マリオパーティなどの、ミニゲーム搭載型すごろくについての持論、後編。

「〇〇って何なのか気になりますよね! なので今回は〇〇について調べてみました! そもそも〇〇とは~~というのが起源で……(Wikipedia引用)」

 みたいな、よくあるクソみたいに冗長で中身のない文章を、ぼくも前編中編と書いてきてしまった気がしますけど、大して成長はせず後編もやっていきますね。

 

 

☆「マリオパーティ9」

・ルールについて

……通過するだけで取得できる仕様ですごろくマップ上に配置されていたり、ミニゲームに勝つともらえる「リトルスター」と呼ばれるポイントをより多く集めた人が勝者となるルール。前作とは違い明確なゴールがあるので、ゲーム終了までのターン数は未定。

 最大の特徴は「全員が固まって進む」こと。詳しくは後述。また、通常のサイコロはめでたく六面となっている。また、遊べる人数は最大四人であり、それ未満の人数でもコンピューター無しで遊ぶことができる。……たぶん。できたはず……。

 ともかく、この「全員が固まって進む」という他に類を見ないルールこそが、ミニゲーム搭載型すごろくにおける一つの到達点となっていることを、これから説明していこうと思う。

 

・ゲーム性について

……最大の特徴は全員が固まって進むというシステム。具体的には「全員で同じ車に乗り込み、サイコロを振ったら順番で運転手を交代していく」というシステムになっている。

 当然、止まったマスの効果や、道中で取得したリトルスターなどは全て運転手のみが受け取る。独特なのは「そのまま、その場で」運転手を交代して次の順番の人がサイコロを振るので、全員が「前の人が止まった位置から、それを引き継いで進んでいく」ことになる。

 このシステムによって、なんとあの「出目が悪く取り残される。ゴールに当たる地点にたどり着けない」という出目デカい方が有利すぎる問題をあっさり解決しているのだ。これが本当に偉い、偉すぎる。革命と言って過言ではない。

 同じマップを周回するルールで通過するだけで得られるポイントやアイテムがあると「とにかく速く突っ走った者勝ち」となるが、本作のシステムはいくら進もうとも現在地を次のプレイヤーに引き渡してしまうため、自分がゲーム中に出した出目の合計がいくら大きかろうと、大きい出目も適切な状況で出さない限り意味がないのだ。

 例を出すなら「7マス先にリトルスターが配置されている場合」などがわかりやすい。前作でこの状況なら、例え使うのが6面サイコロだったとしても、

「6を出して次のターンで確実にポイント入手。その「次のターン」でも大きい出目を出すほどさらに次のポイントをゲットするチャンスが近づく」

 となっていた。しかし本作では、

「6を出すと次のプレイヤーにポイントを確実に取られてしまう。次のプレイヤーが自分と僅差で競っている場合、むしろ1を出してチャンスを渡さないようにするのがベスト」

 ということになるのだ。この「小さい出目がベストになる状況」が多発するというのが、もっと言えば「最善解が時と場合で変化する」ことが多々あるというのが、本作独自のシステムによる最大の恩恵である。

 前作でも強力すぎる効果のマスが近かった場合には似た状況になることもあったが、今作では「そういうこともある」というレベルではなく、ほぼ常に最善解が変化する。これによって「大きい出目が正義」という概念が崩れ去り、出目次第で勝負がほとんど決まる運ゲーとは別れを告げることができたのである。

 いやちょっと待て、「最善解が変化する」だけでは大きな出目の最強を否定することはできても、結局「良い出目を出した人が圧倒的有利になる」という根本的な部分には変わりがないじゃないか。……と、そう思う人もいるだろう。しかしその点も心配ご無用だ。

 本作にも特殊サイコロが登場するが、その効果は前作とは趣が大きく違っている。種類もそう多くなく効果も単純なので紹介しよう。

 

「1・2・3サイコロ……1~3のみが出る三面サイコロ」

「4・5・6……4~6のみが出る三面サイコロ」

「0・1……0~1が出る二面サイコロ」

「ダブルサイコロ……六面サイコロを二つ振る効果」

「10サイコロ……十面サイコロ」

「ゆっくりサイコロ……1~6から選んだ数字が出せるサイコロ。目押しだが、前作より遥かにイージー

 

 以上である。どうだろう、このシンプルさ。ゆっくりサイコロ以外は初見時に名前と絵を見るだけで瞬時に効果を理解できたほどだ。しかしこのシンプルさが良い。こういった効果だからこそ「最善解が変化する」というゲーム性にマッチしているのだ。

 本作では特殊サイコロの最大所持数が2つのため「1~3サイコロ」と「4~6サイコロ」を持っておけば、あらゆる状況に有利な状態で挑めることになる。その上でちゃんと「A~C」のように数字が揺れるランダム要素があるので、特殊サイコロを使えば絶対安心という場面ばかりではないという「極端すぎない運」が絶妙に用意されているのだ。

 また精神衛生上、より良いと思う方向に行動できるシステムというのは非常に重要となる点も忘れてはいけない。これは「与えられた選択肢の中から最善を選び続ける」というミニゲーム非搭載型すごろくに通じる「楽しさ」の話だ。

 例えば5以上を出せば配置された大量のリトルスターを取得できるという状況で、通常の六面サイコロを振って4以下を出すのと、「4~6サイコロ」を振って4を引き当ててしまうのでは同じ「運が悪い」でも大きな違いがあるのではある。

 その違いは「最善と思われる行動を選んだか」ということだ。選択肢のない状態でただ悪運を発揮してしまうことと、「出目1~6のうちの1~4(失敗確率3分の2)よりも、自分は出目4~6のうちの4(失敗確立3分の1)を選んだのだ」と思うことができる。この「自分で選べる」「合理的な行動ができる」ということが「おみくじを引いているのではなく、ゲームをしている!」という実感になるのだ。

 完全に運要素を取り払えば他のゲームでいいじゃんとなるが、運要素を重くしすぎてもこんなのおみくじと一緒じゃんとなってしまうミニゲーム搭載型すごろくにおいて、運要素を残したまま「ゲームをしている実感」を与えることができる本作のシステムは「面白いミニゲーム搭載型すごろくとはどういう物か?」という根幹となるテーマへの一つの回答なのである。

 前作の特殊サイコロも一応「不発の可能性があっても使うのが合理的」という場面はあった。しかしそもそも十面サイコロを普段使いするせいで「100パーセント不発する状況」が多発していた上に、効果のほとんどが使うべき場面に遭遇した時「使わなければ不利になる効果」ではなく「使うと有利になる効果」であった。

(※具体的には「コインを奪う」「スタートに戻す」「アイテムを奪う」などがあった)

 一方、本作では何度も言うように「最善解の変化」が「多々」発生する。頻繁に、しょっちゅう、いたるところで、である。前作では攻撃的な意味合いが強かった特殊サイコロを使う意味がない場面では「使えない」という認識だったが、今作では特殊サイコロが防御的な意味合いを含むので「温存できた」という解釈に変わるのだ。そしてもちろん、本作の特殊サイコロだって大量得点を狙ったり、逆に相手に得点マイナスを押し付けたり攻撃的な使い方もできる。

 全員が固まって進むシステムがあることにより、出目操作が「保身の道具」にも「相手を陥れる武器」にもなるのだ。このシステム、あまりにも完成度が高すぎる。前作があのザマだったのに、急に大成長したマリオパーティに正直驚きを隠せない。

 が、まだ不安要素はある。冒頭のルール説明で言ったことを思い出してほしい。

 

「通過するだけで取得できる仕様ですごろくマップ上に配置されていたり、ミニゲームに勝つともらえる「リトルスター」と呼ばれるポイントをより多く集めた人が勝者となるルール」

 

 ……つまり、裏を返せばこういうことになる。

ミニゲームによって特殊サイコロを得ることはできない」

 この事実が不安を呼び寄せる。これまでに紹介したすごろくの中で面白かった物は、

ミニゲームにより追加のサイコロが得られ、なおかつそのバランスが絶妙だった「Wiiパーティ」のAすごろく」

「サイコロの出目による有利不利を「しゃらくせえ!」と蹴散らせる威力を持った核兵器級アイテムを当然のように存在させることで、相対的にそもそもサイコロの重要度を下げた「ドラえもんひみつ道具王決定戦」」

 の二つだ。

 本作には、さきほど紹介した以外のアイテムは登場しない。前作にあったコインの概念もない(ということはショップもない)。なおかつミニゲームでサイコロは得られないと来た。ここまで神ゲーの予感がしていたのに、急にクソ運ゲーの臭いがぷんぷんしてくる……。

 しかしご安心! 実はこのゲーム、特殊サイコロを得ることが死ぬほど簡単なのである。というのもまず、マップ上に腐るほど「ランダムな特殊サイコロを一つ取得する効果」のマスが設置されている。本当に、マリオも歩けば特殊サイコロに当たる、ってくらいの勢いで配置されている。都会のコンビニくらい大量にある。

 いたるところに配置されているおかげで前作のような「出目が小さすぎて取りに行けない」ということがない。さらにマス効果は通過ではなく停止でのみ適用されるので、これまた前作のような「大きい出目を出すほど特殊サイコロがたくさん取れる」ということもないのだ。どこまでいっても出目の価値は全て平等なのである。

 さらに、まだ特殊サイコロを得る手段はある。各所にチェックポイントがあるのだが、そこを通過するとなんと「全員が特殊サイコロをもらえる」。運転手だけではない、全員がである。ここまでやってもらって特殊サイコロが全然取れないとなったら、そんな日はもう、ふて寝するしかない。

 ちなみにチェックポイントでは「運転手以外はランダム」で特殊サイコロをもらえるが、運転手だけは「かなりイージーな目押し」で特殊サイコロをもらうことができる。1~6の中から好きな数字を出せる、超便利かつ最強のゆっくりサイコロだってほぼ確定で取れてしまうのである。

 ゆっくりサイコロはリトルスター10個以上の重要性を持つ場合がままあるので、これは少しやりすぎなのではないかという気もする。しかし、実は「運転手以外はランダム」と言ったものの、それは「高速で回転するスロットを止める」という意味のことだ。一見して目押しを諦める速さなので、ランダムと表現するのが正しいと思われる。

 けれども、これは体感の話になってしまうが、ぼくはなんだかそれさえ目押しできるように感じるのだ。運によるまぐれだったのかもしれないが、何度か成功させたことがある。

 もし「運転手以外はランダム」が「ベリーハードな目押し」だった場合、このチェックポイントはすでに「ミニゲームになっている」と言えるだろう。運転手のみが有利になるとはいえ、実力が介入するゲームである可能性がある。

 察しているかもしれないけれど、ぼくはこのゲームを神ゲーとして扱いたい。なので正直ここは「ベリーハードな目押し説」を推していきたい。目押しができる人は状況に左右されず最高のサイコロを手に入れ、そうでない人でも有用なサイコロを手に入れられる、それがチェックポイント。そういうことでいいじゃないか。

 この「ランダムだったとしても、何を引いてもそれなりに強い」というのは、ドラえもんに通じる面白さがある。あれは一部キャラだけが使えるので大問題だったが、本作では平等なので安心だ。前作マリパ8の「通りすがった相手からコインを奪う」みたいな、直接得点に繋がらないにもほどがある上に確実性に欠ける微妙すぎるアイテムを思えば、やはり本作は異常なほどの成長を遂げている。

 さて、ここまでサイコロまわりのシステムを褒めちぎってきたけれど、ここからは勝敗を決める直接的な要素となるリトルスターについて話して以降。

 リトルスターはマップの各所にある程度固まって配置されている(5点とか10点とか)が、これは通過するだけで取得できる。また、同じように黒いリトルスター(名前忘れた。我が家での呼び名はマイナススター)も存在しており、お察しの通りそれを取得してしまうと、今まで蓄えたリトルスターをその数に等しい分だけ失ってしまう。

 それ以外にリトルスターが、つまり得点が増減する要因にはミニゲームがある。ミニゲームミニゲーム開始の効果マスに止まった時はもちろん、特殊サイコロ取得の効果マスに止まった時についでのように始まることがある。実は頻度的には後者がメイン。

 ミニゲームの結果でもらえる得点は、

「1位……5点」「2位……3点」「3位……2点」「4位……1点」

(※数字うろ覚え。ニュアンスだけ受け取ってほしい)

 と、マップ上に5個や10個ずつ頻繁に配置されていることを考えると、非常に小規模な相場となっている。トップとビリの差も4点しかなく、一回や二回ミニゲームに勝っても負けても、大して得点が開くことはない。

 しかしミニゲームには時々「バトルミニゲーム」という特殊な物が発生することがあり、それは四人対戦時は「全員3点ずつの得点を賭けて行うミニゲーム」となる。

 ポイントを持ってなさすぎて払えなかった人がいた場合を除けば、計12点が集まることになる。そしてミニゲームの結果により、

「1位……6点」「2位……4点」「3位……2点」「4位……0点」

(※数字うろ覚え。ニュアンスだけ受け取ってほしい)

 と再分配される。頻繁に行われる通常のミニゲームの結果も合わせると、このバトルミニゲームによって結構な差が開く場合も考えられる……と、ゲーム下手っぴにもミニゲームに自信ニキにも、どちらにも微妙に優しい仕様となっている。

 これについては勝率が良ければ少量でも得点でリードできるということであり、差があまり開かないとはいえ「最後に1点でも多かった人の勝ち」というルール上小さな差も無視はできないので、ぼく個人としてはこの仕様を好意的に捉えている。前作のようなチーム戦だらけな上に直接得点にならない仕様と比べればかなり楽しい。

 また、マップ上には一つずつ「中ボス」と「ボス(ゴール)」のマスが設置されており、これにたどり着くと強制ストップとなる。そしてここでもミニゲームが始まるわけだが、ここでのレートは「中ボス1位……10点」「ボス1位……15点」と高めに設定されている。(2位以下は覚えてない)

 さらにこの二つのマスによるミニゲームでのみ「キャプテンボーナス」という概念が発生する。キャプテンとは運転手のことであり、強制ストップのこれらのマスに止まった時運転手であったプレイヤーは、ミニゲームの結果に応じてさらにボーナス得点を得られるのである。

 ボーナスは中ボス1位で5点(全部合わせて15点獲得)だが、ビリだと1点しかもらえなくなる。ボスの場合ならもっと極端だ。なのでミニゲームに自信のある人がボス戦に運転手として挑めた場合は腕の見せ所となる。

 またこのキャプテンボーナスの存在は、特殊サイコロを……特に大きな出目の出しやすい物を「温存」する意味……というか、

「特殊サイコロを使うべきタイミングが来ない=不運」

 ではないという価値観を形作るための要素の一つでもある。そういう事情もあるので大きな出目が小さな出目が完全に平等になったとは言い難いのだけれど、あらたに温存の概念を生んでいる上に、もともと大きすぎた出目による差を「結局はミニゲームに勝たなければ大して意味がない」というところまで縮めたのだからむしろ評価したい。

 ちなみに、全マップ共通で「キャプテン」と名の付くイベントはもう一つある。それが「キャプテンイベント」である。そのまんまだ。

 これも強制ストップのマスだが、ここで始まるイベントはマップごとに趣が異なる物の本質は以下の通りに統一されている。

 

「サイコロを使った運ゲー。ただしキャプテンにのみ「期待値を操作する権利」が発生する。このイベントで獲得できるのはリトルスターのみ」

 

 期待値の操作とはどういうことかというと例えば、

「大量のリトルスターへ続く、期待値のそれぞれ違う道(道のりは長いが「もう一回進む効果のマス」も多い道。効果マスは少ないが単純に短い道など)が四本ある中で、誰がどの道を進むのかキャプテンが決められる」

 というような物がある。要するに期待値はどこまでいっても期待値でしかないので、ランダム要素からは誰も逃れられないものの、他プレイヤーは命運をキャプテン(運転手)に握られることになるのだ。

 やっていることは運ゲーなのだが、キャプテンには「選ぶ権利」があるということ、これが大きい。さっきも言った通り、お祈りではなく「自分が正しいと思った道を進めること」がゲームをやっているという実感に結びつくのだ。それがゲームの楽しさに結びつくのだ。

 選ぶ権利があったことで、結果がどうあれキャプテンはそれを受け入れることができる(逆に、それでも自分の不運を受け入れられない人はこの手のゲームに向いてない)。そして選ぶ権利が一切ない他プレイヤーたちだが、彼らも運よく自分たちが得をすれば、またはキャプテンが不運に見舞われれば「ざまぁないぜ!」と高笑いすることができる。

 この「和気あいあいとした煽り合い」こそ、マリオパーティというタイトルが言う通りの「パーティ性」なのではなかろうか。煽り合いとはいえ、和気あいあいとしていればそれは立派なコミュニケーションである。

 「ざまぁないぜ!」とか「ちくしょう!俺がキャプテンだったら……!」とか言ってリアクションを取りながら遊ぶ楽しみが、すごろく系ゲームにはあるべきなのだと思う。紙を使って遊ぶ元祖の「すごろく」は、元々ただサイコロを振るだけの運ゲーをリアクションとコミュニケーションで楽しむ物であったはずだから。

 と、そんな感じで。リトルスターの集め方、サイコロまわりのシステム、そしてボス戦とキャプテン系のあれこれ。これで、このゲームのことはそのほとんどを説明したことになる。ミニゲーム搭載型すごろくとして、ほとんど文句のつけどころがない神ゲーだということがわかってもらえたかと思う。

 ……なのでここからは、このゲームの欠点を話していこう。正直ぼくはそれらのことも欠点とは思えないのだけれど、レビューなどを見れば世間の反応がそうではなかったので説明しないわけにはいくまい。

 

マリパ9の欠点

……各マップには、一定の条件を満たしたプレイヤーの所持ポイントを大幅に失わせるイベントがある。それぞれ紹介しよう。

 

「初期マップ……緑豊かな、なんとも特徴に欠けるマップ。優しいイベントが多く、良く言えば常にほのぼの楽しめ、悪く言えば緊張感に欠ける。このマップだけ他マップのような強烈なイベントがない」

 

「爆弾工場……ゲーム中決まった場所で計二回、運転席に「ぼむへい」が乗り込んでくるマップ。名前通り全身爆弾、ボムボムの実の能力者である彼は「自身が車に乗り込んでからカウントして、一定以上の数のマスを車が進むと爆発する」という能力を持っている。

(例……ぼむへいが乗り込んできた時点でカウントダウンが「11」だった場合、次にサイコロを振り6進むと当然カウントは「5」になる。このようにしてカウントが0になった時、ぼむへいは爆発する)

なお、ぼむへいが爆発した時に運転席にいたプレイヤー(つまりその時点での運転手)は、所持ポイントの半分を失う」

 

テレサのお化け屋敷……一定のポイントを過ぎると、テレサが背後から追いかけてくるマップ。何マスずつ追ってくるのかは忘れたけど(たしか3マス)、とにかく追いつかれればその時点での運転手は所持ポイントの半分を失う」

 

「海……いろいろなイベントがあるマップ。まず最初にイルカが前方を走る(泳ぐ)ので、それに追いついた運転手はリトルスターがもらえる(イルカの進むペースともらえる得点数おぼえてない)。追いつくとイルカは退場して、背後にサメが出現する。サメはテレサと大体同じ効果。

