったけど」

「え? そんなこと私言ったっけ?」

 あまりに小さな出来事すぎて記憶にないが、兄がそう言うのだから言ったのかもしれない。いじめっ子は忘れてもいじめられた方は憶えているとよく言うから、きっとそんな感じの構図なのだろう。

 何にしても私の兄は、愛しい妹である私を養うために働き生きる運命なので、死ねと言われても言われなくてもその運命は変わらない。なのでこの話をこれ以上引きずる意味もないのだ。

「憶えてないならいいさ。じゃあな」

「あ、お兄待って。せっかく戻ってきたなら言い忘れたことを」

「なに」

「帰りにお土産でケーキ買ってきて。なんだか無性に食べたい」

「あぁ、昔は砂場でよく作って遊んだっけ。……じゃあな!」

「ちょっと、砂のケーキ持って来たらお兄のことこれから愚者って呼ぶからね」

 Aは面白いなぁ、と小馬鹿にしたような笑いを共に、今度こそ兄は去っていった。

 

 ……はい、とりあえずはここまでですね。えー今日はこんな感じのブログですが……ついてこられた人は……誰一人 いませんでした……って感じですね。

 昼飯の流儀と愚者あたりがネタとして入っていますが、氷菓の小説はほぼいつもこんな感じです。真面目な物を書こうと背伸びして頑張っている時はもちろんネタは入れませんが、自由にラノベ書けと言われるとこうなります。頻繁にキャラクターが歌いだすことで投稿できなくなる物もあります。

 ちなみに初めのシチュエーションだけがエロマンガ先生を見てから持ってきた物で、あとの設定はおそらく全て変わっていると思います。両親が亡くなっていて兄が働いていて妹が引きこもっている、というところはそのままですが、上で書いた話での兄はもう社会人です。というかエロマンガ先生こと紗霧ちゃんはイラストの仕事をしていますが、氷菓の書いた話では妹の「A」は完全にニートです。

 何が言いたいのかといいますと、要するに氷菓が小説を書くと「働いている引きこもりはただのニートになり、挙句に人格はクズに限りなく近づく」ということです。それはなぜか? そう、氷菓がそのクズニートだからです。

 氷菓は現在十八歳の男性ですが、そんな氷菓が自分を「A」に重ねて文章を書いたと考えてみてください。みんなドン引きです。みんなアラガミを駆逐し始めます。世はまさに大ゴッドイーター時代です。

 ところでなのですが、例えば「A」を男(つまりは弟)として、養ってくれる相手が姉だったとしましたら、どうでしょうか? なんだか一気に話が胸糞悪くなってきませんか? 氷菓が思うに、男なら許されないが女なら許されることがこの世には五万とあるのです。かわいいは正義なのです。「A」ちゃんはもちろん美少女です。

 というわけなので、氷菓の小説には女性が多く登場します。見ていて楽しいからです。書いていて楽しいからです。想像していて楽しいからです。結果として「そんな女子存在しないだろ」というキャラクターが頻繁に出来上がりますが、そんなことは知ったことではないのです。氷菓が楽しければそれでいい、楽しさを滅するリアリティに価値なし、価値なき物の存在は許されぬ、です。

 はい、完全にダメな人です。思考回路もダメ人間ですし、物書きとしても最悪です。あらゆる意味で改善、向上の見込みはないでしょう。それ故氷菓は小説を仕事にする可能性など考えもしないのです。頭から否定しています。人に説明する時は「趣味は趣味だから楽しい。仕事にはできない」と言っていますが、その奥にはやはり本人のクズクズしい部分が隠れているのです。

 

 ちなみにですが、「A」ちゃんは両親を失ったショックで両親を奪ったものへの恨みを積もらせますが、その奪った相手というのが両親と事故を起こし共に死亡してしまっているので、恨みをぶつける相手はすでにこの世のどこにも存在しません。結果Aは神という存在の証明が不必要なものを恨み、神は両親を奪った代わりに自分の人生の全てを今後全て保障する義務があると考えています。なので彼女にとって兄が自分を養うことは当たり前なのです。それが神の意志だと考えていますから。

 兄は兄でそんな妹を気の毒に思い養ってあげています。両親亡き今唯一の家族である妹のために兄は頑張って働きますが、過労によるストレスで妹は守るべきものから生きる意味になってしまいました。自分は妹のために生きているとして今日も働く兄は、その結果妹をダメ人間にしてしまうことに何も感じていません。自分が生きている間は自分が全て面倒を見るので問題なく、自分が死んだとしても、「生きる理由である妹」を考える理由は死んだ先にはないのです。