 また、しばらく進んだところは「マップ上のリトルスターをほぼ全て黒いリトルスター(マイナス)に変える」というおそろしい効果を持った効果マスが散りばめられている。ただし同じ効果のマスをもう一度踏めば、リトルスターを元に戻すことも可能」

 

「火山……火口の中をよじ上り、センター・オブ・ジ・アースがごとく山から飛び出す凄まじい世界観のマップ。海マップでは船になっていた車だが、火口をよじ登ることも出来るとは……。

 見た目のインパクト通りゲームとしても一番派手。一定以上進むとマグマが下から追いかけてくるようになり、マグマに飲まれると運転手は例のごとく所持ポイントを半分失う。テレサや海と違うのは、マグマから逃げる最中に分かれ道があること。そして分かれ道は「どちらに行きたいかを各々投票し、最終的にランダムなルーレットで行く道が決まる」という独特な仕様になっている。

 つまり行きたい方向が全員一致すれば確定でそちらへ進むが、そうでない場合は多数派の方に確率が偏るランダムイベントで進む方向を決めることになるわけである。大抵の場合近道と遠回りの二択のため、マグマと現在の順位やポイント差を見て各々投票、神に祈りを捧げ、一喜一憂することになる」

 

クッパコロニー……ジャックポット(略してJP)という概念があるマップ。JP追加マスに止まるとJPにポイントがチャージされ、JP獲得マスに止まるとチャージされたポイントを全て獲得することができる。また一定以上JPをチャージすると自動的にJPミニゲームが始まり、1位が一番多くなる順当な形式でJPが分配されることになる。

 他のマップがポイントを半減させてくる中、むしろ倍加させていく勢いで得点を得るイベントがある変わった趣のマップだが、このマップだけ中ボス戦とボス戦のミニゲームがそれぞれ一種類で固定されている。どちらも運の要素が大きい……というか中ボスに至っては「全員普通のサイコロを振り続けるだけ」という運要素オンリーの純粋なクソゲーとなっている。他は面白いのになぜここまで来てこんなことに……。謎である」

 

 

 ……と、大体これで全部になる。これらのマップたちと、もう一つDKジャングルという特殊ルールのマップがあるのだが、とりあえず今回は通常ルールのマップのみに焦点を当てようと思う。

 見ての通り、ことあるごとに「所持ポイントを半減させる効果」のイベントが起こる。半分というのがどれだけ恐ろしいのかはドラえもんの時に説明した通りだ(あれは失わせるではなく奪うだったが、核兵器級のアイテムやイベントが他にない本作では「半分失う」は奪われるのと同等の威力がある)。

 つまりこのゲームの何が批判されているのかというと、

「最後のクイズに正解した人には、百万点を差し上げまーす!」

 といったお約束展開的などんでん返しがあることが批判されているのである。バラエティ番組ならそれで盛り上がるかもしれないが、ゲームでそれをやられると「茶番じゃん。運ゲーじゃん」ということになりかねないということだ。

 たしかに順調に1位を独走していた人が、たった一つのイベントで2位以下に急転直下のランクダウンをするのは理不尽と言えるのかもしれない。一理ある。しかしこれはよくある「救済措置」であることも忘れないでほしい。

 逆転要素に乏しいすごろくゲームだと、序盤で敗北濃厚となったプレイヤーは戦意を喪失してしまう。するとその人がゲームを楽しめなくなるばかりか、まわりの空気さえ悪くなりかねない。このゲームは和気あいあいと楽しむべき物のはずなのにだ。

 そこで「誰しもが一瞬で転落しかねない」という要素を入れることで、最後まで期待を持ってゲームを楽しめるようにしているのである。このゲームには他にも、

「後半のチェックポイントで、その時点でビリの人だけがゆっくりサイコロをもらえる(他プレイヤーは何ももらえない)」

 などの救済措置が取られていて、ビリだからといって最後まで諦めないように設計されていることがわかる。前作にも決闘キャンディがビリに配布される救済措置があった。サイコロ二つ振ってスター持ってる人とすれ違いミニゲームに勝つ前提のアイテムだったけど……。

 そして得点を大きく動かす全てのイベントが「追いつかれたら」「カウントがゼロになったら」もしくは「JP獲得に止まったら」とわかりやすく決められていることが、この過剰とも言える救済措置を擁護する際の論点かと思っている。

 最善解が変化する。サイコロを温存する意味がある。そんなようなことを散々言っていたのは、これのことである。キャプテンボーナス&イベントとか、配置されている10点や15点のリトルスターとかマイナススターとか、そんな物を得たり回避したりするためにすることが「温存する」ということではない。

 シンプルかつ「選ぶ権利」となっている特殊サイコロたちは、この救済措置を回避するため、もしくは他プレイヤーにぶつけるためにあるのだ。我々は選ぶ権利を行使できた時点でたとえポイントを半分持っていかれようとも甘んじて結果を受け入れるべきなのだ。もちろんその逆、上手く他プレイヤーにぶつけられなかった時も同じように。

 ミニゲームに勝つことが少なからず勝利に繋がり、サイコロの入手にも不自由しない。そこまで良い環境を作ってもらったなら、最後の運要素くらい受け入れるべきだ。これはガチの真剣勝負を挑むゲームではなく、みんなで楽しむゲームなのだから。ぼくはそう思う。

 ……が、言ってて自分でちょっと無理がある気がしてきた。いくらミニゲームに勝ってもイベントにやられれば全て無に帰すとか、いくらサイコロに不自由しなくても結局運に負ければ負けるとか、やってること自体は本当にただの運ゲーでしかないのかもしれない……。

 けど、それでも、前作がクソすぎたからだろうか、やっぱりこのマリパ9は神ゲーである気がするのだ。運要素もスリルとして受け入れられる。最悪それで自分が理不尽な負け方しても、その結果みんなで楽しめるならそれで構わない。出目が小さいと最初から最後まで理不尽な負けルートを歩かされて楽しめもしない前作に比べれば、一発殴られて潔く散るくらいそれもまた一興だろう。

 WiiパーティのUFOと同じだ。それがあるからって、このゲームがクソゲーということにはらない。ぼくはこのゲームが、マリオパーティ9が好きだ。悪いところも含めて好きだ。たとえ全マップ共通で「クッパマス」という止まるとランダムだけど基本的にビリに有利なイベントが起きるマスがあって、そこのイベント次第では、

「全員所持している半分のリトルスターを賭けてバトルミニゲーム。(クッパマスは後半にしか設置されていないので、ここでの勝者が実質全体での優勝者となる)」

 という展開になったとしても、それでもビリを見放さないこのゲームが好きだ。大体、このゲームを運ゲーと罵るなら、前作の方が圧倒的にひどかったじゃないか。そうやって批判ばかりするから中々新しい物が生まれないんだ!

 と、それはさすがに言い過ぎだとしても、そもそもぼくは、というか我が家は、独特な価値観ですごろくゲームをプレイしているから本作くらいの運要素なら許容できる。だからこれでいい。マリパ9はWiiパーティのAすごろくに並ぶ名作だと思う。

 独特な価値観ってなんだよという話は、マリパ10の紹介が終わってから話すことにしよう。そうしよう。

 

 

☆「マリオパーティ10」

・ルールについて

……前作と同じくみんなで同じ車に乗って一斉に移動して、ミニゲームで勝負したり配置された物を取ったりしてリトルスターを誰よりも多く集めることが目的のゲーム。基本的なことは前作と何一つ変わっていない。

 本作独自の要素としては「閉じ込められたクッパ(もしくはキノピオ)」のシステムがある。詳しくは後述。

 

・ゲーム性について

……前作とほぼ同じでマップだけが変化している。が、そのマップも「一定条件で所持ポイントを半分にする効果」のイベントだらけであり、そこも含めて前作から変化していない。ぼくはこれ好き。

 個人的神ゲーである前作の第二部といった感じなのでゲームバランスに大した問題はなく(個人の意見です)、とても楽しく遊べるようになっている。

 変化点は二つ。まずはキャプテンボーナスの削除である。具体的には中ボスのマスとボスのマス(ゴール)にたどり着いた場合に、その時点で運転手に決まった数のポイントが入るように仕様変更されている。

 この変更によってミニゲームに勝たなければせっかく運転手である意味がないという常識がなくなったので、良く言えば下手っぴでも楽しめるようになったが、悪く言えばゲーム性の比率が運ゲー方向に傾いたことになる。

 これに関してはぼくも、運要素としては十分(あるいは過剰)な特大威力のイベントがゲーム後半にあることに加えて、中ボス戦とボス戦は運転手が三択でミニゲームを選べるので、前作の仕様の方がゲームとして面白かったかなと否定的な意見を持っている。が、別に大騒ぎするほどのことでもない。

 そして変更の二つ目というのが「閉じ込められたクッパ(キノピオ)」のシステムである。このシステムの正式名称を忘れたので、以下では「幽閉システム」と呼ぶことにする。

 幽閉システムは「1~6の鍵がかかった牢の中にクッパ(キノピオ)がいて、マップを進むためにサイコロを振るたび、対応する鍵が解かれる」という物になっている。1つのマップの中で全ての数字を出しきったその時に、牢の中にいるキャラが出てくることになる。

 ほとんどのマップにおいて牢の中にはクッパがいる。そしてそのクッパを開放してしまうと、その時点での運転手は所持ポイントの半分を失ってしまう。そしてついでに各所にクッパマスが設置される。(ビリにゆっくりサイコロを配布する段階までに牢が開かなかった場合、その時に結局クッパマスは設置されるけれども。ただしその場合は若干設置数が少なめ)

 要するに前作の「一定の数字を出してしまうとポイントを半分失ってしまう系イベント」が、マップ共通で一つ増えたということになる。前作で批判されていた運ゲー要素が加速したわけだ。キャプテンボーナス削除と合わせて怒涛の勢いで運ゲーに傾いているように思える。

 ただし前作で言うところの「必ず誰かは爆発してしまうぼむへい」と違って、牢を一定期間まで封印することさえできれば全員が助かる仕様なので、「追いつかれなければ全員セーフ」だった前作テレサやマグマに通じる部分があるので運ゲー否定派にもまだ救いはある。気休め程度だけれど……。

 なお、最終マップであるクッパ城でのみ牢の中にはキノピオが捕らわれており、彼を助け出すといつもとは逆にポイントをもらえることになる。その数なんと20ポイント。40ポイントを所持している人が半減イベントをくらうのと同じ威力だと考えれば中々強力な数字と言えるだろう。最終ステージだけ「出目〇〇を出さない」から「出目〇〇を出す」に目的が変わるあたり前作の流れを継いでいるとも言える。

 以上で、二つの変更点の説明は終了となる。運ゲー要素が大きく増えたこと以外に特に語ることはなく、ぼくとしてはそれでも相変わらず神ゲーだけれど、客観的に見ればかなり否の多い賛否両論のあるゲームだとも理解しているつもりである。

 最後に、各ステージを紹介しておこう。

 

「遊園地……初期のマップ。前作以上に個性がない、というかイベントがマジで異様に少ない。単純に退屈なので、このマップのことは忘れていいと思う。たった一つのマップとはいえ、前作から劣化してしまったことはとても悲しい」

 

「暗い森……テレサ系マップ。ただし今回のテレサはポイントをがっつり半分持っていたりしないあたり優しくなっている。あるいは実力主義になっている。が、その分牢のクッパがいるのでこれで大体前作と同じくらいのバランスということになるのか……?」

 

「海とくじ引き……今作最大の問題児マップ。各所のチェックポイントで「運転手が見た目の違う宝箱を選ぶ」というイベントがあるのだが、この宝箱から出てくる物(5点、10点、20点、ゆっくりサイコロ……のいずれか)をそのまま運転手のみが受け取ることになる。要するにこの時点で「大きい出目が強い」という過去に戻りつつある。

 その上、宝箱の見た目と中身に関連性は見られず、選ぶ権利は形だけの存在で事実上無いに等しい。また20点は前述の通りかなりの高得点であり、他マップなら「半減イベントの条件を満たさないように特殊サイコロを使う」ということを「選択」できる中で、このマップだけ全てが一切選択の余地がない運ゲー一色に染まってしまっている。代わりに半減イベントは幽閉システム以外は存在していないが、一番クソゲーに近いマップであることは確実だろう」

 

「飛空船……空飛ぶ船や雲の上を進むマップ。船を次々飛び移って進んでいくが、運転手が交代するたびに前方の船が別の船に入れ替わるイベントがある。船には、

「ポイントが多く配置されている黄金の船」

「マイナスのポイントが多く配置されている幽霊船」

「ポイントが少量配置されている普通の船」

 の三種類がある。状況と特殊サイコロ次第ではわざと幽霊船が眼前にある時に乗り込んで、マイナスポイントの前で停止するなどの戦略を取ることもできる。

 後半に差し掛かると「特定のマスに止まるとポイント半減」というおなじみの半減イベントが始まる。しかしそれが終わると逆に「「+2」と「+4」の効果マスがある円形のマップをぐるぐるまわり、効果の合計を+10にした人が大量得点を獲得」というイベントが始まる。そしてそのイベントは誰かが得点を獲得するまで終わらない。

 半減イベントと得点獲得イベントの両方で特殊サイコロが使えるので、このマップだけ特殊サイコロが不足することが多いかもしれない。また、得点獲得イベント中も僅かだけとはいえ止まるとポイント半減のマスが設置されている鬼畜仕様。総じて、他マップ以上に最後まで誰が勝つかわからないマップだと言えるだろう」

 

クッパ城……最後のマップ。このマップだけマップ自体のギミックとして「マグマが噴き出す穴の上を、ボタンを押してジャンプする」というまさかのプチゲームが用意されている。失敗するとポイントを失うが、さすがに半分持っていかれることはない。

 後半になると止まると後ろに戻される上に数十ポイントを失うマスや、一定のマスに止まると半減イベントが起こってしまうなどの怒涛の減点要素があるが、このマップだけ幽閉システムがキノピオなのでそういう調整なのだと思う。

 また、飛空船マップと同じく特殊サイコロの使いどころが多いが、減点要素が多くビリ救済は十分だという判断なのか、このマップだけ最後のチェックポイントでビリではなく運転手にゆっくりサイコロを渡される

 それと他マップでは半減イベントをひとしきり終えてからゴールへ向かうラストスパートに差し掛かるが、このマップだけラストスパート自体が半減イベントとなっている。なんとなく派手だからぼくはこのマップ好き」

 

 

 以上、これで全マップとなる。DKジャングルのことを無視しても、前作と比べてマップが一つ減っていることに気が付いただろうか? これも本作の残念な点である。さらにそのうち二つが退屈&重度の運ゲーというのが悲しみを誘う。

 総評としては、ほとんどが前作のシステムと同じなので楽しいゲームだが、元々それなりに強かった運要素にさらに比率が傾いたことと、面白いマップが減ったことは残念としか言えない、良ゲーだが前作に比べると……といった扱いとなる。

 それでも全然楽しいし、むしろシビアなところの多かったドラえもんと対になる、ちょっと甘すぎるゲームとして立場を確立していると考えれば悪くはない。それに、前作とまったく同じシステムのまま新作を出すわけにもいかなかっただろうから、幽閉システムあたりはそのあたりの試行錯誤がうかがえて、そういう意味では嫌いじゃない。

 まあ、相変わらず運ゲー否定派の人は「ポイント半分失うとか、そのテキトーに考えたとしか思えない雑な減点やめろ」と言っていますけど……。いや、でも、うん、一理あるかな。

 とにかく、全員が固まって動くシステムについては画期的、独創的、唯一無二な素晴らしい物だと思っているので、ぜひ次作にも期待したい。そういう意味も含めて評価は星5です!(クソレビュー並感)(実際のところは星4くらいですね)

 

 

☆まとめ

……で、これらは何の話だったのか。持論とはなんだったのか。要点だけまとめると以下のようになる。

 ミニゲーム搭載型すごろくにおける「面白さ」とは、「面白いミニゲーム系すごろく」とは、「自分が正しいと思った選択」を「選ぶ機会」が多いすごろくであることが大前提で、その上でミニゲームの勝敗が過不足なくゲーム全体の勝敗に影響してくる物のことである。

 言いたかったのはそういうことである。たったそれだけのことを話すだけだったはずが、あまりに話が長くなってしまった。でも、文字数にしてみれば「たったそれだけのこと」でも、それらの条件を満たした「面白いすごろく」を作ることはとてつもなく難しい。作るというか、立案することさえ凡人にはできない。

 運と実力をブレンドしたゲームバランスを作ることはとてもとても難しいのだ。だからぼくが「運ゲーの極み。クソゲー」と言ったような物も生まれてくる。誰でも簡単に面白いすごろくを思いつけたら、そんな物は生まれてこなかったはずだ。

 ……正直、これを書き始めた理由は「きせかえスゴロクで出目の8割くらいが3以下になり、倍数サイコロも全部3以下になって、ほとんどのミニゲームに勝ってるのにビリになりかけた」という経験をしたから、ただそれだけだった。これは本当に「ただそれだけ」としか言えない、くだらないことである。

 要するに私怨できせかえスゴロクを叩くために書き始めたわけだけれど、叩くにしても正当性は必要なので「面白いすごろくとは何か」をまずは考えて、そしてそこから導き出した定義をもって「このすごろくはこの定義からこんなにも外れている。クソゲーだ」と主張しなければならなかった。結果、書いてしまった。

 しかしその道中で、ぼくがWiiパーティのAすごろくとマリオパーティ9と10が大好きすぎることに気が付いた。WiiパーティUもAすごろくの方なら、実はそんなに嫌いじゃない。前作に比べると……とは言ったものの、割と好きである。

 自分自身がそこまでそれらのすごろくを好きだったことに初めて気が付いたし、良い経験だったと思う。何が嫌いかより、何が好きかを語れるようになれればその分多少は幸せになれそうだし、嫌いを語ろうとして好きを見つけたのは大きな収穫だった。

 そしてついでに、まさかここまで読んでいる人はいないと思うけれど、マリパ10の海マップのくじびきにおける選ぶ権利のように、形だけとなってしまって実際のところは無に等しいのだろうけど、それでも形だけでも、自分のプレイしたゲームを宣伝できたことも良かった。

 クソゲーだと言ったゲームも、神ゲーだと言ったゲームも、どちらでもないと言ったゲームも、みんなにプレイしてもらって「なるほどなぁ」とぼくの話を咀嚼してほしい。プレイしなければ伝わらないことがあるだろうから。

 そしてマリオパーティはもちろん、ドラえもんというマイナーなゲームが誰かの楽しい思い出に新たに刻み込まれればいいなと思う。別に他人を幸せにしたい主義ではないけれど、仲間が増えるのは嬉しいことだから。

 もっと上手く、短くスマートでギュッと内容が凝縮されていて、なおかつ読み手を引きずり込むような面白い文章が書ければ、宣伝だって形だけではなく出来ていたかもしれないのに。そこだけは無念に思う。

 

 