 と、このように闇のこもった設定を考えておりますが、特に形にすることはないでしょう。ストーリーが思いつきませんからね。こんな感じの氷菓ですが、興味がある人は「氷頂氷菓」で検索して、ハーメルンという小説投稿サイトにある氷菓の小説を読んでみればいいと思います。大体本人がここで言っている通りの有様が見れますよ。

 

 闇を抱えた者が、表面上だけでも幸せそうな姿を書くのが小説を書く意味です。それによって気持ちが救われる、救われるまでいかなくとも楽になりますから。もしくは一ミリも闇のない世界を書くかですね。闇だけのただただ暗い作品に興味はありません。まぁもちろんたまには、例外として別の趣旨の物を書くこともありますけどね。

 このような有様なのでかつてAO入試を試みた氷菓は、先生と入試対策について話す中で「ほぼ確実にある「趣味はなに?」の質問」への対策を考えている時に、半分ほど入試を断念する気持ちになっていました。先生も氷菓に「キミの小説は趣味というよりライフワークだ」と言いましたし、もはや趣味という範囲にはとどまっていないのです。現実逃避です。しかし、面接で答えられるような趣味らしき物も他にありません。

 

 まとめます。結論、氷菓は山田エルフになりたいがそのような未来はない。自分の書きたい物だけを書いて生活したいが、どうやら氷菓の性質ではそれは不可能なようだ。……以上、クズの長い長い独り言でした。また書きますよ。キーボードを叩いていると落ち着くんです。

妄想もいいところだけど、氷菓は絶対に親になんかなりたくないという話。

 どうも、氷頂氷菓です。なんだかちょくちょくこのブログを書いている人を見るので、氷菓も書いてみることにしました。

 というのもですね、最近ツイッターに思っていることを書くと、いったい140字の文字数制限はなんの為にあるのだと言わんばかりの量になってしまうから、場所を移そうと考えたわけですよ。文字数制限なんのそのと140字毎に文章を切っては次へ繋げする様子は、なんだか不格好ですからね。えぇそうです氷菓の個人的な価値観です。

 与えられた環境に満足できないのであれば出ていくべきだと思うのです。俳句や川柳などで決められた文字数を守らずに「三句繋げて初めて意味が通るやつ作りましたー。いやぁ我ながら大作だぜ!」とか言ってる人を見たら憐みを感じるでしょう? 氷菓は感じます。もう俳句やめちまえよポエムでも書いとけよと思います。ですから氷菓はこちらに移行したというわけです。

 ただ、それは俳句やツイッターでの話です。例えばよく「気に入らなければこの家から出ていけ」と言う親父がいますが、それは「与えられた環境に満足できないのであれば出ていくべき」とはまったく全然別の話になります。ツイッターというのは、
A「140字だけの短い独り言をみんなで呟いたら面白くね?」
B「面白そう! やろうやろう!」

という感じで生まれた物だと思います。Aは開発や運営、Bはユーザーですね。そもそもAがいなければコンテンツは生み出されませんし、Bが「つまんないから興味ないわ」と言い出せば生まれたコンテンツは消滅しますので。