☆最後の余談

……ところで、まだ「我が家独特の価値観」について説明していなかった。

 我が家(父、母、ぼく、弟の4人)は毎週土日になるとすごろく系のゲームで遊ぶ。そしてその時、ビリの人には罰ゲームが与えられる。その罰というのが、

 

「風呂洗い」

 

 である。言葉通り、ビリの人が風呂を洗うのだ。皿洗いに変化する時もある。

 この罰ゲームが、実は罰ゲームとして最高の物なのだ。しかしまずは、そもそもなぜ罰ゲームが必要なのかから説明しなければならないだろう。

 ゲームは本気でやらなければ面白くない。何をしてでも勝てばいいという本気は論外だが、手を抜くことは絶対にあってはならないと思っている。でないと楽しくないからだ。

 しかし人間誰しも、負けが濃厚になれば戦意喪失は免れない。ビリ救済の要素で施しを受けようとも、それでトップになれる可能性は薄い。逆転要素を追い求めようとも、それで見事成果を上げて自分がトップになる確率は、現在のトップがそのままゴールする確率に比べれば悲しくなるほど小さいだろう。

 そう、トップを狙うことが目的になるから戦意を喪失するのだ。だからテキトーにプレイして、ゲームそのものをつまらなくするヤツが現れるのだ。トップを狙うことは悪いことではない。競争とはそうであるべきだろう。しかし同時にこれは遊びであるのだから、最大限楽しめるようにするべきだ。

 そこでビリへの罰ゲームである。ビリから1位に上がることは絶望的でも、3位に上がることなら出来そうに見える。ビリへ罰ゲームを科すことによって、最後まで諦めずに「罰ゲームを回避する」という目的に夢中になって、全員がゲームを楽しむことができるのだ。

 ただ、例えば罰ゲームをバラエティ番組にありがちな「苦い飲み物を飲む」などに設定した場合、ゲームを終えると最終的にプレイヤーたちは「極々軽微とはいえ苦痛を受けてリアクションする人」と「それを見て楽しむ人」に分かれることになる。

 他人の不幸は蜜の味とでも言うのだろうか。そういうリアクションを楽しもうという姿勢は、いささか性根が曲がっているとぼくは思う。バラエティ番組の罰ゲームや、ドッキリ番組で騙された人を見て「面白い」と感じるのも、人としてものすごく醜いことだと思う。もちろん、誰しも少しくらいは醜い部分を持っているのが人間だというのは理解しているし、そこに文句を言うつもりはないけれど。

 でも、ぼくが実際にパーティゲームをプレイする時の相手は家族だ。家族の間で、そういう罰ゲームはさすがによろしくない。しかしそれなら他にどんな罰ゲームが……と考えた結果、誰からともなく提案したのが風呂洗いであった。

 言ってしまえば広義の意味でそれも労働に、つまりは苦痛に当たる。けれども「罰ゲームとしての意味」しかない単なる苦痛とは違う。その罰ゲームによって喜ぶ人(風呂洗いをせずに済んだ面々。特に毎日家事をしている母)がいるのだ。そして「進んでやった」としても「罰ゲームだからやった」としても、他者からしてみれば「他人が風呂を洗ってくれた」という事実が残ることになる。

 よほどゲームの結果などに文句を言って場の空気を悪くしたりしなければ、大体の場合は感謝されることになる。罰ゲームで「面白がる人」ではなく「助かる人」が出てくるのだ。その上ゲームも最大限楽しめるときている。「家事」という罰ゲームをビリに科すというシステムは、こんなに素晴らしいシステムは他にない。

 そういうわけで我が家ではずっと風呂洗いを賭けてゲームをしている。だからマリオパーティの半減イベントには好印象しかないのだ。ゲームの目的はビリを避けることだから、1位から降ろされたってそこまで痛くはないからだ。というかむしろ、罰ゲーム付きで遊ぶ楽しさはビリ救済要素の充実を前提としているので、このくらいやってくれなければ困る。

 だからぼくはマリオパーティ9が好きだ。理屈で考えれば劣化と言えるのかもしれないけれど、感情だけで言えば同じくらい10も好きだ。逆にドラえもんはシビアだと言った通り、母や弟がビリになる確率が他のゲームに比べて多いので、絶賛しきれないところがある。

 1位がビリから最も遠い存在である以上、ここまでに紹介したゲームにおいてはビリを避けることが自動的に1位を狙うことになるので、1位争いというゲーム本来の楽しみ方を完全に否定してしまっているわけではない。マリオパーティ9を否定する人たちの主張を思えば、むしろ我が家の遊び方こそ正しいのではないかという気になる。否定している人たちは、きっとぼくほどマリパ9を楽しめてはいないのだから。

 そしてさっきも言った通り、家事罰ゲームシステムのキモは「罰ゲームそのものが感謝される行動だということ」にある。ゲームの結果に文句を言うことはそのキモを台無しにするとも言った。だからこそぼくは運ゲー極まるクソゲーすごろくを否定する。

 ぼくは自分の感情をコントロールするのが苦手なので、運に大きく左右された納得できない結果を突き付けられた時は、悪態を吐きまくる自信がある。だからクソゲーは避けるべきなのだ。マリパ9のように、たとえ不運で負けても「納得」していれば問題ないのだから、自分が納得できるゲームを探すべきなのだ。どうすれば自分が納得するかを知るべきなのだ。

 おそらく他の家族たち、父や母や弟は、そんなこと深く考えずに「勝った。やったぜ」「ちきしょう負けた。風呂洗ってくるわ」と割り切って遊んでいると思われる。「なんだよこのクソゲーくだらねぇ。こんなんで風呂洗わなきゃいけなくなるとかやってらんねー」とグダグダ言うのはぼくだけなのだ。

 だからせめて自分のことを理解して、それとなく「マリオパーティ9か10か、それかWiiパーティがやりたいな~?」と話を持っていくようにしなければならない。もしくはマリパ8やきせかえスゴロクをやることになった時、文句を言わないように心の準備をしておかなければならない。

 今回改めてそのことを再確認したので、これからも風呂洗いを賭けて家族で楽しくすごろくゲームをしていこうと思う。そして同時に、全ての人にこの家事罰ゲームシステムで遊ぶすごろく系ゲーム(良ゲーに限る)を勧めたい。

 言ったようにこれこそが最大限の楽しみ方だと信じているので、ぜひこの楽しさを多くの人に知ってほしいのだ。まぁ家事をするという性質上、家族でゲームして遊ぶというレアな人種にしか勧められないのだけれども……。

 あとそれと似たような感じで、発売から何年も経った今言ったところで今さらでしかないけれど、きせかえスゴロクやマリパ8を作った人たちには「ビリは通常の仕事+雑用担当」というルールで自分たちの作ったゲームを遊んでみてほしい。絶対納得できないから。

 ……まあ、クソゲー判定をしたそれらのゲームの愚痴はこの辺にしておいて。もう一つだけ話したいことがある。これで本当に最後にする。

 マリパ10の話をした時に「次作に期待する」と言った。WiiパーティUのAすごろくもマリパ10と同じ「前作に比べると……」という物だったけれど、それには「次作に期待する」とは言っていない。次作が出るとも思っていない。

 WiiWiiUがそれぞれ発売した時、それに対応するかのように現れた二つのパーティゲーム。しかしニンテンドースイッチが発売してしばらく経った今、スイッチパーティーが発売する気配はない。……終わったのだ、Wiiパーティシリーズは。

 しかしマリオパーティは終わってない。現に新作が出ている。とても喜ばしいことだ。どんな神ゲーでもいつかは飽きる。ぼくは、我が家は、今持っているゲームに半ば飽きかかっている。そこに降り立つマリパ新作だ、心が躍る。また9の時のような面白さでぼくを魅了してくて……!

 が、発売前のネットの声がぼくの耳に入った。こんな内容だった。

「9以前の、全員別々に進んだりコインでアイテム買ったりするシステムに戻るらしいよ」

 さらにネットの声は続く。

「9と10のシステムあんまり好きじゃなかったから嬉しい。これは期待!」

 ……疎外感を味わうことは、珍しいことじゃない。それでも自分が好きなジャンルで自分の価値観が少数派だと言われたことはかなり悲しかった。というかそもそも疎外感だって、珍しいことじゃなくても普通に嫌いだ。慣れちゃなんかいない。

 そしてゲームは実際に発売された。時間を空けて冷静になってみれば、別にゲームさえ面白くあってくれれば、9からのシステムが消えていても全然構わないじゃないかと気づけたこともあり、ぼくも再び新作を期待する姿勢に戻った。

 しかし、完全には戻れなかった。同じゲームばかりやると飽きるので我が家でも時々マリパ8をやる。そのたび不安になる。マリパ8は世間一般でも「黒歴史」と評価されるほどの残念ゲーだったらしいから、きっとスイッチ版マリパに期待している人はぼくの知らない7以前とか、ぼくはほぼ覚えてないけどなんとなく楽しかった気がするDSシリーズとかを指して「あれが帰ってくる!」と喜んでいるんだ。……そう自分に言い聞かせはするけれども、それでも不安になる。

 新作が8みたいなクソゲーだったらどうしよう。まさかそんなはずはないと思い込もうとしても、どんどん不安になってくる。不安をかき消そうとしてスイッチ版マリパのパッケージ裏を見てみた。

「キャラ毎に効果が違うサイコロを使いこなせ!」

 みたいなことが書いてあった。不安が倍になった。マリオパーティに、キャラ性能の概念が入ってくる……?

 ドラえもんジャイアンが強すぎたゲームのことを思い出す。すごろくゲームでキャラ性能というとぼくが知ってるのはそれしかない。コントローラーから手を離して、誰からキャラを選ぶか決めるジャンケンに全力で挑んだ、パスワードの存在を知らなかった頃のひみつ道具王決定戦……。

 今、我が家にニンテンドースイッチはない。だが欲しいという話にはなっている。年が明けてしばらくする頃には、おそらく我が家にもスイッチが来ているはずだ。マリオパーティだって当然来る。それがスイッチの中で一番ほしいソフトだということは、家族で意見が一致しているのだから。

 とてつもなく不安だ。これだけ期待を寄せるゲームが、マリパ8とドラえもんの悪いところを合わせたようなゲームだったら……。

 蓋を開けてみれば杞憂だったと笑うことになるかもしれない。そうなってほしい。初見の楽しみを失いたくないので動画を見て確認することとかはしたくない。父が「よし、スイッチ買うか!」と言い出すのを待つだけになる。

 クオリティがクソでも、これだけの量の文章を書いたのだ。ぼくがミニゲーム搭載型すごろくにどれだけの熱意を注いでいるかは伝わったかと思う。それだけ新作マリオパーティの出来はぼくにとって重い。どうか、どうか面白いゲームになってますように……。

 ゲームの中でも外でも、結局最後の最後には、祈ることしかできないのだった。

 

 

※追記

 言い忘れましたが、WiiパーティUのAすごろくにもUFOマスが登場します。が、その効果は「ランダムな相手のいる位置にテレポートする」という風に前作と比べて変化していました。

 「1位が踏んでビリと同じ地点まで戻される」「ビリが踏んで一気に1位と同じ地点にまで到達する」ということは相変わらず起こるけれど、「1位が踏んでビリと同じ地点に戻された上、元々のビリが1位になる。またその逆パターン」は起こらなくなりました。

 ビリの救済措置はちょっと過剰なくらいが良いと考えているので、明らかにちょっとどころではない過剰さを持っていた前作から良い調整がなされたと思います。そこはWiiパーティUのAすごろくの評価点です。

 まあ、ミニゲームとサイコロの関係性が前作に比べると面白味に欠ける物になっていたので、全体的に前作と比べてしまうとイマイチであることは変わらないんですけどね……。

マリオパーティなどの、ミニゲーム搭載型すごろくについての持論、中編。

 Wiiパーティというゲームには、それなりの知名度があると思う。忘れている人が多いかもしれないが、発売当時は嵐の五人がCMをやっていたりしていたのだ。嵐が勢ぞろいしてCM打ってた物をマイナーだとは言わせない。

 似たようなノリのCMが、現在ニンテンドースイッチで遊べるマリオパーティを宣伝するために放映されている。出演者についてはいくら思い出そうとしてもウエンツの印象しかないので、リアルタイムのことであるにも関わらず記憶が定かではないけれど、今はそんなことはどうでもいい。

 要するに「Wiiパーティシリーズ(全二作)」と「マリオパーティシリーズ(無数にある)」は有名な作品なのだ。しかし、今回ぼくが話題にすると言ったゲームには、それら2シリーズ以外の物があったことを覚えているだろうか。前編の最後の方でも言ったので覚えていると思う。

 ドラえもんひみつ道具王決定戦。このタイトルは、先に挙げた2シリーズに比べてマイナーもマイナー、「ちょっと聞いたことあるような気がする」なんてケースもレアなくらい知名度の低いゲームだと言えるだろう。

 このドラえもんのゲームのCMを、ぼくは小さい頃に見たことがある気がする。しかしあまりに遠い昔の記憶なので、気のせいだったかもしれないし別のCMを勘違いして記憶しているのかもしれない。なので「マイナーである」と断言する理由にCMが無いからという理屈は使えないのだけれど、それでもこれがマイナー作品であることを確信している。この根拠のない確信は、おそらくこのゲームを知っている少数派のみなさんも同じように抱いているはずである。

 そんな、有名どころのミニゲーム搭載型すごろくをプレイしてその面白さに魅了されたぼくとその家族が、やがてたどり着いた場所、ドラえもん。有名どころとは一味違ったゲーム性を持ちながら結構なハイクオリティに仕上がっているこの作品について語るところから、中編をスタートすることにしよう。

 

 

☆「ドラえもんひみつ道具王決定戦」

・ルールについて

……このゲームの勝利条件は「一番多くのポイントを取得したままゲームを終了すること」である。そしてゲームの終了条件は「既定の周回数を三人が満たすこと」となっている。三人という人数固定の条件からなんとなく察せるように、このゲームもWiiパーティシリーズと同じく四人対戦前提のゲームとなっている。

 周回と言うからにはマップは円形となっており、スタート地点はゴール地点を兼ねていることになる。そこをぐるぐる回るうちにマスの効果やミニゲームに勝利することによってポイントを稼いでいくのである。ちなみに「既定の周回数」というのは「2・4・6」の三択で選ぶことができる。

 そしてこのゲーム最大の特徴は、ドラえもんらしく「ひみつ道具」というアイテムが登場することだろう。ひみつ道具WiiパーティUのきせかえスゴロク(Bすごろく)における特殊サイコロのような「アイテム」の立ち位置にあるが、あの運任せクソゲーと違ってドラえもんでは道端に転がっている物を拾う以外に、ミニゲームに勝利すると少量のポイントと共にこの「ひみつ道具」を入手することができるのだ。

 サイコロとミニゲームを切り離すと、ひいてはアイテムとミニゲームを切り離すとクソゲーになる。そんな教訓をくれたきせかえスゴロクに対して、この作品のゲーム性、バランスはどうなっているのか、順を追って説明していこうと思う。

 

・ゲームバランスについて

……このゲームのマップには自由に選択できる分かれ道が多く、またひみつ道具によってサイコロを操る機会も多いので、ポイントを増減させる効果のマスが散りばめられた道を突っ走っていると、ほぼ確実にポイントは増えていくことになる。

 またミニゲームに勝利することでも少量ながらひみつ道具と一緒にポイントは得られるので、ほとんど「適当にプレイしとけば少なからずポイントが増えるゲーム」になっていると言って過言ではない。もっとも、それはいつかは一度くらいステージに上がれるきせかえスゴロクでも、ゴールに近づく=ポイントが増えると解釈した場合のWiiパーティシリーズのAすごろくでも同じことなのだけれども。

 ではこのゲームは、各々がひみつ道具を駆使して良い出目を出して着実にポイントを高めあい、その速度を競うゲームとなっているのだろうか。断じて否である。ひみつ道具というのは、未来の道具というのは、そんな生易しい物ではない。

 直接的な効果の中で、ゲーム中最も強力だと思われるひみつ道具を一つ紹介しよう。

 

「タスケロン……ランダムな相手からポイントを半分奪う」

 

 半分という雑な割合で他者からポイントを奪う。これが非常に恐ろしい。何が恐ろしいって、「半分減らす」ではなく「半分奪う」なのだ。ダントツのビリでもこの道具を使い、ランダムな相手が1位の者となれば、余裕で逆転できるだろう。

 実際、周回後半にタスケロンをくらうとほぼ確実に1位争いからは退くことになる。そしてそんな恐ろしい効果を持った道具が、このゲームには実は結構な数存在している。

「身代わりバー……選んだ他者と位置を入れ替える」

 などもそれに当たる。直接ポイントに関与することはない能力だが、このゲームには周回ボーナスという物があるのだ。早く周回すればするほど多くのポイントがもらえるというシステムで、各周回の一等賞には15ポイントが贈呈される。

 15という数字がどの程度の重みなのか、詳しくはゲームをプレイしてもらわなければ伝えられないけれど、このゲームでは余程のことがない限り100点以上ポイントを所持する人は出てこないと言えばある程度の重さはあることが伝わるかなと思う。

 このような強力な道具を使ってポイントをもぎとり、逆に奪い返されないうちにさっさと既定の数の周回を終える。それがひみつ道具王決定戦というゲームの本質なのだ。道中でいくらポイントを拾おうと、落とそうと、大して関係ない。強いひみつ道具をぶん回してなおかつ最大限の成果を上げたやつが勝つ。そんなアグレッシブなゲームなのである。

 きせかえスゴロクを銃撃戦とするなら、ドラえもん核兵器の飛ばしあい。そんな世紀末すごろくな本作だけれど、あまりに世紀末すぎて、

「ポイントこんなに取られたら勝てないじゃん! クソゲー!」

「お前も同じようにして取り返せばいいんだぞ」

 という混沌としたバランスで近郊が保たれている。どマイナーなゲームだけれど、かなり遊んでいて面白く白熱する物になっているという事実。これはちょっとした奇跡なんじゃないかと思う。

 しかし、楽しい核兵器の飛ばしあいとなるこのゲームにも欠点がある。強すぎる道具がある……というわけではない。それは、「強力なひみつ道具の入手手段のほとんどがミニゲームに勝利すること」という点である。

 控えめな効果の道具ならそのへんにランダムでいくらでも落ちているものの、ミニゲームにいくら勝とうともサイコロに見放されれば勝ちが洒落にならないレベルで遠のくシステムはクソゲーだが、サイコロでいくら良い目を出そうともミニゲームに勝てなければ著しく勝利が遠のくシステムもまた問題だらけなのだ。

 まず本作のミニゲームの結果によって道具をもらえるのは「1位」だけである。2位以下は等しく「敗者」として扱われるシビアなシステムなので、ゲームが苦手な人はなかなか勝つことができない。

 そしてなぜか、この作品のミニゲームには運ゲーがものすごく少ない。無いと言ってしまってもいいくらいだ。総じて「シビア」の一言に尽きる作品だけれど、家族で遊ぶ場合などは、そのシビアさがネックになる。

 ゲーム下手っぴな人でもある程度楽しめることがミニゲームの有無に関わらずすごろく系ゲームの魅力であるはずだが、格闘ゲームほどではないにせよシビアな本作はその魅力が非常に薄いのだ。運要素と実力要素の配分の難しさをひしひしと感じつつWiiパーティのAすごろくの完璧さを思い出すけれど、この問題点については一応、解決策と呼べそうな物がある。

 ずばり、同じくらいの実力の者同士で集まること。ミニゲームは所詮ミニゲームであることから一つ一つの底は浅く、ある程度ゲームが出来る人が集まれば実力は拮抗することになる。ぼくが友達と遊んだ時などがまさにそんな感じだったので楽しかったのだけれど、はたしてこれを解決策と呼ぶのが正しいのかという話になると、ぼくとしては限りなくNOに近い保留となる。

 本作はあまり家族向き、もしくはカップル向きのゲームではないのかもしれない。と言っても我が家はそれなりにやりこんだし、四人前提のゲームをカップルがやるのかははなはだ怪しいけれども。……ゲームでダブルデート?

 話が逸れたのでちゃんと戻そう。楽しめる状況が限られるという意味ではこのゲームには欠陥があることになるけれど、逆に言えば本作は楽しめる状況(拮抗した実力の対戦相手)さえ整えばとても楽しいパーティゲームということになる。ということは、このゲームは本質的にはWiiパーティUあたりよりも面白いゲームということになるのでは……?

 と思うけれども、さすがにそこまで上手くいくこともない。このゲームにはもう一つ欠点があるのだ。それは「キャラ性能の差が激しい」ということである。

 すごろくゲームにキャラ性能があること自体珍しいと思うが、このゲームのキャラ差はすさまじい。条件を満たすと使える各キャラ固有の必殺技という概念があるのだけれど、ドラえもんジャイアンだけこの必殺技が強すぎるのだ。

 条件自体は全員共通なので平等になっている。しかし、各必殺技を発動した際の効果は以下の通りである。

のび太……2ターンの間、他プレイヤー全員の出目を「1」にする」

ドラえもん……強力なひみつ道具を2つ入手する」

「しずかちゃん……2ターンの間、他プレイヤーはひみつ道具を使えなくなる」

ジャイアン……各プレイヤーからランダムで1つずつひみつ道具を奪う」

スネ夫……数ターンの間、他プレイヤーがポイントプラスマスの効果で得たポイントを自分も得る(具体的に何ターンの効果だったのか忘れた。たぶん2かな?)」

「ドラミちゃん(隠しキャラ)……2ターンの間、自分のサイコロの目を1~3の間で選ぶことができる。なお、ドラミちゃんは全マップを遊ぶと使えるようになる」

 なぜドラえもんジャイアンが強すぎるのか。その理由を説明するよりも、まずはこのゲームの性質を思い出してほしい。

 早く周回した者が勝つのではない。良いマスにばかり止まった者が勝つのではない。強いひみつ道具をぶん回してなおかつ最大の成果を上げた者が勝つのである。他人の出目を1にするとか、他人が得たポイントを得るとか、自分のサイコロを操るとか、そんなことは些細なことなのだ。

 ドラえもんの強力な道具を2つ入手する必殺技は、核兵器を2つ入手するということである。他のキャラの必殺技が、

「出目悪くさせて悪い効果のマスに止めたり、周回ボーナス15点から遠ざけるわ」

「コバンザメ作戦でポイントもらうわ」

「自分の出目操作して良いマスにばっかり止まるわ」

 とか言っている中で、青タヌキだけ実質、

「サイコロ一気に4個振って進むわ」

「誰かのポイント半分もらうわ」

「あ、まだ既定の周回数に満たないけどこの周回終わったらゲーム終了ね」

「狙った相手と場所入れ替えるわ」

「どんな道具の効果に狙われても一回だけ無効化するわ」

 みたいな意味不明能力を1つではなく2つ使えるようなものなのだ。これが1つだったらまだマシだったのかもしれない。しかし2つである。1つでも他のキャラより強力な可能性が濃厚なのに2つである。他のキャラの2倍以上のポテンシャルを秘めていると言っていいだろう。

 もちろん出てくる道具はランダムとなるし、必ずしも核兵器級の化け物効果な道具が出るとも限らない。ランダムな相手から4ポイント奪うみたいな(他と比べれば)ささやかな効果の道具が出ることもある(それでも1位に当たれば8ポイント差までなら追いつけるわけで、しかも道具はもう1つ入手しているわけだが……)。

 しかし実際体感した感じでは、ドラえもんくんは結構な確率で1つはポケットから核兵器を取り出してくる。このゲーム最強候補のキャラだと言えよう。

 が、一応これに対抗できるのがジャイアン。他者に依存する上にランダムであること、道具を奪う効果の道具も多数存在しているゲームの性質上基本的に強力な道具は奪われる前にさっさと使うことから、核兵器を3つ強奪してくるという芸当はほぼ出来ないと言える彼の必殺技だが、それでも十二分に強力ではある。

 ドラえもんも取り出す道具は一応ランダムだったがしょぼい物を取り出すことはなかったので、それに比べるとランダム要素が強すぎる。しかし腐っても「一度に3つ道具を入手する効果」であり、その上ただ入手するのではなく奪っているのだから、有用な効果を持つ道具を奪えた時の利益は半端ではない。ドラえもんを除いた他キャラと比べれば頭一つどころか二つか三つくらい抜けた必殺技だと言える。

 そしてジャイアンの最大の強さは、温存しておけばドラえもんが必殺技を使ったタイミングに合わせられることである。「ひみつ道具の最大所持可能数は4つ」というゲームの性質上、ドラえもん核兵器級の道具を2つ引き当てたことを前提とすれば最悪でも2分の1の確率で核兵器級を1つ奪えることになる。

 自分が入手するだけではなく奪うのだ。しかもついでに他の二人からも何かいただけると来ているので、この事実がある以上、ジャイアンドラえもんに迫るポテンシャルがあると言えるだろう。

 一方で、スネ夫の必殺技の弱さが半端ではない。場合によっては何一つ戦果を上げられない上に、それなりに活躍できたところで2強の二人には遠く及ばない。さらに間抜けなことに相手が、

「ポイントプラスマス(止まると何点もらえるのか書いてある)」

 に止まった場合にのみ、その場合でしか効果が発動しないので、

 「グッドイベントマス(何かしらの良い効果がランダムで得られる)」

 に止まった相手がポイントを得た場合は、スネ夫の能力はまったく適用されないのである。総じてしょぼい能力だと言えよう。ぶっちゃけスネ夫を使う人はいない。

 さらに言えば、のび太とドラミちゃんはまだマシなものの、しずかちゃんも相当弱いと思われる。2ターンの間道具の使用を禁じたところで、結局3ターンから普通に使われては意味がないからだ。

 しずかちゃんの必殺技に意味を見出すためには、

「効果期間中に道具を奪う効果の道具を入手し、使用禁止されて相手の手元にある強力な道具を奪う」

「道具を奪う効果の道具を2つ持っている場合に、1つを奪っている間にもう1つを使われることを避ける」

「効果期間中に既定の回数まで周回を終えて、奪い奪われる恐怖の戦場から根本的に離脱してしまう。または、周回ボーナスを僅差で争っている相手に出目を大きくする道具の禁止を命じる」

「身代わりバー(位置入れ替え)のような発動タイミングが重要な道具のタイミングを外させる」

 などの作戦が考えられる。これのうち1つ目の作戦は「相手の手元に強力なひみつ道具があること」が前提な上、道具を奪う道具を入手する確実な手段はないので不確定かつミニゲームに勝利する必要が生まれる可能性があり、とにかくまったく安定しない。2強二人がお手軽に利益を上げていることを考えると弱い。

 2つ目の作戦はそれなりに有効だけれど「そもそも道具を奪う道具を2つ所持すること」「奪いたい道具が2つあること」が前提になるので、これも全然安定しない。

 3つ目の作戦の特に戦線離脱の方はかなり有効だけれど、使えるタイミングが周回の後半の中でもさらに後半といった感じなので、有効な場面が限られすぎている。いつ使っても強いドラえもんなどに比べると言うまでもない。

 4つ目もやはり相手依存な上、タイミングを外せば二度と同じようなタイミングは訪れないという保証があるわけでもない。

 確実に相手を遅らせて、なおかつタイミングを見計らえば相手にマス効果での不利益も与えるのび太や、確実に良い効果のマスに止まるドラミちゃんなどの「平凡二人」に比べると、しずかちゃんはスネ夫寄りの「弱キャラ」だと考えられる。

  ……さて、これでキャラ性能の差が激しいことは十二分に説明したわけだけれど、ではそもそも性能差が大きいと何がいけないのかという話に移ろう。

 普通のゲームにおいて強すぎるキャラがいると、そのキャラを使う人が多くなる。そうなると対戦ゲームの場合は同じキャラばかりでワンパターンになり飽きが早くなるし、一人用ゲームにおいてもわざわざ弱キャラを使うのが楽しいという物好きな人以外は、強キャラに飽きたら別キャラに行くモチベがなくなってしまう。

 が、本作において強キャラが存在することの問題点は飽きるとか他のキャラを使う気が起きないとか、そういうレベルじゃあない。なにせこのゲーム「複数のプレイヤーが同じキャラを使うことはできない」のだ。

 一人がドラえもんを使うなら、残る三人は他のキャラを選ばなくてはならない。三人のうち一人がジャイアンを使うなら、残る二人は他のキャラを選ばなくてはならなくなる。強キャラ二人の抜きんでた力は説明した通りなので、つまりどうなるのかというと……。

 ぼくは、ドラえもんジャイアン以外のキャラが1位で終わったところをほとんど見たことがない。間違いなく強キャラ二人の勝率が九割を超えている。結果発表のアナウンスはドラえもんが務めるので、

「今回のひみつ道具王は…………ボクだ!」

 というセリフを何度も聞くことになった。ドラえもんジャイアンの勝率が等しいとすれば、ほぼ五割に近い頻度でドラえもんが勝っていたのだから聞き飽きもする。このひどいキャラ性能差のせいで、本作は「ミニゲームやりながらのすごろくでポイントを競い合うゲーム」になるはずが「キャラ選択時にプレイヤー間で行うジャンケンに魂をかけるゲーム」になってしまっているのである。

 ここまでくると、もうこれはゲーム性がシビアすぎるとか言ってる場合じゃない欠陥だけれども、この欠陥には胸を張って「解決策だ」と言える対処法がある。

 実はこのゲーム、オプションモード的な物を開くと「パスワードを入れる場所」みたいなのがあること気が付く。パスワードをネットで調べて入力すると、なんと「全キャラの必殺技を同じ性能にするモード」が解放されるのだ。ばっちり解決している。

 問題があるとすれば、すごろく系ゲームでわざわざオプションを開くことはほぼ無く、またゲームがマイナー極まるので「パスワードという概念がある」ということに気が付くのが難しいことだろう。我が家も全マップを制覇したあとに気が付いた。

 そういう意味で不親切だし、パスワード入力しないとまともに遊べないゲームバランスってなんだよって話だし、それぞれのキャラに見た目や声以外の個性を付けるという試みが他のすごろく系ゲームにはなく試み自体は面白かったので、楽しく遊ぶためにはそれを無効化しなくてはならないのが悲しく感じる。ぜひ次回作で再調整を……と言いたいところだけど、次回作なんかまず間違いなく出ないだろう。悲しい。

 総評としては、キャラ性能を統一して遊んだ場合に限って、全体的にシビアなことを気にしなければ有名どころのゲームと同等かそれ以上に楽しいゲームだった……となる。

 またシビアとは言っても、それはミニゲームで勝利することが重要かつ1位しか勝利扱いにならないことが理由であり、一発で勝負を決めるほど大きなポイントを動かす道具は「ランダムな相手から」というテキストが付いていることがほとんどであったり、なんやかんや言ってもすごろくなのでマスの効果で有利になったり不利になったりもするので、他のゲームに比べればクセが強いもののしっかりと「運と実力のブレンド」というミニゲーム搭載型すごろくとしての模範的魅力も備えている。

 むしろ、ミニゲーム搭載型すごろくがしたいけど他のゲームよりもうちょっと実力主義でやりたい、という人にはWiiパーティマリオパーティよりおすすめかもしれない。というか楽しいから一回プレイしてみてほしい。増えろ同志。

 

 さて、前回二本のゲームを一気に語ったので、今回ももう一本いっておこうと思う。いよいよ本題とも言える話題、マリオパーティについての話に突入である。まあ、そのマリオパーティが三本もあるんですけどね……。書いてる方がすでに長さで疲れている。

 

 

☆「マリオパーティ8」

・ルールについて

……四人まで一緒に遊べるゲーム。たしかマリオパーティは三人以下でも遊べたはずだけれど、どうだったかな。マリオパーティ10はコンピューターを入れずに三人でも遊べることを昨日確認したけど、8についてはちょっとおぼろげ。

 ゲーム自体のルールとしては「スター」と呼ばれる得点のような物をより多く集めた人が勝ちとなる。そしてこのゲームの最大の特徴とも言える性質として、スターの集め方がマップ毎に変わるということがある。また、全マップ共通で厳密にはゴールの概念が存在せず、既定のターン数15ターンが経過することでのみゲームが終了する。

 スターとは別に「コイン」という概念もあり、これはマス効果で増減することに加えて、各ターンの最後(全員がサイコロを振り終えたあと)に行われるミニゲームに勝つことでも取得できる。というかそれがメインの資金源となる。

 取得したコインを「ショップで買い物」することで特殊サイコロなどのアイテムに変えたり、スターの獲得にコインが必要な場合もあったりと、マップによって変わるコインの利用方法は多岐にわたる。なお、特殊サイコロはどのマップでもチェックポイントを通ればランダムで一つ手に入る。

 スターが同数のままゲームが終わった場合はコインを多く持っている方が勝ちとなるルールがあるものの、ミニゲームがサイコロに直結しないという性質上、なんとなく嫌な予感がするゲームである……。

 そして、その予感は少なからず的中することになるのだった。

 

・ゲームバランスについて。

……ルールが各マップで変わるので、まずはマップの紹介をしよう。マップ名はうろ覚えなので名前についてはイメージだけ伝えることにする。

 

「ジャングル……分かれ道があるマップ。一度誰かがスターを取るとその地点からはスターが消え、別の位置にスターが出現する。広義の意味でのゴールがその都度変動するので、すごろくとしては独特な面白さがある。スターの取得にはコインが必要」

 

「電車……一本道のマップ。運転席にスターがあるので、それを求めていくつかの車両で構成された電車の中を走ることになるが、イベントで車両の順番が入れ替わりスターが遠くなったり近くなったりする。スターの取得にはコインが必要」

 

「海……一本道のマップ。まっすぐ進んだ先の終着点にスターがあり、たどり着けば無料で取得することができる。そして取得後、再びスタート地点に戻される。道中にはショップの他にイルカのタクシーがあり、コインを払って乗せてもらうとより早く前に進めるので、スターが無料の分タクシーにコインを使うことになる」

 

「お化け屋敷……分かれ道があるマップ。どこかにスターがあるものの、一定以上の先が見えない特殊なマップであり、その上迷路のような構造になっているので分かれ道では「どちらに進めばスターがあるのか」を予想しながら進むことになる。予想と言っても、先に進んだ人が外れルート確定していた場合そこを避けること以外は、もう神に祈るくらいしかやることがないのだけれども。スターの取得にはコインが必要だが、たどり着くことが難しいからか他マップに比べると安い。」

 

「ホテル……分かれ道があるマップ。コインを使ってホテルを買い占めることが目的のマップであり、買い占めた分だけスターを取得することができる。買い占めた人よりも多いコインをつぎ込めばすでに買われたホテルも奪うことができるので、ルールそのものがスターの奪い合いを推奨している珍しいパターン」

 

クッパ……自分で選べない分かれ道があるマップ。初めから全てのプレイヤーがスターを複数個持っており、このマップだけに登場する特殊サイコロの効果を使ってバトルロワイヤル的にそれぞれのスターを奪い合う特殊ルールになっている。特殊サイコロを拾えるチェックポイントが他のマップに比べて多いが、ショップの数はそうでもない」

 

 以上、計6マップ。これらのマップ共通の特徴をまとめると以下の通りだろうか。

「スターの取得にはコインが必要。(海だけ例外だが、タクシーがあることを考えれば、事実上コイン必須とも言える)」

「ショップが配置されていて、そこで特殊サイコロを購入できる」

「スターの取得には、まず目的地にたどり着かなくてはならない。(クッパのマップでは他プレイヤーが目的地になる)」

 これらが示すことはつまるところ何なのか。まとめてみるとこうなる。

「コインがあると、つまりミニゲームに勝つほど、有利にゲームを進められる。極端にコインがない場合そもそもビリが確定する」

「しかし、コインをどれだけ大量に持っていても、スターやショップにたどり着けなければ得点には繋がらず意味がない。(ちなみに、ショップで一度に買えるサイコロは一つだけだし、どれだけコインを持っていようとも一回の到達で取得できるスターも一つだけ)」

 コインをどれだけ持っていても、目的の場所に行けなければ意味がない。ショップもスターも通るだけで関連した行動(買い物や得点獲得)が取れるため、通り過ぎるという概念はない。逆に言えばいくらコインを所持していても、スターや特殊サイコロの取得できる数は「その地点にたどり着いた回数」に依存してしまう。

 これらのことから導き出されることは……そう、大きな出目を出すほど有利というゲーム性である。コインがなければ行動が縛られるので多少マシにはなったものの、ミニゲームに「勝つだけ」では何の役にも立たない点は、あのきせかえスゴロクを彷彿とさせる。

 また、この作品のすごろく中に行われるミニゲームは1位のみが勝者となるシビアな設定なのだけれど、実際はバトルロワイヤル型の対戦よりも「2vs2」「1vs3」などのチーム戦が多い傾向にある。これがどういう影響をもたらすのかというと、チーム戦は「勝利チームのメンバーが1位」という扱いになるので、ミニゲームが苦手な人でもおこぼれを拾う形でよるコインを得られる機会が多いという事態になる。

 ミニゲームに勝てないとすごろくを含めた全体でも勝てなくなる……というゲーム性では確かに「じゃあミニゲームだけやればいいじゃん」となるので、スター取得にコインが必要な本作では下手っぴさんへの救済措置が必須だろう。それはわかる。しかしチーム戦のミニゲームの頻度はかなり多く、そうして救済しすぎた結果、「コインがないからスターが取れない」という場面を見ることはほとんどなくなっていた。

 もちろん道中のショップを利用できなくなるケースはままあるので、何の支障もないわけではない。しかしそれが大した支障にはならないのがまた問題なのである。なぜ大した支障にならないのかというと、それはこのゲームでの「特殊サイコロ」に問題があるからである。

 ここまで言い忘れていたけれど、このゲームで振るサイコロは、実は他のゲームとは違い十面サイコロとなっている。1~10のどれかが出るサイコロを普段から使ってすごろくを進めていくわけだ。逆に六面サイコロは存在しない。