 で、気に入らないなら家から出てけ親父の話ですが、いったいどこの家庭が、

A「我々夫婦は子どもを産もうと思います」
B「いいね、楽しそうだから生まれるわ!」
というコミュニケーションを取っているのでしょうか。Aは子どもを産もうとする夫婦で、Bはそれによって生まれる子どもですね。
 現実は、Aはそのまま同じとして、
B「なんか知らない間に生まれてたわ。とりあえず流れで生きてみよう」
となりますよね。子どもというコンテンツを生み出す側に自由があっても、コンテンツ(つまり自分自身)を栄えさせるか滅ぼすかの自由は子ども側にないのです。もちろん生まれて間もない幼児が「これこれこういう理由で、我が生まれた世界は我が生きるに値しない」と考えられるなら話は別ですけどね。それは妄想というものです。
 わけのわからぬまま生まれた子どもはわけのわからぬままに成長し、いつの間にか知性を得ます。自分はなぜ生まれたのか、とかそんなことを考えるために知性を使うのはとても不幸なことだと氷菓は思うのですが、みなさんどうですか。中学生くらいの時に「なぜ我は生まれたのだ」と考えていたか「我は明日も友達と遊ぶぞー! わーいたーのしー!」と考えていたか、どちらですか。
 仮に成長した子どもが「我に希望はない、もはや死を選ぶほかない」と、自分の命という、両親の作り出したコンテンツを滅ぼすことを選んだとしましょう。するとどうでしょう、死ぬのは痛みや苦しみを伴いますよね。場合によっては、本心では死にたくないと思いつつも状況の苦しさから死を選ぶ人もいるでしょう。そういう人ならなおさらですが、両親によって生み出された子どもが自らの死を選ぶ時、苦痛を伴うのは子ども自身です。
 いやいや子どもに死なれたら両親だってつらいよ、とかそういう話はどうでもいいのです。なぜかといいますと、ツイッターの話を思い出していただきたいのですが、まずは仮に新たなSNSを誰かが生んだとしましょう。
A「ツイッターっぽいの作ってみた」
B「くそパクりつまらん」
コンテンツはユーザーであるBから支持を得られなかったため、自然に滅びます。すると困るのはAです。せっかく苦労して作った物が滅んでしまえば悲しいですし、費やしたお金や時間はなんだったのかと思わざるを得ないでしょう。逆にBは、つまらんと思うだけでそれ以上の損害は何もありません。
 しかしコンテンツを作ったのはAです。Aにはコンテンツを生み出した時点で、Bからの支持を得られなかった場合の責任を負う義務が発生しているのです。というか義務も何も、自然とそういう形になります。成功すればAB共に喜び、失敗すればAのみが主な損害を被る。それが正しい形なのです。損害を、リスクを恐れるのなら初めからコンテンツなど作ろうとしなければよいのですから。さすがにノーリスクでリターンが欲しいというのは無茶でしょう。
 で、また親と子の話に戻ります。どうですか、Aである両親とBである子ども。なぜ子どもというコンテンツが失敗に終わる時、Bが大きな損害を被っているのでしょうか。同意の上で命を与えられたわけでもないのに散々な仕打ちです。逆に両親は、自分たちが生むことを選んだのだから文句を言う権利などありません。
 話を「生きるか死ぬか」というかなり壮大なテーマで進めてしまいましたが、規模が変わろうと話は同じです。要するに親には子どもを産んだ時点で、その子どもの衣食住とその他基本的な権利(義務教育など)を保証する義務があるのです。その親が何をとち狂えば「気に入らないなら家から出ていけ」と言えるのでしょう。正気の沙汰ではありません。
 ……はい、そうです。ここまで読んでいただければわかる通り、氷菓は言われたことをそのままの意味で受け取るタイプです。やる気がないなら帰れと言われれば帰るタイプです。しかしですね、帰れと言う教師や上司とは、親という立場はまるで話が違うわけですよ。言葉の裏に他の真意があったとしても、気に入らないなら出ていけなどということは言ってはならないのです。金を受け取る代わりに責任を負う仕事をしている者と、金ももらえないのに自ら進んで責任を背負った者とでは、背負っているものの重さが違うのです。生きるためではなく好き好んで選択をした者には、生きるために選択をした者よりも重い責任が付きまとうでしょう。
 
 さて、それで結局氷菓はいったい何が言いたかったのか。実は家から出ていけと親に言われていて、それに憤慨しているのか。違います。氷菓は高校を卒業してしまい、もしかすると「親の責任」の範囲を抜けてしまったかもしれない……だからこの話をしているのです。
 はたして親が子どもの責任を背負い続ける期間はどこまでなのか。義務教育終了までか、高校もしくは大学卒業までか、一生なのか。子どもに「親に責任をまっとうさせた責任」が発生するのはいつからなのか。そもそも発生するのか。それが問題です。

 一般的に考えれば高校なり大学なりを卒業して社会に出た時点で、親の責任は終了し子どもに責任が移ると考えられます。義務教育が終了した段階ではこのご時世十分な教育が終了したとも言えませんし、やはり最低ラインは高校かと。
 そうして親の責任によりそこそこ健やかに生き延びた子どもは、今度は今後自らの人生は自らで構築していくという責任を負います。これは「人間」という種を繁栄させるための責任です。一生親に面倒を見てもらうのが当たり前なら、ほとんど誰も働かないので社会は崩壊、人間はいずれ絶滅もしくは文明を退化させるでしょう。それは基本的に誰も望まないはずです。
 なので氷菓が「氷菓がダメ人間になったのは親の責任だ! 一生面倒見ろ!」と喚き散らしたところで、きっと大きな成果は得られないと思います。氷菓の両親は間違いなく責任を果たしていましたから。すると今度は、人間という種の繁栄を妨げる劣等種である氷菓が淘汰されるかそれに抗うか、という話になってきます。


 親が責任をはたせば、子どもは確実に真人間に育つなんて、そんなことはありません。子どもは親以外のあらゆる物や者と触れ合うのですから。いくら親が努力したところで、結果として何かしらのことが原因で子どもがダメ人間に育つこともあるでしょう。

 しかし、どこへ責任を追及すれば良いのかわからないからといって、結論である子ども本人に責任を被せるというのはどうなのでしょう。氷菓はあまり納得できませんが、代替案もないので泣き寝入ることにします。ぐすん。