 そして特殊サイコロで出目を増やす効果の最大は「三つサイコロを振る」となっている。つまり振れ幅は「3~30」である。三回振る分、きせかえスゴロクの倍数サイコロに比べれば確率が真ん中あたりに収束するだろうが、それでも運が良い時と悪い時の差が大きいことには変わりがない。また、そもそもチェックポイントやショップにたどり着けなければコインがいくらあっても特殊サイコロが取得できない問題もある。

 極端な運ゲーにしないため、ミニゲームに勝った者がショップを使うことで特殊サイコロを多くそして欲しい物をピンポイントで入手できるようにしているはずなのに、結局はその特殊サイコロを使った際に運の要素が深く絡んで来る。運が絡むにしても、どの結果を引いてもそれなりに強力だったひみつ道具王決定戦に比べると、いろいろ策は打ったけど結局運ゲーから抜け出せてない感じが強い。

 さらに、振る数を増やす特殊サイコロ以外にも、いろいろな効果の特殊サイコロが存在しているのだが、その特殊サイコロたちにも問題がある。説明のために、まずはとりあえずその全てを紹介する。

 

※特殊サイコロはキャンディを食べて効果を発揮する設定なので、名前のあとに「〇〇キャンディ」という形でキャンディの文字がくっ付くが、紹介時はキャンディを割愛する。

 また、サイコロそのものに影響を与える(増やす、出目を操るなど)効果の特殊サイコロ以外は、使用したあと普通のサイコロを振って移動することになるルールがある。

 

 

「コロコロ……使用したターンに限り、進む際にすれ違った他プレイヤーからコインを10枚奪う(複数人とすれ違った場合全員から10ずつ奪う)」

ドッスン……使用したターンに限り、進む際にすれ違った他プレイヤーのコインを半減させる。奪うわけではない」

「カクカク……使用したターンに限り、進んだ数の三倍の数だけコインを取得する。(得られるコインは3~30枚)」

「決闘……通常のサイコロを二つ振って進み、誰かとすれ違った場合そこでストップして、その人とミニゲームで対決する。勝った場合、コインかスターをランダムで奪う」

「分身……使用したターンに限り、進む際にすれ違った他プレイヤーから特殊サイコロを一つランダムで奪う。(名前が分身ではなくバラバラだった気もするけど気にしない)」

「ぐるぐる……使用したターンに限り、進む際にすれ違った他プレイヤーをスタート地点に戻す。(ぐるぐるが正式名称だったと思うけど、我が家ではもっぱら竜巻と呼んでいる)」

「バネバネ……サイコロを振る前に、ランダムで他プレイヤーのいる地点にテレポートする。その後サイコロを振れる。(ぴょんぴょんが正式名称だっけ……?(記憶が怪しいことだらけ))」

「ゆっくり……1~5の間で好きな出目を選べるサイコロ。選ぶというのはスローモーションのサイコロを目押しすることなので、若干の難易度はあるが慣れれば極めてイージー

「バサバサ……サイコロを振る前に全員からランダムな数のコインを奪う(1or5or10)。」

 

クッパのマップのみ「サイコロを二つ振りすれ違った人からスターを奪う」などの特殊サイコロだけが登場する。サイコロ三つ振ったり、すれ違った人からスターを2つ奪う効果もあった気がするけど、クッパマップはクソゲーすぎて一回しか遊んでないので覚えていない。

 

 

 ……サイコロを二個振る効果の物と三個振る効果の物を除けば、だいたいこれで全てだったと思う。見てわかる通り「すれ違った相手に効果を及ぼす」効果が多い。そして特殊サイコロは効果を発揮した時ではなく、サイコロを振る前に使用を決定した時点で消費する。

 つまり、半分近くの特殊サイコロは前方近い範囲に他プレイヤーがいなければ効果を発揮できず、なおかつ運次第で不発になるということである。2マス先にいる相手を狙って発動したら1が出て不発に終わった……というケースもありえる。そしてトドメとばかりにこのゲームは通常のサイコロが十面なため、六面でやるよりもプレイヤー同士の位置が離れやすい。

 コインで購入できる以上、実力要素をブレンドするための存在であるはずの特殊サイコロが、とにかく運に大きく左右されるのだ。中でもカクカクはひどく、偶然それをチェックポイントで拾った人が上手いこと10を出すとコインを30枚ゲットすることもあり得てしまう。ミニゲームに一勝してもらえるコインは10枚の環境で、である。

 4以上を出せばミニゲーム一勝分を超えるコインが手に入るアイテムが、チェックポイントを通過するだけで入手できる可能性が十分にあるのだ。もちろん普段から大きな出目を出すほどチェックポイントを通る回数は増えやすく、スターにたどり着く回数も増えやすい。ついでにチェックポイントでランダムな特殊サイコロをもらえること自体が運要素でもある。逆に言えば、小さい目を出せば出すほどこれらと逆のマイナスアドバンテージをくらうことになってしまう。

 要するに、出目さえ大きければミニゲームに勝てなくてもいくらでもチャンスがあるのである。また、その反対も同じことが言える。ショップが使えるということが大したアドバンテージにならない。そんなゲームバランスとなってしまっているのだ。というかそもそも「サイコロを二つ振る効果」の特殊サイコロはたったの5コインで変えてしまうのも問題である(三つ振る効果は20コインが相場)。

 また、本作のマス効果には、

「大量のコインとスターをタダでもらえる(全マップ)」

「次にスターへたどり着いた人は無料でもらえるor次にスターへたどり着いた人はスターを得られず、それどころか一つ没収される(電車マップ)」

「スター手前に配置されており、止まるとスタート地点に戻される(海マップ)」

「他プレイヤーのホテルを無料で奪う(ホテルマップ)」

 などの強力すぎる物が多々あり、運ゲーに拍車をかけている。

 結論としては、WiiパーティUのきせかえスゴロクの次くらいにひどい運ゲー。それがマリオパーティ8だということになる。ただしホテルのマップだけはコインで他人のスターを奪えるので一際コインの重要性が高く、実力が勝敗に結びつきやすい。

 逆にクッパのマップは特殊サイコロを使った際の出目が大きくなければスターが奪えず、チェックポイントやショップに次々止まらなければそもそも特殊サイコロを取得することができない=戦いに参加できない。さらに特殊サイコロを使わないと勝負が前に進まない仕様故かチェックポイントが他マップよりも多く、その結果、ミニゲームに勝ちまくる人より大きい出目を出しまくる人の方が圧倒的に強い、ほぼサイコロの運だけで全てが決まる運ゲーの極みとなっている。

 クッパのマップはきせかえスゴロクを超える運ゲー仕様となっているので、個人的にプレイしたことのあるミニゲーム搭載型すごろくの中で一番のクソゲーだ。そして唯一マシとも言えるホテルマップだが、ではそのマップだけは他のゲームよりも面白いのかと言われると……。もしそうであったなら、このゲームに対する評価も少しは変わっていたのかもしれないけれど。

 唯一このゲームを評価する点があるとすれば、それは「サイコロを〇個振る」という効果を使用していたことだろう。倍数サイコロなどという鼻くそほじりながら考えたような、雑の権化と言える出目増加アイテムを作らなかったことだけは評価できる。

 

 

 ……中編はこのあたりで終わる。後編ではマリオパーティ9と10の話をするが、いよいよそれが本題になる。というのも、9と10のことは「ミニゲーム搭載型すごろくの一つの到達点。完成系」だと思っているからだ。詳しくは次回語る。

 後編へ続く……。

マリオパーティなどの、ミニゲーム搭載型すごろくについての持論、前編。

 今、テレビゲームを用いて行うすごろくには二つの種類がある。

 一つは、操作の実力によって勝敗が決まるミニゲームの搭載されていないすごろく。いただきストリートや、桃太郎電鉄がこれに当たる。これらのすごろくにも、例えばカジノやペーロンレースなどのミニゲームらしきシステムはあるが、それらは全て「結果が完全ランダムの選択肢を自分の意志で選ぶだけ」「サイコロを振るだけ」などのいわゆる運ゲーとなっている。今回は、そういった物を「ミニゲーム」としては扱わないこととする。

 となれば当然二種類あるすごろくのうち、二つ目は実力で勝敗が決まるミニゲームが搭載されたすごろくとなる。これにはマリオパーティなどが該当する。

 ミニゲーム非搭載のすごろくが「取れる選択肢が多く、サイコロの出た目で選べる中から最善だと思われる択を選び続けるゲーム」であるのに対して、ミニゲーム搭載型のすごろくは「すごろくだけではなく、ミニゲームに勝つことで勝利に近づくゲーム」となっている。前者が運と頭脳をフルに使うゲームだとすれば、後者は運と頭脳の要素が減った代わりにミニゲームの実力が勝敗を分ける要素に加わるゲームだと言えるだろう。

 ぼくは正直前者の、ミニゲーム比搭載のすごろくはあまり好きではない。というのも、結局は運の要素が大きく、実力と言える「頭脳」の部分についてはオフラインで対戦する場合、

「全員最善解を選び続けた結果、運で勝者が決まる」

「誰かがミスをして負け、ミスをしなかった者が勝つが、そもそも全員何がミスであったのかには気づかない(悪手に気づけない)」

「他プレイヤーのミスに気付きつつ自分の勝利のために黙っておく」

 の3パターンしか発生しないが理由である。オフラインという前提である以上対戦相手は家族や友達ということになるが、パターン3のように家族や友達とゲームをやりながら相手のミスを見て静かにほくそ笑むことは、あまり健全な楽しみ方とは言えないとぼくは考えている。

 しかし残る2パターンに陥った場合は、パターン1なら結局重要なのは運という結論で終わり、パターン2ならミスがわからない=勝ち方がわからない=運に頼ることしかできないとなり事実上ほぼ完全な運ゲーが発生して「見た目が派手なおみくじを時間かけて引いているだけ」ということになり、それをゲームとは呼び難くなってしまう。ぼくは健全にゲームが楽しみたいのだ。

 もちろんミニゲーム非搭載のすごろくにも良い部分はたくさんある。与えられた選択肢の中から最善を見定め続ける楽しさは確かな物であるし、何より複雑な操作がなく誰でも楽しめる点は素晴らしい。誰でも勝てるではなく誰でも楽しめるというのが良いのだ。

 そしてオンライン対戦なら健全うんぬんの話も無効になってくるので、話は全然別になる。相手のミスを発見してほくそ笑むも良し、自分では見つけられなかった最善解を見せられて感心しつつ学習するも良しだ。それにぼくは頭が良くない部類の人間なので、おそらく馬鹿にはわからない楽しさがまだまだミニゲーム非搭載のすごろくには詰まっているのだろう。そういう意味ではおそらく麻雀などに似ている。

 ……さて、話を戻そう。今回の本題はミニゲーム搭載型のすごろくについてなのだ。

 ミニゲーム搭載型の魅力は当然、非搭載型にはなかった物が揃っていることである。つまりは、

「非搭載型よりも運の要素が少なく、実力によって勝敗が決まりやすい」

「馬鹿でも100パーセント楽しめる」

 の二点である。もしかすると頭の良い人から見ればミニゲームが搭載されてる方が運要素強いわと言いたくなるのかもしれないけれど、少なくともぼくからはそうではないように見えている。

 この手のすごろくのミニゲームにはアクション、シューティング、パズルなどの様々なジャンルが含まれる。あくまで「ミニ」なゲームのためそれぞれの操作や単純な難易度は本格的なゲームに比べて簡単になっている。

 また、そういったミニゲームの中にも「サイコロ振るだけ」「結果がランダムかつ見通せない選択肢を選ぶだけ」といった運ゲーが含まれているが、他の多くのミニゲームが基本的に実力で勝敗が決まる中で、それらの運ゲーは良いアクセントになっている。

 そもそもミニゲームを搭載しようとも本題がすごろくであることには変わりないのだから、サイコロを用いる遊びをする以上少なからず運の要素が入り込んできて当然なのだ。完全に実力だけで決まるゲームがやりたければ格闘ゲームなどで遊べばいい。ミニゲーム搭載型すごろくの魅力は運と実力が融合しつつ馬鹿にでも理解できるようになっていることなのだ。アクセントという概念も当然成立する。

 が、ぼくはこのミニゲーム搭載型すごろくについて、言いたいことがあるのである。これは物申したいという意味でもあるし、褒めちぎりたいという意味でもある。否定したいのか肯定したいのかどっちなんだという話ではあるけれども、まずはぼくがプレイしたことのある各ミニゲーム搭載型すごろくについて詳しく説明するから、それを聞いていただきたい。話はそれからである。

 

 

 まずは、ぼくがプレイしたことのあるミニゲーム搭載型すごろくをリストにまとめよう。

マリオパーティ8」「マリオパーティ9」「マリオパーティ10」

(マリオパーティDSもプレイ経験があるが、本質が「8」と変わらないことと、小学生の頃のことになるため記憶が薄く今回はスルーする)

Wiiパーティ」「WiiパーティU

ドラえもんヒミツ道具王決定戦」

(パーティゲームボックス100というゲームもプレイ経験があるが、他のゲームと比べて完成度の低い物だったので今回は割愛)

 

 ……と、全てまとめれば計8作品。今回語る主要な物だけで数えれば計6作品が今回話題にするミニゲーム搭載型すごろくとなる。wii以前のゲームは環境的にプレイできないので、これから語ることはそういった環境の中で形成された価値観が元になっていることを理解してほしい。古参の人に「最近のゲームしか知らないくせに」とか言われても困る。

 というわけで、まずは「Wiiパーティ」と「WiiパーティU」のことについて話していこうと思う。なぜそこから話を始めるのかというと、昨日の夜遊んだゲームだからである。

 

 

☆「Wiiパーティ

・ルールについて

 ……四人で遊ぶことが大前提のゲームであり、人数が足りない場合はコンピューターが穴埋めを務めてくれる。このゲームでは、

「誰よりも早くゴールを目指す、分かれ道などがない一直線でシンプルなマップのすごろく(これを「A」とする)」

 と、

「前後の概念がなく分かれ道も豊富なマップを出目の数だけ好きな方向に動き、規定のターン数でより多くの得点を獲得することが目的のすごろく(これを「B」とする)」

 の二種類のすごろくが遊べるゲーム。

 Aにおけるミニゲームは全員がサイコロを振る前(まだ誰もサイコロを振っていない時点)に「毎回(重要なのでもう一度言うが、毎回)」始まる物となっている。そして「ミニゲームの順位によって追加のサイコロが配られる&サイコロを振る順番が決まる」システムとなっている。

 詳しく言うと、四人で対戦したミニゲームでは当然順位が決まるわけだが、それぞれの順位に以下の効果が与えられる。

 

「1位……サイコロを振って進む順番は1番目。通常の六面サイコロに加えて、もう一つ六面サイコロを振る。出目の最大は特別なことがない限り11(12でない理由は後述)。」

 

「2位……サイコロを振って進む順番は2番目。通常の六面サイコロに加えて、もう一つ1~3のみが出る三面サイコロを振る。出目の最大は特別なことがない限り9」

 

「3位……サイコロを振って進む順番は3番目。通常の六面サイコロに加えて、もう一つ1~2のみが出る二面サイコロを振る。出目の最大は特別なことがない限り8」

 

「4位……サイコロを振って進む順番は4番目。通常の六面サイコロのみを振る。出目の最大は6」

 

 ここで言う特別なことというのは、ゾロ目のことである。ゾロ目が出ると、その時点での出目はキープしてさらに通常の六面サイコロを振り、それを出目に加点することができるのだ。

 要するに1位が出目12を出すことはあり得ず、6+6を出した場合はさらに追加のサイコロが与えられ出目は13~18になるということ。このシステムが非常に巧妙ですばらしい。

 

・ゲームのバランスについて

 ……いち早くゴールを目指すルールである以上このすごろくは、一見すると大きい数字が出やすいミニゲーム1位を取り続ければ確率的にほぼ勝利が約束される話であるように見える。しかし実際はゾロ目システムにより、2位と3位には「ゾロ目が出やすい=実際の出目が大きくなりやすい」という救済措置が取られているのである。

 運が良ければ2位や3位でもゾロ目で1位を追い越せる可能性が十二分にあること。そして4位には一切の救済措置がないのでミニゲームでのビリだけは避けたいこと。これらの要素があることで、運と実力が絶妙なバランスで混じり合っているのである。ミニゲーム搭載型すごろくのお手本とでも言うべき神調整と言えよう。

 ミニゲームの実力だけで勝敗が決まっても、すごろくの運だけで勝敗が決まってもいけない。そんな難しいテーマに良い落としどころを見つけたのがWiiパーティのすごろくAだとぼくは思う。しかし、このすごろくAにも欠点はある。

 ミニゲームが搭載されていても結局はすごろくなので、当然止まったマスで様々な効果が発生するイベントは多数存在する。が、このマス効果の中で「UFO」の及ぼす影響だけが異様に多きすぎるのだ。

 マス効果は基本「追加で決められた数を進む」「決められた数を戻される」の二種類しかない。演出に違いがあったり、ミニゲームの勝敗で効果が変わったりはするが、とにかく前に進むか後ろに戻るかが結果として残ることがほとんどなのである(例外もある)。

 その中でUFOマスの効果は「ランダムで選ばれた相手と自分の位置を入れ替える」というもの。要するにその時点で一番進みが遅くビリの人が止まれば、確実にその人は前に進み同時に別の誰かが確実に後ろに戻ることになる。

 他プレイヤーを後ろに戻すマスは他にもある(演出からそのマスは「竜巻」と呼んでいる)ものの、同時に自分が進めるマス効果はこのUFOだけ。しかも竜巻が他プレイヤーを戻す数はせいぜい5~6、どんなに多くても1ケタの域は出ないが、UFOはトップとビリの位置交換ともなれば余裕で2ケタの移動を行うこともある。それも相手は戻し自分は進んで、である。

 ちなみに位置交換の相手にするプレイヤーはランダムといえども必ず選ばれ不発はあり得ないので、ビリがUFOに止まれば自分の利益と他人の不利益が確定する。逆に2位や3位がUFOに止まった場合は、それが良い効果となる可能性も悪い効果となる可能性もあるわけだが……。どちらにせよ効果が及ぼす影響が他のマス効果に比べて明らかに大きい。

 そして当然といえば当然だが、厄介なことにUFOマスはトップが止まっても「位置入れ替え」の効果が強制発動する。トップが止まれば自分の不利益と他人の利益が約束されてしまい、最悪一気にビリまで転落することもあるのだ。さらにはUFOマスはゴール付近にも設置されており、そこまで調子のよかったプレイヤーがUFOを一回踏んだだけでビリになったなんてことも、わりと普通に起きてしまうのである。

 運要素を取り入れることも必要なミニゲーム搭載型すごろくだけれども、さすがにこのUFOマスだけは運の要素が強すぎるとぼくは思う。

 ミニゲームに負け続けたもしくはサイコロの出目が極端に悪かったなどしてトップと大きく差をつけられてしまったプレイヤーにとって、その時点ですごろくが勝ち目のない「消化試合」になってしまうことは避けるべき、という考えはわかる。全員が常に楽しめるゲームがベストだ。しかしビリ救済にしてもやりすぎと言えるUFOマスだけが、このすごろく唯一の欠点だろう。これさえもう少し調整してくれれば完璧だった。

 

・すごろくBについて

……正直、Bで遊んだことがあまりない。語ることがなくて申し訳ない。

 なぜあまり遊んだことがないのかというと、Aに比べて分かれ道などが多くゲームが複雑化しているわりに、それによる楽しさが大して生まれていない気がすることが理由として挙げられる。

 複雑になったわりにミニゲームに勝てばとりあえず有利に進められることと、負けたとしても絶望的なほど勝機が遠のくわけではないことはAと同じ。そしてどの道をたどって得点を取りに行けばいいのか考える部分は、ミニゲーム非搭載型のすごろくに比べればおままごとみたいな物だったように記憶している。結果、遊ぶなら別にAでいいじゃんとぼくは思ってしまった。

 思うに、ミニゲーム搭載型すごろくに非搭載型のような考える要素はいらないのだ。両者の良いとこ取りをして最強のすごろくを作ろうとしたら、器用貧乏な結果に終わったみたいな、Bからはそんな印象を受けたから。

 横断歩道を渡る時、右を見て左を見てもう一度右を見てするのではなく、右も左も同時に見ればいいのだ。そんな欲張りな理屈は、完成すればそれはさぞ素晴らしい物になるのだろうけど、並大抵のことではまず「完成」にこぎつけられない。

 首は一つしかないので一方しか向けない。そうだ鏡を使って同時に見れば……と思ったが二面の鏡から同時に見える世界は情報過多で脳が瞬時に処理できない……みたいな。WiiパーティのすごろくBはぼくらに何らかの教訓をくれるゲームだった。

 一応言っておくけれど、Bも決してつまらないゲームではない。Aの完成度が高すぎたのだ。

 

 

☆「WiiパーティU

・各ルールについて

……Wiiパーティの進化形であり、四人で遊ぶ前提は変わっていない。

「最大10個など大量のサイコロを振り派手な数を進むものの、本質は前作とほぼ同じ完成度の高い物となっている「メガスゴロク(以下Aと呼ぶ)」」

 と、

「道中で「服」をアイテムとして集め、ゴール時に集めた服によってポイントを得て誰が高得点かを競う「きせかえスゴロク(以下Bと呼ぶ)」」

 の、二種類のすごろくが遊べる。

 Aにおけるミニゲームが、追加のサイコロを得るための物であることは前作と同じ。そしてBは前作の反省を活かしたのか一本道のマップになっており、かつそのマップは円形であるため既定のターン数そこをぐるぐる回って、服を集めてはポイントに変えるシンプルさと戦略性の混ざったゲームに進化した。……が、これにもまた問題点があるので後述。

 

・Aのゲームバランスについて

……扱う数字が大きくなったものの、その分マップも大きくなったため実質的には前作と同じ。ただしサイコロを振る数が、

「1位……10個」「2位……7個」「3位……4個」「4位……2個」

 と極端に分かれるようになった。全て通常の六面サイコロであり、前作のような三面サイコロ二面サイコロなどは登場しない。

 客を飽きさせないために見た目を派手にしたのか今回は扱う数字の規模が大きいが、そのせいで「2位と3位はゾロ目チャンスがある」という前作の良さはほぼ消えた。2位と3位は完全に1位の下位互換であり、ゾロ目を狙える4位も、ゾロ目を出したからといって1位に追いつけるほどの追加サイコロはもらえない(5個追加されるので、実質2位と同じになる)。

 派手さ重視にした結果、ミニゲームとサイコロの関係については少しバランスが乱れたように感じる。多くを取り入れればいいという問題ではないという、前作Bが教えてくれた教訓がなんとなく頭をよぎったりもした。

 ただ、さすがにこのバランスのままほぼ完全な劣化作品としてこのAすごろくが世に放たれたわけではない。さして重要ではないと判断して記述しなかったが、前作Aには「一定以上の出目を出さないと通れないチェックポイント」というシステムがあった。今回のAはこれに手を加えることでバランスを取ろうとしたのだ。

 前作では、

「4以上を出さない限り永遠に通れないが、一人通れば後続はこれをスルーして通れる」

「5以上を出さねば通れないが、誰かがチャレンジするたびに数字が一つ下がり最終的には3以上で通れるようになる(これも後続はスルー)。なおかつ、失敗した場合は(有効範囲内にいれば)他プレイヤーを巻き込んで決められた場所まで戻される」

 という二つのチェックポイントがあった。ついでに言えばゴール地点もチェックポイントと同じように決められた数字を出さなければゴールできず、なおかつそこにミニゲームでの勝敗などが絡んできて最後まで緊張感の抜けない楽しい戦いが……と語ることはあるのだけれど、重要かと言われるとそうでもないので今は忘れてほしい。

 ともかく、今作のAが設けたチェックポイントは前作と同じく二つで、条件は以下の通りだった。

「奇数を出すまで通れない。後続スルー」

「サイコロを5個振って、最低一つの「1」を出さなければ通れない。後続スルー」

 の二種類である。

 前者は六面サイコロにおいて「4以上」と「奇数」の確率が等しいので前作と変化なしと言える。変わったのは後者の方である。6分の1の確率で出る物を5回で出す……というのがどの程度の物なのか馬鹿なので理解することができないが、そんな馬鹿の受けた印象としては、むしろ重要なのは「失敗してもハードルが下がらなくなった」という前作からの変更点である。

 この変更によって、運が悪いとマジで出ない。トップが通れなかった結果チェックポイントの前に三人ほど団子になって集まってしまい、三連続で次々挑んでみたものの出ない……なんてこともそれなりの回数あったという印象を持っている。

 ミニゲームとサイコロのバランスが悪くなった代わりに、この前作より強力なったチェックポイントのストッパーで帳尻を合わせようというのだ。しかし、劣化したバランスをそのまま放り投げなかったところだけは評価できるけれど、このシステムはあまり面白い物ではない。

 というのも、いち早く駆け抜けたトップがストッパーで行き詰まり、足踏みしている間に2位以降が追い付いて団子になると、ストッパーを突破した時は全員ほぼ同じ地点から走り出すので「仕切り直し」と言える状況になる。もっと言えば「マップを少し縮めてもう一度最初から」ということでもある。

 トップを走っていてその状態に出くわすと、これがものすごく萎える。今までやってきたことが無駄になるという意味では、前作のUFOマスの次くらいに深刻な気力の低下が起こるとも言える。

 前作のストッパー二つ目も複数プレイヤーが同じ地点にいる団子状態を作り出すマシンではあったが、失敗するごとにハードルが下がるというのが大きかった。それによって「こんなに下がったハードルなのに突破できない。今日は運がないな」と諦めることもできるし、一発突破すればテンションが上がる。変化があることでストッパーを楽しむことができたのだ。何より、下がったハードルを連続で突破できないなんてことはほぼなかった。

 それが今作では変化がないせいで「いつ終わるんだ……」という楽しさとは程遠い気持ちが湧いてくる。我ながらこんなに運が悪いのではダメだなぁ、という諦めもつかない。連続で失敗して団子状態になると「確率絞りすぎでは……?」という気持ちになってしまう。

 すごろくに限らずパーティゲームにおいて、遊びながらゲーム自体に文句を言いたくなったらそれはもう「楽しむ」というところから取り返しもつかないほど離れてしまった、最悪の状況だとぼくは思う。アクションや格闘ゲームなどとは違って、すごろくは「文句を言いながら楽しむ」ということが成立するタイプのゲームではないだろう。

 文句という点では「効果の影響大きすぎじゃね?」と思わせる前作のUFOも同じだったが、一度もマスに止まる人が現れない場合もあるあれと違って、ストッパーは必ず通る道だというのが大きい。

 そしてこのストッパー機能だけれど、ゴール地点にも同じ物が施されている。前作のゴールが、

「6以上を出さなければゴールできない。ただし失敗した場合はその場にとどまり、次のターンにミニゲームで得た追加サイコロもこのチャレンジに使える」

 というシステムだったのに対して、今作は、

「サイコロを10個振って、40以上を出さなければゴールできない。失敗した場合は決まったマスだけ後ろに戻され、次の条件が「35以上を出さなければ」に下げられる。ただし35未満になることはない」

 というシステムになっている。失敗時に戻されるマスが10だったか15だったか、不甲斐ないことに忘れてしまったけれど、次のミニゲームでビリになり2つしかサイコロが振れないことになるとゴール地点に舞い戻るのはかなり厳しいことだけは記憶している。アバウトで申し訳ない。

 今作のこのシステムの欠陥は「ゴールに直接ミニゲームの結果が影響しない」ことである。前作が一度ゴール地点にたどり着いてしまえば、一度失敗したとしても次のミニゲームで良い順位を取るほどゴールの確率が高まっていたのに対して、今作は失敗後ミニゲームでビリ以外ならそれなりの確率(というか2位以上で実質確定)でゴール地点に戻れるだけで、その後の実際にゴールできるかのチャレンジはミニゲームが介入しない完全に平等な運によって行われるのだ。

 これがかなりつまらない。一度ゴールに来れば1位でも2位でも大差ないというのが、ミニゲームに対するモチベーションを大きく下げる。なんなら3位でも運次第で全然ゴールに届く範囲なので余計モチベが出ない。前作が良すぎたというだけなのかもしれないけれど、これも改悪、劣化だと言わざるを得ないだろう。

 前作のミニゲームとサイコロのバランス、そしてストッパーの調整具合が絶妙だっただけに、今作では残念な点が目立ってしまう。だからクソゲーだということはなくて、確実に楽しいゲームではあるのだけど、なんだかなぁ……と思ってしまう。今作のAすごろくはそんな感じであった。

 

・Bすごろくのルール

……さて、いよいよ前作とまったく別物になった方のBの話に移ろう。

 Bは円形のマップをぐるぐる周回しつつ規定のターン数で服を集め、それによってポイントを獲得するゲームだけれど、このゲームには「同じカテゴリの服を集めるとポイントが倍になる」というシステムがある。

 服は最大で「頭」「胴」「腰」「足」の4パーツに分かれていて、これらを全て同じカテゴリで揃える(「各パーツ全て忍者の服」や「各パーツ全て海賊の服」など)と得られるポイントが倍になるのだ。腰が存在しないカテゴリや頭と胴しかないカテゴリも存在するけれど、それらはパーツが少なくて揃えるのが簡単な分得られるポイントも低く設定されている。

 ポイントの「倍」になるというのはかなり大きな話であり、倍化したポイントにそうではないポイントで対抗しようというのは到底無理と断言できる。なので事実上このBすごろくは、マップを周回し終える前にカテゴリで服を揃えてポイントを得るゲームとなっている。

 ただ、曲者なのがこの「周回」というシステムなのだ。全員が同じスタート地点からスタートして、同じゴールにたどり着く。そしてゴールした人はまた一週目と同じスタート地点から順次二週目へと走り出していく。……そんなこのゲームの「ゴール」とはそもそも何なのか。

 既定のターン数で服を集めるということは逆に言えば、そのターン数が経過するまで何度ゴールしようともゲームが終わらないということである。既定のターン数というのは実際のところ15ターンなので、要するに全員が15回ずつサイコロを振り終えるまでゲームは続くのだ。

 そんなゲームにおける「マップ上のゴール」とは何なのか。これが「ステージに上がること」なのである。

 集めた服は、集めただけではポイントにならない。同じカテゴリの服を全4パーツ集めたとしても、それだけではポイントを獲得できないのだ。その集めきった状態でゴール地点にたどり着き、ステージに上がることで初めてポイントを獲得する。Bすごろくはそういうゲームなのである。

「ステージに上がれるのは(勝敗を決める要素であるポイントを得られるのは)、基本的にゴール地点にたどり着いた時のみ」

 このシステムが、様々な他のシステムと絡み合った結果、悪い意味で曲者となっているのである。その様々なシステムというのは、例えばAではサイコロに影響していたミニゲームが、Bでは影響しないなどのことが挙げられるのだが……。詳しくは後述。

 

・Bのゲームバランス

……まずAと大きく違う点として、ミニゲームにいくら勝とうとも追加のサイコロは得られないことがある。というか、各ターンの初めにミニゲームが行われることさえない。全員最初に決まった順番のまま、通常のサイコロを振って進むことになる。

 服の入手方法についてだけれど、これは各所のマス効果として止まったマスに対応した服がもらえることになる。どのカテゴリのどのパーツ部分がどこに止まれば取得できるのかは一目瞭然なため、出目を操ることができれば服の入手は捗るだろう。

 しかしミニゲームでサイコロがもらえないのにどうやって出目を操るのか。その答えが、このBすごろく特有の「使い切り特殊サイコロ」である。

 特殊サイコロはまずゲームの始めに全員に同じ物「2倍サイコロ」が配布される。名前のままの「出た目を倍にする」という効果の使い切りアイテムである。そしてこの手の使い切りアイテムには2倍サイコロ以外にも以下の種類がある。

「3倍サイコロ……出目を3倍にする」

「4倍サイコロ……出目を4倍にする。一部イベントにて低確率で発生する効果による結果以外の入手方法がない」

「1・2・3……1か2か3しか出ない三面サイコロ」

「4・5・6サイコロ……4か5か6しか出ない三面サイコロ」

「ぴったりサイコロ……1~6の好きな目が出せるサイコロ」

 これらのサイコロは各所にあるチェックポイントを通ることで、どれか一つをランダムで得られるシステムになっている。また、使い切りサイコロは1ターンに1個しか使えないので、3倍サイコロとぴったりサイコロを合わせて確実に18を出すとか、そういったことはできない。

 これらのサイコロを駆使して狙ったパーツを取得する、あるいはいち早くゴールしてステージに上がり周回ペースを速めることで大量得点を狙う、などの戦略をとっていくことになる。……そんな重要な物である特殊サイコロであるが、もう一度言おう。

「Bすごろくでは、ミニゲームの勝敗によってサイコロを得ることはない」

 得る方法はチェックポイントの通過のみ。一本道を周回するマップなのでいつかは必ず特殊サイコロを取得することはできる。できるが、それを早める方法はない。重要なので重ねて言うけれど、

「特殊サイコロをより多く取得する手段、もしくは狙った特殊サイコロを取得する手段は、ない。無い。まったく無い。出来ることは祈ることだけ」

「そして特殊サイコロはゲーム上重要な効果を持つ」

 ……なんとなくわかってきた人がほとんだと思うけれど、ぼくはこのBすごろくをクソゲーだと思っている。ゴミカスだと思っている。もっと言えば昨日遊んだゲームというのがこのWiiパーティUのBすごろくである。それでもってその時ビリになりかけたのが、このBすごろくである。

 もう一度言うけど、今作のBはゴミです。

 Aにおいては「誰よりも早く進み、ストッパーを即座に突破して、さっさとゴールに入ること」が理想の勝ちルートだったのに対して、Bの理想は何だろうか。

 それは「止まるべきマスには止まって服を集めつつ、より早く前に進んで特殊サイコロを取得し有利にゲームを進めると同時に、さっさとステージに上がり得点獲得&次の周回に臨み追加得点を狙うこと」である。

 止まるべきマスに止まること。どんどん進んでサイコロを手に入れつつステージに上がること。これらは全て、極論いつでも好きな特殊サイコロを使うことができればほぼ完ぺきに遂行できる任務である。特殊サイコロがどれだけ重要な物なのかという話だ。あるいは、ただの素のサイコロを振る時の運がどれだけ重要かという話か。

 ところで、ミニゲームがサイコロと関わっていないというけれど、じゃあミニゲームはこのBにおいてどんな役割を果たしているのか。実はミニゲームは5ターン毎くらいのペースでAと同じように全員がサイコロを振る前、ターン開始時に始まる。もしくはミニゲームを行う効果のマスに止まった場合にも始まる。

 ターン開始時なら勝った人が、マス効果ならマスに止まった人が勝った場合、好きな服を獲得できる。ターン開始時に発生するミニゲームの場合、

「1位……ピンポイントで好きな服一つ」

「2位……カテゴリだけ選べるものの、パーツの部位はランダムで一つ」

「3位……完全ランダムで一つ」

 の服を獲得することができる。4位は何も無しである。ビリに厳しいのは前作Aと同じだ。

 ターン開始時のミニゲームは5ターン毎に来るので、要するにミニゲームに全勝すればゲーム中三回は好きな服がピンポイントでもらえることになる。理想ルートにおける「止まるべきマスに止まる」の部分は、ミニゲームに勝つことである程度補えるということになる。

 重要なのはこの「ある程度」という部分だ。ゲーム中に最大で三回ピンポイントというのは、それだけでは勝ちに直結しない。このゲームで一番の高得点は4パーツのカテゴリ一致であり、なおかつゲームはマップを一周しただけでは終わらないのだから。

 結論を言うなら、このBは「運ゲー」である。ミニゲームに勝つだけでは「サイコロをある程度補う」という役割しか果たせない、サイコロ重視のゲームなのである。

 ミニゲームに全勝する前提なら、5ターン毎のミニゲームの他に、マス効果のミニゲームでもピンポイントで服を手に入れられる。そうなればさすがに服には困らない。けれども言った通り、このゲームは「ステージに上がらなければポイントにならない」のだ。要は、大きい出目が出せずに規定ターン数以内にゴールし損ねれば、いくら服を集めても無駄だということ。

 また、ステージに上がってポイントに変えられる服は「1セット」だけ。いくらカテゴリの一致した服を複数所持していても、ポイントに変えられるのは1セットだけで、2セット目をポイントに変えるにはまたマップをぐるっと周回してゴールしなければいけない。つまり大きな出目を出さなければいけない。

 そう、このゲーム、大きな出目が出るか否かがほとんど勝敗に直結するのである。

 まずそもそも、さっきまでの話の時点でミニゲームに全勝するという前提が厳しい。ミニゲーム搭載型すごろくにおけるミニゲームとは何かという話をした時にも言ったが、ミニゲームにはアクセントとして「運ゲー」が数種類含まれているのだ。すごろくで行うミニゲームは当然ランダムなので、運ゲーを引き当ててしまった場合は実力もクソもない。全勝という前提を実践できることは、そう多くないだろう。

 仮に全て実力で決まるゲームを引いたとしても、それに全勝するというのはよほど他プレイヤーと差がない限り厳しい。その上、そもそもミニゲームで服を得るためのマス効果を発生させるには、まずそのマスに止まらなくてはならない。またミニゲームでは一切触れられない領域であるサイコロの出目次第、運次第である。

 そして、この運ゲー具合に拍車をかけるのが倍数サイコロの存在だ。2倍サイコロや3倍サイコロなどの倍数サイコロは、あまりにも振れ幅が大きすぎる。秒でわかるその振れ幅は、

「2~12」

 もしくは

「3~18」

 となっている。イカれてやがると思うのはぼくだけなのだろうか。使い切りのサイコロを一度振った時の結果なのに、10マス以上の差が出るなんて、どうかしている。倍数サイコロを使った時に大きい数字を出せた人は猛烈な勢いで進み、チェックポイントでまた新たな特殊サイコロを拾う。当然ポイントを得るためのゴールにも近づく良いことずくめになるだろう。

 一方で小さい数字しか出せなかった人は通常のサイコロと変わらないような量しか進めず、チェックポイントは遠いので新たな特殊サイコロは得られず、ゴールも遠く、手元には何も残らない。進んだマスの数だけではなく、ゲーム全体の勝ち負けとして大きく差が開くのだ。

 これを運ゲーと呼ばずに何と呼ぶのだろう。ミニゲームに勝ち続ければ確率的に有利になれたAすごろく(有利であって勝ち確定ではないところが重要)に比べてこの体たらく。サイコロ運が全てを握ったクソゲー。それがBすごろくこと、きせかえスゴロクなのである。

 一応、横取りミニゲームという救済システムはある。ミニゲームに勝った人が他人の集めた服を奪えるというものだ。上手く噛み合えばこれにより他人のカテゴリ一致を崩して大幅な獲得ポイントダウンを行いつつ、自分の服集めを進めることもできる。

 が、しかしこれも、だからなんだよって感じのシステムでしかない。カテゴリ一致を崩したところで多少なりともポイントは入るわけだし、周回遅れが追いつくほどの影響は出ない。「カテゴリ一致でゴール一回」と「カテゴリ一致と不一致でゴール一回ずつ」のどっちがポイント高いかなんて考えなくてもわかる。

 結局自分が周回遅れである限りは、横取りしようと何しようと順位は変わらないのである。これが「ステージに上がらなければポイントを得られないシステム」のもたらす汚点だ。このシステムのせいで運ゲーがさらに加速している。

 ちなみに一応、もう一つの救済措置として15ターン終了後の最後のミニゲームも存在している。そのミニゲームで1位になった人は、なんと既定ターンが終了しているにも関わらず一度ステージに上がれるのである……!

 ところでもう一回言うけれど、ミニゲームに全勝するというのはほぼあり得ないことだ。ミニゲームに勝てば勝つほど全体の勝利に近づく(近づくだけで、確実に到達できるわけではない)Aすごろくと違って、この最後のミニゲームは一回勝負である。一回で勝つか負けるか、それが全て。しかも1位とそれ以外という区別なので、2位以下には何の価値も生まれない。ゲーム性としてどちらが美しく、優れているか。考えるまでもない。

 そもそも、出目が悪い人に対する救済措置ってなんだよって話である。ゲームが下手っぴでミニゲームに勝てずいつも不利になってしまう人への救済措置ならわかる。ミニゲームではそれなりの勝率があるのに、サイコロ運が悪いだけでビリになってる人を「救済する」とはどういうことなのだろう?

 言い方を変えれば、「運が悪いだけの人を救済しなければならないゲーム性」ってなんなのだろう? これはゲームの話である。おみくじの話ではない。凶が出ちゃったならもう一回引いていいよとか、そういう話じゃないのだ。ぼくらはゲームをしているはずなのだ。決して運試しではなく。

 前作のAすごろくを「お手本のようだ」とぼくは言ったけれど、それなら今作のBすごろくにも言うことがある。これは、こいつは反面教師だ。ミニゲーム搭載型すごろくにおいてミニゲームとサイコロを切り離すとどうなるのか、しかと胸に刻み込ませてもらった。

 

 

 ……と、ここまでなんとか読んでくれた、奇跡の擬人化のような人がいたとして。その人もさすがにそろそろこう思っているはずだ。

 それぞれのゲームのすごろくについて語ることに何の意味があるのだろう?

 その答えは最後に、マリオパーティの話にたどり着いた時に明かされるのだけれど、その前にまずはドラえもんのすごろくの話を挟まなければならないし、先は長い。

 誰もついて来てはいないだろうけど、中編へ続く……。

 

(えっ、中編とかマジ? 前後編でさえないとかマジ?)

夢日記。鳩羽つぐ。

・夢のあらすじ。

……夢に鳩羽つぐが初登場。魔法少女となった彼女が地球に攻め込んできた悪い宇宙人と戦う内容の映像を二時間見続けた(時計などを見たわけではないが、なぜか映像が二時間あったと認識していた)。

 視聴後、映画のような単発長編だと思っていたそれが1クールアニメの第一話にすぎなかったことが判明する(なお、この時より以前では鳩羽つぐの映像を「映像」とは認識しておらず、第三者視点で現実を見ているような気分だった)。同時に、各話に飛ぶサムネ付きチャプター選択画面が現れたため今まで自分が見ていたものがDVDだったということも判明した。

 あまりのボリュームと、第一話の印象とはかなりイメージの違う各話のサムネ(きらら系っぽいかわいらしい絵柄で、特に真ん中あたりの話数で湯船につかる鳩羽つぐが目を引いた)に驚きつつ続きを見ようとしたところ、リモコンを押しても画面が上手く操作できないようになり、ついにはフリーズからのブラックアウト。こんなテレビと再生機器じゃダメなんだとキレながら視聴を断念。

 DVD再生機は視界に入らなかったが、テレビの幅は両手を広げたくらいと中々の大きさがあり、本体の構造はブラウン管の奥に今どきの液晶があるような、新旧融合体のような現実には存在しない独特の物だった。ブラウン管の画面からその奥に見える液晶画面までは広い空白の空間があったが、空白空間の淵は黒く、何のための空白なのかはテレビ含む機械に詳しくないので不明と認識していた。

 

 

・夢の内容についての詳しい話1 夢で見た映像内での「鳩羽つぐ」について。

……現実において初めて公開された動画と同じように、鳩羽つぐはどこかの学校の制服と思わしき衣装を身に着けていた。これは二時間の映像内で変化することがない。

 設定としては、見た目こそ現実の動画#00での彼女と変わらなかったが、まず今回の夢における「鳩羽つぐ」は人間ではなかった。また、以下で語る映像内では鳩羽つぐを含むすべてが、3Dモデル等ではなくアニメ絵のような作画となっていた。特徴がないのが特徴というような絵柄で、雰囲気を実在するアニメに例えることはできない。

 この夢の中では、人混みの激しい街に父親と出かけた際にはぐれて迷子になってしまい、原因は不明だがなぜかそれを契機に人間ではない「何か」になってしまったという過去を持つ鳩羽つぐ。彼女は幼い見た目に反して少なくとも10代後半程度の精神年齢を持っていることが映像内の心理描写から見てとれた(ただしその心理描写の内容は、確かに夢の中で見たはずなのに目が覚めたあとは全て忘れてしまっている)。

 人間ではなくなった鳩羽つぐは「彼女自身が迷子になった街で、親とはぐれて迷子になった子どもの前に現れて一緒に親を探してくれる存在」となっていた。逆に言えば迷子の子ども以外の前には現れない存在であり、「あの女の子が一緒に探してくれたの。ほら」と子どもが再会した親に鳩羽つぐを紹介しようとしたところ彼女の姿はすでにそこにはなく、少し離れた空間(詳しい位置は不明。異空間的な場所である可能性も)から親のもとに送り届けた子どもを優しく、そして羨ましそうに見つめるシーンがあった。

 また、本人の声でナレーションのように流れる大人びた心理描写から、鳩羽つぐが「そういう存在」になってからかなり長い期間が経っていることも伺える(ただしその声は「鳩羽つぐの声でナレーションが流れている」とぼくが認識していただけで、実際に夢という形で脳内再生されていたわけではない。もしくは目が覚めた時には夢の中での彼女の声を忘れていた)。

 この夢の中での鳩羽つぐは精神的に危うい部分があるらしく、それに至る条件は不明だが、突然父親とはぐれた時の記憶がフラッシュバックして「パパ行かないで……!」と泣きじゃくり幼児退行する場面が何度もあった。

 「そういう存在」である彼女の性質上、実際に泣きじゃくる彼女を認識している人間は一人もいないので、明らかに平常ではない幼女を無視して通り過ぎる冷たい人間の群れが第三者目線からは見えることになる。その時に個人的な意見だけれど、昨今の「不審者扱いされたくない」という意識から子ども含む他人に不干渉になる人間の意識が、この夢における鳩羽つぐのような存在を生み出す原因になったのではないかと感じた。映像はその考えを肯定することも否定することもない。

 映像の終盤、夕方の街で唐突に鳩羽つぐの父親が現れる。さあ、もう帰ろうと父親に手を差し伸べられて、その手を握って彼女は雑踏の中に消えていく。しかしこの時点ですでに、彼女は「それ」が父親ではないことを察知していた。なぜ察知できたのか、その理由は第三者目線からはまったく把握できない。

 帰ろうと言うのに、なぜか大型スーパーに向かいエレベーターに乗る父親を名乗る存在。鳩羽つぐは不意に握っていた手を振りほどき、日本刀を何もない空間から出現させて、それを振りぬき父親の指を切り落とした。

 指からは鮮血が噴き出し、エレベーターに同乗していた一般客たちが悲鳴を上げて後ずさった。少し間をおいてから、激痛に悶えるような悲鳴を上げて、父親を名乗っていた存在の頭部が紫色のアメーバのような形状になり、首から下と分離して逃げるように密室のエレベーター内を跳ね回りだす。

 「パパの真似をするな!!」とものすごい剣幕で鳩羽つぐが怒鳴り、刀でアメーバ状の生物を壁に突き刺した。アメーバはぐったりとして息絶え、目的の階にたどり着いたエレベーターは扉を開き他の客が一目散に逃げだした。

 血の付いた刀を引きずるようにして、途方に暮れたような遅い歩みでエレベーターを降りる鳩羽つぐ。刀とは対照的に、白い服に返り血は一切ついていなかった。そしてエレベーターの扉が閉まると、どこからともなく可愛らしい声が聞こえてくる。

 きっと声の主はマスコット的な見た目をしているのだろうと推測できるその声は、彼女の名前を呼んでいた。「つぐちゃん、聞こえる? 聞こえていたらこっちへ来て」。

 声に吸い寄せられるようにスーパーの中を歩いていくと、なぜかだんだんと周囲の景色が暗いトンネルのようになっていく。さらにいつの間にか鳩羽つぐの頭上斜め上には光の球体が出現しており、声はそこから聞こえててきていた。

 光の球体がトンネルを進んでいくので、それを追うようにして黙々と歩く鳩羽つぐ。そんな彼女に対してトンネルの中には声が響く。人の姿に化ける悪い宇宙人が今地球に攻め込んできたこと、鳩羽つぐにはそれを倒すための魔法の才能があること、世界を守るために声の主は彼女の協力を求めていること。歩きながらそれらの説明を受ける鳩羽つぐ。

「お願い。魔法少女になって、つぐちゃんの力を貸して!」

 そう言われた彼女は、ピンクのフリルがついた可愛らしくもいかにもといった感じの衣装をまとっている自分を想像していた。

 ……映像は、ここで一旦終了する。

 

 

・夢の内容についての感想。

……理由や原因が語られないことの多い話で、特にホル・ホースの皇帝のように突然日本刀を取り出したシーンでは目が覚めてからなんだったんだあれはとしみじみ驚いたが、夢の中の自分は「意外な展開だ。疾走感があって面白い」くらいにしか思っていなかった記憶がある。

 あらすじに書いた通り映像のあとぼくは「続き」の存在を知るわけだけれど、きらら系のサムネを見た時の驚きは夢の中でも起きたあとでも同じだった。特に目を引いた鳩羽つぐの入浴シーンについては「え、家に帰ったりするの……!?」という理由で注目してしまった。怪異的な存在となってしまった彼女は不老不死でなおかつ、いわゆる「生活」とは無縁だと無縁だと思っていたから。

 鳩羽つぐの人間らしい生活はあまりにも多くを語らなさすぎる今回の夢の中での映像において語られていなかっただけなのか、それとも魔法少女となった彼女が生活を取り戻すのか。非常に続きが気になる。そもそも魔法少女になることを拒否する可能性も無いわけではなく、またサムネにはまったく見覚えのない「新キャラ」らしき幼女も映っていたので興味が止まらない。

 魔法少女となった彼女が新たな生活を初めてきらら系の絵柄らしくほのぼの暮らしていくのか。もしくはそれを拒否した彼女が別の方法でほのぼの暮らしていくのか。そうなった場合、一話と打って変わってジャンルがまさかの日常系となる奇をてらった展開となるのか。それともサムネは詐欺であって、魔法少女&正体不明のマスコットっぽいやつというイメージからまどマギ的な話が展開されるのか。もしくはがっこうぐらし的な話が展開されるのか。それともまさかの、ほのぼのアニメ的な要素と詐欺アニメ的な要素の両方を併せ持つ未知の挑戦的なアニメが待っていたのか。妄想も止まらない。

 夢はたまにこういうことがあるから本当に良い物だと思う。怖い夢でもこれくらい楽しければ良し。ぼくの脳みそがこれからも面白い夢を見てくれることを期待しよう。

 

 

・夢の内容についての詳しい話2 元ネタについて。

……今回の夢は、現実で見たこと聴いたこと感じたことが元ネタとなっている部分が数々見受けられた。メモ的な意味合いが強いが、それらを思いつく限りここに書き残しておく。

 1、「鳩羽つぐ」

 ……言わなくても明らかなように同名のバーチャルユーチューバー……という括りにしていいのか微妙な存在が元ネタ。ただし今回の夢を見る以前に特別印象に残る鳩羽つぐを目にしたことはなく、なぜこのタイミングで夢に現れたのかは不明。夢に現れるのは今回が初で、今までかなり気に入ったイラストや新作動画を見たことはあったのに。

 また、彼女の武器が日本刀だった理由はまったくの不明。そもそも突然武器を取り出す能力をなぜか初めから持っていた理由もわからない。ホル・ホースのことだって夢を見たことによってかなり久しぶりに思い出した。美少女と和風の武器という括りだとレヴュースタァライトが記憶に新しいが、あれはナギナタだった。そして特別推していたわけでもない。もちろんぼくが元々刀が大好きってわけでもない。謎である。

 ところで、つぐちゃんの30分映像をお金払えば見れるらしいんですけど、お金がありません。でも夢で二時間タダだったのでオッケーです。

 2、「鳩羽つぐの設定」

 ……創作においては個人的に病んだ女の子(決してステレオタイプヤンデレではない)が好きな傾向がある(自作小説とかそんなのばっか)ので、父親とはぐれたことがトラウマとなっている設定は完全に趣味を反映したものと思われる。また、本来の鳩羽つぐは「誘拐されているのではないか? とも言われる独特の暗い雰囲気をまとった動画」を投稿している存在であるので、親と離れ離れになって戻れないという設定はそこから汲んでいると思われる。

 人間ではない存在となった彼女の性質はどことなく妖怪を彷彿とさせるが、この夢を見る直前の夜、隣の部屋で父が見ていた第6期ゲゲゲの鬼太郎の音声が聞こえていたので、もしかするとそれが関係しているのかもしれない。映像を見ていたわけでも音声に特別興味を引かれたわけでもなく、特に印象には残らなかったはずなのだけれども。

 なお、映像の内容を説明する時にはテンポと流れを重視した結果語るべきタイミングを逃したことだけれど、鳩羽つぐが人間ではなくなってしまったことの描写には「迷子以外には見えない」ということの他にもまだいくつかある。例を挙げると、太陽の光が照りつける街においても夜のネオンが光る街においても、いつでも同じように幼い少女の姿をした彼女が一歩引いた場所から人混みを眺めているシーンは印象的だった。

 ただしそのような印象を与えてくる描写が多かった反面、「迷子以外には見えない」性質のある彼女が「迷子の前に必ず現れる」ことは「そういう存在」としての性質の一部だったのか、それとも彼女自身の努力による結果なのか、またあるいは描写されなかっただけで見落としてしまった迷子もいたのか、仮に迷子の前に必ず現れたとしても今度はその子の親を見つけることが性質によって保障されたことなのか否か……といったような実際的な描写は皆無で、とにかく言葉で「説明」をしてくれることがない映像だった。

 ちなみにこれもまたテンポを優先して言いそびれた話なのだけれど、ここだけの話、鳩羽つぐの設定については全て「ぼくが映像を見て認識したもの」だったりする。親切な説明のない映像からあれだけの情報を読み取れたのは、きっとそれがぼくの夢であったからだろう。夢の中ではなぜか理解しているはずのないことを理解していたり、ありえないようなことに当然のように順応することがよくあるから、今回のことも「いつものそれ」なのだ。夢とは不思議なものだ(小並感)。

 3、「迷子になる街」

 ……映像の舞台となった街では時々迷子が発生していて、そのたびに鳩羽つぐが迷子の子どもを親のもとに送り届けている。つまり時々と言える程度のペースで迷子が発生しているのである。

 確信できる描写はなかったけれど、その街はおそらく秋葉原のことだと思われる。理由は漠然とした街の雰囲気と、数度しか行ったことはないけれどぼくが迷子になりやすい場所であるということ。ただしぼく自身は親と秋葉に行った経験はないし、全ての場合においてちゃんと自力で駅まで帰還している。秋葉に大型スーパーがあるのかどうかは知らない。

 4、「きらら系っぽいサムネ」

 ……つい最近となりの吸血鬼さんを視聴したことと関連がないとは言い切れない。となりの吸血鬼さんはきらら系列の雑誌に載っているわけではないので、「きらら系」ではなく「きらら系っぽい」という言い回しをする理由はそのあたりから察してほしい。

 となりの吸血鬼さんに関しては「月曜から夜ふかしスペシャルがあるせいで録画枠が足りない」という事情からリアルタイムで見たのだが、その時のお茶の間には父もいて、萌えと無縁の価値観で生きる父親とあのアニメを見ることになったことが記憶に新しくなおかつ強烈に印象に残っている。

 5、「人に化ける宇宙人」

 ……目が覚めたあと、チャージマン研を真っ先に思い出したというサイドエピソードがある。ここ最近でチャー研を見かけたことはまったくなかったが、あれはもともと印象深い物なのでなんとも言えない。それと頭部だけが宇宙人の本体で首から下は擬態するためだけの物という性質上、どことなくケロロ軍曹を思い出さないこともない。

 6、「光の球体」

 ……夢の中での自分がそれを見た時、なぜか即座に「最近ロックマン11の実況で見た、8方向に弾を飛ばす敵」を連想したので、いかなるツッコミどころがあろうともそれが元ネタと見てほぼ間違いない。

 7、「機能停止するテレビ」

 ……最近、あるいはしばらく前から、現実において我が家のテレビリモコンの調子がよろしくない。強く押さないと反応してくれないのである。夢の中では強く押した結果機能停止してしまったけれど、現実で同じことが起こったら間違いなく夢と同じようにキレる。やっぱり買い替えなきゃダメなんだ!って。金も持ってないのに。

 

 

 ……思いつくことはこのくらいだろうか。書くことは書いたので、今回の夢日記はこれにて終了とする。次回に続かないとは言い切れない。

替え歌考えたので聞いてください

 だいぶ前に母とぼくの英語力が壊滅的なことが露呈したので、その時のことを替え歌にしました。聞いてください。

 女王蜂「HALF」の替え歌で、「はるふ?」です。

 

 

 簡単な英語さえわかんなーい 「iron」が読めずに、「アイロン」呼ばわり

 グーグルに聞いてみてわかったよ 「アイアン」の初めは、「A」じゃなくて「I」

 忘れたころ暴き出される あまりに低い学力

 海外には行けない 出川じゃないから 引きこもる、このまま日本に……

 でも、日本語さえ怪しいじゃん 「漁る」を真顔で、「つる」と読みだす母

 落ち込んだことなんてないぜ バカみたい読み違い 気にしない二人~♪

創作の設定。死後の世界と神。

 これは設定の話です。作文ではありません。

 

 

・思念体

……意識のみの存在。通常死んだ肉体からはじき出される存在であり、特殊な例を除いて思念体が死んだ肉体に戻ることは出来ない。基本的に不可視かつ何にも触れられない存在で、いわゆる幽霊はコレのこと。

 また死ぬ瞬間に大きな意思(未練など)を持っていなかった思念体は、基本的に意識を持たない。

 

・重力

……思念体にも重力が適用される。ただし生きた生物への重力が星に引き付けるように下へ下へと働くのとは逆に、思念体への重力は上へと作用する。また生物への重力はその物の質量が大きいほど強力に働くが、思念体への重力はその者の意思が弱いほど強力に働く。

 重力により上へと引き寄せられる思念体はやがて宇宙に到達し、そのままある一点へと向かう。その向かう先はブラックホールである。ただし思念体の意思が強ければ強いほど重力は無に近づくので、強い未練などを持った思念体は地球上にとどまり続けることが多々ある。

 

・あの世

……ブラックホールから通じる世界。ブラックホールが思念体以外の全ての物を分子レベルで分解し追放するので、あの世へ立ち入ることが出来るのは思念体のみである。また例外なく、あの世へ立ち入った思念体は強制的に意識を取り戻すことになる。

 かつては天国と地獄という概念があったあの世だが、そもそも全ての生物を初めに生み出したのは一部の神そのものであり、また生み出した理由も「自動で続きが描かれるドラマの冒頭を書いてみた」という非常に身勝手な物であったため、別の一部の神から批判があった。その結果、死刑制度が批判によって消えるような形で「神が人間その他を裁く」物である「天国と地獄」という概念も現在は消え去っている。

 現在のあの世は「その者が生きていた頃にいた世界と同じ世界」を提供する場になっている。ただし本人以外の全ては神によってプログラムされたクローンとなっており、本人が望まない存在は再現されないことが決まっている。また少々面倒な手続きを踏めば、互いの了承が成立している場合に限りクローンではない「本人」同士が対面したり共に暮らすことも可能となっている。

 神のエネルギーがいくら膨大とはいえ無限ではない(特に各々の思念体に「世界」を提供していることで消費が激しい)ので、思念体は原則リサイクルされて次の生物として人間界に放たれる。これがいわゆる輪廻転生である。輪廻転生の周期は100年単位であり、初めてあの世に立ち入ってから少なくとも100年は

 

※今のところ、この設定が適用されているのは無知の魔女ウィズが登場する世界観のみ。ただ、別に全ての世界に適用しても特に問題はない設定ではある。

 

 

各世界観における神

・無知の魔女ウィズがいる世界観の神

……あらゆる存在、概念を生み出した人間界(便宜上、ブラックホールの向こう側の世界をそう呼ぶ)の創造者たち。創造者たちは性別を持っていたりいなかったりする、個々で違った思想を持つ集団。その総称が「神」となる。

 人間にとっては遥か昔のある時から「既存のどの生物とも一線を画する生物を作ろう」という企画が始まっていて、魔女はその企画の結果生み出されている。魔女はなぜ人型が多いのか、なぜ女性なのか、という点に対する答えは「その方がより多くの同族にウケる」から。神にとっての創造は人間にとっての創作と似ている。

 しかし魔女は生殖機能を持たない個体も多く、時代が進むごとに、

「神の意志によってのみ生み出される存在は世界に対する過干渉ではないか。他の生物と同じように、初めの個体を作った以降はただ見守るべきだ」

 という批判をする神も現れ始める。そのほとんどは女性の神であったが、その思想はそもそも、

「どの生物とも一線を画する生物を作ろう」

 という企画の根幹を否定するものであり、他の生物と同じように魔女を扱っては本末転倒でつまらなくなるので、魔女肯定派と否定派の議論は平行線を辿るのみとなっている。

 結果としてはじわじわと肯定派が自粛していく流れとなっており、人間たちが平成と呼ぶ時代が終わりつつある今、魔女を生み出して人間界に放り込んでいる神は極少数となっており、その神たちも同族からは異端扱いされている。

 新しい個体が神の手によって直接生み出されることはそのうちなくなるはずなので、もしかすると魔女は遠い将来滅びるのかもしれない。

 

・死神JKデイズちゃんがいる世界観の神

……神の定義はウィズの時と同じ。

 人間たちにとってもそう遠くはない過去に、デザイアという人の欲望から生まれる化け物が突如出現したが、それは多くの神が想定していた事態ではなかった。当初はバグのような存在かと思われていたそれも、やがて一部の神が作った存在だったことが判明する。

 個人の勝手な判断で新たな存在を人間界に放り込んだ罪は重くデザイアの作り手たちは罰せられた。が、デザイア自体は意外と好評になり、やがてそれを退治することを神が直接行うのではなく、すでに存在している生物に任せてみないかという意見も出るほどになった。

 人間たちが平成と呼ぶ時代、ついに神たちの作る「魔法少女」という概念が生まれることになる。それは生に未練を持ったまま死んでいった少女に第二の命を与える代償として、強力な力を渡してデザイア狩りに挑んでもらうという「企画」だった。

 魔法少女の生き様は一部の神に大きな反響を呼び、やがて神は人間の欲望から生まれるのを待たずに自らデザイアを生み出し人間界へ放り込むようになり、それに連動して魔法少女の数も増やした。

 が、時代が進み一部に今までと違った意識の神が生まれたこと、そしてデザイアを神が新たに生み出すという「過干渉」が重なって、魔法少女という概念はある時から猛烈な批判を受けることになる。

 特に「死後の世界。あの世がどういう物か」について少女たちに詳しく説明していなかったことがバッシングを受け、結果的に「魔法少女」という「企画」は中止されることとなった。

 

・異能力「N」が存在する世界観の神

……神の定義はウィズの時と同じ。

 人間のマンネリ化を防ぐため、異能力を持った人間が生み出された世界観。一部の人間にNと呼称する異能力を与えることで人間界は今までにない動きを見せ、多くの神たちを楽しませた。好評のその流れでやがて異能力Nを持つ人間は増やされていき、最終的には全ての人間がNを持つようになった。

 ただしそれが上手くいっていたのは人間の一世代だけ。突如追加した要素であるNは人間の繁殖機能に対応しておらず、Nを持った人間の子どもにNを持たせるには、神が自ら手を加えるしかなかった。通常子どものスペックは遺伝子によって自動で決まるため、これに神が逐一手を加えなければならない事態は異例であった。

 一時は過干渉としてNそのものを概念ごと抹消する意見もあったが、すでにNありきで作成されてしまった世界に神が勝手な意思でNを持たない人間を生み出してしまうのは、それこそ過干渉だとしてその意見は非採用となっている。

 結果的に致し方なく神はNを人間に与え続けているが、これは地味に面倒でなおかつエネルギーを消費することであり、安易にテコ入れをしてはいけないという教訓を神たちに与えることとなった。

 

※代表的な三つの世界観において神の価値観はおよそ一貫性があるので、全ての世界を繋げることも可能かと思われる。時代設定的に「魔女」の件が始めだとして、既存の物とは違う存在を生み出そうとしてバッシングを受けた魔女の反省点を生かして、既存の存在に規格外の力を与える「魔法少女」企画が始まったでもいいし、同じ理由で「N」が生まれたでもいい。

 順番的には魔女から魔法少女に移り、人間に直接向かい合って人間を弄んだことが過干渉として批判された魔法少女の反省を活かして、今度は「有無を言わせず「そういう世界」にした」Nが生み出されたとすることができる。が、ということはNの世界観は魔法少女よりも後の時代ということになる。

 しかしそうすると、すでに三作品とも平成中ごろから末期の話として書いてしまっている点が問題になってくる。魔女は途中から半ば神に放置されている存在の話なのでいいとして、魔法少女とNが時代的に重なることは絶対にあり得ない。

 全ての世界観を繋げようとすると、今から書くならNを未来モノとして書くしかない。または実際に現実で平成の次の時代が進むのを待って、その時になってNを「現代モノ」として書いてもいい。未来設定なんて洒落たことは出来る気がしないので、身の回りに時代のモデルが勝手に形成されるのを待つことになりそうな気がする。

 全てを別々の世界観だと割り切って今からでも書けるようにするか、せっかく繋げられそうなので繋げて将来の自分に丸投げするか。どっちにしろ設定を作るばかりで、創作のモチベが作品を作るところにまで達することがあるのかも怪しいので、真剣に考えるほどの問題ではないのかもしれない。

 そもそもこの後第四の世界観を作る時が来てしまったら、その時はどうするというのだろう。第三までが偶然繋がったのに万が一第四が偶然では繋がらず、それを無理やり繋げられるように作ろうとするのは苦しいから嫌だ。かといって第四が繋がらなかった場合、別に繋げなくてもよかった第三までをわざわざ未来に丸投げしてまで繋げた意味って……となってしまう。

 そういうことを考えていると全然楽しくなくなってくるので、きっと、おそらく、たぶん、何も考えずに行き当たりばったりで行くのが一番なのだと思う。趣味なんだから。とりあえず今ある設定はコレ、あとのことは知らない。たとえあとで矛盾が生まれようとも。知~らない。

感想文。

 ツイッターで流れてきた、はがきコンクールジュニア部門の作品に素晴らしい物があった。画像をそのまま持ってくると著作権とかそこらへんが大丈夫なのかよく確信が持てないので、作品を文章にして載せておく。

※「はがきコンクールのジュニア部門に熱い作品あった」で検索すると元画像が見れる可能性があるので、ぜひそちらも見ていただきたい。

 

 

あい犬はぶくぶく太ってぶんにょぶにょ

十キロギリギリ走れよ走れ

(あい犬へ)

お前は太りすぎた。落ちている物をすぐ食べるな。

だから、七キロが十キロギリギリになるんだ。

外でおもいっきり走ってやせろ、やせるんだ。

わたしといっしょに走ろうよ。         なな子より

【ジュニアの部】

題名:あい犬へ

区分:短歌

 

 

 ……という作品が、いかにも小学生の描いたと見えるかわいらしい絵と共にあった。絵は走る女の子と首輪をつけた茶色い犬の物で、特に変わった物ではない。

 しかし、まずそこが良い。一目見て「あぁ、これはこれを描いた女の子と、その子が飼っている犬の絵だな。この犬が太ったのだな」と分かる上でなおかつ、いかにも小学生の描いた絵だと思わせるその絵が良い。

 この作品は元々手書きであるのだが、文字もいかにも子どもが書きましたといった感じの質になっている。わざわざジュニアの部と説明されなくても、文字を見た瞬間に「あぁ、これは子どもが書いた物なのだな」と分かるような物だ。言ってしまえば決して上手な文字ではない。

 しかし、その字を読むのに読み手が苦労することはない。解読が必要ないのである。子どもの書いた字があまりにもめちゃくちゃだと「おそらくこの部分は〇〇と書いてある」と読み手が推測しなければならないが、この作品の文字はいかにも子どもらしいのに、それでいてちゃんと読める物になっているのだ。

 明らかに子どもの描いた絵、子どもの書いた文字。しかし何が書いてあるかは自然に理解できる。このバランスがまず素晴らしい。いくら文章の内容そのものがほほえましくても、もし字や絵が異様に綺麗だったら、ジュニアの部の作品を見ている気になれないからだ。しかし逆に解読が必要になると、それは読み手に無駄なエネルギーを使わせてしまう。

 それらしい絵、それらしい文字、それらしい内容。ジュニアの部の作品としてそれらが統一されていながら、読みにくさは一切ない。その意味ですでにこの作品は模範的だと言える。……が、元画像もないのにそんなことを言っても何も伝わらないと思われるので、そろそろ文章の内容について話そうと思う。

 まず初めの一文だ。

「あい犬はぶくぶく太ってぶんにょぶにょ」

 この時点で才能を感じる。太った犬の贅肉を表現するにあたって「ぶんにょぶにょ」という擬音を出す発想が一般人にあるだろうか。ぼくにはない。許容しかねる段階まで愛犬が太ってしまったことがこの時点でもうよくわかる素晴らしい表現だと思う。

 しかもこの文の始まりは「あい犬」である。「愛犬」ではないのだ。このいかにも「まだ学校で習ってません」と言わんばかりの文字遣い、これぞジュニア部門だと初っ端から主張してきている。かなり良好なスタートダッシュと言えるだろう。

 そして次に続く文章。

「十キロギリギリ走れよ走れ」

 ここで若干の疑問が生まれる。「十キロギリギリ」とは十キロに近い九キロ台のことだろうが、ここでの「キロ」とは何なのだろう。後に続く「走れよ走れ」から考えてkmである可能性が思い浮かぶ。しかし愛犬が太ったという話題であることからkgである説も考えられる。ぼくは犬の体重の相場を知らないので、この疑問にこの時点で答えを出すことはできなかった。

 しかしその後の「走れよ走れ」だ。なんてテンポと語呂の良い言葉だろう。下手に飼い主らしさを出して、上の立場であることを表現して「走りなさい」なんて言ってしまったらつまらないが、この作品ではそんな退屈なこと起きない。「走れよ走れ」だぞ、走らなきゃいけない気がしてくるだろう。

 このテンポの良さに流されるようにして読み進めていくと「(あい犬へ)」というカッコ書きを挟んで文章が続いている。その文章の始まりはこうだ。

「お前は太りすぎた。落ちている物をすぐ食べるな」

 見よ、このセリフ。「お前は太りすぎた」から始まるその文章。何かの物語が始まるのかと思った。よくある「お前は知りすぎた」にも並ぶ、およそ容赦の感じられない衝撃的なセリフである。走れよ走れの時点では犬と対等に近かった筆者の態度が、いつの間にか上から目線になるまさかの展開で文章の続きは幕を開けるのだ。

 そして続くのは「落ちている物をすぐ食べるな」である。なんと至極真っ当な文句であることか。そりゃあ落ちている物をすぐ食べてたらそう言われるよ、ちょっと前まで対等だった飼い主も偉そうになるよ。しっかりしてくれ愛犬。

 次々新たな展開を見せ続け、読み手を飽きさせない文章は続く。

「だから、七キロが十キロになるんだ」

 ここで例の疑問に解答が与えられる! キロはkgだった……! 捉え方によって文章の意味が変わってしまう部分に早急に解答を与えてくれる文字書きの鑑だ。そして同時に愛犬が約3キロ近く太ったことが判明する。それは人間でもそこそこの増加量と言えるので、愛犬氏はかなりやらかしていると見える。怒られるのも致し方なしか。

 太ったというのが具体的に数値で言うとどの程度のことだったのかも示しつつ、まだまだ文章は続いていく。

「外でおもいっきり走ってやせろ、やせるんだ」

 走れよ走れから続く言葉である。しかし「やせろ、やせるんだ」というテンポよりも強調を優先した表現によって、以前よりもより強い思いが伝わってくる。落ちた物をすぐ食べて3キロ近く太ったという経緯を、読み手が知った今だからこそ伝わってくる思いもあるだろう。

 そして特筆すべきはこの「感情の乗せ方」である。強い思いが伝わってきつつ、感情ばかりが前に出て文章自体が崩壊してしまうということはない、絶妙なバランス。文字と絵においても素晴らしいバランス感覚を(さすがに無意識で)見せた彼女の才能はこんなところでも表れている。

 そしてこれらの文章は最後にこう締められる。

「わたしといっしょに走ろうよ。 なな子より」

 これまで徐々に飼い主として、上の立場を示しつつあった筆者が、友達に対するような対等で優しい言葉をかけて話は締めくくられるのである。なんともほほえましい作品だった。

 そして最後。満足して去りかける読み手に、運営側から衝撃的な情報が発信される。

 

【ジュニアの部】

題名:あい犬へ

区分:短歌

 

 区分、短歌。そう、これは短歌だったのだ。信じられるだろうか。字余りとか自由形とかそういう次元じゃない。我々が読んだ物は完全に愛犬への手紙で、そもそもこれは「はがきコンクール」であるわけだから、それが手紙でも何も問題はないと思っていた。しかし、どうやらこれは短歌だったらしい。

 しかしそれでも素晴らしい文章だった。大人にも書けないような流れるようなテンポと独特かつ魅力的な表現の数々、それらを見たあとだと「もうこれが短歌でもいいか」という気にさせられる。圧倒的な力を見せられたあとのそんな気分、それはとても心地よいものだ。

 ……が、この作品を紹介していたツイートのリプ欄に有識者がコメントしていた。

「最初の「(あい犬へ)」より前がちゃんと五七七で短歌になってるんですね」

 なんだと……!? と慌てて確認する。

 

あい犬は ぶくぶく太って ぶんにょぶにょ

十キロギリギリ 走れよ走れ

 

 マジだった。短歌は初めの部分でしっかり書かれて終わっていて、その後の手紙のような文章はすべて解説文だったのだ。解説文だとすればそれはそれで独特な物だったが、ともかくこれで「区分:短歌」についても文句のつけどころがなくなった。

 なんて素晴らしい作品だったことか、拍手を送りたくなるクオリティだった。むしろ短歌を短歌だとも気付かないぼくのような人間にはもったいない、有識者のための作品だったとも言えるような物でさえあった。高級品だ。なな子ちゃんバンザイ!

 

 

 ……と、ひとしきり語ったところでこの話は終わる。しかし話題は次へ移り、この文章自体はまだ少しだけ続く。

 そもそも今回は、小中と同じクラスだった友人Kに言われて文章を書いている。彼がなな子ちゃん(なな子さん)の作品の魅力をイマイチ言語化できないというので、有識者に比べるとカスでも時間だけはあるぼくが一応こうして書いて見せることになったのだ。

 ところでそんな友人Kが中学の国語の授業か何かで書いていた詩が、とても印象的で未だに記憶に残っている。せっかくの機会なのでここで紹介しておこう。

 

 

ごめんなさい

ごめんなさい

ごめんなさい

ごめんなさい

ごめんなさい

五回も謝った

五回も

 

 

 ……というような詩を、彼は授業で必要に迫られて書いていた記憶がある。記憶は若干曖昧なので内容は少し違うかもしれないが、「ごめんなさい」が五回繰り返されていたことだけは確実だ。

 彼が何を思ってそれを書いたのかは不明。しかしどうだこの、ファッションメンヘラを置き去りにする闇のオーラは。友人Kは別にメンヘラというわけではないはずなのだが、これを提出物として見せられた先生の心中や如何に。

 先生のことはさておき、ぼくは初めて教室でこの詩を見た時「なんだこいつ、天才じゃねぇか」と思った。一方ぼくが授業で書かされた詩といえば、たぶん取るに足らない内容しか書けなかったのだと思う。記憶に一片も残っていない。

 しかし、それだけ力の差を見せておいて、友人Kは文章を書くのがそんなに好きではないらしかった。ぼくはこれ以降彼の作品を見たことがない。恨めしいことである。

 彼の過去作品を晒してすっきりしたので、今回の文章はここで終わりにしようと思う。晒したことを怒られたら、その時はきっちり五回謝ることにしよう。